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灰色の記憶

日記 11/1-12/31(2023)

11/1(水)

通所186日目。

 

 

 

11/2(木)

裁かれて無慘の生を全󠄁うせよ  それのみに希ひし延命のこと

(水原紫苑『快樂』短歌研究社 p248)

 

 


11/2(木)

E・M・フォースター『インドへの道』(瀬尾裕訳 筑摩書房 1985.8)を買った。

 

 

 

11/3(金)

通所187日目。

 

 


11/3(金)

断崖は髑髏の貌(かほ)に赤く焼け眼窩の洞窟(あな)は暗くはてな

(『谷川健一全歌集』春風社 p329)

 

 

 

11/4(土)

ぼくの文法のなかには踏み荒らされた泥濘が飢えている。

(崎村久邦『饑餓と毒』思潮社 p28)

 

 

 

11/5(日)

ぎざぎざになればなるほど
おまへは  生きてゐるのだよ
わたしは耐へよう  おまへの痛みを  うむため
おまへも耐へておくれ  わたしの痛さに  免じて

(『吉原幸子詩集  幼年連禱』思潮社 p103)


でも  過去のおそれるのは
過去が書き変へられることではないのだ

過去と  現在とが  よってたかって
をかしな  未来を
書いてしまふことなのだ

(p147)

 

 

 

11/6(月)

地獄とは、想像の及ばぬ祈りである。

(E.M.シオラン『悪しき造物主』金井裕訳 法政大学出版局 p20)


宗教的感情が生まれるのは、自己の無意味さの確認からではなく、無意味さに対する欲望、そこに溺れ込みたいという欲求からである。

(p20)


古代の人々の考えによれば、人は神々の存在を認めれば認めるほど、いよいよ立派に「神格者」に仕えることになる。神々はこの「神格者」のさまざまな側面、顔にすぎない。神々の数を制限しようとするのは、不敬虔な行為にほかならず、たったひとりの神のために、すべての神々を抹殺することは罪であった。キリスト教徒たちが犯したのは、この罪であった。彼らには、もはやアイロニーは通用しなかった。彼らが伝播させた病いは、勢いを増しすぎていたのである。ユリアヌスが示した激しい辛辣な態度のよって来たるゆえんは、鷹揚な態度をもってしては彼らを扱い得ないところにあった。

(p31-32)


たったひとりの神よりは多くの神々とともにあったときこそ、私たちは間違いなくずっと正常であったのである。もし健康なるものがひとつの基準だとすれば、一神教とはなんたる後退であることか!

(p32)


唯一の神は生を呼吸困難にする。

(p34)


私たちは救われており、そして永遠に不幸なのである。

(p90)


自由であるとは、報いの観念を永久に捨て去ることであり、人間からも神々からも何も期待せず、この世及びあらゆる世界にとどまらず、救済そのものを断念し、しがらみ中のしがらみたる救済という観念をも粉砕することにほかならない。

(p93)


愛することをではなく憎むことを止めたとき、私たちは生きながらの死者であって、もう終りだ。

(p135)


存在しないよりは存在するほうがましだ、ということを証明するいかなる方法もない。

(p142)


苦しんだことのない者との会話は、すべて例外なく下らぬおしゃべりにすぎない。

(p169)


多産な才能に恵まれ、寛大で、つねに製作することに、忙しそうに立ちまわることに満足している人間、理解し難いのはこういう人間たちのことだ。彼らの活力は並はずれたもののようだが、しかしそんなものを妬む気持にはなれない。彼らはどんなものにもなることができる。というのも、実は何ものでもないからだ。つまりは活動的な操り人形、涸れることを知らぬ才能をもった能なし。

(p174-175)


人間はそれぞれ破壊された讃歌である。

(p181)


他の人たちは自分がペテン師であるとは思っていない。だが実際ペテン師だ。私はといえば……私も彼ら同様ペテン師であることに変わりはないが、私はそれを自覚し、それに苦しんでいる。

(p182)


一切の問題は間違った問題にすぎないと知ったとき、危険なほど救済の近くにいるのである。

(p183)


抑圧された祈りは嘲笑となって炸裂する。

(p185)


懐疑主義とは移り気な精神の信仰である。

(p192)


中傷のなかに言葉を、ただ言葉だけを見てとること、これこそ苦しむことなく中傷に耐える唯一の方法である。私たちに向けられるどんな非難の言葉をも、ばらばらに分解してしまおう。ひとつひとつの語を孤立させ、一個の形容詞、一個の名詞、一個の副詞にふさわしい蔑視をもって、その語を扱うことにしよう。

(p192)


人が孤独のなかに逃げ込むのは、誰の面倒をもみないためだ。自分と世界、それで手一杯。

(p198)


おのれを取戻すためには、世間から〈忘れられて〉いるに越したことはない。そうなれば、私たちと重要なものとのあいだに介入してくる者はひとりもいない。他人たちが私たちから遠ざかれば遠ざかるほど、彼らは私たちの完成に手を貸しているのだ。私たちを見捨てることで私たちを救っているのだ。

(p199)


失墜について注釈を加えたい、原罪の寄生虫として生きたい。

(p201)


どんなものに対してであれ意味を探すのは、マゾヒストのすることであって、素直な人間のすることではない。

(p204)

 


気管の奥まで届いて、そこにたまっている痰をゼイゼイと震わせる咳には、一種独特な快感があるものだ。熱っぽい躰の内部に力ずくで風穴をあけようとしているような、もうひと息で風が通って躰じゅうが爽やかになりそうな、カタルシスの予感がつきまとう。

(古井由吉「影」)

 

 

 

11/7(火)

通所188日目。

 

 

 

11/8(水)

通所189日目。

 

 

 

11/9(木)

結構前から気になっていたコルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』が図書館にあったから借りてきた。

 

 

 

11/10(金)

通所190日目。

 

 

 

11/11(土)

・澁澤龍彥『菊灯台  ホラー・ドラコニア少女小説集成』(平凡社 2003.11)

・澁澤龍彥『獏園  ホラー・ドラコニア少女小説集成』(平凡社 2004.5)

を買った。

 

 

 

11/12(日)

人間が自己の本性について問おうとしないとき、人はたとえ生きてはいても、もはや生ける屍同様なのである。

(小原信『孤独と連帯』中公新書 1972.2)

 


腐敗してゆくものをして静かに、その全体と細部において腐敗しつづけしめよ、人間この腐敗するものの、腐敗の尊厳をおかすなかれ。

(大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』講談社文芸文庫 p25)

 

 

 

11/13(月)

死の変身への
光とも闇ともわかたぬ方向
肉眼には触れることのできぬ
眼を閉じた世界だけに聞える音

(中正敏「すんとり虫」)

 

 

 

11/14(火)

通所191日目。

 

 

 

11/15(水)

通所192日目。

 

 


11/15(水)

その夜、夜をしこんだ壺のなかで、喪われてしまつたもの、あれは  何だつたのだろう………

(栗田勇「夜の壺」)

 

 

 

11/16(木)

だが、言いたいことを明確に伝えられないことがあるからといって、とがめられるべきはその道具ではない。

(ルネ・ドーマル『大いなる酒宴』ディスカヴァーebook選書 谷口亜沙子訳)

 

 


11/16(木)

石川淳『天馬賦』(中公文庫 1988.6)

ジョン・ミルトン失楽園(下)』(平井正穂訳 岩波文庫 1981.2)

を買った。

 

 

 

11/17(金)

通所193日目。

 

 


11/17(金)

〈先生〉と胸に呼ぶ時ただひとり思ふ人ゐて長く会はざる

(菅原百合絵『たましひの薄衣』書肆侃侃房 p22)

 

 

 

11/18(土)

紅葉が出始めてきた。

 

 

 

11/19(日)

『山躁賦』を読みすすめた。

 

 

 

11/20(月)

ディドロダランベールの夢  他四篇』(新村猛訳 岩波文庫 1958.6)を買った。

 

 

 

11/21(火)

通所194日目。

 

 

 

11/22(水)

通所195日目。

 

 

 

11/23(木)

通所196日目。

 

 


11/23(木)

第二外国語をやらなければ第一外国語がその分よくできるようになるわけではなく、むしろ逆に第二外国語もやる人の方が第一外国語もよくできるようになるという常識が忘れられつつある。

(多和田葉子『透ける街  溶ける街』日本経済新聞出版社 p121)

 

 

 

11/24(金)

岡田温司マグダラのマリア  エロスとアガペーの聖女』(中公新書 2005.1)を買った。

 

 

 

11/25(土)

『文学と悪』(弘学社 2015.6)を買った。

 

 


11/25(土)

書物という奴が、これが他の何よりもわたしを疲労の極に追いやる。わたしはただの一語でも、元のままの意味、元のままの形で残してはおかない。
わたしは言葉を捕える。必死に努力して、やっと根っこから引っこ抜く。そして遂には、その著者を取り巻く連中から、言葉を奪い取ってしまう。
ただの一章のなかからでも、即座に幾千もの句が取り出せる。わたしは、それらをすべて作り変えなければならない。そうしないではいられないのだ。

(『アンリ・ミショオ詩集』小海永二ユリイカ p58-59)

 

 

 

11/26(日)

粟津則雄『畏怖についてなど』(思潮社 2012.3)を買った。

 

 

 

11/27(月)

