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灰色の記憶

日記 6/4-6/10

6/4(金)

朝から雨だった。いや、昨日の夜からか。


/
久々に読みたい本リストをつくった。でも大抵古いから、見つからないんだよね。


画集とか借りてみようかな。まったくもって詳しくないけど…。最近知ったのだと、アンリ・ル・シダネルという画家の作品が好きです。


美術館いきたいな。詳しくないけど…。



6/5(土)

図書館に。貸出カードの更新をしてもらった。伊藤計劃の小説を借りた。


エミール・シオラン『生誕の災厄』を買った。


言葉のほかに何が自分を傷つけるか。物言わぬ記憶、存在、考えうる限り最悪の結末、想像。


疲れた。何も考えたくない。何も見たくない。


/
でもまだ、死にたくない。



6/6(日)

ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。

(太宰治『斜陽』)


あなたは、いつでも優しかった。あなたは、いつでも正しかった。あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ。私はそれを知っています。

(太宰治『駈込み訴え』)



6/7(月)

気に入りの画家の名前をど忘れしてしまって(絵は思い出せるのに)、思い出すのに汲々としていた。レオン・ボンヴァンだった。


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動かなかった青空文庫のアプリが復旧してた!よかったー。


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唐突に宮沢賢治の童話が読みたくなり、読んだ。よだかの星を読んだ。何回読んだろう。


賢治の詩に、童話に、何度傷つけられ、何度救われてきただろう。


賢治と友達になりたかった。


よだか、お前の心は弱かったけど、醜くなんかなかった。一番、美しかったよ。


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「色んな相手が、色んなことを言ってきた。でも、心配も、干渉も同情も、等しく苦痛だった。誰にも会いたくなかった。なにも押しつけず、なにも言わず、ただ僕の話を聞こうとしたのは、あなただけだ」

(島本理生『よだかの片想い』)


僕の食べた物 全てがきっと生への対価だ
今更な僕はヨダカにさえもなれやしない

(ヨルシカ/ 靴の花火)


殺すことでしか生きられないぼくらは
生きていることを苦しんでいるが、しかし
生きる喜びという
不確かだがあたたかいものに
惑わされつづけ、今も生きてる

(きのこ帝国/ 夜鷹)



6/8(火)

「だからね、わたし、カラダが生きてて、変化するもので、永久とか永遠なんてものはなくって、生きるって苦しくて痛いものなんだ、ってはじめて実感したの。これが生きていることなんだって。この苦しさが、人間が生命である証なんだって。そう思うと、突然怖くなったの。自分が命であることが、自分が生命であることが」

(伊藤計劃『ハーモニー』)


/
・無関心と寛容は違う

・寛容と肯定は違う

・肯定は必ずしも好意とは限らない

・否定する勇気/否定を受け入れる柔軟さ


/
好きだから耐えるというのは、可笑しい。それは何とも向き合っていない。繕ってるだけだ。



6/9(水)

きのう読んだ『ハーモニー』の余韻がまだ残っている。


/
引っ張り出した影の影
染み込んでる孤独な日々
世界中が苛ついたって
デタラメに今日もわめいてみせる

(the pillows/ LAST DINOSAUR)


/
芥川の『歯車』を読んだ。締め方がよかった。


/
私は臆病だよ。

止められないし、逃げ出せない。

黙って見ていることしかできない。

見殺しにすることしか。

私には私を殺す責任もなければ、

生かす責任もない。



6/10(木)

自分の感情に自分で作用される奴は
なんとまあ 伽藍なんだ

(中原中也『不可入性』)

/
自分にとどめを刺すのは、そうだなあ、

やっぱり自分がいいな。

日記 5/28-6/3

5/28(金)

萩原朔太郎散文詩をぽつぽつ読んでいる。

アルフレッド・ジャリ『超男性』読了。


孜々として愛の実践にこれ努めていれば、愛を実感する暇はなくなってしまうものである。(本文より抜粋)



5/29(土)

朝から外に。人が多いし、暑い。


小川洋子『シュガータイム』、高橋克彦『幻少女』、バーナード・ショーピグマリオン』、ジッド『背徳者』、マッシモ・グリッランディ『マタハリ』を購入。疲れた。

自分で自分を愛せるようになることが、精神的自立の最終関門なんだろうな。


「依存先を増やす」ということばの意味が相変わらずわからない。意図もわからない。依存対象(それがなくては生きていけないひと/もの)を増やしたら苦しくなる一方でしょう。苦しむことを望んでいるのかな。それに、それは依存ではなくて没頭。利用と言ってもいい。利用を全否定しているわけではないけどね。

