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灰色の記憶

性格悪いやつが詩をやってるのどう思いますか?

私は以前の記事でも申し上げた通り、詩をやっているんですが(詩をやっている、というのは自分以外の詩を読むほかに自分も詩を書いているという認識でお願いします)、今回は(主観的に見て)性格の悪い人間が詩をやってることについて私自身がどう思っているのかラフな感じで説明していきたいと思います。

TwitterをやっているとRTや記事共有等で他人の自己紹介のようなものがまわってきて、多かれ少なかれ見に行くことがあると思うのですが、この間、批判的と言いますか露悪的と言いますか、とにかく延々と攻撃的なことをツイートしているアカウントを見つけました。正直言うとTwitter(現在主に使っているアカウント)を始めた頃の私もそんな感じだったので、昔の自分を回顧的に眺めているようで到底非難できる分際ではないことを自覚しているんですが、そのアカウントのbio(自己紹介欄みたいなスペース)に武者小路実篤を読んでいる、的なことが書いてあって「本当か?」と目を疑いました。

別に誰が何を好こうが嫌おうが当人の勝手だと思うのですが、それにしてもこんな口の悪い(主観的に見てね)人間が武者小路実篤を読んでいるところをそのとき想像して苦笑してしまいました。読んでいるとか好きとか自称しているということは詩の一つや二つ読んだことはあるだろうと勝手に思っているのですが、武者小路実篤の詩集を読んでいる限りそんな乱暴な言葉遣いをしようとは決して思えないんですよね。まぁ、好きでもなんでもない人間なんて私にはどうでもいいんですけど(武者小路実篤の詩は読みやすいものもあってお勧めです、短い詩なんかを読んでいると人間的で人情に溢れている人だなと思います)。

私の好きな詩人で中原中也という男がいるのですが、彼の詩や小説を読んでいると「性格が悪い」ということは感じられず、正直な人間だなと思うことが屡々あります。中也は結構な奇人で、初対面の太宰治に「なんだてめえは、青鯖が空に浮かんだような顔しやがって」と言ったり、怒ると「殺すぞ」と言ってビール瓶で殴り掛かったりするような人間ですが(「文豪たちの悪口本」より引用)、そのエピソードを知っていても彼の詩集を読んでいると思わず感嘆の声が漏れるほど頁に食い入ってしまいます。こんな気性の荒い人間がこんな優美な詩を書くんだなと思うと、ギャップを感じて面白いものですよ(悪口を言ったり暴力に及ぶ人間が好きと言っているわけではないです)。

まとまりのないパラグラフになってしまいましたが、結局私が言いたいのは、誰が何を好もうと対象と周囲に迷惑をかけなければその人の自由で、誰が何をやっていようが第三者に直接的な危害が及ばない限りその人の勝手だということです。別に思うだけなら発信しない限り誰かを傷付けるわけでもないですし、私はいいと思いますよ。好きな人に影響されて、その人の気性の荒いところを真似したり暴力的になったりするのは論外ですけどね。

私は今日も詩を書きます。多分今日出せれば230かな。今年中に1000いきたいですね。では、皆様本日もよい詩生活を。ph1los0phyでした。