ひかりは  わが狂氣  喘ぎに似て、
無限への疲れ果てたる受胎。

(鷲巣繁男「惡胤」)

 

 

 

11/28(火)

通所196日目。

 

 


11/28(火)

ペーター・ハントケ『ドン・フアン(本人が語る)』(阿部卓也、宗宮朋子訳 三修社 2011.11)を買った。

 

 

 

11/29(水)

通所197日目。

 

 


11/29(水)

そして夜はあらゆる夜のようにしてやってくる。あまりに大きなあの夜がやってくるまでは。

(アンリ・バルビュス『地獄』東西五月社 飯島耕一訳 p8)

 

 


11/29(水)

デボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く』(加藤有子訳 松籟社 2018.12)を買った。

 

 

 

11/30(木)

シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』(冨原眞弓訳 岩波文庫 2005.3)

ジョン・ロック『寛容についての手紙』(加藤節、李静和訳 岩波文庫 2018.6)

を買った。

 

 


11/30(木)

ニーチェニヒリズムを、克服されるべきものと考えた。ただ重要なことは、このニヒリズムの克服が、ニヒリズムをその終極まで生きることによって、すなわちニヒリズムの徹底によって、実現されると考えていることである。

(矢島羊吉『ニーチェの哲学  ニヒリズムの論理』福村出版、1986.10、22頁)

 

 

 

12/1(金)

通所198日目。

 

 


12/1(金)

マルキ・ド・サド『ジェローム神父  ホラー・ドラコニア少女小説集成』(澁澤龍彥訳 平凡社 2003.9)

ポール・ヴァレリー『テスト氏  未完の物語』(粟津則雄訳 現代思潮新社 1967.5)

を買った。

 

 

 

12/2(土)

ダンテ『神曲』(平川祐弘訳 河出書房新社 1992.3)を買った。

 

 


12/2(土)

社会保障が行き渡ると、噓をつくことの経済的な意味がなくなるから、誰も噓をつかなくなるんだよ。」

(多和田葉子『地球にちりばめられて』講談社 p24)


「何語を勉強する」と決めてから、教科書を使ってその言葉を勉強するのではなく、まわりの人間たちの声に耳をすまして、音を拾い、音を反復し、規則性をリズムとして体感しながら声を発しているうちにそれが一つの新しい言語になっていくのだ。

(p38)

 

 

 

12/3(日)

その聲は擴つて、まるで波紋のやうにひろがつて、この全󠄁宇宙を包󠄁んでしまふかのように............

(鷲巣繁男「聲」)

 

 

 

12/4(月)

病院にいった。

 

 


12/4(月)

詩を書いた。誰にも理解されなくていい。

 

 

 

12/5(火)

通所199日目。

 

 

 

12/6(水)

通所200日目。

 

 


12/6(水)

映画の中に閉じ込められてしまった人間ほど惨めな存在はない。

(多和田葉子『星に仄めかされて』講談社 p44)

 

 

 

12/7(木)

図書館に。ボラーニョ『2666』があってすぐ借りた。

 

 

 

12/8(金)

通所201日目。

 

 

 

12/9(土)

通所202日目。

 

 

 

12/10(日)

・『世界文学全集65 マルロー 征服者/王道』(集英社 1969.6)

・川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(河出書房新社 2021.9)

を買った。

 

 

 

12/11(月)

リンダル・ゴードン『ヴァージニア・ウルフ  作家の一生』(森静子訳 平凡社 1998.3)を買った。

 

 

 

12/12(火)

通所203日目。

 

 


12/12(火)

すでに境界線を引いた事柄にも、ずっと境界線を引きつづける必要がある。だがそれは絶望的な行為だ。世界中のすべてが互いに触れ合っているからだ。始まりはけっして消え去ることはない​───たとえ終わりが来たとしても。

(ハリー・ムリシュ『襲撃』長山さき訳 河出書房新社 p105)


人はどうすればこれほどまでに虚偽の中で生きられるのだろう?愛がそうさせるのだ。呆れるほどの愛が。

(p124)


記憶は永遠に消え去り、もはや世界のどこにも存在しない。

(p190)


世界は地獄だ、と彼は思った。地獄なのだ。たとえ明日、地上に天国が創られたとしても、過去に起こったすべてのことによって、天国であることはできないだろう。もはや二度と償いはできないのだ。宇宙における人類の営みは失敗したのだ。大いなるしくじり。人類は誕生しない方がよかっただろう。人類がもはや存在せず、あらゆる人のいまわの叫びの記憶もなくなってこそ、ようやく世界は再び秩序を取り戻すだろう。

(p198)

 

 

 

12/13(水)

通所204日目。

 

 

 

12/14(木)

通所205日目。

 

 

 

12/15(金)

通所206日目。

 

 


12/15(金)

立原道造詩集』(中村真一郎新潮文庫 1952.5)を買った。

 

 

 

12/16(土)

通所207日目。

 

 


12/16(土)

初めての人と会った。新宿の東南口で合流した。久々に来た新宿は少し変わっていた。土曜だからか人がいつにも増して多い気がした。方向音痴で同じ道を行ったり来たりさせてしまった。いつも人を連れていく店で一緒に、一緒のパフェを食べた。久々に食べるパフェは美味しかった。その後、古本を目的に神保町に移動した。地上に出るともう暗かった。古本屋が並んでいる通りを歩いた。初めて入るところもあった。状態が良くて安いのがいくつか手に入って嬉しかった。18時を過ぎたあたりから閉まる店が徐々に出てきて、次はもう少し余裕をもっていこうと思った。ファミレスに入って夕食を摂った。新宿に戻ってホームで見送った。また機会があれば、また、どこかで。

 

購入品
ニーチェツァラトストラかく語りき(下) 改版』(竹山道雄新潮文庫 2007.8)
福永武彦『海市』(新潮文庫 1981.10)
・『上田敏全訳詩集』(山内義雄矢野峰人岩波文庫 1962.12)
ボードレール『人工楽園』(渡邊一夫訳 角川文庫リバイバルコレクション 1955.5)
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『大理石』(澁澤龍彥・高橋たか子人文書院 1971.7)

 

 

 

12/17(日)

『エロティシズム』を読み始めた。バタイユの。

 

デスノスの『エロティシズム』も読みたい。

 

 

 

12/18(月)

ある島の可能性』を読んでいた。

 

 

 

12/19(火)

通所208日目。

 

 

 

12/20(水)

通所209日目。

 

 

 

12/21(木)

誰からも愛されている空間にぼくのかたちの穴があいてる

(上篠翔『エモーショナルきりん大全』書肆侃侃房 p55)

 

 

 

12/22(金)

通所210日目。

 

 


12/22(金)

キーツ詩集』(出口保夫訳 白凰社 1975.7)を買った。

 

 

 

12/23(土)

外に出なかった。

 

 

 

12/24(日)

堀江敏幸『その姿の消し方』(新潮文庫 2018.8)

・『燠火  マンディアルグ短編集』(生田耕作白水Uブックス 1989.7)

出口裕弘辰野隆  日仏の円形広場』(新潮社 1999.9)

を買った。

 

 

 

12/25(月)

通所211日目。

 

 


12/25(月)

J-P.サルトルユダヤ人』(安堂信也訳 岩波新書 1956.1)を買った。

 

 

 

12/26(火)

通所212日目。

 

 

 

12/27(水)

通所213日目。

 

 

 

12/28(木)

通所214日目。

 

 

 

12/29(金)

マルティン・ハイデッガーニーチェ Ⅰ  美と永遠回帰』(細谷貞雄監訳、杉田泰一・和田稔訳 平凡社ライブラリー 1997.1)

・A.ピエール・ド・マンディアルグ『オートバイ』(生田耕作白水Uブックス 1984.6)

・ヴェルコール『海の沈黙  星への歩み』(河野與一・加藤周一岩波文庫 1973.2)

古井由吉『蜩の声』(講談社 2011.10)

を買った。

 

 

 

12/30(日)

塚本邦雄を読んでいた。文庫版の全集も値が張る。

 

 

 

12/31(日)

マラルメは一八九○年二月十日にパリを発って、ベルギー各地を講演してまわった。その途中、二月十六日に、ブリュッセルのロワイヤル広場にあるレストラン「グローブ」で、雑誌『若いベルギー』𝐿𝑎 𝐽𝑒𝑢𝑛𝑒 𝐵𝑒𝑙𝑔𝑖𝑞𝑢𝑒を主宰するイヴァン・ジルカン、ヴァレール・ジル、アルベール・ジローの三人と食事をした。このときヴァレール・ジルがマラルメに一冊の本を見せたのである。それは羊皮紙を綴じたものに、マラルメがそれまで発表した詩篇のすべてを丹念に筆写したものであった。ジルは敬愛する師の作品を一篇ずつ雑誌から拾い出しては、自筆詩集を編んだのである。それはまるでユイスマンスの小説『さかしま』の主人公デ・ゼッサントが愛蔵するような美しいものであった。
感激したマラルメは、ぜひパリの友人たちに見せたいからといって借りて帰った。やがて、それがジルの手元に戻ってきたときには、ジルに献じた次のような一節を含む詩句が、マラルメの手で書き加えられていたのである。

わが幻影の美しい紙片は
墓と経帷子をひとつにして
不死にうち震えている
これはただ一人のために広げられる書物。

(柏原康夫『生成するマラルメ青土社 p10)

 


