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灰色の記憶

批判行動について

「生理的に受けつれられない」、「明確な理由を以てお前が嫌いだ」、「いいこと言ってたのにあの一件で冷めた、てか無理になった」、等の現場を毎日観測します。てか見ない日ないんじゃないですかね。

わたしは統合失調に拠る視線恐怖持ちで(どちらがどちらを内包しているファクターかは自信がないので誤りがあったら指摘してください)人に見られるということが物理的であれ非物理的であれずっと怖かったし、今も正直なところ怖いときが往々にしてあります。人と喋ること自体は嫌いじゃないし寧ろどんどんしていきたいと思っているんですが、心理検査の結果に拠るとSAD(社交不安障害)の傾向があるそうです。不思議ですね。

人間、他人から嫌われたらどうあれ負の感情を抱きがちです。人に嫌われて快感情を示す人、まだ見たことないですけど。

ついさっきまでこう考えていました。「嫌い」というレッテルでわたしのことを覚えていてくれているなら、それはそれで別に悪いことじゃないんじゃないかと。バークリーはこう言ってます、「存在するとは近知覚されることである」と。皮肉的解釈をすると「誰からも見られず誰からも無関心だったらお前いないよ」ってことになるんじゃないですかね。まだちゃんと本読んでないですけど。感情より先に存在を優先させるべきだと思います。サルトルが言ってたみたいに、「実存は本質に先立つ」ってね。

人の目を気にしない生をやりたいですね。