「君は、ここにいます。俺は、それはかならずしも証明できなくたっていいことだと思う。自分で、自分のことを見てさえいれば」

(島本理生『あられもない祈り』)

噂で聞いたよ 意外と平気さ
愛おしい日々だけ たまに思い出してね

さよなら ありがと 幸せになってね

(きのこ帝国/ ロンググッドバイ)



5/30(日)

またもや朝から外に。夕方に俄雨があった。


ダンテ『神曲 天国篇』、『神曲 煉獄篇』(河出文庫)を購入。地獄篇は今度買います…(神曲って地獄篇から始まるんですね)



5/31(月)

ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。

(萩原朔太郎『悪い季節』)

一日を通して何もできなくても前ほど罪悪感を感じなくなった。焦燥感に駆り立てられることも減った。薬が効いてるのかな。


眠剤は二日続けて飲まないようにしている。なんとなく。

今月もなんとか生き延びた。お疲れ様でした。



6/1(火)

本を返しに図書館まで。貸出カードの更新をするつもりだったけど、また忘れてしまった。



6/2(水)

きょうも、だめだった。


私には、何があるんだろう?

「強く、強く、なんのうたがいもなく怒ったり、責めたり出来る、のは、その物事に関わりがない人」

(彩瀬まる『骨を彩る』)


与えて奪うのは
何も与えないよりずっと残酷

(施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』)


求めて与えられざるを嘆くよりも、求め足らざるを嘆け。

(種田山頭火『燃ゆる心』)


おまへは雨戸を少しあけておいてくれというた。おまへは空がみたかつたのだ。うごけないからだゆゑ朝の訪れが待ちどほしかつたのだ。

(原民喜『そら』)


ああ、傷のような僕、目をつむれ。風が林をとほりすぎる。お前はまたうそをついて、お前のものでない物語を盗む。それが詩だといひながら。

(立原道造『詩は』)



6/3(木)

何者かになりたいとは何なのだろう。何もかも絶えず変わり続けるのに。


どうしたらいいだなんて、そんなことは、自分が一番よくわかっているだろう。私のしていることは、途方もない確認作業にすぎない。


劣等感。そして優越感。どちらも卑しい感情に思える。それを利用するのは、もっと卑しいことのように思える。けれど、そんなことを言っても仕方がない。仕方がないことばかりだ。


不自由の窮屈さ。自由の広大さ。私はその両方を経験する。どちらかを選べと迫られ、私は悟る。私には選べない。自由にも不自由にも耐えることができない。順応できないといった方がより正確かもしれない。


私に苦痛を強いているのは、結局のところ、私自身に他ならない。私は苦しむ為に生きているのだろうか?


生は苦しみを伴い続ける。苦しみを感じることができない人間に幸福を感じることはできない。無痛は幸福ではないが、不幸でもない。いや、どちらでもあるともいえるかもしれない。

アゴタ・クリストフ『昨日』読了。


今では、私にはほとんど希望が残っていない。以前、私は探し求めていた。片時も同じ所にじっとしていなかった。何かを期待していた。何かとは?それはいっさい分からなかった。けれども私は、人生が現に体験しているもの、つまり無同然のものでしかないなどということはあり得ないと思っていた。人生とは何かであるはずだった。で、私はその何かが起こるのを期待していた。その何かを探し求めていた。
私は今、期待すべきものなど何もないと思う。それで、自分の部屋から外へ出ず、椅子に腰を下ろしている。何もしないでいる。
外にはひとつの人生があると思うが、しかしその人生には何も起こらない。私にとっては何も起こらない。
他の人びとにとっては、もしかすると何か起こっているのかもしれない。あり得ることだ。が、それはもはや私の関心を惹かない。
私は、自分がここにじっとして、腰を下ろしているのはちっともいいことではない、結局はあとで必然的に立ち上がらねばならない、と思っている。ここにじっとして、腰を下ろして、何時間だか、何日だか、とにかくずっと前からこうしていることに、私は軽い居心地の悪さを覚えている。しかし、立ち上がって何らかのことをしようとする動機が一つも見つからない。自分がしてもいいこと、自分にできるであろうことが、私には思い浮かばない。まるっきり思い浮かばない。(本文より抜粋)


「ぼくはきみを待っていただけだよ」(本文より抜粋)

詩を書いた。何度同じことを言っているのか分からないが、書いた。祈るように、書いた。いつまで祈るのかって、馬鹿だな。生きていること、それ自体が祈りだとも言えるでしょう?

