6/18(土)
忘れる
6/19(日)
「記憶の園が砂漠化したら、誰もが手の内に残った最後の樹木や薔薇を震えるほど慈しむよ。どうか萎れてしまわないようにと、朝から晩まで水をやり、愛撫するんだ。覚えているよ、覚えているから、忘れたりするもんか、とね。」
古い習慣と新しい命令が対立した場合、たとえば「殺してはならない」という古い習慣と「殺せ」という新しい命令が対立した場合に、罪の感情は生まれます。しかしその正反対の場合、すなわち古い習慣では「殺せ」と命じていたのに、新しい道徳性が「殺すな」と命じ、すべての人がこれをうけいれた場合にも、これにしたがわないと罪の感情が生まれるのです。ということは、こうした罪の感情は道徳性によって生まれるのではなく、習慣や命令に適合するかどうかによって生まれるということです。
(ハンナ・アレント『責任と判断』中山元訳 ちくま学芸文庫 p177)
6/20(月)
マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』(多田智満子訳 白水Uブックス 1984.12)を買った。
6/20(月)
死ぬ恐怖ではなく、死の無意味、いや生存そのものの無意味の恐怖。
(日野啓三「地下都市」)
ぼくは眠っても醒めてもいない。そしてなかば夢見ごこちのぼくの心のなかを、いつか直接に体験したり読んだり聞いたりしたものが、そのさまざまな色彩や明度のいくつもの流れが、ひとつに混じりあって流れていく。
(グスタフ・マイリンク「眠り」)
われわれはけっして主観を認識しない。主観とはそもそも、認識されるものを認識するものにほかならない。
(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)
6/21(火)
一切は孤独なしのびなきなのだ。
(林芙美子「瑪瑙盤」)
6/22(水)
日野啓三『あの夕陽・牧師館 日野啓三短篇小説集』(講談社文芸文庫 2002.10)を買った。
6/23(木)
を買った。
・マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳 白水社 2001.5)
・マルグリット・ユルスナール『黒の過程』(岩崎力訳 白水社 2001.7)
を借りた。
6/24(金)
ああ、なぜわたしの精神は、その最上の日々においてさえ、肉体の同化力のわずか一部分ほどのものしかもちえなかったのであろう?
(マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』多田智満子訳 白水社 p15)
美の愛好者は、結局、いたるところに美を見いだし、もっとも下賤の鉱脈からさえ金鉱を発見するにいたるものなのだ。
(p22)
短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな
────日野啓三