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灰色の記憶

日記 5/28-6/3

5/28(金)

萩原朔太郎散文詩をぽつぽつ読んでいる。

アルフレッド・ジャリ『超男性』読了。


孜々として愛の実践にこれ努めていれば、愛を実感する暇はなくなってしまうものである。(本文より抜粋)



5/29(土)

朝から外に。人が多いし、暑い。


小川洋子『シュガータイム』、高橋克彦『幻少女』、バーナード・ショーピグマリオン』、ジッド『背徳者』、マッシモ・グリッランディ『マタハリ』を購入。疲れた。

自分で自分を愛せるようになることが、精神的自立の最終関門なんだろうな。


「依存先を増やす」ということばの意味が相変わらずわからない。意図もわからない。依存対象(それがなくては生きていけないひと/もの)を増やしたら苦しくなる一方でしょう。苦しむことを望んでいるのかな。それに、それは依存ではなくて没頭。利用と言ってもいい。利用を全否定しているわけではないけどね。

「君は、ここにいます。俺は、それはかならずしも証明できなくたっていいことだと思う。自分で、自分のことを見てさえいれば」

(島本理生『あられもない祈り』)

噂で聞いたよ 意外と平気さ
愛おしい日々だけ たまに思い出してね

さよなら ありがと 幸せになってね

(きのこ帝国/ ロンググッドバイ)



5/30(日)

またもや朝から外に。夕方に俄雨があった。


ダンテ『神曲 天国篇』、『神曲 煉獄篇』(河出文庫)を購入。地獄篇は今度買います…(神曲って地獄篇から始まるんですね)



5/31(月)

ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。

(萩原朔太郎『悪い季節』)

一日を通して何もできなくても前ほど罪悪感を感じなくなった。焦燥感に駆り立てられることも減った。薬が効いてるのかな。


眠剤は二日続けて飲まないようにしている。なんとなく。

今月もなんとか生き延びた。お疲れ様でした。



6/1(火)

本を返しに図書館まで。貸出カードの更新をするつもりだったけど、また忘れてしまった。



6/2(水)

きょうも、だめだった。


私には、何があるんだろう?

「強く、強く、なんのうたがいもなく怒ったり、責めたり出来る、のは、その物事に関わりがない人」

(彩瀬まる『骨を彩る』)


与えて奪うのは
何も与えないよりずっと残酷

(施川ユウキ『銀河の死なない子供たちへ』)


求めて与えられざるを嘆くよりも、求め足らざるを嘆け。

(種田山頭火『燃ゆる心』)


おまへは雨戸を少しあけておいてくれというた。おまへは空がみたかつたのだ。うごけないからだゆゑ朝の訪れが待ちどほしかつたのだ。

(原民喜『そら』)


ああ、傷のような僕、目をつむれ。風が林をとほりすぎる。お前はまたうそをついて、お前のものでない物語を盗む。それが詩だといひながら。

(立原道造『詩は』)



6/3(木)

何者かになりたいとは何なのだろう。何もかも絶えず変わり続けるのに。


どうしたらいいだなんて、そんなことは、自分が一番よくわかっているだろう。私のしていることは、途方もない確認作業にすぎない。


劣等感。そして優越感。どちらも卑しい感情に思える。それを利用するのは、もっと卑しいことのように思える。けれど、そんなことを言っても仕方がない。仕方がないことばかりだ。


不自由の窮屈さ。自由の広大さ。私はその両方を経験する。どちらかを選べと迫られ、私は悟る。私には選べない。自由にも不自由にも耐えることができない。順応できないといった方がより正確かもしれない。


私に苦痛を強いているのは、結局のところ、私自身に他ならない。私は苦しむ為に生きているのだろうか?


生は苦しみを伴い続ける。苦しみを感じることができない人間に幸福を感じることはできない。無痛は幸福ではないが、不幸でもない。いや、どちらでもあるともいえるかもしれない。

アゴタ・クリストフ『昨日』読了。


今では、私にはほとんど希望が残っていない。以前、私は探し求めていた。片時も同じ所にじっとしていなかった。何かを期待していた。何かとは?それはいっさい分からなかった。けれども私は、人生が現に体験しているもの、つまり無同然のものでしかないなどということはあり得ないと思っていた。人生とは何かであるはずだった。で、私はその何かが起こるのを期待していた。その何かを探し求めていた。
私は今、期待すべきものなど何もないと思う。それで、自分の部屋から外へ出ず、椅子に腰を下ろしている。何もしないでいる。
外にはひとつの人生があると思うが、しかしその人生には何も起こらない。私にとっては何も起こらない。
他の人びとにとっては、もしかすると何か起こっているのかもしれない。あり得ることだ。が、それはもはや私の関心を惹かない。
私は、自分がここにじっとして、腰を下ろしているのはちっともいいことではない、結局はあとで必然的に立ち上がらねばならない、と思っている。ここにじっとして、腰を下ろして、何時間だか、何日だか、とにかくずっと前からこうしていることに、私は軽い居心地の悪さを覚えている。しかし、立ち上がって何らかのことをしようとする動機が一つも見つからない。自分がしてもいいこと、自分にできるであろうことが、私には思い浮かばない。まるっきり思い浮かばない。(本文より抜粋)


「ぼくはきみを待っていただけだよ」(本文より抜粋)

詩を書いた。何度同じことを言っているのか分からないが、書いた。祈るように、書いた。いつまで祈るのかって、馬鹿だな。生きていること、それ自体が祈りだとも言えるでしょう?

カフカの命日だった。


誰もが真実を見ることができるとはいえない、しかし真実で<ある>ことはできる。

(フランツ・カフカ『八つ折判ノート』)

狂うより、狂いきれない方が地獄だ。違うか?


数えるという行為は、虚しいだけだよ。


苦しいだけだよ。