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灰色の記憶

日記 3/26-4/1

3/26(土)

(午前)

雨が降ったり歇んだりしている、外に出たらもう桜が咲いている場所もあった、雨の中の桜も悪くないなと思う


(午後)

何もしていない、雨が降っているなと思う、エリアーデの小説が読みたいなと思う、ウエルベックある島の可能性』が気になっている




3/27(日)

(午前)

霽れている、数日前は蕾だったのがもう咲いている、次々と咲いていく。


また本を売った。これで要らないのは売り尽くしたと思う。月末はジュンク堂で一冊買うことにしているのだが中々決まらない。高見順『敗戦日記』(中公文庫 2005.7)を立ち読みしていたら「私は妻には親切にする。妻が大嫌いだから」といったような箇所があり、唸る。この因果が解せないようでは何も解すことは出来ない。


(午後)

忘れるわけではない、
だが、無気力な何かがあなたのなかに住みつくのだ。



わたしは彼女のようではなかった。なぜなら彼女といっしょに(同時に)死ななかったからである。



わたしは不幸であった場所を離れたが、そこを離れても幸せにはならなかった。



夢は、完全で、すばらしい思い出だ。



自殺
死んだら、もう苦しまなくなる、なんて、どうしてわかるのか?

(ロラン・バルト『喪の日記』石川美子 みすず書房 2009.12)



頑丈なものにうんざりする


弁明することにうんざりする


「◯◯は△△だ」というテーマで書きたいし、「◯◯は△△ではない」というテーマでも書きたいと思う、翻弄したいわけでも中立の立場をとりたいわけでもなく、有り得るすべての可能性を提示したいと思う


作品は作品として独立するべきだし、作品が作者を語り切ることはない(然し本当に?)



内的生活の変化、変遷。こうした日記に収まりきらない事柄、表し難い何か、澱、内面性




3/28(月)

詩を書いた




3/29(火)

梅崎春生『ボロ屋の春秋』(講談社文芸文庫 2000.1)、『ポオ小説全集1』(創元推理文庫 1974.6)を買った。


ミシェル・ウエルベックある島の可能性』(訳:中村佳子 角川書店 2007.2)

ウンベルト・エーコ薔薇の名前(上)』(訳:河島英昭 東京創元社 1990.1)

・『エリアーデ幻想小説全集 第3巻 1974-1982』(編訳:住谷春也 作品社 2005.2)(「19本の薔薇」が読みたいから)

を借りた。




3/30(水)

栃木の太平山という場所に行った。桜を見に行ったのだ。もう見飽きたと思うほど見た。見飽きたとて好きなことには変わりないが。




3/30(水)

「でも、人間の記憶って、へんなもんだな。線としてはつながっていない。ところどころがぽつりぽつりと残っているんだな。強烈なとこだけが残って、あとは消え失せてしまうんだ」

(梅崎春生「狂い凧」)




3/31(木)

清岡卓行が気になっている。




4/1(金)

(午前)

雨上がりの外気は冷たい。雨のせいで桜がいくらか散ってしまったようだ。葉が見え隠れしているのもある。葉桜。葉桜と魔笛と思い出す。


古井由吉「除夜」(『蜩の声』に収録)を読んだ。かなり良い。