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灰色の記憶

日記 4/2-4/8

4/2(土)

(午前)

梅崎春生「狂い凧」を読み了えた。「幻化」を準備した作品らしい。それも読んでみようと思う


(午後)

皮肉なもので、自由に敵対する者にかぎって、誰より自由を必要とする状況に陥ったりするものなのだ。


僕が耐えられなくなっているもの、それは「笑い」だ。笑いそのものだ。人間の顔だちを変形させる、その突然の劇的なひずみ。それは一瞬にして、その顔が有していたあらゆる品位を台無しにする。人間が笑い、そして人間だけが動物界においてこの恐ろしい顔面変形を顕すのだとすれば、それは同時に、人間だけが動物の本質であるエゴイズムを通り越し、残酷のすさまじい最終段階にまで行き着いたということも示している。


ふたりきりで生きる孤独は、同意ずくの地獄である。


エロチシズムの消失にはもれなく愛情の消失がついてくる。純化された関係なんて存在しない。高度な魂の結びつきなんて存在しない。それらしきもの、それをほのめかすようなものすら存在しない。肉体的な愛が消えたとき、すべてが消える。毎日が陰鬱で平板な苛立ちの連続になる。しかも肉体的な愛に、僕はほとんど幻想を抱いていない。「若さ」「美」「力」肉体的な愛の基準というのは、ナチズムの基準とまったく同じだ。ようするに、僕は途方に暮れていた。


自分のどこに色欲があるのか?どこに傲慢があるのか?自分は救済から程遠いのか?それがそんなに大層な問題だろうかと僕は思う。


(ミシェル・ウエルベックある島の可能性中村佳子 角川書店 2007.2)




4/3(日)

(午前)

雨。睡気がおさまらず横になり微睡む


(午後)

夢を見る人間は、うなされたりすくんだりすることはあっても、ただ見るだけの、あるいは見ることを拒めぬだけの存在であって、その夢の内にもいないのかもしれない。自分自身の姿が見えるのは、初めから夢と知れた夢の中に限ることで・・・・・・。

(古井由吉「明後日になれば」)



講談社学術文庫を全部調べた




4/4(月)

(午後)

病院に行った。相変わらずの雨。風。



小説を書いた



岩波現代文庫を全部調べた




4/4(月)

死とか崩壊とか解体とかとぎりぎり境を接したようなものが快楽なのだ。あと一歩踏みこめば無しかない、空虚しかないといったような地点に至り着かないかぎり本当の快楽はないのだ。あらかじめわかりきった心地良さの反復など実は何の快楽でもない。


(松浦寿輝「無縁」)




4/5(火)

(午前)

歯医者で型を取ってもらった。冷たい、柔らかい何かを噛んだ


(午後)

図書館に来た。ベルンハルトの『消去』を借りようと思ったが借りられていた。残念だ。

日野啓三『天窓のあるガレージ』(講談社文芸文庫 2017.9)

・宮谷宣史『アウグスティヌス』(講談社学術文庫 2004.8)

を借りた。




4/6(水)

僕は道化なんだ。このさきずっと道化だ。そして道化としてくたばる───憎しみと、怒りにまみれて。


変革者というのは、世界の残忍さをそのまま受け入れ、そして一段と激しい残忍さで世界に応酬できる人間のことを言うのだと思う。

(ミシェル・ウエルベックある島の可能性中村佳子 角川書店 2007.2)




4/7(木)

(午前)

久生十蘭「墓地展望亭」を読んだ。かなり面白い




4/7(木)

死体に人権はない、というフレーズが不意に浮かんだ




4/8(金)

皆川博子『薔薇密室』(講談社 2004.9)

野溝七生子『眉輪』(展望社 2000.2)

を借りた。




4/8(金)

子供時代の日記にわたしはこう書いたのだった、「わたしは誰も愛さないほうがいいのだと決心した、なぜって人を愛するとかならずその人たちと別れなければならなくなって、とてもつらい思いをするのだもの。」

(『アナイス・ニンの日記 ヘンリー・ミラーとパリで 1931〜34』原麗衣 ちくま文庫 1991.4)