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灰色の記憶

日記 5/21-5/27

5/21(土)

・ディディエ・フランク『他者のための一者 レヴィナスと意義』(米虫正巳、服部敬弘訳 法政大学出版局 2015.10)

神崎繁『内乱の政治哲学』(講談社 2017.10)

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(ホーム社 2020.4)

を借りた。




5/22(日)

アガンベンが気になっている、あと、カール・シュミット




5/23(月)

我が生涯はあはれなる夢、
我れは世界の頁の上の一つの誤植なりき。
我れはいかに空しく世界の著者に
その正誤をば求めけん。
されど誰か否と云ひ得ん、
この世界自らもまた
あやまれる、無益なる書物なるを。

(生田春月「誤植」)




5/23(月)

・伊良子清白『孔雀船』(岩波文庫 1938.4)

・シュトルム『みずうみ 他四篇』(関泰祐訳 岩波文庫 1953.2)

サンドバーグ『シカゴ詩集』(安藤一郎訳 岩波文庫 1957.6)

ガルシン『あかい花 他四篇』(神西清岩波文庫 1937.9)

D.H.ロレンス『裸の神様』(岩倉具栄訳 角川文庫 1959.8)

を買った。




5/24(火)

ヴィルジリオ曰(い)ふ。あゝ福(さいはひ)に終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ

(ダンテ・アリギエリ『神曲』浄火 第三曲 七三-七五 山川丙三郎訳)




5/25(水)

死にたい




5/25(水)

闘争における死は、生きたこと、そして記憶されることに対する対価である。

(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p526)




5/26(木)

〈善〉、〈悪〉、〈善意〉、〈悪意〉、〈善行〉、〈悪行〉…それらは〈間の領域〉において生起するものであり、文字通り〈ひとり〉で生きている者にとっては、そんなことはどうでもいいことだ…




5/26(木)

爲すによるにあらず爲さざるによりて我は汝の待望み我の後れて知るにいたれる高き日を見るをえざるなり

(ダンテ・アリギエリ『神曲』浄火 第七曲 二五-二七 山川丙三郎訳)


心を苛責の状態にとむるなかれ、その成行を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判の後まで續かざることを思へ

(第十曲 一〇九-一一一)


語れ約まやかにかつ適はしく。

(第十三曲 七六-七八)


死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己が意のまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。

(第十四曲 一-三)




5/26(木)

哲学ではなくて詩が絶対化される場合には救いがある。

(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p543)


われわれが直接に、無媒介に、われわれの間にある共同のものに関係なく理解するのは、われわれが愛しているときだ。

(p543)




5/26(木)

私が生れる前にはこの私と少しも関係がない永遠があり、私が死んだ後にも永遠が横たわっている。

(『ラフォルグ抄』吉田健一講談社文芸文庫 p92)




5/27(金)

人に
秘密がないということは、財産を持たないかのように貧しく、うつろなことだ。

(『失花』書肆侃侃房 p10)




5/27(金)

オーブリ・ビアズレー『美神の館』(澁澤龍彥訳 中公文庫 1993.1)を買った。




5/27(金)

無意味なものの燦かさ