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灰色の記憶

日記 4/2-4/8

4/2(金) 天気:晴れ

有明という街に来た。やけに広かった。

一人で不安を解消する方法というのは実際にあるのだろうか。

前進だけが称賛され、停滞や後退には冷めた視線を向けられる。そもそも前進とか後退とか、そういう概念自体が気に食わない。人間というだけで、人間らしく振る舞わなければならないという生来的な枷、責苦、逃れられない呪縛。


4/3(金) 天気:晴れ

葉桜になっていた。それでも綺麗だった。

フェルナンド・ペソア「不穏の書、断章」を買った。



夜風が心地いい。


4/4(日) 天気:雨

本当に何もかもどうでもよくなった時、どこまでも堕ちていける気がする。その時にはもう、喪失なんて眼中にないのだから、躊躇ってきた事のすべてをやってから死んでもいいのではないだろうか?最後くらい、自分の欲望に忠実になってもいいのではないだろうか?どうせ最後には何も残らないのだから、人の目など気にせず、死ぬまでやりたいことだけをやるのも悪くないのではないだろうか?そんな考えがよく脳裏を掠める。

要は、自殺以外で救われる方法を探しているという事です。くどいですが、死んだらおしまいなので。


4/5(月) 天気:雨

シュペルヴィエル「海の上の少女」読了。

2時49分。まだ眠くなかったけど、消灯した。雨が降っている。

パスポートの有効期限が先月で切れていた。

顔と名前は一致するのに、顔と声が一致しない事が増えた。やっぱり、ひとの特徴で一番最初に忘れてしまうのは声らしい。


4/6(火) 天気:くもり

ずっと外にでないでいると、頭がおかしくなってくる。3日に1回は散歩しにいった方がいい。

生きたいとか、死にたいとか思うのはもう疲れた。でも、感覚なので仕方がない。


いまの私は、まちがった私で、なるべき私にはならなかったのだ。
まとまった衣装がまちがっていたのだ。
別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。
後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。

​──アルヴァロ・デ・カンポス(ペソアの異名)


4/7(水) 天気:晴れ

午前は図書館にいった。

午後は本屋にいった。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、村上龍限りなく透明に近いブルー」を買った。

いつか会えるのなら、生きている限りは、何年でも、何十年でも待つよ。約束する。


4/8(木) 天気:晴れ

激痛のような思いが、身体を走り抜けた。何もかも、いちように幸せでいたかった。そうでなければ、生きている意味はないような気がした。あり余るほどの幸福のもとでしか生きていきたくない。そう思うことはそれほど傲慢なことだろうか。そう望むのはいけないことだろうか。

(鷺沢萠「川べりの道」)


尾崎放哉の随筆を読んでいたら、種田山頭火の日記がまた読みたくなってきた。


もっと、もっと読みたい、書きたい、足りない、全然足りない。


「青」が私のテーマなんだと思う。優しくて残酷で、届きそうで届かない、届いた途端に褪せてしまうもののイマージュ。それに私は「青」という色を見いだした。青空は、そんな理由で好きだ。自分を苦しめてくるものすべてに意味がある。それが目にみえないものなら、なおさら。


過去を蔑ろにしたくない。過去に不誠実な人間に救いは無い。救われたいかは別として。


優しさは、やっぱり、想像力の事じゃないかな。


過去に救われた事がある。その事実さえあれば、その事実さえ覚えていられれば、私は充分だ。


遡った分だけ、遡る度に、私は真実をみる。


一つの事実と、一つの真実さえあれば。
















いつか、会えたらなあ。