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灰色の記憶

DTMと無職

無職生活4日目になりました。障害年金の申請結果が分かるまでは暫く心身共に休息を得ようと思っていたのですが、やっぱり生きている限り精神は困憊していきますね。

退職してから自分がなにをやりたいのかずっと考えていました。もう、妥協したところで身を削ることはしたくないんですよね。自分が納得する道を選んで、自分の力で成長していきたいと思いました。

この20年の人生のなかで自分が一番何に没頭して何に救われたのかを考えてみると、それは音楽でした。

中学で初めて携帯を与えられたとき、毎日毎日YouTubeで音楽動画を漁っては聴き込んでいました。当時のわたしは今はもう解散しているバンドですが、レミオロメンというバンドの曲を小学生の頃からずっと聴いていました。

中学1年のとき、クラスメイトに千本桜という曲を勧められ、そこからVOCALOIDというインターネットミュージックカルチャーを知りました。はじめて聴いたときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。よく意味が分からないけど中毒性のある曲だな、と思いました。

そして自分でVOCALOIDの曲を漁り始めました。教えてくれたクラスメイトよりも詳しくなったと思います。それくらい毎日聴き込んでいました。中3になってニコニコ動画というサイトに出会い、そこから更にハマっていきました。

中学の頃は歌詞をあまり見ておらず、曲調だけで好みの判別をしていた気がします。いま思うと、馬鹿野郎ですね。あまり音楽に興味がなかったわたしは、VOCALOIDに触れたことによってVOCALOID以外の邦楽や洋楽も聴いてみようと思うようになりました。わたしにとってすべてのルーツ、きっかけです。

高校の頃も変わらず聴き続けていました。中学の頃よりVOCALOID自体の認知度が高かったです。そして知っている人で曲を勧め合ったりしたので楽しかったです。曲調からだんだん歌詞を見るようになった頃ですね。高校という多感な時期だったので詞で救われた部分は大いにありました。

大学でも相変わらず聴き続けていました。通学に聴いていた曲、ほぼすべて思い出せるくらい繰り返し聴いていたのが白瀬玲さんです。いまは活動名が変わっていますが、当時は狂ったように毎日聴いていました。それくらい彼女の表現力に惹かれ魅せられたのでしょう。大学は精神と金銭的な問題で結局辞めてしまいましたが。

そして凡そ2年ほどが経ち今に至ります。もちろんその間もずっとVOCALOIDを聴いていました。退職した今、なにがやりたいか考えて考えた結果、自分も誰かに歌われるような曲をつくりたい、ということに着地しました。もともと今から5年ほど前にニコニコ動画の方で曲を歌った動画を上げていたのですが、これからは自分で自分の曲をつくりたい、と思うようになりました。それで、ひとりでも誰かを救うことができまら冥利に尽きるでしょう。

機材はインターフェースとダイナミックマイク、スピーカー、ヘッドフォンは持っていて、きょうは音楽編集ソフトのDAWの購入予約をしました。1週間後くらいに納品されるとのことで、待ち遠しいです。

どうせならやりたいことやって死にたいなと思いました。わたしは今はただの無職ですが、将来は音楽に携われるような技量と実力を身につけたいと思っています。いままで毎日詩を書いてきた分、詞の提供などもいつかできたらなと淡く思っています。わたしの世界でわたし以外を救える作品を遺し死ぬのが、わたしのこれからの人生の目標です。

(2020.2.2)