ph1los0phy

灰色の記憶

夢について

「よく眠れる」より「いい夢が見たい」。どうも、ph1los0phyです。久闊お詫び申し上げます。この頃は本格的に寒くなって参りましたね。なにかで知ったことですが、寒いとネガティブ思考が捗るらしいですよ。進捗いかがですか?なんて冗談はこの辺に致しまして、心身なにとぞご自愛くださいませ。

さて、前置きが長くなってしまいましたが本題に移させていただきます。今回お話ししようと思いますテーマは「夢」についてです。

「夢」、と聞いて皆さん最初にどのような印象を持つでしょうか?おそらく大半の方が「寝ているときに見るもの」、と回答するのではないでしょうか。あとは将来の展望という文脈で使われる「夢」とか、非現実的な事象に対して副詞的に使われる「夢」みたいだとか、とにかく現実性・普遍性からはどこか逸脱したような状況を思い浮かべると思います。

その中でも今回お話ししようと思うのは(前置きの長さに猛省)「寝ているときに見る夢」についてです。もっと端的に言うと「睡眠」ですかね。見解というより、私の睡眠録のようなかたちになると思いますが、極力簡潔に紹介致しますので少しだけお付き合いいただければ幸甚に存じます。

「夢について」、という題になるんですが、先月あたりまで殆どと言っても過言では無いくらいに夢を見ることがありませんでした。その頃は就寝前に睡眠薬も服用していたので、その薬の副作用で悪夢を見ることも少なくなかったです。

「内容の濃い夢だったなぁ」と思える個人的条件は思い付いたものを適当に列挙しますと「長い」、「鮮明」、「妙に現実味がある」、「過去にほぼ同様のことを経験したことがある」、などですかね。これらの条件はそれぞれ独立で働くこともあれば、複数が同時に働くこともあります。

それに附随して私がずっとテーマとして考えていることがあります。『見た夢が「鑑賞型」か「体験型」か』です。私は夢は「鑑賞型」と「体験型」の2つに大別できると思っています。

「鑑賞型」の夢についてですが、これはどのような夢を指すのかというと、いわゆる「映画」のようなものです。前提として、「あらかじめ展開が決まっているものを観せられる」ことが殊に肝になります。具体例を挙げると「卒業式」に関する鑑賞型の夢の場合、それが現実的であれ非現実的であれ展開を自身で変えられなければその夢に「鑑賞型」に属することになります。

次に「体験型」の夢についてです。これは「鑑賞型」の夢とは性質を180度異にします。「体験型」の夢は前提として、「自身で展開を変えられる」ことが挙げられます。この「展開を変えられる」という点が何より重要です。少しざっくりし過ぎているのでこれもまた具体例で説明します。例えば、RPG(ロールプレイングゲーム)を想像してください。ストーリーのあるゲームです。迷宮に遭難して脱出するという章があったとしましょう。これが「鑑賞型」の夢の場合、主人公そして主人公の一味が迷宮から脱出するまでの奮闘劇を傍観するだけで終わりですが、「体験型」の夢の場合は違います。「あなた自身」がそのゲームの主人公なのです。なのであなたの意志で物事が進行していきます。すべてはあなたの選択に委ねられているのです。仕掛けを解くと壁が下がるスポットがあるとしましょう。その仕掛けを解くのもあなたです。そして私がこの「体験型」の夢で最も凄いと思っている性質を紹介します。それは「修正ができる」ことです。選択を間違えてしまった場合、やり直したいところまで遡って何度でもリトライが可能になります。そのため、全オプションの展開を網羅することも不可能ではありません。これはあらかじめ展開が決まっている「鑑賞型」の夢では到底ありえないことです。トランス状態に近いでしょう。

さて、2つの夢について説明させていただきましたがいかがでしたでしょうか。勿論、この2つの名称も私が勝手に命名した便宜上の名詞であり、この論も仮説に過ぎませんが、この仮説をこうして文章にしてみると客観的に夢をレビューしているようで凄く面白いなと思います。

あなたはどちらの夢を見たいでしょうか。それとも同じカテゴリの夢に一貫していざなわれるのは飽きてしまうから交互に来てほしいという方もいらっしゃるでしょうか。またいつかの機会に、今度は「二度寝」による「鑑賞型」と「体験型」の転換や二度寝以上しても同じストーリーの夢を続けて見ることが可能なのか、この辺の話題を取り上げることができたらいいなと思います。それでは思いのほか長くなりましたがこの辺で失礼いたします。よい夢を。ph1los0phyでした。