3/19(金) 天気:晴れ
ピラネージという画家を知ったのだけど、画が本当に恰好いい。画集が欲しい。
午後は外にでた。本屋と図書館にいった。本があるところにしか用がない。本のことばかり考えている。
また目が悪くなった気がする。
3/20(土) 天気:くもり
何にも期待しない。
3/21(日) 天気:雨
何も捗らず、横になる。泥になりたい。
なぜ好きなのか言葉にするのも億劫なくらいに、好きなものがある。それは生き甲斐であると同時に、死に甲斐でもある。解るかな。
本当に胸打たれたものに、比喩など必要ない。が、比喩は時に、記憶と記憶の接着剤になる。
3/22(月) 天気:くもり
文学も音楽も嗜むものではなくなり、みずからを傷つけるための道具になってしまった。それは決して、使いこなせるようにはならない。何かを面白い(=interesting)と感じるのは、他人事ではないから。何かを面白いと思うには、自分を歪ませるのが手っ取り早い。思考や想像をやめると、ただ生きているだけになってしまう。
私のような人間は、一人で死んだ方がいい。
3/23(火) 天気:晴れ
以下本文より抜粋
一度書きしるされた言葉は、それがどういう理由で書かれたかには関係なく、必ず未来に影響を及ぼす。
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罪もない?罪もない人なんていないでしょう。
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苦しみを避けるのではなく、苦しみから喜びを得ることを学びなさい。
電車に1時間揺られて、柏へ。
祖母の家へ。斜向かいに山があり、視界の先に辛夷の花がみえた。最後に来たのはいつだったろう。ところどころ変わっていたけど、相変わらず落ち着く空間だった。他愛もない昔話に花が咲いた。
お墓参りへ。桜の花が咲いていた。祖母曰く、祖父と同じお墓に入るという。線香の匂いが、鼻孔と胸の奥を擽る。マッチを摩ったのはいつ以来だろう。一人で来る時は、来るだろうか。
会えてよかったと言われた。
地平線が藤色がかっていた。沈んでいく夕陽を目で追っていた。
帰りの電車の中では、三好達治の詩集を読んでいた。
私の詩は
三日の間もてばいい
昨日と今日と明日と
ただその片見であればいい
(三好達治『枕上口占』より)
今日も詩を書いた。
3/24(水) 天気:晴れ
午前は図書館にいった。6冊借りた。
公園に寄ったら、桜が満開だった。しだれ桜のかたちが綺麗だなと思い、写真を撮った。
午後は駅前の本屋にいた。フリオ・コルタサル「秘密の武器」購入。また積読が増えた。
3/25(木) 天気:くもり
サミュエル・ベケット「いざ最悪の方へ」を読んだ。
すべて消え去るという憧れ。薄暗さが消え去る。虚空が消え去る。憧れが消え去る。無駄な憧れが消え去るという無駄な憧れ。(本文より抜粋)
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呆気ないものに惹かれるのは、同情のせいか?
疑いを入れたくなるのは、信じたい意思の裏返しか?
生きているうちに、救われることなんてあるのか?そもそも、何から救われるというんだ?
書かなければならない。もっと、もっとだ。死ぬまで苦しめ、苦みながら書きつづけろ。