ジル、あるいはマラルメと同じことがしたい。

 

 

 

今年も惰性で生きてしまった。来年もまた本ばかり読んで、拙い詩を書きまくるのだろう。

 

 

 

気にかけてくれる人、ここまで読んでくれた人、ありがとう。

 

 

 

またいつか。

日記 8/1-10/31

8/1(火)

通所146日目。

 

 

 

8/2(水)

通所147日目。

 

 


8/2(水)

金井美恵子『タマや』(河出文庫 1999.6)を買った。

 

 

 

8/3(木)

病院。

 

 

 

8/4(金)

通所148日目。

 

 


8/4(金)

神は目を閉じた。誰かに祈ることさえできたなら。

(ロン・カリー・ジュニア『神は死んだ』藤井光訳 白水社 p33)


懐かしく思って泣いてしまいそうなものなど、一つも思いつかなかった。

(p40)


衝動があって、行動がある。それだけなんだ

(p67)


崇拝の対象になることは排除の最たるものなのかもしれない、などとは思いもよらなかった。

(p147)


僕と話をする数少ない人たちは、何か間違ったことを言うわけにはいかない、とでもいうように、本当に慎重に言葉を選ぶ。正しい言葉なんて存在しないことは、どうやらわかっていない。

(p188-189)


何かが十分に、さも確証ありげに繰り返されれば、それが真実かどうかは重要ではなくなってしまうようだ。それが真実になってしまう。

(p194)

 

 

 

8/5(土)

昨日書いた詩を読み返していた

 

 

 

8/6(日)

何を読む気にもなれず塞ぎ込んでいた

 

 

 

8/7(月)

小間使いの娘は吐息した、〈あたしの血は
みんなけものなの、あの娘は飼猫のように
蹲っていると  みんな思っているけど、
あちこちの暗い森の中を歩いていたの……
ああ  この血が死んでくれたなら!〉

(イーディス・シットウェル「暗い歌」)


何もかも狂っているわ  揺り籠から墓場まで​───

(イーディス・シットウェル「白い梟」)

 

 

 

8/8(火)

通所149日目。

 

 

 

8/9(水)

通所150日目。

 

 

 

8/10(木)

・シュニッツラー『夢小説  闇への逃走  他一篇』(池内紀武村知子岩波文庫 1990.11)

吉行淳之介『闇のなかの祝祭』(角川文庫 1964.4)

山田登世子『娼婦  誘惑のディスクール』(日本文芸社 1991.9)

・森本穫『作家の肖像  宇野浩二川端康成阿部知二』(林道舎 2005.1)

を買った。

 

 

 

8/11(金)

通所151日目。

 

 

 

8/12(土)

まるで人間のように
私はからだじゅうに皮膚をまとって今日も一日をやりすごす
むきだしの魂が誰かを傷つけてしまわぬように

(服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』書肆山田 p45)


敵の手に渡すくらいなら、破壊してしまえ。

(ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』浅井晶子訳 白水社 p18)

 

 

 

8/13(日)

いつもうっすらと疲れている。

 

 

 

8/14(月)

川野芽生の新刊を見つけた

 

 

 

8/15(火)

通所152日目。

 

 

 

8/16(水)

通所153日目。

 

 

 

8/17(木)

ベケットとベルンハルトを借りた。

 

 

 

8/18(金)

通所154日目。

 

 

 

8/19(土)

私はまるで他人だった。

(サミュエル・ベケット『モロイ』宇野邦一河出書房新社 p30)


おれには追憶するすべも、追憶するべきものも無かった。

(朱天文『荒人手記』池上貞子訳 国書刊行会 p16)


もっとも美しいときに死ぬのが桜の哲学で、あまりにもかっこよすぎる。

(p25)


おれはすでに日没を見てしまったのに、人々はまだ日の出を期待している。

(p26)


書くことによって、忘却をくいとめる。

(p43)


おれは書くしかない。倦むことなく綿々と書き続けることによって、ひとつずつ傷口をえぐり、罪科に鞭打つ。そして痛みの鎖でもってしっかりと記憶につなぎとめ、どこかに消えてしまわないようにするのだ。

(p44)

 

 

 

8/20(日)

『暗黒のメルヘン』(澁澤龍彥編 河出文庫 1998.7)を買った。

 

 

 

8/21(月)

何を書けばいいのだろう。いまさら何を?

 

 

 

8/22(火)

通所155日目。

 

 

 

8/23(水)

通所156日目。

 

 


8/23(水)

黄昏は、ひとが思っているほどには気持ちを軽くはしてくれず、それはむしろ重く、ほとんど耐えがたかった。

(トーマス・ベルンハルト『破滅者』岩下眞好訳 みすず書房 p15)


もはや私は、すべてが不断にしかも不快なかたちで美化されてゆくような世界の中で、社会の中で、美化されるべきものなどなにもないのに、自分じしんに噓をついてなにかを美化しようなどというつもりはないのだ。

(p107-108)


どこに到達するのであれ、到着すれば私は不幸なのだ。私は、基本的にこの世のどこにも我慢ができず出てゆく場所と向かう場所という二つの場所のあいだでだけ幸福な人間の一人である。

(p119)


あれは、ほとんどひっきりなしに、自己憐憫のために死んでいるんだ。

(p197)


外面か内面か、あるいは外面と内面がぼろぼろ。そうでない人はいない、と私は思った。ひとりの人間を長くながめればながめるほど、私たちには、その人間がぼろぼろに見えてくる。私たちが認めようとしている以上にぼろぼろだからそうなるのである。だが、実際はそのとおりなのだ。世界は、ぼろぼろの人間に溢れている。

(p200)


私は、この現実をおしまいにしてしまわなければならない。

(p201)


親たちというものは、自分たちの存在そのものである不幸が子供たちにも引き継がれてゆくことを充分に承知していながら、無慈悲にも子供をつくるという挙に出て、子供たちを実存の機械の中へと投げ込んでゆく、と、そう彼は言っていたっけ、とその旅館の食堂を見わたしながら私は思った。

(p215)


ずっと以前から、あらかじめ計算していた自殺、と私は思った。それはけっして絶望からのとっさの行為ではなかった。

(p226)

 

 

 

8/24(木)

意思がない

 

 

 

8/25(金)

通所157日目。

 

 

 

8/26(土)

苦しい

 

 

 

8/27(日)

嫌い

 

 

 

8/28(月)

集英社ギャラリー  [世界の文学]9  フランスIV』(集英社 1990.7)を買った。

 

 

 

8/29(火)

通所158日目。

 

 


8/29(火)

集英社ギャラリー  [世界の文学]19 ラテンアメリカ』(集英社 1990.2)を買った。


しかし、私はしばしば自分が知らぬ間にこんな祈りを捧げていることに気づいた。それは単純に〈彼女はここにいる、まだここにいる〉という祈りだ。

(ジョージ・ソーンダーズ『リンカーンとさまよえる霊魂たち』上岡伸雄訳 河出書房新社 p10)

 

 

 

8/30(水)

通所159日目。

 

 

 

8/31(木)

思い出は思い出されたくなかった

 

 

 

9/1(金)

通所160日目。

 

 


9/1(金)

集英社ギャラリー  [世界の文学]12 ドイツⅢ』(集英社 1989.12)

を買った。

 

 

 

9/2(土)

詩を、書く

 

 

 

9/3(日)

詩を書いた

 

 

 

9/4(月)

アレン・カーズワイル2冊

 

 

 

9/5(火)

通所161日目。

 

 


9/5(火)

記憶とはなんて残忍なものだろう!

(フアン・ビジョーロ『証人』山辺弦訳 水声社 p36)


物語は語られないことによって力強さを獲得していた。

(p55)


過去へ戻る時には、選び出された特定の苦悩へと戻っていくのが彼の常で、それはまるで哀しみそのものよりも、その記憶を失うほうが最悪な哀しみであるかのようだった。

(p55)

 

 

 

9/6(水)

通所162日目。

 

 

 

9/7(木)

ジョン・ダニング『死の蔵書』(宮脇孝雄訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 1996.2)を買った。

 

 

 

9/8(金)

そして彼らは、それぞれの物語を繰り出してやまない。あたかも、語ることが、生き残ったことの証でもあるかのように。

(アーノルド・ゼイブル『カフェ・シェヘラザード』菅野賢治訳 共和国 p49)

 

 

 

9/9(土)

ぼくよりも寛容な人間というのは基本的に存在しないだろう。どんな意見にも、それを弁護できる理由がある。ぼく自身があいまいな意見を持っているわけではないけれど、ぼくとまったく対照的な環境で育った人が、対照的な意見を持つようになるってことは理解できるのだ。

(スタンダール、ある記事の草稿より、一八三二年)

 

 

 

9/10(日)

目を逸らす先がない

 

 

 

9/11(月)

また一つ歳を重ねた。

 

 


9/11(月)

集英社ギャラリー  [世界の文学]15 ロシアⅢ』(集英社 1990.10)を買った。

 

 

 

9/12(火)

通所163日目。

 

 


9/12(火)

書いたものというのはすべて、長い時間ねかせておいて冒頭から何度も繰り返して検討しなおしていると、当然のことながら我慢のならないものに思えてき、それを無しにしてしまうまで落ち着きが得られないものだ、と私は思った。

(トーマス・ベルンハルト『破滅者』岩下眞好訳 みすず書房 p254)


