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灰色の記憶

日記 2/12-2/18

2/12(金) 天気:くもり

一人の時は、まともな食事をとらない。そもそも、まともな食事とは何なのだろう?本当に、何なんだ?私には、まともという表象の実体がわからない。わかりたくもない。

アンナ・カヴァン「氷」を読んだ。ずっと読みたいと思っていた作品で、ようやく読めた。以前に読んだ「アサイラム・ピース」でもそうだったが、カヴァンの文章には読む者の不安と焦燥を駆り立てる力がある、と私は思う。この、カヴァンの描き出す狂気の世界に私はすっかり魅入られてしまった。殊に、この「氷」に漂う切迫した雰囲気、緊張感、退廃感、終末感、現実と非現実のあいだを往来しているような感覚は狂気そのものであり、美しさでもあった。心に安らかな作用をもたらすものだけが美の象徴ではないということを、改めて感じた。


2/13(土) 天気:晴れ

ジュンク堂で、林芙美子の詩集を見つけて、林芙美子って詩も書いてるんだ、と思った。今度、吉原幸子の詩集と一緒に買おうかな。

講談社文芸文庫の棚をチェックしたものの、久坂葉子の本は置いていなかった。代わりに高見順の本があって、これは詩集だったけど、珍しいなと思った。文庫で見たのは初めてだった。

図書館へ。いつもは小説を見て回っているけれど、詩集だけ見ていくことにした。何も借りなかった。

詳しくなくても好きと言うことは許されて然るべきだと思う。それは断じて罪悪感を感じなければいけないことではないと思う。

深夜に突然大きな地震があって、部屋が大きく揺れて、物が落ちた。幸い怪我はなかった。知人にも、怪我がありませんように。


2/14(日) 天気:晴れ

酷く魘された。何度寝直しても魘された。

山尾悠子ラピスラズリ」を買った。「夢の遠近法」が中々読み終わらない。


2/15(月) 天気:雨

尾崎翠第七官界彷徨」読了。

生憎の雨で、外には出られなかった。


2/16(火) 天気:晴れ

晴れていたけど風がつよくて、移動が頗る困難だった。

図書館を梯子した。

夕方は冷えた。

人の気持ちがわからないのと、わかりすぎてしまうのの、一体どちらが深刻だろう。というより、前者はそもそも深刻なのだろうか。そして、後者はどうにかできる問題なのだろうか。その性質は先天的だろうか、後天的だろうか、両方なら、割合はどちらが大きいだろうか。


2/17(水) 天気:晴れ

常に正直でいたら孤立するかもしれないが、そもそもそれが出来る人は独りで生きていけるだけの強さを持ち合わせているのだと思う。常に正直でいることは善なのだろうか?善であったとして、常に正直でいることなど私に出来るだろうか?それによって誰かを傷つけてしまった時、それでもなおその行為の善性は保証されているのだろうか?誰かの悪は誰かの善で、逆も然りだろう?だが問題はそこではない。正直でいることのいかなる評価に関わらず、常に正直でいることなど本当に出来るのかというところだ。出来るか?私は出来ないと思う。だって、誰かを傷つけつづけることに私は耐えられない。だから嘘が時に必要になり、私は悪人にならざるを得ないのだ。だが、嘘は責任を持って吐かなければならない。また、簡単に見抜かれる嘘を吐いてはならない。そして、最後まで相手を騙し通さねばならない。嘘を吐くのは命懸けだ。自分の命だけでなく、相手の命も懸かっている。そして、自分も知らないうちに懸けられているかもしれない。そういう時、私は強く思う。相手の為に、鈍感でありたいと。駆け引きなど企てず、最後まで鈍感でありたい、と。


2/18(木) 天気:晴れ

アンナ・カヴァン「鷲の巣」読了。ことごとく合理性を欠き、次々に希望が潰されていく残酷な世界をカヴァンは提供してくれる。理性ではコントロールしきれない精神というものを緻密に描写している。まるで自分が経験しているような気にさせられる。現実と非現実の交錯は時に調和を発揮し、精神に名状しがたい陶酔感をもたらす。頁を捲っても捲っても、常に不穏な空気が漂っているのが感じられる。その緊張感に憑かれたら最後、逃げるのは不可能に近い。

もう長いこと病院に通っていない。薬も尽きそうだ。文字を読むことと書くことで、やっと自分を保つことができているような、そんな調子だ。





私にとって重大な事は、誰かにとっては取るに足らない事だ。それは見方によっては、希望でもある。