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灰色の記憶

日記 3/19-3/25

3/19(金) 天気:晴れ

ピラネージという画家を知ったのだけど、画が本当に恰好いい。画集が欲しい。

午後は外にでた。本屋と図書館にいった。本があるところにしか用がない。本のことばかり考えている。

また目が悪くなった気がする。


3/20(土) 天気:くもり





何にも期待しない。


3/21(日) 天気:雨

何も捗らず、横になる。泥になりたい。

なぜ好きなのか言葉にするのも億劫なくらいに、好きなものがある。それは生き甲斐であると同時に、死に甲斐でもある。解るかな。

本当に胸打たれたものに、比喩など必要ない。が、比喩は時に、記憶と記憶の接着剤になる。


3/22(月) 天気:くもり

文学も音楽も嗜むものではなくなり、みずからを傷つけるための道具になってしまった。それは決して、使いこなせるようにはならない。何かを面白い(=interesting)と感じるのは、他人事ではないから。何かを面白いと思うには、自分を歪ませるのが手っ取り早い。思考や想像をやめると、ただ生きているだけになってしまう。

私のような人間は、一人で死んだ方がいい。


3/23(火) 天気:晴れ

多和田葉子ボルドーの義兄」読了。

以下本文より抜粋


一度書きしるされた言葉は、それがどういう理由で書かれたかには関係なく、必ず未来に影響を及ぼす。

/

罪もない?罪もない人なんていないでしょう。

/

苦しみを避けるのではなく、苦しみから喜びを得ることを学びなさい。


電車に1時間揺られて、柏へ。

祖母の家へ。斜向かいに山があり、視界の先に辛夷の花がみえた。最後に来たのはいつだったろう。ところどころ変わっていたけど、相変わらず落ち着く空間だった。他愛もない昔話に花が咲いた。

お墓参りへ。桜の花が咲いていた。祖母曰く、祖父と同じお墓に入るという。線香の匂いが、鼻孔と胸の奥を擽る。マッチを摩ったのはいつ以来だろう。一人で来る時は、来るだろうか。

会えてよかったと言われた。

地平線が藤色がかっていた。沈んでいく夕陽を目で追っていた。

帰りの電車の中では、三好達治の詩集を読んでいた。


私の詩は
三日の間もてばいい

昨日と今日と明日と
ただその片見であればいい

(三好達治『枕上口占』より)

今日も詩を書いた。


3/24(水) 天気:晴れ

午前は図書館にいった。6冊借りた。

公園に寄ったら、桜が満開だった。しだれ桜のかたちが綺麗だなと思い、写真を撮った。

午後は駅前の本屋にいた。フリオ・コルタサル「秘密の武器」購入。また積読が増えた。


3/25(木) 天気:くもり

サミュエル・ベケット「いざ最悪の方へ」を読んだ。

すべて消え去るという憧れ。薄暗さが消え去る。虚空が消え去る。憧れが消え去る。無駄な憧れが消え去るという無駄な憧れ。(本文より抜粋)



_____


呆気ないものに惹かれるのは、同情のせいか?

疑いを入れたくなるのは、信じたい意思の裏返しか?

生きているうちに、救われることなんてあるのか?そもそも、何から救われるというんだ?


書かなければならない。もっと、もっとだ。死ぬまで苦しめ、苦みながら書きつづけろ。

日記 3/12-3/18

3/12(金) 天気:くもり

自分が生きているという事も、死んだという事も、たったひとりの人にしか知られたくない。あるいは、誰にも知られたくない。


3/13(土) 天気:雨

記録帳を読み返していた。島本理生の言葉にだいぶ救われたんだな、と思った。そういえば、今年はまだ読んでないな。


3/14(日) 天気:晴れ

怖い。





怖い、怖い。


3/15(月) 天気:晴れ

矢川澄子ベストエッセイ 妹たちへ 」購入。

欲しい本が買えたので、きょうはよかった。


3/16(火) 天気:晴れ

幸福を感じている時は誰かの不幸を願うことなんてないのに、不幸を感じている時は誰かの幸福を願うことがある。違うな。耐えられる不幸にいる時は誰かの幸福を願うだけの余裕があるけど、耐えられないほどの不幸にいる時は誰でもいいから自分と同じ苦しみを味わって欲しいという気になるのだろう、それは余裕がないから。でも、叶う叶わないは置いといて、自分が幸福な時に誰かの幸福を願うのが最も理に適っているのかもしれない。不幸が連鎖するよりは増しだろう。いやどうだろう、難しいな。


