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灰色の記憶

日記 3/5-3/11

3/5(金) 天気:くもり

精神(≒脳)がやられているのに託けて、実際にあった出来事を、無かったことにされる事がある。くそが。憶えているからな。舐めやがって。おまえの手口は詐欺や洗脳と同じだ。

忘れる事も忘れない事も怖いと思ってしまう。繊細とか、もうそういう領域じゃないくらいに、怯えている、気がする。怯えている?何に?何もかもに。何もかも吹き飛んじまえ、と思う瞬間が、一日に一回はあるでしょう?え、無いんですか、何、病んでるのって?病んでますよ。病んだ事ない人間なんているんですかね。第一、病む事を嘲笑するような人間が他者と関係しようとする事自体が誤りですよ。そんな奴を伴侶にするなよ。関係するなよ。自分を捻じ曲げるなよ。自分を安く明け渡すなよ。ああ、苛々するな。憤懣やるかたない、ってのはこういう事ですよ。病む事の何が滑稽なんだ?それは中には構って欲しさにある事ない事でっち上げて深刻ぶってる奴もいるかもしれんよ。偶々そういう馬鹿ばかりに遭遇するから「病む」「病んでる人」に対してネガティブイメージを持っているのかもしれない。けど、本当に深刻で今この瞬間にも死のうとしてる人間が、構って欲しさなんかじゃなく本当にそれしか考えられなくてそうしてしまった人間が確実にいるんですよ。そういう人を、誰もが見殺しにしている。無論私も。私は、見殺しにされて然るべき人間かもしれない。そういう事を考えた事の無い人間が、酷く憎く、酷く羨ましい。ああ、どれだけ嘆いても無駄だ。でも、嘆く以外に能が無い。ないものねだりは厭だ、卑しい。結局、何が言いたいんだって?精神病みをそこまで忌み嫌っているおまえは、人間じゃないという事だよ。人間の本質は精神なのにね。今後一切、どんな精神活動もするなよ、全部冒涜になるから。大切な人がいるだって?笑わせるなよ。おまえのそんな人格や態度で守りたいものが守れる訳が無いだろうが。無自覚に傷つけまくって殺すだけだ、冗談も大概にしろよ。おまえはその大切な人とやらに見捨てられて、逃げられて、挙句の果ては復讐されて、一生を後悔して過ごすだろうね。おまえみたいな屑に即死は用意されないよ。後悔して後悔して、苦痛に喘ぎ続けて、いつ終わるとも知れない生き地獄を味わうんだな。いい気味だよ。想像力の無さは殺人を引き起こす。その犠牲者が偶々自分の大切な存在だった時の遣る瀬無さ。後悔先に立たずとはこの事だね。まあ、ここまで言っても判らない奴は判らないんだろうな。おまえの「守る」は口先だけだろうが。何も守れんよ。おまえの方こそ恥を知れ。


3/6(土) 天気:晴れ

外にでた。目が悪いせいで遠くに見える花が何なのか判らない。銀河鉄道の夜では季節を無視して花が咲いている。狂い咲きというやつだ。

図書館はもう再開してるのだろうか。ああ、でもまだ読みさしのが2冊あるんだった。この日記で書く「読んだ」は一日で読んだ、「読了」は二日以上かかった、という風に何となく使い分けている。そんな意味の無い使い分けをしているのは私くらいだろうけど。はやく読もう。


3/7(日) 天気:くもり

女性ボーカルの曲しか聴けない時がある。落下する夕方(著:江國香織)の華子がそうだったな、と思う。最後死んじゃうけどね、彼女。

相変わらず、文が全然頭に入らない。はあ。

きょうも、何もしなかったな。


3/8(月) 天気:くもり





ずっと寝ていたい。懈い。


3/9(火) 天気:晴れ

自分に向けられる優しさだったり、心配だったりを当たり前に思うようになってしまった瞬間から、人は孤独になるのだろう。いや、自分の中の孤独に気附くのだろう。誰もが生まれた時点から、孤独の種を抱えている。自分に染みついている傲慢性の一切を排除したい。そうでもしない限り、向けられる優しさのすべてを掬い取る事など出来ない。ましてや、本当の意味で自分で自分を導く事も出来ない。本当の意味?何だ、本当の意味って、何だ本当って、意味って、何なんだ?嘘吐きを嫌っている奴が嫌いだ。何なんだ、その正義づらは。誰も救わない正義なんて塵同然だろう。役に立つ事ばかりにしか目がいかない奴は大体役に立たないよね。無知の次に怖いのは想像力の欠如だ。その想像力をどうやって培うか?まず知るしかない。知って、向き合うしかない。知らない事以上に、知ろうとしない事は、罪だ。知らなければよかった事というのは勿論あるだろう。だが、そんな事実は、おのれの無知に甘んじる正当な理由にはならない。もっと知れ。もっと自分を傷つけろ。他人に傷つけられる前に、先に傷つけ。無傷の人間に想像力など無いに等しい。知る事は、想像する事は、正義に酔う事じゃない、真実を試行錯誤する事だ。真実に耐える事だ。


3/10(水) 天気:晴れ

アンナ・カヴァン「われはラザロ」読了。

午後は図書館を梯子した。ウエルベックが気になっていたので借りた。ほかにも、多和田葉子とか借りた。

風が強かった。砂丘という単語が不意に浮かび、何か書くか、と思った。


3/11(木) 天気:晴れ

新宿に来た。3ヶ月ぶりの新宿は快晴だった。夕方にある用事まで歩いていた。

紀伊國屋へ。「ノディエ幻想短篇集」購入。

ブックオフへ。ナサニエル・ウェスト「孤独な娘」購入。

新宿御苑は休園期間で、例によって花園神社やゴールデン街を見て廻った。

16時半、会う約束をしていた人と落ち合った。私は今年初めて人と会った。

いつものカフェに入り、3時間ほど話した。私は話下手なので、聞き役に徹していた。色々聞けてよかった。

中華屋で夕食をとり、解散した。

3ヶ月ぶりに人に会った。

何年の何月何日に会ったとか、自然と憶えている。だって、年に数回しか人に会わないから。

きょうも、詩を書きました。詩なんて書いて、何になるんだと。わかりません。ただ、気づけば書いてるんです。よし書くぞとかじゃなくて、勝手に出来てるんです。それで救われる事もあれば、突き放される事もあります。とにかく、すべてを書きたい。

生き甲斐が、人と会う事、そして、詩を書く事。この2つしかありません。

生き甲斐というのは、必ずしも希望だけで出来ているものではありません。そこには、時に、いくばくかの絶望も混交しているものです。

それでも私は続けるのでしょう。続けるしかないのでしょう。

呪いと思わない呪いも、祈りと思わない祈りも、等しく美しいと信じているから。