たしかに彼は自分の不幸の中で不幸ではあったが、もし一夜にして自分の不幸を失ってしまうようなことがあったとしたら、もし一瞬のうちに不幸を取り上げられてしまったとしたら、もっと不幸だったことだろう。これはいっぽうで、彼が根本的にはまったく不幸ではなく、むしろ幸せだったことの証明となる。それが彼の不幸によって、また不幸とともに、もたらされたものであるにしてもだ、と私は思った。

(p291)


もしかすると私たちは、いわゆる不幸な人間などまったく存在しないということから出発しなくてはいけないのかもしれない、と私は思った。というのも、私たちは、たいていの場合、他人から彼らの不幸を取り上げることによって、はじめてその人を不幸にするものだからだ。

(p292)


世間というものがいつのまにか、そして思うにまったく自然なことながら一夜にして、自分には完全にどうでもよいものとなってしまっていたのだった。

(p295)


私たちは理論では人間を理解できるが、実際には人間というものが我慢ならない、と私は思った。彼らとたいていは不承不承付き合うだけで、自分のほうから見た見方で対応している。だが私たちは人間を、自分のほうから見た見方で見るべきではなく、あらゆる視角から眺め、対応しなければいけない、と私は思った。つまり彼らと、いわばまったく先入観にとらわれていない仕方で付き合っていると言えるような、そんな仕方で付き合うべきなのだ。だがそんなことはできない。私たちは実際のところ誰に対しても先入観にとらわれてばかりいるからだ。

(p326)


陪審員たちというものは、いつもそのときの気分にしたがって評決を出すというばかりではなく、さらに自分となんら変わらぬ人たちへの抑えがたい憎悪というものをもっていて、自分たちが罪のない人たちに対して取り返しようもない犯罪行為を犯してしまったということが早々にわかっていたとしても、そうした誤った判断と自分じしんとを、あっという間にもうよしとばかりに許してしまうのだ。陪審員たちによるすべての評決の半分が、言わせてもらえば誤った判断に基づいている、と私は思った。

(p328-329)


精神的な生産に従事している人たちは、自分はこれをたいしたこととは思っていないといつも口では言うが、じつは反対にたいへん大切に思っているのであり、ただそれを口に出さないだけなのである。彼らは、そうした彼らの言うところの勝手な思い込みを恥じているからで、少なくとも人前で恥じないですむようにと自分の仕事をこきおろすのだ。

(p349)


私たちはひとつの言葉を口にして、ひとりの人間を滅ぼす。この滅ぼされた人間のほうは、彼を滅ぼす言葉を私たちが発したその瞬間には、その致命的な事態についてさとりはしない、と私は思った。致命的な概念であるそうした致命的な言葉に直面させられたそうした人は、当の言葉とその概念がもつ致命的な作用につゆほども気づかない、と私は思った。

(p351)

 

 

 

9/13(水)

通所164日目。

 

 

 

9/14(木)

『破滅者』を読み終えた。

 

 

 

9/15(金)

通所165日目。

 

 


9/15(金)

集英社ギャラリー  [世界の文学]17 アメリカⅡ』(集英社 1989.10)を買った。

 

 

 

9/16(土)

ある晴れた日の朝、ぼくの姿が見つからない、それだけでよいのだ。

(パヴェーゼ『月と篝火』河島英昭訳 岩波文庫 p32)


それにしてもどこへ行くのか?この世のはずれの、最後の岸にまで、ぼくは来てしまった。もうたくさんだった。そのときからぼくは思いはじめた、またあの山々を越えてゆくだろう、と。

(p32)

 

 

 

9/17(日)

ポール・オースター『最後の物たちの国で』(柴田元幸白水Uブックス 1999.7)

アンドレ・マルロー『征服者(改版)』(小松清訳 新潮文庫 1969.11)

皆川博子『猫舌男爵』(ハヤカワ文庫JA 2014.11)

を買った。

 

 

 

9/18(月)

続きが書けない 、でも書く必要があるのか?

 

 

 

9/19(火)

渋谷と池袋に行ってきた。

・L.v.S=マゾッホ『魂を漁る女』(藤川芳朗訳 中公文庫 2005.4)

・ロブ=グリエ『覗くひと』(望月芳郎訳 講談社文芸文庫 1999.3)

・ロブ=グリエ『迷路のなかで』(平岡篤頼講談社文芸文庫 1998.2)

ピエール・クロソウスキー『ロベルトは今夜』(遠藤周作、若林真訳 河出書房新社 1960.5)

福永武彦『異邦の薫り』(新潮社 1979.4)

を買った。

 

 

 

9/20(水)

通所166日目。

 

 

 

9/21(木)

人と会ってきた

 

 

 

9/22(金)

通所167日目。

 

 

 

9/23(土)

通所168日目。

 

 

 

9/24(日)

ヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』(高野優訳 光文社古典新訳文庫 2018.9)

辻邦生『黄金の時刻の滴り』(講談社 1993.11)

を買った。

 

 

 

9/25(月)

眼を閉じて愛するのは盲として愛することだ。眼を開いて愛するのは、おそらく狂人として愛することだ。狂おしいまでに受け容れることだ。私は狂女としてあなたを愛する。

(マルグリット・ユルスナール『火  散文詩風短篇集  新装復刊』多田智満子訳 白水社 p61)


私が生きることをのぞみ給う神はあなたにもはや私を愛さぬよう命じ給うた。私は幸福にはよく耐えられない。そんな習慣が欠けているのだ。あなたの腕の中では私は死ぬことしかできなかった。

(p62)


あのお方は私を幸福から救い出したのでした。

(p103)


あなたに逢うと、すべてが澄みきってくる。私は苦しむことを受け容れる。

(p105)


野望はひとつの囮にすぎぬ。叡智はまちがっていた。悪徳それ自体が噓偽だった。美徳もなく、憐憫もなく、愛もなく、羞恥もなく、それらに対立する強力な悪徳もなく、ただ在るものといっては、苦悩でもあるところの歓喜の頂点で踊っている空っぽの貝殻、形象の嵐の中の美の閃光ばかりなのだ。

(p128)

 

 

 

9/26(火)

通所168日目。

 

 


9/26(火)

集英社ギャラリー  [世界の文学]5 イギリスIV』(集英社 1990.1)を買った。


僕ら自身の思い出し方によって、かつては現実だと思われていたことがフィクションへと変貌してしまう。

(キルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』金子奈美訳 白水社 p43)


空想は現実に基づいているのだと言われるが、物語の法則は、真実の一面だけを語ることだ。これは必然で、そうでなければ物語は機能しない。

(p48)


その他はすべて、人々の空想だ。

(p48)


きっと答えはノーだろう。でも、僕はそれでもかまわない。本当であろうが噓であろうが、一番大事なのは物語そのものなのだから。

(p66)


「あなたを赦します、それだけを言いに来ました。赦すことが私にとっての復讐です」

(p120)

 

 

 

9/27(水)

通所169日目。

 

 

 

9/28(木)

本を読んでいた。読み終わった

 

 

 

9/29(金)

通所170日目。

 

 


9/29(金)

・ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち(新装新版)』(黒田寿郎、奴田原睦明訳 河出書房新社 2009.2)

・『集英社ギャラリー  [世界の文学]20 中国・アジア・アフリカ』(集英社 1991.6)

を買った。

 

 

 

9/30(土)

生き延びた

 

 

 

10/1(日)

賀淑芳『アミナ』を読んでいる。

 

 

 

10/2(月)

つまりね、人間ってのは、たいてい自分がある場所で足場を得ると、"それじゃあ、どうする?"って将来のことを考えはじめるもんでしょう。何がいまわしいかって、自分に"それじゃあ"っていう先のことが、からっきし与えられてねえってことがわかったときくらい、無惨なことはねえですよ。気が狂うんじゃないかと思うくらい、うちのめされちまいますよ。そのときその人間の口からは、ほとんど聞きとれぬくらいの声の独り言がもれてくるんですよ。
"これで生きてるっていえるか?これなら、死んだ方がましだ"
それから何日かたつと、その声は大声に変ってわめきはじめるんですよ。
"これでも生きてるっていえるのか?死んだ方がまだましだ"
このわめき声は、旦那さん、感染していくんですよ、そして皆が一斉にわめくんです。
"これで生きてるっていえるか、死んだほうがまだましだ"ってね。

(ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち(新装新版)』黒田寿郎、奴田原睦明訳 河出書房新社 p168)


われわれが人間を問題にする時、血とか肉とか身分証明書とか、パスポートは関係がない。あなたは、それがわかりますか?

