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灰色の記憶

不連続日記 11/21-12/24

11/21(土) 天気:晴れ

人から教えてもらったお酒を買って飲んでみた。スミノフというお酒で、甘くて飲みやすかった。ジーマというお酒も教えてもらった。

サン・テグジュペリの「夜間飛行」を買った。


11/24(火) 天気:くもり

大学時代の友人に会った。何をしているのかと訊かれたけれど困らせたくないから適当に答えてしまった。

花園神社の近くにおすすめの中華料理屋があるといって案内してくれたけれど、閉業していて二人して笑ってしまった。今日の一番の目的といってもいい新宿御苑も振替休園日で笑ってしまった。それに小雨がずっと降っていた。

西武の方を歩いていたら餃子フェアがやっていて、魯肉飯とレモン餃子を食べた。

都庁方面を歩いて新宿中央公園にいった。真ん中にイチョウの樹があって存在感があった。隣接するかたちで神社があって、熊野神社という名前だった。初めてのところだった。

それから目的を失い、適当に歩いていたら中野まで来ていた。駅まで引き返して電車に乗り、池袋で途中下車して解散した。私はなんとなく帰りたくなくて西口の静かなところをぐるぐると歩いていた。ミルキーウェイのパフェが食べたいと思ったけど、一人だから諦めた。


11/27(金) 天気:くもり

こないだ当選した商品券で本を買った。寺山修司少女詩集、パウロ・コエーリョ『11分間』、アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』。

意識し始めると苦しくなることばかりだ。他のことが疎かになって、それしか考えられなくなってしまう。意識を飛ばしたいのと忘れたいのとはまた話が違ってくる。綺麗な記憶だけじゃ、優しくなれない。馬鹿だな、私は。


11/28(土) 天気:くもり

見たくないものから目を逸らして、そうすれば実害は及ばないのだろうけど、優しくなることはできない。優しくしたい人間がいなければ別に、それでもいいんだろうけど。

正直、救うとか救われるとかよくわからない。何かを何らかのかたちで残すことしかできない。その時伝えたいことを、虚飾なく。それが出来るのが、詩だっただけだ。


11/29(日) 天気:くもり

新宿にいった。1年ぶりに会う人と会って、いろんなことを話した。詩のこととか、小説のこととか、わたしが疎いアニメのことととか、お互いの過去や近況やこれからのこととか、いろいろ。聞きたいことや聞かれたいことを交わし合って、有意義な時間だった。紀伊国屋の下のファーストキッチンで話していて、おすすめの人の本を紀伊国屋で買ってプレゼントしてくれた。新宿御苑は時間的にいけなくて、中央公園までの道のりを話しながら歩いた。きょう、会えてよかったなあと思った。それで、そう伝えた。向こうもそう言ってくれた。京都に遊びにおいでよと誘ってくれた。来年、いきたいな。また会える日まで。生きないとな。


12/2(水) 天気:くもり

15時44分。色んな鳥の鳴き声が聞こえる。眠くて寒くて心細くて、布団に横たわりながら夜になるのを待っている。空はどんよりしている。朝のゴミ出しのために私服だったけど、冷えるので寝巻きに着替え直した。午前中に読みかけの本を読み終えたきり、ぐったりしている。

17時46分。頭が痛い。気圧のせいだろうか。外はいつからか雨が降っている。何かに没頭していない、出来ない間は雑念がひっきりなしに去来する。けど、精神的にも身体的にも鉛を引きずっているような倦怠感があって、何をするにも億劫なのだ。和らぎ、鎮まるのをおとなしく待つしかない。本当はずっと眠っていたい。

極端な人に嫌悪感を抱きながらも、自分の中にもそういった一面がないとは言い切れないことに対して酷く苛立ちに駆られる。自分を棚に上げて相手を糾弾するなど、安全圏から同情したり罵声を浴びせたりしている低俗な輩と何ら変わりはないではないか。それに私はもともと中立的な立場を取りたい性格なのだから、言及したり詰問したりすることはてんで性に合わないのだ。結果よりもプロセスを注視するように。