カフカの命日だった。


誰もが真実を見ることができるとはいえない、しかし真実で<ある>ことはできる。

(フランツ・カフカ『八つ折判ノート』)

狂うより、狂いきれない方が地獄だ。違うか?


数えるという行為は、虚しいだけだよ。


苦しいだけだよ。

日記 5/21-5/27

5/21(金)

サド『新ジュスティーヌ』を購入。


書店にて。例によって文学の棚を物色していたら、女性二人組がいて、何やら話していた。フランス文学はよくわからない終わり方をすると。誰を読んでるんだろう?マンディアルグとか読ませたらショック受けそう。読んでたらごめんなさい。


簡単な運動を始めました。量はどうでもいいので、継続できるように頑張ります。この日記も、ここまで続くとは思っていませんでした。


日記をつけることの利点は、さまざまな変化を明快に意識して安心を得るところにあるのだが、これらの変化にわれわれは絶えず支配されており、またこれらの変化を一般的にも自然なものだと信じ、予感し、容認するのだが、それでも無意識のうちに否認することがある。いざこうした容認から希望や安心感を手に入れようということになると、いつもそうなのである。きょうという日から見れば耐えがたいと思われるような状況のなかでさえ、生きて、あたりを見まわし、観察したものを書きとめておいたということ、つまりこの右手がきょうとおなじように動いていたのだという証拠が、日記のなかに見いだされる。そのきょうという日、われわれは当時の状況を概観できるようになったためにより利口になってはいるが、その分だけ、まったくの無知のなかでも保たれていた当時のわれわれの努力、その不屈さを認めねばならぬのである。​(フランツ・カフカ『日記』より)


相変わらず詩を書いています。感想を貰えると嬉しいです。ありがとう。



5/22(土)

特に何も。詩を2つ書きました。



5/23(日)

久々の晴れだったので外に。夏みたいな暑さ。


図書館に。4冊借りた。時間があったので小一時間ほど椅子に座って読んでいた。運動を始めてから読書に集中できるようになった気がする。内容も頭に入ってくる。気のせいだったら悲しいな。


駅前の書店に。何も買わなかった。


帰途。公園が賑わっていた。熱心にブランコを漕いでいる女の子がいた。


/

彼女がぼくを愛してくれて以来というもの、ぼくはどれほどぼく自身を尊ぶようになっただろう。

(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』)


君が愛してくれた僕だから
僕は僕のこと
許せたんだよ 愛せたんだよ

(majiko/世界一幸せなひとりぼっち)



5/24(月)

病院に。同じ薬を出してもらった。


緊張とか、不安とか、あまり感じなくなった。一過性の凪だろうか。元に戻るのが恐い。


約束があるから。まだ、ね。


/

欠如。すべてを飲み干そうとする渇きのような愛情の欠如。それはジャンキーの渇きだ。彼らは、与えられた薬が粗悪品であってもまったく気にもとめず、自分のためだと思い込んで致死量を注射してしまう。安堵と感謝と恍惚とともに。

(ヴァネッサ・スプリンゴラ『同意』)



5/25(火)

言わないだけで嫌いな人間は大勢います。嫌いというより、苦手ですかね。根性論、精神論を振りかざす人は漏れなく軽蔑しています。俺に出来たんだからお前に出来ないはずがない、という頓珍漢なことを言う人は大嫌いです。


自他境界を見失わないように。自戒。


自分を責めることは悪いことではありません。でも、あまり責めすぎないようにしたいです。全部自分のせいだと思い込むのは、世界は自分を中心に回っていると信じているのと同じですからね。そんなことはありえないので、適度に他人のせいにしてください。


私は別に優しくないです。寛容でありたいと思ってはいますが、自分でも呆れるほどに短気です。短気なりに自分を客観視しています。


死にたいと思うことも悪いことではありません。自殺幇助のつもりはありませんが、大事なのは、自分で決めたかどうかです。


他人に死ねと言われたから死ぬ。他人に生きろと言われたから生きる。駄目です。大事なのは、自分で決めたかどうかです。



5/26(水)