3/17(水) 天気:晴れ

お前の思ひの鎖が
願はくば何時でも私の頸を巻いてゐるやうに。

(ルミ・ド・グウルモン『鎖』)


「ただまつすぐにお前の道を行け、
さうして暴風雨を嗤っておやり、
波と風との中で暴風雨にぶつかれ、
お前の死に向つてまつすぐに進め、
死の島が見える、
霞から遠く朝露にあふれた死の島は
空が姿を写し、
空がヴエルをはづすお月さまのやうに輝いてゐる。
やがて舟を岸へよせて
お前の星を草むらの中に摘め。」

(ポオル・フオル『舟』)


3/18(木) 天気:晴れ

外にでた。信号で待っていたら、前のほうに、手話で会話している二人組がいた。

倉橋由美子「大人のための怪奇掌編」購入。

図書館にいった。何も借りなかった。

三日月だった。

キケロは約束が無条件に守られなければならないという主張は退ける。①自分の側に極端な不利益が伴う時、②相手の側の不利益になる時、③約束が暴力や詐欺によって結ばれている時、④相手側に不誠実がある時には、約束は守らなくてよい。

(加藤尚武『現代倫理学入門』より)


実行しなければ
差はない

(エーリヒ・ケストナー『倫理』)















もはや何に耐えているのかも判然としませんが、どうにか、耐えています。


「まだ死なずにいてよかった、これがみられたから、もう悔いはない」と思うことが、私にとっての美なのかもしれません。そんな時が、来ればの話ですが。














来ると信じて、待ちましょう。

日記 3/5-3/11

3/5(金) 天気:くもり

精神(≒脳)がやられているのに託けて、実際にあった出来事を、無かったことにされる事がある。くそが。憶えているからな。舐めやがって。おまえの手口は詐欺や洗脳と同じだ。

忘れる事も忘れない事も怖いと思ってしまう。繊細とか、もうそういう領域じゃないくらいに、怯えている、気がする。怯えている?何に?何もかもに。何もかも吹き飛んじまえ、と思う瞬間が、一日に一回はあるでしょう?え、無いんですか、何、病んでるのって?病んでますよ。病んだ事ない人間なんているんですかね。第一、病む事を嘲笑するような人間が他者と関係しようとする事自体が誤りですよ。そんな奴を伴侶にするなよ。関係するなよ。自分を捻じ曲げるなよ。自分を安く明け渡すなよ。ああ、苛々するな。憤懣やるかたない、ってのはこういう事ですよ。病む事の何が滑稽なんだ?それは中には構って欲しさにある事ない事でっち上げて深刻ぶってる奴もいるかもしれんよ。偶々そういう馬鹿ばかりに遭遇するから「病む」「病んでる人」に対してネガティブイメージを持っているのかもしれない。けど、本当に深刻で今この瞬間にも死のうとしてる人間が、構って欲しさなんかじゃなく本当にそれしか考えられなくてそうしてしまった人間が確実にいるんですよ。そういう人を、誰もが見殺しにしている。無論私も。私は、見殺しにされて然るべき人間かもしれない。そういう事を考えた事の無い人間が、酷く憎く、酷く羨ましい。ああ、どれだけ嘆いても無駄だ。でも、嘆く以外に能が無い。ないものねだりは厭だ、卑しい。結局、何が言いたいんだって?精神病みをそこまで忌み嫌っているおまえは、人間じゃないという事だよ。人間の本質は精神なのにね。今後一切、どんな精神活動もするなよ、全部冒涜になるから。大切な人がいるだって?笑わせるなよ。おまえのそんな人格や態度で守りたいものが守れる訳が無いだろうが。無自覚に傷つけまくって殺すだけだ、冗談も大概にしろよ。おまえはその大切な人とやらに見捨てられて、逃げられて、挙句の果ては復讐されて、一生を後悔して過ごすだろうね。おまえみたいな屑に即死は用意されないよ。後悔して後悔して、苦痛に喘ぎ続けて、いつ終わるとも知れない生き地獄を味わうんだな。いい気味だよ。想像力の無さは殺人を引き起こす。その犠牲者が偶々自分の大切な存在だった時の遣る瀬無さ。後悔先に立たずとはこの事だね。まあ、ここまで言っても判らない奴は判らないんだろうな。おまえの「守る」は口先だけだろうが。何も守れんよ。おまえの方こそ恥を知れ。


