7/16(土)
自分が年を取っていくということが亡くなった人へ供養になるというような感じ方は、あるものかしら、などと考えたりした。
(古井由吉「枯木の林」)
人生は間違いの連続で、それによって我々は究極の真実、唯一の真実へと導かれるのだ。
(ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』野谷文昭訳 白水社 p9)
あいつの罪が積み重なって天に届き、神はその無数の邪悪を思い出したのだ。
(p23)
自分が空虚の中に、はらわたの空虚の中に、胃袋や内臓でできた空虚の中に落ち込んでいく気がした。
(p25)
時の経過、時間の経過、歳月の立てる音、幻影の絶壁、生き残ることの労苦を除くあらゆる種類の労苦からなる死の渓谷。
(p31)
いかなる会話も対話も禁じられている、とある声が言う。
(p31)
もはや自分でも何を言っているのかわからない、話したい、言いたいと思っても、出てくるのは泡ばかりだ。
(p59)
7/17(日)
ことの良し悪しが常にわかる人間などいるだろうか?
(ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』野谷文昭訳 白水社 p108)
7/18(月)
通所2日目。暑い。
7/18(月)
離れたところから眺めて、枯枝を神経のように張りひろげて天を刺す樹々を、美しいとは結局こういう、細って寒いことなのだろうかなどと思うのはまだしも何かの感慨のうちらしい。
(古井由吉「枯木の林」)
屈辱が一点滴ると、恐怖は溢れ出す。
人は記憶なしには生きられない。
しかし生きながらえた人間の、生きながらえるための業とも言える記憶にも、目ばかりになった静まりへ、かすかに通じるものが、ありはしないか。
(古井由吉「子供の行方」)
7/19(火)
通所3日目。雨。蝉の声。鴉の声。
7/19(火)
私は靴の底から頭の毛さきにいたるまで精神分裂症であった。
どの出口にも大きな字で、「壊滅」と書いてあった。
私は虚空を映す多面鏡の箱になっていた。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
7/20(水)
私は、まだ存在しない現実に属する怪物なのだ。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
7/20(水)
人と会った。話すのはやっぱり楽しい。いろいろ教えてもらった。
7/20(水)
・ジャン・ジュネ『葬儀』(生田耕作訳 河出文庫 2003.2)
・ユイスマンス『彼方』(田辺貞之助訳 創元推理文庫 2002.11)
・ネルヴァル『火の娘たち』(中村真一郎、入沢康夫訳 ちくま文庫 2003.9)
を買った。
7/21(木)
病院。
7/22(金)
通所4日目。
7/22(金)
トーマス・ベルンハルト『消去』(池田信雄訳 みすず書房 2004.2)を借りた。