午前中だけ外に出た。自転車がぼろぼろだ。


ヨルシカのライブDVDを買った。


ポール・ギャリコ『ほんものの魔法使』(東京創元社)を買った。買えてよかった。


今日の月は特別らしいけど、あいにく見えなかった。


/

(思い出しそうになって辛い)
その正体を
思い出しそうになって辛いのだ
焦燥感ばかり募らせて 私は
孤独のうわずみが詮なく集まってくる、それだけを掴む

(中神英子『ほとり』より抜粋)


ひらひらと落ちてくる記憶を
わたしは必死でひろっている

(房内はるみ『光の生まれる場所』より抜粋)



5/27(木)

終日雨。終日家にいた。


寒くて落ち着かなかった。横になりながら本を読んだり読まなかったりしていた。


過去の人たちを思い出す。元気にしているだろうか。私は殆ど元気がないけど、なんとか生きてるよ。


去年の絵手紙に『生きてればまた会える』と書いたのを思い出した。生きてたら、会おうね。















いや、会うまで生きてようね。

日記 5/14-5/20

5/14(金)

寝ても寝ても寝た気がしない。ちなみに眠剤は飲まなかった。睡魔に負けて昼寝する。


「たまには外にでてくださいね」という主治医の言葉が不意に浮かぶ。重い腰をあげて外にでた。異常に暑い。自転車で図書館まで向かう。


短めの小説を何冊か借りる。


話せるひとがいるのはありがたいな。



5/15(土)

消灯前に、高橋たか子『人形愛』を読む。


合理的なもので真実なものがあっただろうか。真実なものは、じつは、理不尽さの、あいまいな襞の間にこそ、温存されているらしいのだ。(本文より抜粋)


高橋たか子を調べたら、高橋和巳の配偶者でした。高橋和巳という名前は森田童子「孤立無援の唄」の歌詞にでてくるのですが、私はこの曲がすごく好きなんです。アルバムを持っているけれど、そればかり聴いてしまいます。


きょうもなんだか蒸し暑かったです。なんとか外にでました。5月も折り返しですね。早い…。



5/16(日)

いつも断定しない。相手に押しつけない。私がこうだと言っても、受け、私がああだと言っても、受ける。大筋において私が間違っていると、ふんわりと正してくれる。

(高橋たか子『甦りの家』より抜粋)


昨夜の『人形愛』に続いて『秘儀』、『甦りの家』も読む。ううん、『人形愛』が一番かな。


人形の特性を端的に表す言葉といえば、澁澤が言っていた「断絶のエロティシズム」だろう。ちなみに、この対極となる「運動のエロティシズム」にはダンスが挙げられている。


姫野カオルコが『変奏曲』に関して「これを読んだあとは、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番ハ短調』を聞きながら、セックスしてほしい」と言っていたそうだけど、こういう独自の世界観を持っている人はいいな、と常に思う。


去年、新宿に行った時、ドールショップを見かけたような…。どこだろう、忘れてしまった。


MILKのワンピース可愛かったなあ。


また誰かと行きたいな、新宿。



5/17(月)

雨が降っている。


ふと、『西瓜糖の日々』のことを思い出した。

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堕落してしまいたい。ああ、早く堕落してしまいたい。

(コレット青い麦』)


時々、このフレーズを思い出す。

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中村文則『悪意の手記』を読んだ。


「お前に、どうすればなんてないんだよ。いいか、お前には、そんなものは用意されてないんだよ。どうすることもできない状態で、苦しみ続けるんだ。そのままだ。そのまま、死ぬまで、苦しみ続けろ」(本文より抜粋)


中村文則を読むのはこれで8冊目になるけれど、これが一番好きかもしれない。というか、手記の形態で進行する小説が好きなのかもしれない。比較するつもりはないが、前に読んだ、中真大『無駄花』も面白かった。


手記の形態といったら、『人間失格』もあったね。もっとも、あれは私小説だけれど。



5/18(火)

体が重い。頭が痛い。横になっている。


本当か嘘か、そんなのはどうでもいいじゃないですか。信じたいものを、勝手に信じれば。

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中河与一『天の夕顔』を読んだ。


すべて見えるものは、見えないものの崇高を証明するための存在でしかなかったのです。わたくしは何人にもまさって、美しいあの人の精神を、見つづけていたはずです。わたくしは今のあの人の顔の中に、見えないものを見、かつての懐かしい日々の全部を見ているのです。(本文より抜粋)


ドストエフスキー『白夜』を思い出した。


誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題でない。

(太宰治『駈込み訴え』)