3/6(土) 天気:晴れ

外にでた。目が悪いせいで遠くに見える花が何なのか判らない。銀河鉄道の夜では季節を無視して花が咲いている。狂い咲きというやつだ。

図書館はもう再開してるのだろうか。ああ、でもまだ読みさしのが2冊あるんだった。この日記で書く「読んだ」は一日で読んだ、「読了」は二日以上かかった、という風に何となく使い分けている。そんな意味の無い使い分けをしているのは私くらいだろうけど。はやく読もう。


3/7(日) 天気:くもり

女性ボーカルの曲しか聴けない時がある。落下する夕方(著:江國香織)の華子がそうだったな、と思う。最後死んじゃうけどね、彼女。

相変わらず、文が全然頭に入らない。はあ。

きょうも、何もしなかったな。


3/8(月) 天気:くもり





ずっと寝ていたい。懈い。


3/9(火) 天気:晴れ

自分に向けられる優しさだったり、心配だったりを当たり前に思うようになってしまった瞬間から、人は孤独になるのだろう。いや、自分の中の孤独に気附くのだろう。誰もが生まれた時点から、孤独の種を抱えている。自分に染みついている傲慢性の一切を排除したい。そうでもしない限り、向けられる優しさのすべてを掬い取る事など出来ない。ましてや、本当の意味で自分で自分を導く事も出来ない。本当の意味?何だ、本当の意味って、何だ本当って、意味って、何なんだ?嘘吐きを嫌っている奴が嫌いだ。何なんだ、その正義づらは。誰も救わない正義なんて塵同然だろう。役に立つ事ばかりにしか目がいかない奴は大体役に立たないよね。無知の次に怖いのは想像力の欠如だ。その想像力をどうやって培うか?まず知るしかない。知って、向き合うしかない。知らない事以上に、知ろうとしない事は、罪だ。知らなければよかった事というのは勿論あるだろう。だが、そんな事実は、おのれの無知に甘んじる正当な理由にはならない。もっと知れ。もっと自分を傷つけろ。他人に傷つけられる前に、先に傷つけ。無傷の人間に想像力など無いに等しい。知る事は、想像する事は、正義に酔う事じゃない、真実を試行錯誤する事だ。真実に耐える事だ。