12/6(日) 天気:晴れ

会いたいなと思っていた人に会えた。きのうの雨にうってかわって、きょうは冴え冴えとした晴天だった。12月、新宿。

一方的にいろんな場所につれていったような気がするけれど、たのしんでもらえたみたいでよかった。新宿御苑で福祉手帳を提示したら無料で入れた。ベンチに座ってお酒を飲みながら話した。冬の紅葉は凛々しい。

それからカラオケにいった。だれかとカラオケにいくのは久しぶりだったから面白かったし、たのしかった。知らない曲をたくさん知れた。こんど、ひとつずつ調べてみよう。

話し足りないことが多い気がするけれど、それはまた会う口実にできるからそうしておくことにする。新宿はやっぱり特別な街だ。いろんな想い出がよぎる。無論、きょうの日のことも、いつか。いつかのことは全部、詩になるから。


12/7(月) 天気:晴れ

マルグリット・デュラスの「愛人(ラマン)」を読んでいる。たまらなく好きな文章があった。

『ときにはわたしは、こうだと思う。書くということが、すべてを混ぜあわせ、区別することなどやめて空なるものへと向うことではなくなったら、そのときには書くとは何ものでもない、と。書くとはそのたびごとに、すべてを混ぜあわせ、区別することなどやめて本質的に形容不能なただひとつのものへと溶けこませることでないとしたら、そのときには書くとは宣伝以外の何ものでもない、と。』

昼過ぎに図書館にいった。中高生が多かった。図書館で詩集はあまり借りないのだけれど、借りた。「プレヴェール詩集」、「プリーモ・レーヴィ全詩集」、それからこれは小説だけれど、レイ・ブラッドベリの「十月の旅人」。3冊だけ借りた。じっくり読みたい。


12/11(金) 天気:くもり

久々に人から連絡が来ると「ああ、まだ覚えててくれてる」と安心する。切羽詰まった気持ちで生きてる。誰と比べるでもなく、自分が自分を追い立てている。追いかけ回している。そんなこと、したくないのに。計画性がないというより、計画する余裕なんて全くなかったと表現した方が正確だろう。そう、余裕なんてずっとなかったのだ。無論、今もないのだけど。


12/12(土) 天気:くもり

言葉を発している限り、扱っている限り、誰かを傷つけることは避けられなくて、自分だって誰かのふとした言葉に致命的に傷つけられることだってある。けれど、傷つくことには慣れても、傷つけることに慣れるというのは、どうなんだろうか。まわりに対しても自分に対しても、故意じゃないからという理由は、免罪符にはならないのだ。不可避な事象に、責任が取れるだろうか。自分は、耐えられるだろうか。黙って立ち止まるくらいなら、黙らないで後退したり、前進したりして、違う景色を見たい。


12/13(日) 天気:晴れ

森田童子のベストコレクションを買った。多分、眠れない夜、毎日か、世話になるだろう。

図書館で本を一冊借りた。『アンネの童話』。ページをめくると、貸出証明書が挟まれていた。知らない人の。(2019/09/29 16:04)と書いてある。つまり去年のだ。この紙を栞がわりにしている人はよくいる。自分もそうだ。返す時は抜くけれど。去年これを借りた人は、返す時抜かなかったのか、恥ずかしい。紙によれば借りたのはこの『アンネの童話』だけらしい。これ一冊。図書館に来て一冊しか借りないというのも珍しい。私は他人の栞が挟まったままのそれを借りた。なんとなく同じことがしたくなった。顔も知らない人と同じことを。そういえばアンネの日記は人に見られることを前提に書かれたものだと、何かで読んだ。実は日記の方はまだ読んでいない。これを読んだら読みたい。

人に愛されたことではじめて自分のことを愛せた、ということがあるように、言葉に関しても、人に好きだと言われたことではじめてその言葉に愛着を抱いた、ということがあっても、不思議ではないと思う。実際、自分にそういうことがあったから。