5/19(水)

何もせず。ああ、

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美波YouTubeライブ『RED LINE』を視聴。いやー、良かった。待ってた甲斐があった。そして7月にCDが出ると。勿論買います。それまで生きてなきゃな。

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理由なんてないよ。理由を作ると、必ずそれに反対する言葉が出てくるでしょう?だから理由を作ったら駄目なんだよ。ただ、自分にそう言い聞かせたの。

(中村文則『悪意の手記』)



5/20(木)

後で虚しくなると理解していながら露悪的な発言を繰り返すのも自傷ですよ。

そういった衝動は、創作に昇華してください。

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図書館に。何も借りず。

薬、効いてるのか分かりません。でも何となく落ち着いてるかなと思います、この頃は。

読書以外にできること、何かないかなって考えたんですが、何も思い付きません。晴れてる時に散歩するくらいですかね。もう梅雨ですが。

紫陽花が咲くのが楽しみです。

/

私の心は、穴のあいた桶のように、その気がないのに空になってゆく。考えることだろうか。感じることだろうか。明確に定義されてしまうと、なんとすべてに飽きてしまうことか。

(フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』)















今愛しているものを、一生愛せたら。

日記 5/7-5/13

5/7(金)

二者関係における欲求のすべてを諦める?二者関係自体を諦める?


忘れることを諦める?諦めることを忘れる?


見て見ぬ振りを、もう何とも思わない。選ぶということは、選ばなかった方を見捨てるということだ。


両方選ぶか?両方見捨てるか?


謝るくらいなら最初からやるな?おいおい、自分を棚に上げるなって。俺もお前も偽善者だ。


くだらない駆け引き、感傷。馬鹿げた賭け。


直接言えないことの蓄積。それに伴う負の感情の蓄積。


極端な思考しかできない愚かさ、哀しみ。


「自分じゃなくてよかった」、「あなたを解りたい」という相反する感情を抱くことへの嫌悪感。感情というものに対する嫌悪感、絶望。


比較から生じる感情に対する嫌悪感。無意識に比較していることに対する嫌悪感。嫌悪感に対する嫌悪感。自分本位になりきれない絶望。


転換・転換点に対する不安、恐怖、憎悪。


過去を蔑ろにする人々への軽蔑。この軽蔑だけは忘れてはならない。


無知に対する憧憬、軽蔑。この葛藤からは死ぬまで逃れられない。矛盾に引き裂かれ続ける。


責任、誠意、誠実。これらの言葉が放つ悪臭。


過信が生む悲劇。信じることに対する恐怖。


結局、私自身も含めて、誰も自分のことしか考えていない。考えても仕方がないというのに。


復讐は束の間の達成感を生むが、その後は地獄のような虚無感に転ずる。第一、復讐相手が既に死んでいるとすれば、その努力は空虚という他ない。割に合わないどころの騒ぎではない。


対立を煽ってはいけない。双方を吟味すること。折衷できるなら、すること。


自分が持つ観念の微調整。その際限の無さ。


グラデーションにおける中間。この位置でしか、両端を同じ視力で捉えることはできない。


方法的懐疑。弁証法。あと何が必要だ?


あらゆる人が私でないのが羨ましい。それは、不可能なことのなかでいつも最大のもののように思われ、それが最大の原因となって、私の毎日の苦悩、あらゆる時間が悲しいという私の絶望が生まれた。
​───フェルナンド・ペソア

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芥川龍之介『沼』。辛くなったら読み返そう。


勿論僕は死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。

(芥川龍之介『遺書』)

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途方もない。やりきれなさだけが肥大する。視覚も聴覚も厭わしい。助けを求める、誰に?助けてもらった、その先は?わからない。全部がわからない。狂い続けて、死ぬのか。

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自分という病は、少なくとも私の場合は、部分寛解はしても、完全寛解することはない。


私は、私という監獄の囚人だから。ここから出られることはない。ここから出られたとしても、人間社会から完全に逃れる術はない。生まれながらにして八方塞がりだ。


本能だけの生物に生まれたかった。単純で美しいから。


善人、悪人などいない。善行と悪行があるだけだ。人間には善と悪が同在している。

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私達は物事をあるがままに見ない。私達に都合のいいようにしか見ないのだ。
​───アナイス・ニン

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忘れない。忘れないという意思を忘れない。


優しさなんてないよ。心があるだけだ。



5/8(土)

