9/3(土)
詩を書いた。
9/3(土)
私は青ざめる人々を見る
なぜ?
それは禁止されているから
あなたがたは渇いているから
(ヤン・ファーブル『わたしは血』(宇野邦一訳 書肆山田 p17)
血はみずからの歴史を書き直すだろう
そして私は増殖するであろう
(p33)
9/4(日)
愛していると思い、愛されていると思えたうちは、まだこの虚構は壊れずにすんでいた。
(宇野邦一『〈兆候〉の哲学 思想のモチーフ26』青土社 p81)
9/4(日)
・セリーヌ『なしくずしの死(上)』(高坂和彦訳 河出文庫 2002.3)
・セリーヌ『なしくずしの死(下)』(高坂和彦訳 河出文庫 2002.3)
・吉行淳之介『夕暮まで』(新潮社 1978.9)
を買った。
9/4(日)
私の中では、リアルさとはいつも退屈さを意味した。
9/5(月)
同じ車輛に紙で本を読んでいる人が5人くらいいた。私の前に立っている金髪の、外国人の女性は洋書を読んでいた。
9/5(月)
渋谷と東京駅にいった。
9/6(火)
通所17日目。まだ蝉が鳴いている。
9/7(水)
今朝、父親の母親、つまり祖母が亡くなった。礼服を買いに行った。
9/7(水)
・トマス・ピンチョン『重力の虹(上)』(佐藤良明訳 新潮社 2014.9)
を借りた。
9/7(水)
いや、これは解けていくのではなく、ますます縺れていく過程なのだ───
(トマス・ピンチョン『重力の虹(上)』佐藤良明訳 新潮社 p14)
「まさか救われるなどと思ってはいないだろうな。さあ、われわれみんな、どういう人間か、正体は知れたのだ。誰もわざわざお前らなんぞを救おうとはしなかったということだ…」
(p15)
9/8(木)
私には、これから起こるであろう近くの未来を意外なものにしたいと思う、そういった癖のようなものがあった。
9/9(金)
通所18日目。
9/9(金)
葬儀に出席した。