3/10(水) 天気:晴れ

アンナ・カヴァン「われはラザロ」読了。

午後は図書館を梯子した。ウエルベックが気になっていたので借りた。ほかにも、多和田葉子とか借りた。

風が強かった。砂丘という単語が不意に浮かび、何か書くか、と思った。


3/11(木) 天気:晴れ

新宿に来た。3ヶ月ぶりの新宿は快晴だった。夕方にある用事まで歩いていた。

紀伊國屋へ。「ノディエ幻想短篇集」購入。

ブックオフへ。ナサニエル・ウェスト「孤独な娘」購入。

新宿御苑は休園期間で、例によって花園神社やゴールデン街を見て廻った。

16時半、会う約束をしていた人と落ち合った。私は今年初めて人と会った。

いつものカフェに入り、3時間ほど話した。私は話下手なので、聞き役に徹していた。色々聞けてよかった。

中華屋で夕食をとり、解散した。

3ヶ月ぶりに人に会った。

何年の何月何日に会ったとか、自然と憶えている。だって、年に数回しか人に会わないから。

きょうも、詩を書きました。詩なんて書いて、何になるんだと。わかりません。ただ、気づけば書いてるんです。よし書くぞとかじゃなくて、勝手に出来てるんです。それで救われる事もあれば、突き放される事もあります。とにかく、すべてを書きたい。

生き甲斐が、人と会う事、そして、詩を書く事。この2つしかありません。

生き甲斐というのは、必ずしも希望だけで出来ているものではありません。そこには、時に、いくばくかの絶望も混交しているものです。

それでも私は続けるのでしょう。続けるしかないのでしょう。

呪いと思わない呪いも、祈りと思わない祈りも、等しく美しいと信じているから。

日記 2/26-3/4

2/26(金) 天気:くもり

忘れられる恨みであれば俺だってさっさと忘れていた。恨みなど抱かず生きているほうがよっぽど楽だし憂もないことは分かり切っている。ところが夜中に何度も刺されれば蚊にだって恨みを抱くのが人間ではないか。蚊がぶんぶん飛び回っているのに、それを忘れて寝ろと強いるのは非現実的、机上の空論なのだ。実際、俺の怒りが爆発したのも、この蚊が近くをぶんぶん飛び回っているような状況だったからだ。ひと刺しされたぐらいでは誰も爆発しやしない。何度も何度も刺して来るからこちらだって殺ってやるとなる。俺の場合は相手が蚊でなく人間だったので不幸だった。蚊ならどれだけ虐殺したところで罪には問われないのにね。人間はたとえ一匹でも殺生は許されないんだな。とんだ偽善じゃないか。人命尊しだと、笑わせるなよ。

(中真大『無駄花』)


2/27(土) 天気:晴れ







虚しい。何もかも。


2/28(日) 天気:晴れ

髪を切った。




「梨の子ペリーナ」読了。


3/1(月) 天気:晴れ

何の気力も欲求も無い。無為に過ごしていた。

どうしたらいいんだろうか。別にどうもしなくていいのかもしれない。第一、どうしたらいいかなんて誰も教えてくれないよ。馬鹿だな。

「変わることも変わらないことも悲しいと思ってしまうの」(majiko『グロウフライ』)


3/2(火) 天気:雨

記録を消しても、記憶まで消えるわけじゃないんですね。

「思いだせない事は忘れる事とは違う」という文章を何かの小説で見たけど、思いだせない。つまり、忘れたわけじゃないという事です。

かたちのないものは、往々にして儚いですね。


3/3(水) 天気:晴れ





苦しい


3/4(木) 天気:晴れ

数ヶ月ぶりに病院にいった。

駐車場に梅の木があって、梢に鶯がとまっていた。原民喜の「うぐいす」という童話を思いだした。春先、家の庭の、梅の木の枝にとまりに来るうぐいすがいて、男の子はそれが毎日やって来るのを楽しみにしていたが、ある日父親が写真を撮って、その翌日からうぐいすは来なくなったという。


僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまでは信じています。

(太宰治『葉桜と魔笛』)


私は弱いので、
悲しみに出遇ふごとに自分が支へきれずに、
生活を言葉に換へてしまひます。
そして堅くなりすぎるか
自堕落になりすぎるかしなければ、
自分を保つすべがないやうな破目になります。

(中原中也『寒い夜の自画像』)


死ぬんじゃありませんか、とぼくが言うと、彼女はすかさず、
「あなたこそ、死にそうですわよ」
と言って、ニッと笑った。その微笑は、ぼくの心にまるで針の様につきささった。

(織田作之助『ひとりすまう』)