マンディアルグ『薔薇の葬儀』読了。『城の中のイギリス人』よりはライトだった。


図書館に。未読のアンナ・カヴァンを一冊。


澁澤龍彥『快楽主義の哲学』読了。なかなかの良書だった。そういえば、今朝、今日が澁澤の誕生日であることを知った。


理解・被理解に対する執着からの脱却。不理解に対する諦め。


維持と停滞を見紛わないよう注意すること。


努力には二種類ある。一つは漸近、もう一つは維持。特に後者に対する絶望。努力には際限がないことを思い知らされる。到達に対する恐怖、焦燥。絶えずこの矛盾に晒されている。


しなくてもいい努力というのは、基本的にはない。だが、しなくてもよかった努力というのは、少なくとも私には、数え切れないほどある。努力には時に後悔を生むという欠陥がある。この欠陥を私は容認することができない。


本能に基づく努力と、理性に基づく努力。私を煩わすのは、くどいようだが、後者だ。理性はよく本能を断罪しているが、私に言わせれば、理性だって本能にとっては障害になっている。


退化欲求があるというのは、何も恥ずべきことではない。進化を無条件に賞賛する態度と風潮に疑問の目を向けねばならない。不本意な変化を歓迎しろと言われても、それは無理な話だ。



5/9(日)

興味は必ずしも好意であるとは限らない。好意は何から成る?興味、共感、あと何から?共感…いや、共感性羞恥という言葉があるように、共感が必ずしも好意と直結するとは限らない。


偽物の安心を、どう処理したらいい?

/

個性を探すとは唯一性を探すことだ。孤独に耐えられないならそんなものを探す必要はない。わざわざ不安になりにいくようなものだ。


わざわざ精神を危険や不安に晒さないと気付けないこと、わからないことがある。それに価値があるのかはともかくとして、そういう現実がある。それを実践する人は凄く切実だと思う。


理解なんてない。理解したいという姿勢があるだけだ。その姿勢を決して冷笑しないこと。



5/10(月)

私を人として好きな人はいるんだろうか。私は自分のことが全然好きじゃない。死ぬまで好きになれないかもしれない。それでも許してくれるだろうか。それで自分を許せるだろうか。


「覚えていてくれてありがとう。記憶の中の私と今相手にしている私は、重なっているかな。重なっていてもいなくても、また話せるかな」



5/11(火)

他人の日記だけ読みたい。

/

もしも願い一つだけ叶うなら
君の側で眠らせて
どんな場所でもいいよ

宇多田ヒカル/ Beautiful World



5/12(水)

アンナ・カヴァン『あなたは誰?』読了。心理描写のことごとくが自分を指しているようで、読んでいてあまりに辛かった。


ときに娘は現在置かれている状況の不確かさに落ち着かなくなり、自分の新しい幸せが不意に消えてしまうかもしれないと不安になる。しかしそのことを認めたり、それについて考えたりしようとはしない。とはいえその気持ちは、ふたりのあいだではすべてのことを、ずっとそうであったようにまったく同じにしておきたいという彼女の迷信的な望みのなかに表れる​──どのような変化が忍びこんでくることにも、彼女は耐えられない。(本文より抜粋)


しぬつもりで
しぬならば
幸福とよべるかもしれないが
しぬつもりで
いきていない
お前の息は
正しいか

(三角みづ紀『水曜日、万有と』より抜粋)


私を棄てて去ってゆく者は、
昨日というその日であり、引き留めることができない。
私の心を乱しつづける者は、
今日というこの日であり、憂いは尽きることがない。

(李白『宣州の謝朓の楼にて 校書叔雲に餞別す』より抜粋)


自ら生きるために罪を犯し
誰かを生かすために道を誤る

(植松晃一『罪人ジャン・バルジャン』より抜粋)


すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに

(原民喜『悲歌』より抜粋)


悲しいまでに遠くを見てうるんだ眼をお前は人からひた隠してゐた

(立原道造『驢馬の歌』より抜粋)


痛みの終わりが、
ここから見える大好きな景色の終わりなら、
私はずっと傷ついていい。

(矢口蓮人『リング』より抜粋)


苦痛のどん底に落ちた人は叫ぶ。​──俺を救い得るものはただ苦痛のみである。苦痛の盃を最後の一滴まで飲み干すことである。

(種田山頭火『生の断片』より抜粋)