(p247)


「私の妻は、われわれが卑怯であったことが、あなたが現在かく在ることへの権利を与えることになるかと尋ねているのです。(後略)
しかし、いつになったらあなた方は、他人の弱さ、他人の過ちを自分の立場を有利にするための口実に使うことをやめるのでしょうか。そのような言葉は言い古され、もうすりきれてしまいました。そのような虚偽でいっぱいの計算ずくの正当化は……。ある時は、われわれの誤りはあなた方の誤りを正当化するとあなた方は言い、ある時は、不正は他の不正では是正されないと言います。あなた方は前者の論理をここでのあなた方の存在を正当化するために使い、後者の論理をあなた方が受けねばならぬ罰を回避するために使っています。私にはあなた方が、この奇妙な論理の遊戯を最大限にもてあそんでいるように見えます。あなた方は新たに、われわれの弱さを駿馬にしたててその背に乗ろうとしている。
(前略)私はあなたがいつかこれらのことを理解してくれることと思いますが、その人間が誰であろうと人間の犯し得る罪の中で最も大きな罪は、たとえ瞬時といえども、他人の弱さや過ちが彼等の犠牲によって自分の存在の権利を構成し、自分の間違いと自分の罪とを正当化すると考えることなのです」

(p251-252)

 

 

 

10/3(火)

通所171日目。

 

 

 

10/4(水)

通所172日目。

 

 

 

10/5(木)

通所173日目。

 

 


10/5(木)

大島博光『愛と革命の詩人ネルーダ』(国民文庫 1974.6)を買った。

 

 

 

10/6(金)

通所174日目。

 

 


10/6(金)

後ろに人がいなければ、列に価値はない。

(中村文則『列』講談社 p24)


人の数が少なければ、倫理も薄くなる。

(p79)


私は、どこまでが私なのだろう。

(p90)


記憶には、思い出すと惨めになるタイミングがある。

(p102)


私を必要としない世界を、なぜ私が必要としなければならないのだろう。

(p119)

 

 

 

10/7(土)

ひょっとしたら、我々はたいして人の生を愛してなんかいないんじゃないか?

(カミュ『転落』前山悠訳 光文社古典新訳文庫 p46)


理想に殉ずる自殺者はね、あなた、忘却されるか、嘲笑されるか、利用されるか、そのどれかです。理解されることなど決してない。

(p97)


何がなんでも真実を求めようとする情熱は、何も許さず何にも逆らわせないただの悪徳であり、時として自己満足、あるいはエゴイズムでしかありません。

(p105)


ねえ、昔知人に聞いたんですがね、人間というのは三種類に分けられるそうです。噓をつくくらいなら何も隠さない方を好む人間、何も隠さないでいるより噓をつく方を好む人間、そして虚偽と秘密を同時に愛する人間。わたしに最も当てはまる系統はどれか、ご判断はあなたにお任せします。

(p148)


しかしご安心を!もう遅すぎるんです、今となっては、そしてこれからもずっと手遅れのままです。幸いなことに!

(p181)

 

 


10/7(土)

堀田善衞『スペインの沈黙』(ちくま文庫 1986.9)を買った。

 

 

 

10/8(日)

なにくそ、という言葉が昔から嫌いだった。はじめて聞いた時から嫌いだった。なぜだろうか。憎悪は前進のためのエネルギーに昇華しろ、というようなメッセージに生理的嫌悪があるのだろうか。何はともあれ、それが口癖の人間と関わり合いになりたくはないと思っている。その一人が、まあ、親だったのだけど。

 

 

 

10/9(月)

通所175日目。

 

 


10/9(月)

───俺は死んだっていいさ、お前が生きてるもん。

(小川国夫「石の夢」)

 

 

 

10/10(火)

通所176日目。

 

 

 

10/11(水)

通所177日目。

 

 


10/11(水)

ウィリアム・ブレイク『無心の歌、有心の歌  ブレイク詩集』(寿岳文章訳 角川文庫 1999.1)

ニーチェ『若き人々への言葉』(原田義人訳 角川文庫 1954.12)

大江健三郎『静かな生活』(講談社 1990.10)

日野啓三『落葉  神の小さな庭で  短篇集』(集英社 2002.5)

を買った。

 

 

 

10/12(木)

開高健ロマネ・コンティ・一九三五年』(文春文庫 1981.7)を買った。

 

 

 

10/13(金)

通所178日目。

 

 

 

10/14(土)

堀田善衞『バルセローナにて』(集英社文庫 1994.10)を買った。

 

 


10/14(土)

私たちは自分がもう死んでいると考えている、すると彼らに出会い、彼らが救ってくれる、しかし私たちは彼らが救ってくれたことに恩を感じず、逆に彼らを呪い、そのことで彼らを憎み、自分を救ってくれたことへの憎しみを一生涯彼らに浴びせつづける。

(トーマス・ベルンハルト『樵る  激情』初見基河出書房新社 p129)

 

 

 

10/15(日)

つまらない詩が読みたい

いつか美しくなるかもしれないから

 

 

 

10/16(月)

燃え狂へ、燃え狂へ、
燃え狂へ、太陽よ!
狂ひつつ、われらを搖すれ、
そのために遂󠄂にわれらが
永遠の靜けさを豫感するまで!

(ハンス・カロッサ「太陽にささげる歌」片山敏彥訳)


氣を張りながらも疲れてゐるお前󠄁の微笑を、
早や秋めいて何となく寂しいお前󠄁の口を忘れてゐた。
私の見る夢さへもお前󠄁を忘れてゐた。

(ハンス・カロッサ「邂逅」片山敏彥訳)


私はひとりぼつちだ。霧が動く風の中に
晝間が點した光の火が消󠄁える。
木の葉が枝から離れて飛びたがつてゐるのが感じられる。

(ハンス・カロッサ「眺望」片山敏彥訳)


​──今君は、私にこの日まで意味の知られてゐない言葉を使ふ。

(シャルル・ボードレール「異国人」三好達治訳)


際限というものを一切認めない放埒の精神は、自然や社会の慣習が大事に保護すべきものを、強いて汚穢の泥にまみれさせれば、それだけ奇妙に燃えあがるのであった。

(マルキ・ド・サド『ソドム百二十日』澁澤龍彥訳)

 

 

 

10/17(火)

通所179日目。

 

 

 

10/18(水)

通所180日目。

 

 

 

10/19(木)

想像力の欠けた人間が犯した事件が、われわれの想像力を刺激してしまう。

(ロジェ・グルニエ『書物の宮殿』宮下志朗岩波書店 p20)


待機する愛が、愛の成就よりも大きな喜びをもたらすのだ。

(p34)


自分は待たれていると、それほど自信をもてるのだろうか?愛されざる者の夢にすぎないというのに。

(p38)


死なるものは、待つことが理にかなったこと、あるいは望ましい唯一のことであるのに、われわれはそれを待とうとはしない。

(p41)


宗教の道具のひとつとなったおかげで、おそらくは、待つこと自体が宗教となったのだ。われわれは待つことのために神殿という待合室を捧げたではないか。それは、未知の神ではなしに、無に対して捧げられた奇妙な礼拝の場所である。

(p42)


自殺とは、ひとつの断崖であり、その人はその断崖沿いを歩いている。

(p52)


われわれは同時に、白であり黒であることはできない。しかしながら、白であって、それから黒になることはできる。時間とは驚きであり、否認なのである。自我の時間性が、精神の自由の根拠をなしている。

(p61)


もっともラジカルかつ残酷な矛盾とは、忘却にほかならない。

(p63)


文体の美しさに満足しているような絶望は、いささかも絶望ではない。

(p67)


沈黙は、いかなる発話よりも、いかなる書かれたものよりも、破壊的な力をはらんでいる。

(p67)

 

 

 

10/19(木)

サルトル『悪魔と神』(生島遼一新潮文庫 1971.12)を買った。

 

 

 

10/20(金)

通所181日目。

 

 


10/20(金)

その声がわたしに穴をあけにくる数えきれないうつくしい穴

(大森静佳『ヘクタール』文藝春秋 p13)


感情を根絶やしにせよみずうみと砂のまじわるところに触れて

(p34)


わたしには言葉がある、と思わねば踏めない橋が秋にはあった

(p42)


ちからとは甘い苦さとおもうのにねじ伏せられて雲が低いよ

(p53)


横顔というのは生者にしかなくて金木犀のふりかかる場所

(p62)


産めば歌も変わるよと言いしひとびとをわれはゆるさず陶器のごとく

(p78)


生きていて  愛の途中のどこだっておまえが海とおもうなら海

(p105)


死がいちばんつよいなどという考えがわたしを殺すまでの青空

(p126)


祈りたいことと祈るべきこととありどちらも祈ってはならぬこと

(p202)

 

 

 

10/21(土)

通所182日目。

 

 


10/21(土)

「じゃあ、きみが話しているとき、話しているのがきみではないといいね。」

(モーリス・ブランショ『待つこと  忘れること』平井照敏思潮社 p14)


なにかをまつことの拒絶という期待。

(p19)


あたかも苦しみが思考を空間としてもっているかのように。

(p23)


あきらかに彼女は、自分のはなしたすべてのことを、自分自身の存在によっては保証しないようにと努めていた。自分のはなしていることの背後に存在しないこと、ことばに生命も熱度もあたえぬこと、自分からとおくはなれたところで、だが、もっとも大きな熱情、すなわち熱度も生命もない熱情をこめてはなしをすること、もしも以上のことが可能なら、そのときこそ、現にいまはなしていたのはまさしく彼女なのだ。

(p35)


「あなたの中にある、無感動で無感覚なものだけで、わたしを愛してくださったら。」

(p38)


期待は、もうまつべきことがなにひとつなくなり、期待の目的さえなくなったときはじまるのだ。期待は自分のまっているものを知らないし、それをこわすものなのだ。期待はなにもまたない。

(p51-52)


死者たちは死にかけているものたちをよみがえらせていた。

(p58)


期待の腐敗、倦怠。よどんでいる期待。はじめは自らを対象とおもい、期待自身にたいする追従、ついには自分自身にたいする憎悪とおもうにいたった期待。期待、期待のしずかな苦悩。思考が期待のなかに現存しているしずかなひろがりとなった期待。

