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灰色の記憶

日記 6/11-6/17

6/11(土)

何回読んだか知れない「秋風記」を読んだ。今日は、つづけて、7回読んだ。




6/12(日)

善人が愛するのは善人で、悪人が愛するのは悪人、本当にそうか?




6/12(日)

ゴーゴリ『死せる魂』(東海晃久訳 河出書房新社 2016.9)を借りた。


・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整新潮文庫 1964.6)

・『E.M.フォースター短篇集』(井上義夫訳 ちくま文庫 2022.6)

を買った。




6/13(月)

わたしたちは、何ものかであることを捨て去らねばならない。それこそが、わたしたちにとってただひとつの善である。

(シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』田辺保訳 ちくま学芸文庫 p61)




6/13(月)

久生十蘭『十字街』(P+D BOOKS 2020.5)

塚本邦雄『紺青のわかれ』(河出文庫 2022.6)

マルキ・ド・サド『閨房哲学』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1992.4)

アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹新潮文庫 1969.7)

・『室生犀星詩集』(福永武彦新潮文庫 1968.5)

を買った。




6/13(月)

新宿で人と会った。楽しかったです。


また、会いましょう。




6/14(火)

一人でいることの存在様態は

・孤独(ソリチュード)
・孤立(ロンリネス)
・孤絶(アイソレーション)

の3つ(『責任と判断』参照)




6/14(火)

​───これこそは大なる苦痛だ。今おれはそれを体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。


​───これが死だ。今おれは死を体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。

(トーマス・マン「幻滅」実吉捷郎訳)



無関心───それは一種の幸福だということをおれは知っている。

(トーマス・マン「道化者」実吉捷郎訳)



いつか一度、あの呪いからのがれられたら。───お前はただあることは許されない、創造せねばならぬ。愛することは許されない、知らねばならぬ───というあの犯しがたい呪いから。

(トーマス・マン「飢えた人々」実吉捷郎訳)




6/15(水)

おれはまさに道化癖のために、どうしても滅亡せざるを得ないのだ。


​───おれはどうかというと、おれはもう失われた人間なのである。

(トーマス・マン「道化者」実吉捷郎訳)



芸術だ。享楽だ。美だ。この世を美で包んで、いっさいの事物に様式の高貴を与えろ、と彼等は叫んでいる。───やめてくれ、無頼漢ども。お前たちはこの世の悲惨を、けばけばしい色で塗り隠せると思うのか。悩める大地のうめき声を、豊潤な美感のお祭り騒ぎで消してしまえると信ずるのか。それは違うぞ、恥知らずども。神を嘲けることはできないのだ。神の眼から見れば、ぎらぎらする表面に対する、お前たちの厚顔な偶像礼拝は、恐るべき悪行なのだ。


僕は芸術を侮辱しはしない。芸術というものは、人を誘惑して、肉的生活の鼓舞と是認にかり立てるような、そんな破廉恥な詐欺じゃありません。芸術とは、人生のあらゆるおそろしい深みへも、恥と悲しみとにみちたあらゆる淵の中へも、慈悲深く光を射し入れる神聖な炬火です。芸術とは、この世に点ぜられた神々しい火です。この世を燃え上らせて、そのすべての汚辱と苛責ごと、救いをもたらす憐憫のうちに消滅してしまわせるために、点ぜられた火なのです。

(トーマス・マン「神の剣」実吉捷郎訳)



彼がこんなに長い間、死を征服してきたのは、ただひとえに意志の───幸福への意志のおかげではなかったのか。その幸福への意志が充足させられた時、彼は死ぬよりほかはなかった。争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかはなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである。

(トーマス・マン「幸福への意志」実吉捷郎訳)




6/16(木)

病院にいった。




6/16(木)

最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ


なぜなら幸福とは───と彼は胸の中で言った───愛せられることではない。愛せられるというのは、嫌厭の念と入りまざった、虚栄心の満足である。幸福とは愛することであり、また愛する対象へ、時としてわずかに心もとなく近づいてゆく機会を捉えることである。


誠実というものが地上にあり得ないということに、心からの驚きと幻滅とを感じていた。


​───自分は無数の生活様式に対する可能性と同時に、それが要するにことごとく不可能性だというひそかな自覚をもいだいている……

(トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳)



私は自分が存分に受け取ってきた断罪を、神の怠惰によって私から盗まれてしまった断罪を夢見ている。

(ニック・ランド『絶滅への渇望 ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム』五井健太郎河出書房新社 p159)




6/17(金)

自分の倦怠の灰の下に、明らかな焔ともならず、ほの暗くやるせなく微光を放っているものは、これはみんな何なのだろう。

(トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳)




6/17(金)

オルハン・パムク『わたしの名は紅』(和久井路子訳 藤原書店 2004.11)

オルハン・パムク『黒い本』(鈴木麻矢藤原書店 2016.3)

を借りた。


・ジッド『狭き門』(山内義雄新潮文庫 1954.7)

・マルセル・エイメ『壁抜け男』(長島良三訳 角川文庫 2000.7)

を買った。




6/17(金)

観念論ほど詩的なものはない…、いや違う、詩が観念論そのものなんだ…