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灰色の記憶

青い顔

青空文庫で間所紗織(まどころさおり)さんという方の「青い顔」というエッセイを読みました。冒頭に、"色は万国共通の言葉であり、どこの国へ行っても一目で理解し合えるものであると思っていました"、と書かれています。私はこれを「ある色を見たときに抱く表象あるいは感情は世界共通である」くらいに解釈しました。同時に、「いや、そんなわけないだろう」と思いました。言葉を主に用いるのはやはり言葉を創造した人間ですから、冒頭の「万国共通の言葉」というのは言わずもがな「人間の」それを指しているのでしょう。私たちはある情報を知覚してからそれを自分なりに敷衍したり類推したりすることができますが、知覚したときに受ける印象が人類全体でみな一様だったらこれは怖い話で、まず有り得ないのではないでしょうか。私の解釈違いだったらあれなんですが。

本文を読み進めていて、こんなことが書いてありました。「"悪いしらせを受けてショックで青ざめる"という状態を"青"という色に感ずるのは日本人だけの独特の感覚で、外国人は"白くなる"と感ずるのだということが分りました」。これは著者がアメリカに留学していたときの体験談です(詳しい状況説明は各自で参照してください)。この言い回しは日本の外では使われないのかと、非常に興味深いことだと思いました。「青ざめた」に対応する英単語は"pale"などが適当だと思いますが、英和辞典を引くとやはりpaleの項目には「青ざめた」の記述があります。そしてこのエッセイを読んだときに思いました。英和辞典というのはあくまでも日本語で英語を解釈するためのツールだ、と。英語圏の人が日本人の言語感覚をそっくりそのまま網羅しているわけではないのだと、考えてみれば当たり前のことですね。ですから、英語圏の人が母語(英語)でのpaleという単語をどう認識しているのか気になり、好奇心でエッセイの著者の代わりに英英辞典でpaleを引いてみました。

"having a skin colour that is very white, or whiter than it usually is"(ロングマン現代英英辞典より)

なるほど、やはり"blue"ではなく"white"でした。英語話者は「顔色が白くなる」という言い回しをする(言語感覚を持っている)ことがわかりましたね。その由来までは紐解くことができませんでしたが、他にもこういう現象はきっと数え切れないほど、国や地域の数だけあるのでしょう。色彩心理学では「何色が好きな人の特徴は〜」というような具合で対象は国関係なく人間全員になるのでしょうが、言語はやはり国の数だけあるので、その国・地域の文化や風習などが関係しているために様々なのでしょうね。

話は変わりますが、日本において古語の歴史があったのと同様に、英語にも古英語という歴史がありました。例えば、goの過去形は今では当たり前のようにwentが使われていますが、古英語ではgoもwentもなく、goにあたるのがganで、wentにあたるのがwendだったそうです。このように、言語の歴史を探ってみるのもなにか文化的なことが発見できそうで知的探究心をくすぐられますね。

これからは母語の辞典の他に、英英辞典といったものも併せて引いてみようかなという気にさせられたエッセイでした。私は今フランス語を趣味で勉強しているのですが、日本語にはない言語感覚が色々あってとても面白いです(たとえばフランス語において「月」や「太陽」といった名詞にも性別があり、中性のカテゴリーは消滅しています)。外国語は学べば学ぶほど目から鱗なことに出逢える、これが語学の醍醐味ですね。

それでは今回はこの辺で終わりにします。ここまでご拝読いただき誠にありがとうございました。ではまたどこかで、ph1los0phyでした。