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灰色の記憶

日記 5/14-5/20

5/14(金)

寝ても寝ても寝た気がしない。ちなみに眠剤は飲まなかった。睡魔に負けて昼寝する。


「たまには外にでてくださいね」という主治医の言葉が不意に浮かぶ。重い腰をあげて外にでた。異常に暑い。自転車で図書館まで向かう。


短めの小説を何冊か借りる。


話せるひとがいるのはありがたいな。



5/15(土)

消灯前に、高橋たか子『人形愛』を読む。


合理的なもので真実なものがあっただろうか。真実なものは、じつは、理不尽さの、あいまいな襞の間にこそ、温存されているらしいのだ。(本文より抜粋)


高橋たか子を調べたら、高橋和巳の配偶者でした。高橋和巳という名前は森田童子「孤立無援の唄」の歌詞にでてくるのですが、私はこの曲がすごく好きなんです。アルバムを持っているけれど、そればかり聴いてしまいます。


きょうもなんだか蒸し暑かったです。なんとか外にでました。5月も折り返しですね。早い…。



5/16(日)

いつも断定しない。相手に押しつけない。私がこうだと言っても、受け、私がああだと言っても、受ける。大筋において私が間違っていると、ふんわりと正してくれる。

(高橋たか子『甦りの家』より抜粋)


昨夜の『人形愛』に続いて『秘儀』、『甦りの家』も読む。ううん、『人形愛』が一番かな。


人形の特性を端的に表す言葉といえば、澁澤が言っていた「断絶のエロティシズム」だろう。ちなみに、この対極となる「運動のエロティシズム」にはダンスが挙げられている。


姫野カオルコが『変奏曲』に関して「これを読んだあとは、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番ハ短調』を聞きながら、セックスしてほしい」と言っていたそうだけど、こういう独自の世界観を持っている人はいいな、と常に思う。


去年、新宿に行った時、ドールショップを見かけたような…。どこだろう、忘れてしまった。


MILKのワンピース可愛かったなあ。


また誰かと行きたいな、新宿。



5/17(月)

雨が降っている。


ふと、『西瓜糖の日々』のことを思い出した。

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堕落してしまいたい。ああ、早く堕落してしまいたい。

(コレット青い麦』)


時々、このフレーズを思い出す。

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中村文則『悪意の手記』を読んだ。


「お前に、どうすればなんてないんだよ。いいか、お前には、そんなものは用意されてないんだよ。どうすることもできない状態で、苦しみ続けるんだ。そのままだ。そのまま、死ぬまで、苦しみ続けろ」(本文より抜粋)


中村文則を読むのはこれで8冊目になるけれど、これが一番好きかもしれない。というか、手記の形態で進行する小説が好きなのかもしれない。比較するつもりはないが、前に読んだ、中真大『無駄花』も面白かった。


手記の形態といったら、『人間失格』もあったね。もっとも、あれは私小説だけれど。



5/18(火)

体が重い。頭が痛い。横になっている。


本当か嘘か、そんなのはどうでもいいじゃないですか。信じたいものを、勝手に信じれば。

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中河与一『天の夕顔』を読んだ。


すべて見えるものは、見えないものの崇高を証明するための存在でしかなかったのです。わたくしは何人にもまさって、美しいあの人の精神を、見つづけていたはずです。わたくしは今のあの人の顔の中に、見えないものを見、かつての懐かしい日々の全部を見ているのです。(本文より抜粋)


ドストエフスキー『白夜』を思い出した。


誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題でない。

(太宰治『駈込み訴え』)



5/19(水)

何もせず。ああ、

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美波YouTubeライブ『RED LINE』を視聴。いやー、良かった。待ってた甲斐があった。そして7月にCDが出ると。勿論買います。それまで生きてなきゃな。

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理由なんてないよ。理由を作ると、必ずそれに反対する言葉が出てくるでしょう?だから理由を作ったら駄目なんだよ。ただ、自分にそう言い聞かせたの。

(中村文則『悪意の手記』)



5/20(木)

後で虚しくなると理解していながら露悪的な発言を繰り返すのも自傷ですよ。

そういった衝動は、創作に昇華してください。

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図書館に。何も借りず。

薬、効いてるのか分かりません。でも何となく落ち着いてるかなと思います、この頃は。

読書以外にできること、何かないかなって考えたんですが、何も思い付きません。晴れてる時に散歩するくらいですかね。もう梅雨ですが。

紫陽花が咲くのが楽しみです。

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私の心は、穴のあいた桶のように、その気がないのに空になってゆく。考えることだろうか。感じることだろうか。明確に定義されてしまうと、なんとすべてに飽きてしまうことか。

(フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』)















今愛しているものを、一生愛せたら。