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灰色の記憶

日記 5/21-5/27

5/21(金)

サド『新ジュスティーヌ』を購入。


書店にて。例によって文学の棚を物色していたら、女性二人組がいて、何やら話していた。フランス文学はよくわからない終わり方をすると。誰を読んでるんだろう?マンディアルグとか読ませたらショック受けそう。読んでたらごめんなさい。


簡単な運動を始めました。量はどうでもいいので、継続できるように頑張ります。この日記も、ここまで続くとは思っていませんでした。


日記をつけることの利点は、さまざまな変化を明快に意識して安心を得るところにあるのだが、これらの変化にわれわれは絶えず支配されており、またこれらの変化を一般的にも自然なものだと信じ、予感し、容認するのだが、それでも無意識のうちに否認することがある。いざこうした容認から希望や安心感を手に入れようということになると、いつもそうなのである。きょうという日から見れば耐えがたいと思われるような状況のなかでさえ、生きて、あたりを見まわし、観察したものを書きとめておいたということ、つまりこの右手がきょうとおなじように動いていたのだという証拠が、日記のなかに見いだされる。そのきょうという日、われわれは当時の状況を概観できるようになったためにより利口になってはいるが、その分だけ、まったくの無知のなかでも保たれていた当時のわれわれの努力、その不屈さを認めねばならぬのである。​(フランツ・カフカ『日記』より)


相変わらず詩を書いています。感想を貰えると嬉しいです。ありがとう。



5/22(土)

特に何も。詩を2つ書きました。



5/23(日)

久々の晴れだったので外に。夏みたいな暑さ。


図書館に。4冊借りた。時間があったので小一時間ほど椅子に座って読んでいた。運動を始めてから読書に集中できるようになった気がする。内容も頭に入ってくる。気のせいだったら悲しいな。


駅前の書店に。何も買わなかった。


帰途。公園が賑わっていた。熱心にブランコを漕いでいる女の子がいた。


/

彼女がぼくを愛してくれて以来というもの、ぼくはどれほどぼく自身を尊ぶようになっただろう。

(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』)


君が愛してくれた僕だから
僕は僕のこと
許せたんだよ 愛せたんだよ

(majiko/世界一幸せなひとりぼっち)



5/24(月)

病院に。同じ薬を出してもらった。


緊張とか、不安とか、あまり感じなくなった。一過性の凪だろうか。元に戻るのが恐い。


約束があるから。まだ、ね。


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欠如。すべてを飲み干そうとする渇きのような愛情の欠如。それはジャンキーの渇きだ。彼らは、与えられた薬が粗悪品であってもまったく気にもとめず、自分のためだと思い込んで致死量を注射してしまう。安堵と感謝と恍惚とともに。

(ヴァネッサ・スプリンゴラ『同意』)



5/25(火)

言わないだけで嫌いな人間は大勢います。嫌いというより、苦手ですかね。根性論、精神論を振りかざす人は漏れなく軽蔑しています。俺に出来たんだからお前に出来ないはずがない、という頓珍漢なことを言う人は大嫌いです。


自他境界を見失わないように。自戒。


自分を責めることは悪いことではありません。でも、あまり責めすぎないようにしたいです。全部自分のせいだと思い込むのは、世界は自分を中心に回っていると信じているのと同じですからね。そんなことはありえないので、適度に他人のせいにしてください。


私は別に優しくないです。寛容でありたいと思ってはいますが、自分でも呆れるほどに短気です。短気なりに自分を客観視しています。


死にたいと思うことも悪いことではありません。自殺幇助のつもりはありませんが、大事なのは、自分で決めたかどうかです。


他人に死ねと言われたから死ぬ。他人に生きろと言われたから生きる。駄目です。大事なのは、自分で決めたかどうかです。



5/26(水)

午前中だけ外に出た。自転車がぼろぼろだ。


ヨルシカのライブDVDを買った。


ポール・ギャリコ『ほんものの魔法使』(東京創元社)を買った。買えてよかった。


今日の月は特別らしいけど、あいにく見えなかった。


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(思い出しそうになって辛い)
その正体を
思い出しそうになって辛いのだ
焦燥感ばかり募らせて 私は
孤独のうわずみが詮なく集まってくる、それだけを掴む

(中神英子『ほとり』より抜粋)


ひらひらと落ちてくる記憶を
わたしは必死でひろっている

(房内はるみ『光の生まれる場所』より抜粋)



5/27(木)

終日雨。終日家にいた。


寒くて落ち着かなかった。横になりながら本を読んだり読まなかったりしていた。


過去の人たちを思い出す。元気にしているだろうか。私は殆ど元気がないけど、なんとか生きてるよ。


去年の絵手紙に『生きてればまた会える』と書いたのを思い出した。生きてたら、会おうね。















いや、会うまで生きてようね。