明日の私へ。あなたは断片に過ぎないかもしれない。けれど、その断片が誰かにとってのすべてになるかもしれない。それは明日の私かもしれない。だから、どうか、書くことをやめないでください。



5/13(木)

薬が切れたので病院に来た。


終日雨で寒いというのに、扇風機が稼働していた。青空文庫萩原朔太郎の詩を読んでいた。


ストラテラをやめ、トリンテリックスという薬を処方された。頓服のルネスタも貰った。


帰りしな駅に。中古で『ライ麦畑でつかまえて』を購入。でも先に『フラニーとゾーイー』を読もうと思う。訳者はどちらも野崎孝


詩を書いた。2つ。


『澁澤龍彥玉手匣(エクラン)』読了。澁澤が紹介しているものは全部読みたくなる。きっと紹介のしかたが巧いのだろう。


いま気になっているのは福永武彦深沢七郎


ジッドをもっと読みたい。『田園交響楽』もよかったが、個人的には『パリュウド』が逸品だと思う。


もともと、紙の本を手にする前は青空文庫を読み漁っていた。太宰や芥川は言わずもがな、まったく知らない詩人の詩なんかも分け隔てなく読んでいる。


と、まあこんなことをつらつらと書いていてもしかたがないので、また新しい本を開くとする。世界は広いので、日本の小説だけを読むのは勿体ないです。


それでは今週はこの辺で。死にたくなったら詩を書きましょう。

日記 4/30-5/6

4/30(金) 天気:晴れ

ダンテの神曲が気になっている。あと、キリスト教が気になっている。


今月も死なずに済みました。まだ生きていたいです。来月もよろしくお願いします。


5/1(土)

殺してくれ、と叫んだ。そんな目で見るなよ。そんな口調で諭すなよ。お願いだから。


俺は誰なんだ?誰だったんだ?誰も教えてくれない。教えてくれよ、記憶が消えてくんだ。


詩を書くのを、やめようと思った。でも、できなかった。自分には、これしかなかった。


5/2(日)

近所を散歩した。雲はみていて飽きないな。


海浜公園にいきたかった。来年いけるかな。


食べる、という行為が気持ち悪くなる。水を飲むことに抵抗は無い。水だけで生きれたらな。


トーマス・ベルンハルト「アムラス」読了。


5/3(月)

何冊か古本を購入。田中西二郎訳のブロンテ「嵐が丘」を偶然見つけた。


図書館に寄る。ゴールデンウィークだからか、人がたくさんいた。何も借りなかった。


花の名前とか全然わからないけど、綺麗だと思う。梅雨になる前にできるだけ散歩したいな。


5/4(火)

きょうは外にでなかった。


ジャック・レダ「パリの廃墟」読了。

孤独になりたいという、ときに野蛮なまでの欲求に苦しめられている輩にはさまざまな欠陥があるのだが、内に秘めた犯罪の比率が憂慮すべきほど高くなることがある。(本文より抜粋)


ルソー「孤独な散歩者の夢想」読了。

幸福というのは、一つの不易の状態であるが、かかる状態は、この世では人間にとって誂えむきにできていないらしい。地上にある一切は不断の転変のなかにあって、不変の形体をとることは何物にも許されないのである。われわれの周囲の一切のものは変化する。われわれ自身が変化する。そして、きょう愛するものを明日も愛するであろうなどと、いかなる人といえども確信することはできまい。かようにして、現世の至福を求めようとするわれわれの計画はすべて妄想でしかないのだから、精神の満足が得られるときには、のがさずそれを有益に使おう。迂闊にもそれを疎んずるようなことはしまい。(本文より抜粋)


5/5(水)

図書館に。佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」を借りた。読みたかった小説。


身体が重くて横になっていたら寝てしまっていた。雨の日は十中八九活動できない。

/

美の本質の一つに、虚しさがあると思った。内容が無いという意味ではなく、役に立たないという意味の方。


美を何かに役立てようなどとさもしい了見を持つのは、美のほんとうの理解者ではない。
​───寺山修司


美に限らず、役に立たないものをどうにか役立てようとするのは、個人的に見苦しい。万人受けする必要があるだろうか?一般的に役に立たないものにこそ個人的な価値や愛着が宿るのではないのか。それを自分が知っていればいい。

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等価には、考えてみれば当たり前のことだが、「等しく無価値」も含まれる。


5/6(木)

まっすぐ伸び続けたそれはきっと
まっすぐすぎて折れてしまったようだ

(yonige/ 二月の水槽)

