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灰色の記憶

Live for today

わたしは詩を書いています。ある人に影響されて、わたしも詩を書き始めました。最初は見られるのが、読まれるのが恥ずかしいくらい拙い文で、何度も途中で投げ出しそうになったり、何度ももう書くのをやめようと思ったりしました。

きょう、わたしに影響を与えてくれたその人が「もう詩が書けなくなってしまった」という旨の投稿をしているのを見掛けました。わたしは正直言って、残念だなというよりも「怖い」という感情の方が先行しました。なにが怖いのかというと、わたしも彼のように詩が書けなくなるような時が来るのではないのかということ。生き甲斐が何もなかったわたしを救ってくれたのはいつだって「詩」の存在でした。読むことは言わずもがな、書くことは今となっては本当にやり甲斐を感じています。見てくれる、読んでくれる人がいるからです。感想をくれる人がいるからです。では色んな人に読まれたり感想を貰ったりする為に書いているのか?と訊かれるとそうではありません。詩を書く、ということはもはやわたしにとって「生きること」そのものなのです。詩作がわたしの人生です。断言できます。詩に出逢っていなかったら、わたしは疾うに死んでいたと思います。野垂れ死んでいたでしょう。そのくらいわたしには「詩」及び「詩作」に対する思い入れが非常に強いのです。人の詩を読むことも、自分の詩を読み返すことも(普段は滅多にしませんが)好きです。極力推敲しません。刹那的な文藝だと思っています。わたしはそんな詩作が、そして詩人が好きなのです。わたしは死ぬまで、詩を書き続けるつもりでいます。最後にこの言葉を贈ります。きょうを生きる、「Live for today.」