4/16(土)
心情の倫理は、決して行為を判定することはなく、行為をもたらす意志だけを判定する。
(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p179)
(モンテスキュー『法の精神』)
第一篇第三章「戦いの目的は勝利であり、勝利の目的は征服であり、征服の目的は維持である」。
(これはもう必ずしも正しくない。戦争の目的は勝利を犠牲にしても抹殺することである。勝利の目的は勝利が無意味になっても絶滅することである。つまり征服の目的は、自分が所有するものを保持できなくなっても、現実を全体主義的虚構に永続的に変形することなのである)。
(p195)
長い間ずっと孤独だと、いずれは絶望と孤立に陥る。───その理由は簡単だ。ひとりでは抱擁できないからである。
(p217)
古代や西洋では、生命が不可欠なものに直接結びついている者は自由ではないと言われていた。われわれは、他者を抑圧したり搾取したりする者、すなわち、身体的生命にとって不可欠なものも含むすべてを自分だけの力で得ていない者は自由ではないと言うのである。
(p239)
落下が空中で止まる者にのみ
大地は開かれる。
大地が輝かしく立ち現れる。
飛翔が失敗した者には
大地は大きく深淵を開く。
大地が彼を胎内に引き戻してしまう。
(p246)
私は
わずかばかりの
事物の中の
過剰から生まれた
一つにすぎない。
心配ならば
私を腕に抱き
不安がすっかり
消えるまで
揺すっておくれ。
(p263-264)
真理は啓示としてのみ明らかになるという点にこそ、あらゆる啓示宗教の真理がある。
(p264)
4/17(日)
藤の花がみたい
人が多い場所にいると(想像するだけでも)気持ちが悪くなる、たとえば日曜の食料品売り場など
4/17(日)
技術的知識という現代的意味での知識と思考とが、真実、永遠に分離してしまうなら、私たちは機械の奴隷というよりはむしろ技術的知識の救いがたい奴隷となるだろう。そして、それがどれほど恐るべきものであるにしても、技術的に可能なあらゆるからくりに左右される思考なき被造物となるだろう。
(ハンナ・アーレント『人間の条件』志水速雄訳 ちくま学芸文庫 1994.10)
しかし癪にさわったのは、口汚ない文句ではなくて声であった。そうだ、あの声だ。あの場合彼女がよしんば意味のない言葉をしゃべくっていたとしても、或は美くしい詩を朗読していたとしても、おれはまったく同一の憤りを感じたにちがいない。
4/18(月)
「奴等にはあれが見えなかった。俺にはちゃんと見えたのだ。どうしてあれが生かして置けよう。そのくらいなら死んだ方がましだ。」
(フセーヴォロド・ガルシン「紅い花」)
「君がいることを望む」。君が本来の君のままであることを、君が君の本質通りであることを私は望むという意味ならば、───それは愛ではない。それは自分の正しさを証明するという口実のもとに、他者の存在をも自分の意志の対象としようとする支配欲である。
(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p358)
愛または沈思黙考を望むなら、あらゆるものとすべての人々を見捨てなければならない───つまり、見殺しにしなければならない。
(p361)
ニーチェは、人間は生きている限り、本質的なものによって破壊されるほかない存在だと結論した。
(p390)
もう理解できないという場合には、根をおろせない、表面にとどまるよう定められていると言っているようなものだ。そういう浅薄さが全体主義的支配においては組織化されて、無意味な不幸を作り出し、無意味な苦悩を作り出すのであり、それと正確に対応しているのが、世界の他の部分で蔓延している無意味な幸福の追求にほかならない。
(p423)
根源悪はあっても根源善は存在しない。根源善が望まれる場合には、いつも根源悪が発生する。人間の間では、善も悪も関係においてしか存在しない。「根源性」とは相対性を破壊し、関係そのものを破壊するもののことだ。人々や人々の関係を超えたところに望まれるもの、それはすべて根源的な悪である。
(p433)
4/18(月)
詩を8つ書いた
4/19(火)
・聖アウグスティヌス『告白(上)』(服部英次郎訳 ワイド版岩波文庫 2006.7)
・ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』(清水徹訳 岩波文庫 2004.4)
・ベルマン・ブロッホ『夢遊の人々(上)』(菊盛英夫訳 ちくま文庫 2004.9)
・シュティフター『晩夏(上)』(藤村宏訳 ちくま文庫 2004.3)
・『ラフォルグ抄』(吉田健一訳 講談社文芸文庫 2018.12)
を借りた。
悪が人類のために有害であるという理由で善をなす者は、倫理の段階のかなり低いところに立っているのであって、もし罪悪が人類や自己自身に役立つとなれば直ちに罪悪に手を出すであろう。
(シュティフター『晩夏(上)』藤村宏 ちくま文庫 2004.3)
要するに、私は、「貴方を愛しています。」と言おうとして、
私自身というものが私にはよく解っていないことに
気付いたのは悲しいことだった。
(『ラフォルグ抄』吉田健一 講談社文芸文庫 2018.12)
4/20(水)
期待していた楽しみが現実になったのに、それに失望させられることがあるが、その原因は、未来に対して期待を寄せていたからである。そして、未来はひとたび現前すると、それは現在になる。未来が、未来であることをやめずに、現前してくれることが必要なのだろう。そんなことは不条理であり、ただ永遠のみがそこから救い出してくれる。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』田辺保 ちくま学芸文庫 1995.12)
どこへ行っても、ぶつかるのは過ぎ去った幸福の残酷な思い出でした。
(シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー『ペルシア人の手紙』田口卓臣 講談社学術文庫 2020.4)
人も物も、人形劇の舞台から切りとられたみたいに、どこか無関心で、生気がなく、機械的だった。
(ムージル『寄宿生テルレスの混乱』丘沢静也 光文社古典新訳文庫 2008.9)
自分にとって、世界は美しく希望に満ちた場だと思えることもよくあるけれど、時には何もかもが黒々と侘しく感じられるのだと母は言った。母はそのことを、それまで夫以外の誰にも話したことがなかった。私が二人目だった。
(エリック・マコーマック『雲』柴田元幸 東京創元社 2019.12)
4/20(水)
孤独になりたいだけなら他者と関わるのをやめればいいだけだが、より孤独を深めたいなら、他者と関わるのを増やすといい
4/21(木)
『越年 岡本かの子恋愛小説集』(角川文庫 2019.8)を買った。
4/21(木)
一緒に死にたくなってしまう絶望に
追いやられた最初の
幸福な夕方、
我々は体が震えているのをどうすることも出来ない。……
波止場は
海に対して築かれ、
私の肉体は
愛を堰いている。
(『ラフォルグ抄』吉田健一 講談社文芸文庫 2018.12)
4/22(金)
説得には、「互いに」が欠けているとともに、同じ事柄を知ろうとする共同も欠けている。