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文字が頭に入ってこない。穴の空いたスプーンで食事をしているみたいだ。これじゃあ、断食しているのと変わらない。栄養失調になる。

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どんな読者を私は望むか。私をも自分をも忘れて、本の中にのみ生きる無私虚心な読者を。
​───ゲーテ

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この作家は性格が悪い、というような感想を時折聞くが、作品に触れてそう言っているなら、その感想は甚だ可笑しい。第一、順序が逆だ。自身の性格の歪みを直視し、それを自覚している人間のうちの一部が物を書いている、書こうとしているのだと私は思う。作者の性格が悪いからといって、作品を食わず嫌いするのは実に勿体ない。逆に、作品が良いから作者の人となりもさぞ立派なんだろうと思い込むのもいい迷惑だ。勝手に期待して勝手に失望する人間は、二度と作家も作品も相手にしない方がいい。

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太宰は、ちゃんと全部読んでから相手を批評していたよ。

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誰に怒っているんだろう。何だか酷く虚しい。怒ったところで、どうしようもないのにね。

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まだ砕けていないだけだ。よく見てみろよ。亀裂が無数にある。砕けるのは時間の問題だ。





















砕けてたまるかよ。

日記 4/23-4/29

4/23(金) 天気:晴れ

日差しが心地いい。


特に不安も感じず、安穏とした一日だった。


安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。【太宰治 / 葉】


もう会えない人達の顔が折に触れてちらつくけど、殆ど全員、詩にし尽くしてしまった。


書くことは生きることで、生かすことだった。


あと、いくつ書けるかなあ。


もう、自分はとうに救われてるんだ。救われたという声に。


自分の為にしか書いてないなんて、真っ赤な嘘だったな。


生きてる限り、書こうと思うよ。それ以外に私にできることなんて、何もないからさ。


4/24(土) 天気:晴れ

髪を切った。


プリーモ・レーヴィ「天使の蝶」、ルゴーネス「アラバスターの壺」を買った。どちらも欲しい本だったから、買えてよかった。


関わっている人が死ぬのはもう見たくないんだけど、それでも私は、人と関わるのを辞められないんだろうな。筋金入りの馬鹿だから。


信じることは、自分を騙すことに似ている。


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何かを信じるということは、何も考えないということだ。

(村田沙耶香『変半身』)


人を傷つける行為は、自分の中にある堕落を他人に転嫁することである。だからこそ、まるでそうすれば救われるかのように、そういう行為に走りがちなのだ。​

───シモーヌ・ヴェイユ


4/25(日) 天気:くもり

斜線堂有紀「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」読了。すごくよかった。


3時25分、消灯。


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書いた詩が700に達した。


4/26(月) 天気:晴れ

図書館にいった。精神に関する本が読みたいなと思い、統合失調症と、境界性パーソナリティ障害についての本を一冊ずつ選んだ。それと、シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」も借りた。これは哲学書かな?ノートは好きではないから、ルーズリーフを使おうと思う。


18時にも関わらず、空は依然として青い。白い月が浮かんでいて、放哉を思いだした。


寂しさと苦しさは、独立していると思った。


4/27(火) 天気:晴れ

エイミー・ベンダー「燃えるスカートの少女」を買った。これも前から欲しかった本。


岩波の青背みたいな難しい本は続けて読めないから、箸休めに童話とか絵本とか読みたい。


日記とかエッセイ、私小説なんかも好きなんだ。読んでいて、その人の生を感じるから。


4/28(水) 天気:くもり

この頃、結構な頻度で金縛りに遭う。


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自分さえよければいい、という考えになれない。もしなったとしたら、誰とも関わらない方がいい。


記憶が日に日に抜け落ちていく。それが辛い。


4/29(木) 天気:雨

全否定も、全肯定も、哀しいことのように思う。哀しいことだらけだ。


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辻村深月のエッセイ、鷺沢萠皆川博子遠藤周作中島らも中村文則カポーティの小説を買った。


気になっていたトーマス・ベルンハルトの小説を借りた。ベルンハルト・シュリンクと混同する。前者はオーストリア、後者はドイツ出身。


去年の4月あたりから本を読み始めて、1年経って、100冊くらい読んだかな。全然だ。


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中也の誕生日だった。いつか、墓にいきたい。


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もう、4月も終る。来年の4月まで、生きてんのかな。

















失いつづけるのに、慣れたくないな。