ph1los0phy

灰色の記憶

日記 1/1-1/7

1/1(金) 天気:晴れ

夢を見た記憶はない。CDプレイヤーにイヤホンを繋いで、一巡しないまま眠った。

初日の出も見なければ、初詣にもいかなかった。初詣には明日の朝いくらしい。朝は昔から苦手だ、勘弁してほしい。

コレットの「青い麦」を読んだ。


1/2(土) 天気:晴れ

7時に起床した。近所の神社に初詣へ。御籤を引いたら末吉だった。このパッとしない感じが自分を象徴しているようで笑えてくる。賽銭には用意があればいつも25円を投じる。10円、10円、5円の組み合わせに「重々御縁がありますように」という意味が込められているらしい。こういう一見くだらないような言説がわたしはなんとなく好きで、いつからか習慣になっている。自分が何を願ったのか、妄りにひけらかす、うっかり口を滑らすと願いの価値が損なわれるように思うが、わたしは「皆が倖せになりますように」と如何にも現実的でないことを願ってしまった。そもそも倖せが何であるのかわたしにはわかっていない。わからないものを願うなんて、我ながら間抜けだなと思う。そもそもわたしは無神論者だし、天国と地獄の存在も信じていない。ただ、神社の雰囲気がなんとなく好きなだけで、周囲の人達の行動を模倣している自分がなんとなく面白いだけだ。意思や行動に明確な理由は要らない場合だってある。最近のわたしは要らない場合の方が多いような気がする。類型的であることは時に個性的であることよりも強烈だ、みたいなことを言っていたのは三島由紀夫だったか。まあ、なんとなくです。なんとなく。

二階堂奥歯の「八本脚の蝶」を買った。買ったというか、買ってもらった。先日、彼女のブログを見つけた。ブログと並行して読んでいこうと思う。わたしは今20代だから20代で死んだ人にどうしても惹かれてしまう。詩人でいうと、立原道造が最初に浮かぶ。ほかにも、八木重吉とかが好きだ。久坂葉子は21で自殺していたということを、つい最近知った。知らずに彼女の作品を読んでいた。ネットの友人によると彼女は詩も書いているらしい。わたしの好きな萩原朔太郎に影響されているらしく、一篇の画像を見せてもらったら、絵画的かつ抒情的で、ああ、これはわたしが目指しているものだし好きなやつだ、と思った。とりあえず小説だけでも彼女と同じ年齢のうちに読んでおきたい。


1/3(日) 天気:晴れ

強くなることと痛みに鈍感になることを一緒にしちゃいけない。そのふたつが結びついているのなら、わたしは強くなんてならなくていい。自分の痛みを忘れるということは、受容能力、共感能力を損なうということだ。


1/4(月) 天気:晴れ

『君は好んで、君をいつも一ぱいにしている言い知れぬ悲しみを歌っているが、君にあって最もいいのは、その言い知れぬ悲しみそのものではなくして、むしろそれ自身としては他愛もないようなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしている君の珍らしい心ばえなのだ。(堀辰雄)』

ああ、わたしはやっぱり、言葉に救われてます。わたしは孤独じゃないです。言葉があるから、孤独じゃないです。たとえ孤独だとしても、孤独から教えられたものは、得たものは、この生涯において、この生涯が終わった後でさえも、他の何にも替えがたい、貴重な財産です。かたちのない、貴重な財産です。


1/5(火) 天気:くもり

「死にたい」と「死ぬのが怖い」という相反する感情のあいだで苦しんでいた。「死ぬのが怖い」というのは長らく感じていなかったのだけど、突然息を吹き返したようにまたその感情が蘇ってきた。困った。果てのない自責を繰り返し、このまま破滅していくのだろうか。もうこの世にいない人の言葉というのはこんなにも胸に浸透するものなのか。光は泡になっていく。

ドストエフスキーの「白夜」を読んだ。


1/6(水) 天気:くもり

2時過ぎまで起きていた。本を読んでいた。ジッド「田園交響楽」読了。

18時前。モリエール「人間ぎらい」読了。2冊続けて報われない話を読んでしまった。ああ。

あした、天気と体調がすぐれていたら図書館にいこう。本格的に寒くなっている。寒がりには厳しい季節だ。春とネモフィラが待ち遠しい。


1/7(木) 天気:晴れ

ふたつ通っているうちの近い方はまだ休館期間にあたるのでやむなく遠い方へ。沼田真佑「影裏」読了。別の小説を彷彿とした。中村文則の…思い出せない。「最後の命」?まあいいや。2冊だけ借りた。気になっていた、フランシス・ハーディング「カッコーの歌」。それから偶然手に取った、皆川博子「夜のアポロン」。