12/14(月) 天気:くもり

思い出したくないことを、ふとした拍子に思い出してしまうことがある。不慮の事故のように。抑圧していたはずのことが、檻を突き破ってくるかのように。一度考え始めたら、あるいは考えさせられ始めたら、他のことがまともに考えられなくなり、精神は加速度的に蝕まれ、すべてが堂々巡りになる。そういうことが、不定期に起こる。そして奇しくも、きょう起きた。後悔と、それに付随する雑念が染みのように拡がって、どうしようもなかった。特に夜になると駄目だ。夜は考え事が捗るから。捗らなくていいのに。部屋の明かりを消して視覚を遮断し、思考を停止するために音楽を聴く。これで夜を明かす。こうすることでしか、夜を明かせない。おそらくきょうも、こうすることでしか、夜を明かせない。難儀だ、生きることは。


12/22(火) 天気:晴れ

実在する人物、実在した人物とおなじくらい、架空の人物も愛している。虚構を通じて追体験することは自分と対話することでもある。自分と対話すればするだけ、自分の、そして他人の痛みに敏感になれると信じている。それでは他人の痛み、苦しみを察知した時、わたしにできることは何か?正論は禁物だということくらいは心得ている。傾聴、受容なくして対話も理解も信頼も成立し得ない、これだって散々意識してきたことだ。

受け止めてもらうおかげで、その感情はその感情のままそこにあっていいような気持ちになる。

(宮下奈都『終わらない歌』)

この一節を見た時、非常に救われた気持ちになった。ああ、たしかにそうだな、と。そうしようと思えた。自分がしようと思うことは、自分がされたかったことでもあったのだということにも気づいた。相違点に対峙した時、相手に、そして自分に安心を与えるには、否定でも肯定でもなく、受容なのだと思う。


12/23(水) 天気:晴れ

依存先の分散、というフレーズがある。一人に負担が大きくならないようにもう一人、またもう一人と信頼対象を増やして調整し、調和を保つという意図で用いられている、のだと思う。ただこの頃、このフレーズは言葉の並びからして破綻しているのではないかという気がしている。グラデーションはあれど依存というのは言わば盲目だ。それが果たして多方向に分散できるものだろうか。それにそんな容易に信頼関係が確立できるものだろうか。依存することが悪だと言っているわけではない。ただ、無意識的に一点に集中していた力に対して、意識的に分散させる、というアプローチが成功した場合、それはもはや依存ではないのではないか。いままで依存の下位互換にあたる名称を考えていたけれど、それは先述したように大なり小なり盲目性を伴うものだから、盲目性が失われたそれは互換できない、つまり独立したものだということが窺える。何を言いたいかというと、依存先の分散という行動の最終目標は誰にも依存しなくなることなのではないか、という、そんなパラドックスがある気がする。あるいは、依存対象の移行という見方もある。分散させた力が、また一つの対象に収束するように。依存の魔力は人知を超えていて恐ろしい。


12/24(木) 天気:くもり

出先でシャンメリーをもらった。シャンメリーなんて最後に飲んだのはいつだろうか。

家で塞ぎ込んでるのが辛くて外に出たら案の定人が多くて、結局憂鬱になってしまった。

図書館にいった。年末年始は開いていない。ヘッセ「車輪の下で」、アナイス・ニン「小鳥たち」、コレット青い麦」、ジッド「田園交響楽」、ツルゲーネフ「はつ恋」、ドストエフスキー「白夜」、皆川博子「鳥少年」。7冊借りた。14日あれば充分だろう。

そのまま帰ってもよかったのだけど、なんとなく駅に向かった。高校の頃から使っている自転車はボロボロで、ひと漕ぎするたびに変な音を立てる。籠が曲がっている。

ブックオフにいき、TSUTAYAにいき、ソフマップでヘッドフォンを物色し、宝くじ売り場から伸びる長蛇の列をぼんやり眺め、くもりだから月が見えないななどとつまらないことをぼんやり思い、18時をまわった時点になって、途方に暮れながら帰った。何も買わなかった。