4/23(土)
懐疑は独白と化した自己自身であり、「自分」も他者であるほかはないから、自己自身との対話である。
(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p498)
4/24(日)
死にたい
4/25(月)
理性によって決められたことは理性によって行使されなければならない。「こんな奴死刑にすればいいのに」と反射的に口走るような人間に立法者の素質はない。仲介者の素質もない。法やルールを取り決める、取り扱う場において、冷静でない者を話し合いに加えてはならない。本能で、感情的になって法を行使する(しようとする)のは、人殺しの心理と全く変わらない。
4/25(月)
皆川博子『死の泉』(ハヤカワ文庫JA 2001.4)を買った。
4/25(月)
愛を得るためには命を危険にさらさなければならないように思えた。救われるには、死の淵に立たなければならないように思えた。
「芸術は幸福からは決して生まれないの」
話に聞くところでは、セックス中毒者は絶え間ないセックスによって生まれる生体の化学反応に依存するようになる。オーガズムは全身にエンドルフィンを行き渡らせ、エンドルフィンは苦痛を癒し、鎮静効果をもたらす。セックス中毒者は実はセックスの中毒ではなく、エンドルフィンの中毒だ。セックス中毒者の体内のモノアミン酸化酵素量は平均レベルより少ない。セックス中毒者が本当に渇望しているのは、危険、熱中、リスクおよび恐怖を引き金に放出されるペプチドフェニルエチルアミンだ。
(チャック・パラニューク『チョーク!』池田真紀子訳 早川書房 2004.2)
意識がつねに世界によって占領されていると、きみが何を考えているか、誰も気にする必要がなくなる。すべての人の想像力が退化していると、誰も世界に脅威を与えない。
(チャック・パラニューク『ララバイ』池田真紀子訳 早川書房 2005.3)
「あたしを愛せないなら、あたしのこれまでの人生を話して」
(チャック・パラニューク『インヴィジブル・モンスターズ』池田真紀子訳 早川書房 2003.5)
4/26(火)
・ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅱ 1953-1973』(青木隆嘉訳 法政大学出版局 2017.5)
・ハンナ・アーレント『政治の約束』(高橋勇夫訳 筑摩書房 2008.1)
・ホルヘ・フランコ『外の世界』(田村さと子訳 作品社 2018.2)
を借りた。
───苦しんだり耐え忍んでいる者にとって人生はすばらしいものだ。あなたの人生が不毛の砂浜であり苦悩や不安や心の痛みに満ちているのを知っている私が、より多くの幸せをあなたにあげよう、鳥の巣には生い茂る木々の緑を、日没には夕暮の茜雲を。
(ホルヘ・フランコ『外の世界』(田村さと子訳 作品社 2018.2)
4/27(水)
自身が根こぎにされた者は他者を根こぎにする。根をおろす者は根こぎをしない。
(シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと(上)』冨原眞弓訳 岩波文庫 p71)
過去から顔をそむけ、未来にのみ思いをはせてもむなしい。そもそも未来に可能性を認めることは危険な幻想である。未来と過去を対立させるのは愚かである。未来はなにも生みはしないし、なにも与えない。未来を築きあげるべくすべてを与え、ときに生命さえも捧げるべきは、われわれ人間のほうだ。ところで、与えるためには持っていなければならない。しかるに、われわれは自分が過去から継承し、吸収し、同化し、再生した宝のほかには、なにひとつ与えるべき生命、与えるべき活力を持ちあわせていない。人間の魂が欲するさまざまな欲求のなかで、過去ほど死活にかかわるものはないのだ。
(p75-76)
4/28(木)
頭痛、倦怠感
4/29(金)
・ヘミングウェイ『移動祝祭日』(福田陸太郎訳 土曜文庫 2016.11)
・皆川博子『光の廃墟』(文春文庫 1998.7)
を買った。
4/29(金)
いったん思索し始めると、さまざまな思想が次々に現れて、命の血を吸い尽くす。
(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅱ 1953-1973』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p93)
情念と思考との違いは、情念が繰り返しによって台無しにされることである。苦しみの起源が同情(=苦しみを共にすること)であっても、同情は苦しみを台無しにしてしまう。
(p97)
言葉が思考と行為を結びつけ媒介する。思考の限界は、沈黙に圧倒されて言葉を失った真理の直観であり、行為の限界は無言の暴力である。
(p98)
しかしぼくらを
消滅の危険から救ってくれるのは
ぼくらの心臓にしっとりとまといつき
はびこる冷い雑草の 厚い覆いだ
(ホフマンスタール『思念の魔』川村二郎訳)
「誰だ、死にもしないくせに
死者の王国を横行闊歩する奴は?」