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灰色の記憶

日記 4/30-5/6

4/30(金) 天気:晴れ

ダンテの神曲が気になっている。あと、キリスト教が気になっている。


今月も死なずに済みました。まだ生きていたいです。来月もよろしくお願いします。


5/1(土)

殺してくれ、と叫んだ。そんな目で見るなよ。そんな口調で諭すなよ。お願いだから。


俺は誰なんだ?誰だったんだ?誰も教えてくれない。教えてくれよ、記憶が消えてくんだ。


詩を書くのを、やめようと思った。でも、できなかった。自分には、これしかなかった。


5/2(日)

近所を散歩した。雲はみていて飽きないな。


海浜公園にいきたかった。来年いけるかな。


食べる、という行為が気持ち悪くなる。水を飲むことに抵抗は無い。水だけで生きれたらな。


トーマス・ベルンハルト「アムラス」読了。


5/3(月)

何冊か古本を購入。田中西二郎訳のブロンテ「嵐が丘」を偶然見つけた。


図書館に寄る。ゴールデンウィークだからか、人がたくさんいた。何も借りなかった。


花の名前とか全然わからないけど、綺麗だと思う。梅雨になる前にできるだけ散歩したいな。


5/4(火)

きょうは外にでなかった。


ジャック・レダ「パリの廃墟」読了。

孤独になりたいという、ときに野蛮なまでの欲求に苦しめられている輩にはさまざまな欠陥があるのだが、内に秘めた犯罪の比率が憂慮すべきほど高くなることがある。(本文より抜粋)


ルソー「孤独な散歩者の夢想」読了。

幸福というのは、一つの不易の状態であるが、かかる状態は、この世では人間にとって誂えむきにできていないらしい。地上にある一切は不断の転変のなかにあって、不変の形体をとることは何物にも許されないのである。われわれの周囲の一切のものは変化する。われわれ自身が変化する。そして、きょう愛するものを明日も愛するであろうなどと、いかなる人といえども確信することはできまい。かようにして、現世の至福を求めようとするわれわれの計画はすべて妄想でしかないのだから、精神の満足が得られるときには、のがさずそれを有益に使おう。迂闊にもそれを疎んずるようなことはしまい。(本文より抜粋)


5/5(水)

図書館に。佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」を借りた。読みたかった小説。


身体が重くて横になっていたら寝てしまっていた。雨の日は十中八九活動できない。

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美の本質の一つに、虚しさがあると思った。内容が無いという意味ではなく、役に立たないという意味の方。


美を何かに役立てようなどとさもしい了見を持つのは、美のほんとうの理解者ではない。
​───寺山修司


美に限らず、役に立たないものをどうにか役立てようとするのは、個人的に見苦しい。万人受けする必要があるだろうか?一般的に役に立たないものにこそ個人的な価値や愛着が宿るのではないのか。それを自分が知っていればいい。

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等価には、考えてみれば当たり前のことだが、「等しく無価値」も含まれる。


5/6(木)

まっすぐ伸び続けたそれはきっと
まっすぐすぎて折れてしまったようだ

(yonige/ 二月の水槽)

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文字が頭に入ってこない。穴の空いたスプーンで食事をしているみたいだ。これじゃあ、断食しているのと変わらない。栄養失調になる。

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どんな読者を私は望むか。私をも自分をも忘れて、本の中にのみ生きる無私虚心な読者を。
​───ゲーテ

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この作家は性格が悪い、というような感想を時折聞くが、作品に触れてそう言っているなら、その感想は甚だ可笑しい。第一、順序が逆だ。自身の性格の歪みを直視し、それを自覚している人間のうちの一部が物を書いている、書こうとしているのだと私は思う。作者の性格が悪いからといって、作品を食わず嫌いするのは実に勿体ない。逆に、作品が良いから作者の人となりもさぞ立派なんだろうと思い込むのもいい迷惑だ。勝手に期待して勝手に失望する人間は、二度と作家も作品も相手にしない方がいい。

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太宰は、ちゃんと全部読んでから相手を批評していたよ。

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誰に怒っているんだろう。何だか酷く虚しい。怒ったところで、どうしようもないのにね。

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まだ砕けていないだけだ。よく見てみろよ。亀裂が無数にある。砕けるのは時間の問題だ。





















砕けてたまるかよ。