生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。

(坂口安吾『不良少年とキリスト』)




何も信じずに生きるなんて、死んでいるのと同じだ、と思った。
















待つ、祈る、信じる。その繰り返しだ。それだけの事だ。それ以外に大事な事なんて、何も無いんだ。それだけだ。本当に、それだけだ。

日記 2/19-2/25

2/19(金) 天気:晴れ






怖い。


2/20(土) 天気:晴れ

何もしたくない。





起きているのが辛く、寝ても悪い夢ばかり。


2/21(日) 天気:晴れ

幸福を追いかけている間は、
おまえは幸福であり得るだけに成熟していない、
たとえ最愛のものがすべておまえのものになったとしても。

失ったものを惜しんで嘆き、
色々の目あてを持ち、あくせくとしている間は、
おまえはまだ平和が何であるかを知らない。

すべての願いを諦め、
目あても欲望ももはや知らず、
幸福、幸福と言い立てなくなった時、

その時はじめて、でき事の流れがもはや
おまえの心に迫らなくなり、おまえの魂は落ちつく。


(ヘルマン・ヘッセ『幸福』)


きのうからずっと、この詩を反芻している。


2/22(月) 天気:晴れ

原幸子の詩集を買った。ボロボロになるまで読むだろう。

図書館にいった。しばらく休館になるらしい。何冊か借りた。


繰り返される虚構こそが、受け容れられる真実となる。───ウラジミール・レーニン

自分が受け容れられるかどうかは保留して、私の虚構が誰かの真実になるのなら、喜んで書きつづけよう。私の言葉で救われたという声に、私は救われてきた。それが生き甲斐になるだろう。ささやかな誇りになるだろう。書くという行為によって、安寧と安心を与えられたら。


自分の正義をもった瞬間に、私は誰かの悪になる。目障りな存在になる。それでも構わない。疎まれても蔑まれても憎まれても嘲られても、全うする。自分という悪と正義を、全うする。


2/23(火) 天気:晴れ

原民喜の童話集を読んだ。どの話もよかったが、「気絶人形」という話が気に入った。寂しがり屋で神経質な人形は、最終的に少女の手に渡って気絶しなくなる。孤独が癒えたわけだ。

赤坂真理「太陽の涙」を読んだ。幻想的で美しい話だった。挿絵が繊細で魅入ってしまった。


2/24(水) 天気:晴れ

きょうも、不吉な夢をみた。睡眠でストレスが増すなんて莫迦な話だ。

外にでた。外は暖かいを通り越して暑かった。夕方は冷えたけど。

吉屋信子花物語(上・下)」を買った。唐突に少女小説が読みたくなった故。許して欲しい。

愛想について。いまは意識的にしているけど、そのうち無意識に出来るようになりたい。

好きの種類が「人として好き」しかない、と思ったのだが、何だかそれも違うような気がする。まず、「として」という語を使いたくない。枠組みに放り込みたくないし、放り込まれたくない。あなた「だから」好きといったほうが適切だろうか。だがそれだと誤解を生む可能性があるから、思うだけにとどめて、結局、婉曲的にしか相手に対していだく諸々を伝えられず、そして伝えきれない、と伝わりきらないの二重苦に苛まれる事になるのだ。ああ、対話というのは、会話より難しいものだね。


2/25(木) 天気:晴れ

久坂葉子は21で飛び込み自殺をしたし、二階堂奥歯は25で飛び降り自殺をしたし、岡真史に至っては12で飛び降り自殺をした。こういう事実を知ると私はもう、生きる気力を失ってしまう。だが、私に自殺する勇気はお生憎無い。挙げたのは私が愛して止まない人物達だが、愛している分、その最期を改めて思うと哀しい事この上なしだ。死に魅せられたら最後、未来将来の事なんて考えないよ。私も例に漏れず魅せられているが、へたれなので覚悟というものが無い。冒涜している訳ではない。恥ずかしいし、やりきれないし、自己嫌悪に陥る限りだ。苦しみながら死ぬというのは、恐ろしいものだね。自然死、それも突然死を希んでいるけど、私にそんな恩寵を享ける資格など無いのだろうか。苦しみながら死ぬのがお似合いなのだろうか。そんな姿を他人に見られると思うと、何だか寒気がするね。人が苦しんでいるのを安全圏から面白可笑しく観察している奴等の外道ぶりと来たら。優しい人間から死んでいくというのは、ねえ、これはどういう訳なんですか。納得のいく説明が出来るんですか。出来ないでしょうね。あなただって、所詮は奴等と同じですよ。