(p60)


きみがどんなにはるかなことまで忘れることができるとしても、忘却の限界をみいだすことはないだろう。

(p70)


「きみがことわるたびごとに、きみはさけられぬものをことわっているのだ。」​──「不可能なものを。」​──「きみは不可能なものをさけられぬものにしているのだ。」

(p87)


「まだその一刹那はあるのでしょうか。」──「思い出と忘却のあいだにある刹那。」​──「みじかい刹那。」​──「おわることのない刹那。」──「思い出されもせず、忘れられもせず。」──「わたしたちが忘却によって思いだしている。」
「忘れることのこの喜びはなぜでしょう。」──「忘れられた喜びそのもの。」

(p89)


この苦しみ、このおそれはなにか。この光はなにか。光のなかでの光の忘却。

(p90)


ずっとあとで、かれはおだやかに、用心ぶかく、すでにすっかり忘れ去ってしまっているという可能性にむかいあって、目ざめた。

(p92)


かれらは自分らが死ぬこともできるという考えを、失われたもののようにしていだいていた。そこから、絶望した平静さ、たえきれぬ日が生ずる。

(p100)


「苦しんでいますか。」​──「いいえ、苦しんではおりません。ただ、あたしのうしろには、あたしが苦しんでいないという苦しみがあるだけですわ。」

(p166)

 

 

 

10/22(日)

忘れないために書いていたはずが、書けば書くほど忘却に寄与していたのだった。

 

 

 

10/23(月)

罪によってうまれ
憎悪と欺瞞と屈辱によって生活し
暗い夜明けのうちに倒れなければならぬ

(『鮎川信夫全詩集1945-1967』荒地出版社 p22-23)


あなたは愛を持たなかった、
あなたは真理を持たなかった、
あなたは持たざる一切のものを求めて、
持てる一切のものを失った。

(p38)


ながいあいだこの曠野を夢みてきた  それは
絶望も希望も住む場所をもたぬところ

(p123)


......開くこともなく錆びてしまった鉄の門
ぼくの記憶は思いがけない不幸のシークェンスで翳ってくる

(p165)


思うことは呪いになる
人はみなちりぢりになる

(p173)


絶望も希望も必要でない
きみが求めているものは善悪でない何ものか
光と影で区分できない何ものかであろう

(p204)


すべて記憶に鍵をあずけている人々よ
鍵は僕が失敬した  そしてもう決して返しはしない

(p247)


「また明日会いましょう  もしも明日があるのなら」

(p249)


疲れと沈黙の瀑布が
ゆっくりと存在を閉ざす

(p251-252)


失ったものへの愛のほかに
失うものはもうないから

(p271)


他者への絶望が
わずかに自己への希望でしかない日......

(p293)

 

君を恍惚たらしめた狂氣によつて語れ。

(アンドレ・ブルトン、ポオル・エリュアァル『童貞女受胎』ボン書店 p72)


純粹なものを地獄に墜とせ。純粹さは君のうちに呪はれてある。

(p80)

 

 

 

10/24(火)

通所182日目。

 

 


10/24(火)

過去の光景を集めれば集めるほど、と私は話した、過去がそのように起こったのだとは信じられなくなってくる、なぜなら過去はどれひとつとしてまともだと言えるものがない、たいがいが荒唐無𥡴で、荒唐無𥡴でないなら、身も凍りつくことばかりだからだ。

(W・G・ゼーバルト『目眩まし』鈴木仁子訳 白水社 p171)


信仰と信仰でないものという二項の対立からまったくかけ離れたところで、さらにいえば、人間と人間にあらざるもの、人為と自然という対立とも無縁なところで、摩滅という現象そのものについて思考を続けていくことは、はたして可能なのだろうか。

(四方田犬彦『摩滅の賦』筑摩書房 p23)

 

 

 

10/25(水)

通所183日目。

 

 


10/25(水)

詩人の愛は、無数の、しかももろい根を生やしているんだ。

(J・シュペルヴィエル『日曜日の青年』嶋岡晨訳 思潮社 p117)

 

 

 

10/26(木)

見えぬものは見えないままにそのひとの海の暗さを告げられている

(大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房 p117)


受刑者に人権などは存在しない、刑務所は懲しめの場であり、苦痛を与え、二度と再び犯罪をおかさぬよう威嚇する場である、という明治以来の素朴な応報的差別感情からは、受刑者の人権保障を基調とする現憲法にふさわしい監獄法の全面改正が積極的に発意・支持される余地は全くないからである。

(『監獄と人権』日本弁護士連合会編、日本評論社、1977.9、4頁)


「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」(憲一一条)。受刑者にも憲法があり、人権がある。
受刑者は、刑罰として自由を制限される以外の点においては、一般市民と同様でなければならず、これを超えて基本的人権の享受を妨げられることはない。すなわち受刑者も自由刑の執行の目的に矛盾しない限り、一般国民と同様に基本的人権を有していること、そして拘禁中の被疑者・被告人については罪証隠滅・逃亡の防止のために拘禁されているのであって、この目的以外の市民的自由の制約は受けないことが広く国民共通の認識とならなければならない。
このことが監獄の中の人権を考え、監獄法の全面改正を考える出発点であり、前提である。その上で、自由刑の内容として、いかなる拘禁が人に値するものとして許容されるのか、あるいは受刑者の社会復帰のために国・施設はどのような処遇を用意するべきなのかが、再検討されなければならない。

(同上、4頁)

 

 

 

10/27(金)

通所184日目。

 

 


10/27(金)

その悲しみには言葉がなく、その後の生に関する意識を欠いていて、そのために慰めようがなかった。

(アンドレイ・プラトーノフ『チェヴェングール』工藤順・石井優貴訳、作品社、2022.6、13頁)

 

 

 

10/28(土)

島崎藤村『春  改版』(新潮文庫 1968.10)

・『左川ちか詩集』(岩波文庫 2023.9)

を買った。

 

 


10/28(土)

何度でも立ち尽くしたいありとある花を欲する花瓶のように

(榊原紘『koro』書肆侃侃房、2023.8、82頁)

 

 

 

10/29(日)

高橋たか子高橋和巳の思い出』(構想社 1977.1)

松浦寿輝『不可能』(講談社 2011.6)

デカルト『改訳 方法序説』(小場瀬卓三訳 角川文庫 1963.11)

カミュ『転落・追放と王国』(佐藤朔、窪田啓作訳 新潮文庫 1968.10)

・トマス・ブルフィンチギリシアローマ神話』(大久保博訳 角川文庫 1970.12)

・『フランス短篇傑作選』(山田稔編訳 岩波文庫 1991.1)

高橋洋一ジャン・コクトー  幻視芸術の魔術師』(講談社現代新書1995.10)

小林標ラテン語の世界  ローマが残した無限の遺産』(中公新書 2006.2)

倉橋由美子パルタイ紅葉狩り 倉橋由美子短篇小説集』(講談社文芸文庫 2002.11)

を買った。

 

 

 

10/30(月)

いま記憶の痛みをほどけずに
それでも  一度でいいから
生きるのはよした方がいい  と言いたまえ

(清田政信『渚に立つ  沖縄・私領域からの衝迫』共和国、2018.8、17頁)

 

 

 

10/31(火)

通所185日目。

 

 

 

10/31(火)

共感したから引用するのではない。日を置いて読み返すとやはり共感できない、なんてことはざらにあるから。共感ではなく、ただ印象に残ったから引用している。印象に残ったからというか、検討するために。何度も、検討するために。

日記 7/1-7/31

7/1(土)

久坂葉子『ドミノのお告げ』(勉誠出版 2003.2)を買った。

 

 

 

7/2(日)

はじめて会う人と高円寺、それから中野に行った。

 

 


7/2(日)

古井由吉『聖耳』(講談社 2000.9)

古井由吉『仮往生伝試文』(河出書房新社 1989.9)

ニーチェ『偶像の薄明』(秋山英夫訳 角川文庫リバイバルコレクション 1951.6)

ヘミングウェイ『われらの時代に』(宮本陽吉訳 福武文庫 1988.1)

を買った。

 

 

 

7/3(月)

病院にいった。

 

 

 

7/3(月)

ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』(角川文庫 2006.11)を買った。

 

 

 

7/4(火)

通所130日目。

 

 

 

7/5(水)

通所131日目。

 

 

 

7/6(木)

虐殺領域の区域は、マイダネク収容所において、ドイツ人によって𝑅𝑜𝑠𝑒𝑛𝑔𝑎𝑟𝑡𝑒𝑛あるいは𝑅𝑜𝑠𝑒𝑛𝑓𝑒𝑙𝑑(「バラの庭園」、「バラの野原」)と名付けられたことが知られている。そこには明らかに一輪の花も咲かなかったのだが、しかしそこで死んだ人々が、ときには〈バラ(𝑅𝑜𝑠𝑒𝑛)〉と呼ばれていたのである。

(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『場所、それでもなお』江澤健一郎訳 月曜社 p28)

 


むしろ、「これは想像を絶している、だから私は、それでもなおそれを想像しなければならない」と言うべきだろう。

(p68)

 


真実を語ることができるのは、単語によってではなく(それぞれの単語は、噓をつくことができて、すべてを意味することができるし、その反対を意味することもできる)、文章によってである。

(p80)

 