日記 2/12-2/18

2/12(金) 天気:くもり

一人の時は、まともな食事をとらない。そもそも、まともな食事とは何なのだろう?本当に、何なんだ?私には、まともという表象の実体がわからない。わかりたくもない。

アンナ・カヴァン「氷」を読んだ。ずっと読みたいと思っていた作品で、ようやく読めた。以前に読んだ「アサイラム・ピース」でもそうだったが、カヴァンの文章には読む者の不安と焦燥を駆り立てる力がある、と私は思う。この、カヴァンの描き出す狂気の世界に私はすっかり魅入られてしまった。殊に、この「氷」に漂う切迫した雰囲気、緊張感、退廃感、終末感、現実と非現実のあいだを往来しているような感覚は狂気そのものであり、美しさでもあった。心に安らかな作用をもたらすものだけが美の象徴ではないということを、改めて感じた。


2/13(土) 天気:晴れ

ジュンク堂で、林芙美子の詩集を見つけて、林芙美子って詩も書いてるんだ、と思った。今度、吉原幸子の詩集と一緒に買おうかな。

講談社文芸文庫の棚をチェックしたものの、久坂葉子の本は置いていなかった。代わりに高見順の本があって、これは詩集だったけど、珍しいなと思った。文庫で見たのは初めてだった。

図書館へ。いつもは小説を見て回っているけれど、詩集だけ見ていくことにした。何も借りなかった。

詳しくなくても好きと言うことは許されて然るべきだと思う。それは断じて罪悪感を感じなければいけないことではないと思う。

深夜に突然大きな地震があって、部屋が大きく揺れて、物が落ちた。幸い怪我はなかった。知人にも、怪我がありませんように。


2/14(日) 天気:晴れ

酷く魘された。何度寝直しても魘された。

山尾悠子ラピスラズリ」を買った。「夢の遠近法」が中々読み終わらない。


2/15(月) 天気:雨

尾崎翠第七官界彷徨」読了。

生憎の雨で、外には出られなかった。


2/16(火) 天気:晴れ

晴れていたけど風がつよくて、移動が頗る困難だった。

図書館を梯子した。

夕方は冷えた。

人の気持ちがわからないのと、わかりすぎてしまうのの、一体どちらが深刻だろう。というより、前者はそもそも深刻なのだろうか。そして、後者はどうにかできる問題なのだろうか。その性質は先天的だろうか、後天的だろうか、両方なら、割合はどちらが大きいだろうか。


2/17(水) 天気:晴れ

常に正直でいたら孤立するかもしれないが、そもそもそれが出来る人は独りで生きていけるだけの強さを持ち合わせているのだと思う。常に正直でいることは善なのだろうか?善であったとして、常に正直でいることなど私に出来るだろうか?それによって誰かを傷つけてしまった時、それでもなおその行為の善性は保証されているのだろうか?誰かの悪は誰かの善で、逆も然りだろう?だが問題はそこではない。正直でいることのいかなる評価に関わらず、常に正直でいることなど本当に出来るのかというところだ。出来るか?私は出来ないと思う。だって、誰かを傷つけつづけることに私は耐えられない。だから嘘が時に必要になり、私は悪人にならざるを得ないのだ。だが、嘘は責任を持って吐かなければならない。また、簡単に見抜かれる嘘を吐いてはならない。そして、最後まで相手を騙し通さねばならない。嘘を吐くのは命懸けだ。自分の命だけでなく、相手の命も懸かっている。そして、自分も知らないうちに懸けられているかもしれない。そういう時、私は強く思う。相手の為に、鈍感でありたいと。駆け引きなど企てず、最後まで鈍感でありたい、と。