見えるものを疑うのを心得るには、さらに見ることを、それでもなお見ることを心得ねばならないのだ。

(p103)

 

 

 

7/7(金)

通所132日目。

 

 

 

7/8(土)

福永武彦『夢みる少年の昼と夜』(新潮文庫 1972.11)を買った。2冊目。

 

 

 

7/9(日)

タブッキを読んでいる。

 

 

 

7/10(月)

経験していないことを書いてはいけないのだろうか?そんなことはない。説得力がない信憑性がない、そんな非難は真に受けずにただ書けばいい。書き続ければ。書くことでしか生きられないのであれば。

作家と作品の距離は遠ければ遠いほどいいとは言わないが、その遠さに救われることもある。現に救われたことがあるから。

 

 

 

7/11(火)

通所133日目。

 

 

 

7/12(水)

通所134日目。

 

 

 

7/13(木)

通所135日目。

 

 


7/13(木)

野呂邦暢『鳥たちの河口』(集英社文庫 1978.2)を買った。


無数の光が溢れ氾濫し、相互に反映しあう、眩しさの沸点こそが闇なのだ。

(高柳誠『大地の貌、火の声/星辰の歌、血の闇』書肆山田 p122)

 


​───〈呪われた者だけが、闇を見る視力を得ることができる...。〉

(p126)

 

 

 

7/14(金)

通所136日目。

 

 

 

7/15(土)

過去を思い浮かべるときに浮かぶ像は、ただ灰一色の画面のみのこともあるが、ときにはみずから信用がならないと感じられるほど、異様にあざやかなこともある。

(W・G・ゼーバルト『目眩まし』鈴木仁子訳 白水社 p8)

 


逼塞して思いにふけっているだけでも人は死に至りうるのではないか、という気がした。

(p56)

 

 

 

7/16(日)

外に出なかった

 

 

 

7/17(月)

通所137日目。

 

 

 

7/18(火)

通所138日目。

 

 

 

7/19(水)

通所139日目。

 

 

 

7/20(木)

中野孝次ブリューゲルへの旅  新装版』(河出文庫 1993.8)を買った。

 

 


7/20(木)

故郷は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。

(パヴェーゼ『月と篝火』河島英昭訳 岩波文庫 p14)

 

 

 

7/21(金)

通所140日目。

 

 

 

7/22(土)

書き物はしだいに難渋してきた。やがてとうとう、書いたものがどれもこれも、意味もなにもない、からっぽの、欺瞞にみちた屑に過ぎない気がしてきた。

(W・G・ゼーバルト『目眩まし』鈴木仁子訳 白水社 p80)

 


唯一のなぐさめは、自分の居場所をだれも知らないということだけだ。

(p124)

 


おれたちが希望をつなぐ人間は、もう必要じゃなくなったときにしか来ないんだよ。

(p124-125)

 

 

 

7/23(日)

世界をことばによって穢すのを  これ以上許すわけには絶対にいかぬ

(高柳誠『無垢なる夏を暗殺するために』書肆山田 p121)

 

 

風に靡くこのあたりの夾竹桃のように
たくさんの言いたいことがどんどん変わってゆく
最後まで大事にしておこうと決めていた言葉さえ
もうどうでもよくなって

(新延拳『経験の定義あるいは指の痛み』書肆山田 p14)

 


倦怠という愛撫がいくら傷口を擦っても
痛みをおぼえないのだろうか

(p67)

 

 

 

7/24(月)

苦しい

 

 

 

7/25(火)

通所141日目。

 

 

 

7/26(水)

通所142日目。

 

 

 

7/27(木)

通所143日目。

 

 


7/27(木)

小川一水『老ヴォールの惑星』(ハヤカワ文庫JA 2005.8)を買った。

 

 

 

7/28(金)

通所144日目。

 

 


7/28(金)

カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹新潮文庫 1969.7)を買った。

 

 

 

7/29(土)

通所145日目。

 

 


7/29(土)

ミシェル・ビュトール『時間割』(清水徹河出文庫 2006.12)を買った。

 

 

 

7/30(日)

お前は偸んだと言われればそのとおりに、お前は殺したと言われればそのとおりに、うなだれて、記憶にはない悪行の、つぶさな所作を舞いはじめる。

(古井由吉『山躁賦』講談社文芸文庫 p37)

 

 

 

7/31(月)

「ほかのみんながいなくなったのなら、自分もこの世界から消えるはず。みんなに起こったことがわたしにだけ起こらないなんて、そんなこと、あるものですか」

(ピーター・S・ビーグル『最後のユニコーン金原瑞人訳 学研 p12)

日記 6/1-6/30

6/1(木)

私たちは人びとと親密になると、これは一生の結びつきになると考える、それが突然、一夜にしてその人びとが視界からも記憶からも消えてしまう、これは本当だ、と安楽椅子のうえで私は考えた。

(トーマス・ベルンハルト『樵る  激情』初見基河出書房新社 p56)

 

 

 

6/2(金)

通所117日目。

 

 


6/2(金)

愛の応答を求めての呼びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく、
おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。

(リルケ『ドゥイノの悲歌  改版』手塚富雄岩波文庫 p53)

 


幸福とはまぢかに迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ。

(p69)

 

 


内側へと湾曲した隘路もまた、無限に広い場所なのだ。

(ボート・シュトラウス『マルレーネの姉  二つの物語』藤井啓司訳 同学社 p25)

 

 


彼は出典のあやしいアンソロジーを編もうと計画していた。一見アフリカの民衆が語り伝えてきた民話を蒐集したように見えて、その実シャンディたちがプラハで再会したときに語った話をいかにも自分らしいやり方で書き換えたものだった。
サンドラールの人柄を知っていれば、そのような計画を立てたからといって別に驚いたりはしないだろう。というのも、彼は人が話して聞かせるストーリーに耳を傾けたりはしなかったし、逆にそうしたストーリーのなかから単語を二つ、三つ拾い上げて、それをもとに頭の中で開かれたフィクションを、つまりそのときに聞かされたものとはまったく違ったストーリーを組み立てる癖があった。

(エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』木村榮一平凡社 p90)

 


そのエネルギーは消滅したのではなく、拡散することで潜在的なものになったのだ。

(p155)

 


メランコリックな人間は死のオブセッションにとりつかれている。だからこそ誰よりもよく世界を読むことができるのだ。

(p160)

 


歴史の真の顔は一瞬のうちに通りすぎ、過去はひとつのイメージしか残さない。歴史の真の顔はわれわれが目にする瞬間に強い光を放つが、稲妻のようにきらめく非礼な態度と同じで、それを二度と目にすることはない。

(p162)

 


われわれが過去を読むことができるのは、それがすでに死んでしまっているからなのだ。

(p163)

 

 

 

6/3(土)

・塚本邦雄『夏至遺文  トレドの葵』(河出文庫 2023.6)

・『アンダスン短編集』(橋本福夫訳 新潮文庫 1976.7)

を買った。

 

 

 

6/4(日)

魂は残酷の領土
生きることは拷問であり
不治の病であり
常に聖戦を必要としている

(磯﨑寛也『キメラ/鮫鯨』芸術新聞社 p51-52)

 


救いのない暗闇も
出口の見つからない迷路も
全て天国の階段であり
愛の物語の断片だから

(p62-63)

 


君にとっての表現は
おそらく弔いなのだ
僕にとってそれが
食事であるように

(p76-77)

 

 


6/4(日)

カミュ『最初の人間』(大久保敏彦訳 新潮文庫 2012.11)を買った。

 

 

 

6/5(月)

病院にいった。

 

 


6/5(月)

西部邁『虚無の構造』(中公文庫 2013.8)

芥川龍之介『舞踏会・蜜柑』(角川文庫 1968.10)

を買った。

 

 

 

6/6(火)

通所118日目。

 

 


6/6(火)

旧約聖書  出エジプト記』(関根正雄訳 岩波文庫 1969.1)を買った。

 

 

 

6/7(水)

通所119日目。

 

 


6/7(水)

美しさは常に呪われている。

(ウィリアム・バロウズ『ゴースト』山形浩生河出書房新社 p26)

 


観察者が観察されるのを観察せよ。

(p28)

 

 


「人間はしだいに形を失い、玉になる。そして、玉になると人間はその欲望をすべて失う」

(ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳 ヴィレッジブックス p45)

 


まともに向き合ったのでは惨めな敗北しか待ち受けていない人生に振り回されないためには、道化として振舞うのが一番だったのだ。

(p156-157)

 


「何か本当に意味があって、この世界のみならず、他の世界の出来事のなりゆきでさえ変えられるようなものが、この世の中にはあるでしょうか?」

(p189)

 

 

 

6/8(木)

作家の手から放たれてしまったテキストというのは、死んでいるのかもしれませんね。

(菊地信義『装幀百花  菊地信義のデザイン』水戸部功編 講談社文芸文庫 p77)

 

 

 

6/9(金)

通所120日目。

 

 


6/9(金)

金子國義『美貌帖』(河出書房新社 2015.2)

・ピーター・マレー『ピラネージと古代ローマの壮麗』(長尾重武訳 中央公論美術出版 1990.10)

・サミュエル・ベケット『事の次第』(片山昇訳 白水社 2016.5)

を借りた。


ヘンリー・ミラー『愛と笑いの夜』(吉行淳之介訳 福武文庫 1987.5)