2/18(木) 天気:晴れ

アンナ・カヴァン「鷲の巣」読了。ことごとく合理性を欠き、次々に希望が潰されていく残酷な世界をカヴァンは提供してくれる。理性ではコントロールしきれない精神というものを緻密に描写している。まるで自分が経験しているような気にさせられる。現実と非現実の交錯は時に調和を発揮し、精神に名状しがたい陶酔感をもたらす。頁を捲っても捲っても、常に不穏な空気が漂っているのが感じられる。その緊張感に憑かれたら最後、逃げるのは不可能に近い。

もう長いこと病院に通っていない。薬も尽きそうだ。文字を読むことと書くことで、やっと自分を保つことができているような、そんな調子だ。





私にとって重大な事は、誰かにとっては取るに足らない事だ。それは見方によっては、希望でもある。

日記 2/5-2/11

2/5(金) 天気:晴れ

また図書館にいった。

詩を2つ書いた。

時計の秒針より、心臓の拍動の方が速い。


2/6(土) 天気:晴れ

リチャード・ブローティガン「西瓜糖の日々」を読んだ。島本理生とか、雛倉さりえの作品で出てきて(多分)、気になっていた作品なのだけど、雰囲気のいい、好みの小説だった。

本を読んだり、物を書いたりしていることの意味が偶にわからなくなる。でも、意味や価値や目的や生産性があろうがなかろうが、辞めることはないのだろう。辞めたいとも思わない。もう、肌に染みついている行為だから。生態といってもいい。


2/7(日) 天気:晴れ

きょうは、外に出た。陽ざしが心地よかった。

先のことを考えていない。考えたくない。

川上弘美「溺レる」を読んだ。

書いた詩が600に達した。公に出さない陳腐な詩が。


2/8(月) 天気:晴れ

きのうと較べて肌寒く、風も強かった。寒いのは昔から苦手だ。それに、感傷的になってしまう。

いつから自罰的になったんだろう。全部自分のせいにしてしまう。その方が楽だから。

「ふり」をすることさえ出来なくなったら、私はもう生きられないだろう。蛻の殻だ。


2/9(火) 天気:晴れ

ちくまから出ている尾崎翠の作品集を買った。解説は矢川澄子。小説に加えて詩も収録されている。短いものから読もうと思う。

花の名前とか、鳥の名前とか、幼い頃に身につけておくべき知識がまったくといっていいほどなくて、自分の幼少期の物事に対する無関心さを恥じる。仕方がないので、簡単なものから、季節のものからこつこつ覚えている。もちろん、名前なんて知らなくても綺麗なものは綺麗なのだけれど。


2/10(水) 天気:晴れ

詩を2つ書いた。

久々に短歌を書いた。ネットプリントに出した。

短歌より自由律俳句の方が好きなのだけれど、活動人口が少ない(気がする)。それでも私はやる。

小説もまた書きたい。この日記もつづける。


2/11(木) 天気:晴れ

千早茜「人形たちの白昼夢」を読んだ。残酷で、苦しくなるくらいに美しかった。

「幸福は閉鎖だ」という言葉を思いだした。その意味が解ったような気がする。周りに理解されなくても、否定されつづけても、互いが認め合い信じ合っていれば、それでいい。それ以上に大切なことなんて、何もない。

生きている間に、死んでいく友人をどれだけ見ることになるだろうと思うと、耐え難い喪失感に襲われる。おぼろげな記憶しか遺されない。何もかもが、脆く儚い。それゆえの、揺るぎない美しさ。惨めに縋り付き、歯を食いしばり、地を這うことの切実さ。そのすべてを、慈しむことができたなら。

私は、語られなかったものさえ愛している。