梶井基次郎城のある町にて』(角川文庫 1951.12)

を買った。

 

 

 

6/10(土)

彼はあいかわらず、眼にうつるものをみずに、みつめる、ひかりのめくらましを、ふるえている大気を。

(マルグリット・デュラス『廊下で座っているおとこ』小沼純一訳 書肆山田 p23)

 


わたしは海がおとことおんなにみえるものからはるかとおくにあるのを知っている。

(p27)

 


あなたは眼差のつきるところ、それがまさしく失明するところまで凝視しようとする、そしてその失明をつきぬけてなおもみようとするにちがいない。さいごまで。

(p49)

 


あなたの生(ありよう)はとおいところにある。

(p60)

 


あなたの不在だけが残り、もはやあつみもなく、これからあなたの生のあるところにひとつの道を開いてゆく可能性もないまま、そこで欲望にうちひしがれる、可能性もないままに。

(p60)

 


もうすでにあなたは危険にさらされている。あなたがいま受けている最大の危険は、あなたに似てしまうこと、一時間まえに撮影した最初のショットのあなたにあなたが似ているということだ。

(p72)

 


わたしは生きることと死ぬことの瀬戸際にあるひとつの愛のなかにいる。

(p83)

 


わたしはおもっている、わたしはあなたが生のさなかにあるということのただの付随物にすぎないのではないか、それいがいのものではない、生のうつりゆきにはわたしは無関心なまま、生があなたについてわたしに教えてくれることはなにひとつない、生はわたしに死をより身近な、許しうる、そう、望ましいものと思わせるばかりだ。

(p83-84)

 

 

 

ぼんやりとした光が闇の中へ分け入っていくとき、さほど白くなかったものまでが青ざめた白い光を放つ。

(ハン・ガン『すべての、白いものたちの』斎藤真理子訳 河出書房新社 p35)

 


生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。額を、眉を、頬をやさしく濡らすのはみぞれ。すべてのことは過ぎ去ると胸に刻んで歩むとき、ようやく握りしめてきたすべてのものもついには消えると知りつつ歩むとき、みぞれが空から落ちてくる。雨でもなく雪でもない、氷でもなく水でもない。目を閉じても開けていても、立ち止まっても足を速めても、やさしく私の眉を濡らし、やさしく額を撫でにやってくるのはみぞれ。

(p73)

 


ある記憶は決して、時間によって損なわれることがない。苦痛もそうだ。苦痛がすべてを染め上げて何もかも損なってしまうというのは、ほんとうではない。

(p107-108)

 


壊れたことのない人の歩き方を真似てここまで歩いてきた。

(p146)

 

 

 

6/11(日)

雨。朝4時に床に就く

 

 

 

6/12(月)

わたしは決定的悪化の不断の連続

(サミュエル・ベケット『事の次第』片山昇訳 白水社 p11)

 


所詮わたしは幸不幸魂の平安というようなものにはむいていないのだほとんどむいていないのだ

(p31)

 

 

 

6/13(火)

通所121日目。

 

 


6/13(火)

私たちは人びととこのうえなく親しくつきあい、実際それが一生つづくと思う、それがある日、他のなにものにもまして評価していた、それどころか讃美していた、要するに愛してすらいた人びとに幻滅する、そして彼らを嫌悪し、憎み、もういっさい関係をもとうとしない、と安楽椅子のうえで私は考えた。私たちは一生のあいだ、もともと好意や愛でもって彼らを追いかけようとしていたごとくには、憎しみをもってそうしようとは思わないため、彼らのことを記憶からこともなく消し去る。

(トーマス・ベルンハルト『樵る  激情』初見基河出書房新社 p58-59)

 


私は彼らに対していつもすべて演じてきた、と私は独りごちた。私はすべての者に対してすべてをいつだって演じてみせているだけだった、私は一生涯演技し、演じてみせているだけだった、と安楽椅子のうえで私は独りごちた、私が生きているのは、実際の、現実の生ではない、私が生きて存在しているのは、演じてみせられた生にすぎず、私はいつでも演じてみせられた生だけを送ってきた、実際の、現実の生などではけっしてなかった、と私は独りごちた、そしてこの考えを推し進め、ついにはこの考えを信じていたのだった。私は息を深く吸い込み独りごちた、それも楽の間にいる人びとに聞こえざるをえないように、おまえが生きてきたのは演じてみせられた生にすぎず、現実の生ではなかった、演じてみせられた存在にすぎず、実際の存在ではなかった、おまえに関するすべて、おまえがそうであるすべては、いつだって演じられたものにすぎず、実際の、現実のものではなかったと。

(p82-83)

 

 

 

6/14(水)

通所122日目。

 

 


6/14(水)

わたしに残ったのは、現在だけ、わたしはいつも現在に生きている。人は現在を生きることはできる、しかし未来への計画を立てる暇はない

(アンリ・ボーショー『アンチゴネ』宮原庸太郎訳 書肆山田 p93)

 

 

 

6/15(木)

吉行淳之介『出口・廃墟の眺め』(講談社文庫 1973.5)を買った。

 

 

 

6/15(木)

もしこの世界に贖える罪と贖うことの適わぬ罪が存在するならば、あの時、僕は一時の軽薄な、さもしく、卑しい情動から、進んで贖うことが適わぬ罪を犯すことを選択したのです。

(嶽本野ばら『シシリエンヌ』新潮文庫 p130)

 

 

 

6/16(金)

通所123日目。

 

 

 

6/17(土)

死にたい

 

 

 

6/18(日)

死にたい

 

 

 

6/19(月)

死にたい

 

 

 

6/20(火)

通所124日目。

 

 

 

6/21(火)

武子和幸『モイライの眼差し』(土曜美術社出版販売 2020.10)を買った。

 


世の中には二千キロの海よりも広い隔たりがある。そのために泣いた。

(李琴峰『星月夜』集英社 p8)

 


大丈夫だから、心配しないで、と私は言った。大丈夫じゃなければならない。

(p40)

 

 

 

6/21(水)

通所125日目。

 

 

 

6/22(木)

死にたい

 

 

 

6/23(金)

死にたい

 

 

 

6/24(土)

ある考えを長く置いておき、そこに様々な想像が加わったなら、たとえ夢が壊れるとわかってはいても、絶対に実現させなければならない。

(陳春成『夜の潜水艦』大久保洋子訳 アストラハウス p37)

 


あらゆる人間の現在は、定まりなく揺れ動く未来の記憶の中を歩んでいるにすぎないのだ。

(p43)

 

 

 

6/25(日)

シャルドンヌを流し読みしたけれど、どうでもいいことばかり書いてあった

 

 

 

6/26(月)

近視、亂視、潛伏性斜視わが持ちて模糊錯落のこの春の視野

(『葛原妙子歌集』書肆侃侃房 p21)

 


棘のなき薔薇をひととき夢想せりこの上もなき低俗として

(p32)

 


どの病室(へや)も花を愛せり人閒のいのち稀薄となりゆくときに

(p43)

 

 

 

6/27(火)

通所127日目。

 

 

 

6/28(水)

通所128日目。

 

 

 

6/29(木)

加賀乙彦『海霧』(新潮文庫 1992.6)

加賀乙彦『フランドルの冬』(新潮文庫 1972.1)

大江健三郎『水死』(講談社文庫 2012.12)

・『地獄の季節  ランボオ詩集』(粟津則雄訳 集英社文庫 1992.10)

レイモンド・チャンドラーさらば愛しき女よ』(清水俊二訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 1976.4)

ロアルド・ダール『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』(田口俊樹訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 2013.5)

・ポーリーヌ・レアージュO嬢の物語』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1992.5)

を買った。


コリン・ウィルソン『迷宮の神』(大瀧啓裕訳 東京創元社 2006.1)

・ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『場所、それでもなお』(江澤健一郎訳 月曜社 2023.1)

を借りた。

 

 

 

6/30(金)

通所129日目。元気がないのはいつものことで、元気なふりをするのは疲れるとは言わない。

日記 5/1-5/31

5/1(月)

僕は出発するというより逃亡しようとしていた。

(大江健三郎『叫び声』講談社文芸文庫 p186)

 

 


5/1(月)

病院にいった。すいていた。血を抜いた。

 

 

 

5/2(火)

通所103日目。

 

 

 

5/3(水)

通所104日目。

 

 

 

5/4(木)

葉擦れの音。鶯の鳴き声。

 

 


5/4(木)

ヘミングウェイ短編集(一)』(大久保康雄訳 新潮文庫 1970.6)を買った。

 

 

 

5/5(金)

通所105日目。

 

 


5/5(金)

・ベン・ラーナー『10:04』(木原善彦白水社 2017.3)

・ペーター・ハントケアランフエスの麗しき日々  夏のダイアローグ』(阿部卓也訳 論創社 2014.7)

・G.ガルシア・マルケス『落葉  他12篇』(高見英一、桑名一博、井上義一訳 新潮社 2007.2)

・『サミュエル・ベケット短編小説集』(片山昇、安堂信也訳 白水社 2015.9)

モーパッサン『水の上』(吉江喬松、桜井成夫訳 岩波文庫 1955.9)

を借りた。

 


古井由吉『槿』(福武書店 1983.7)

日野啓三夢の島』(講談社文芸文庫 1988.5)

・『伊藤整高見順  カラー版日本文学全集28』(河出書房新社 1969.6)

・蓮實重彥『物語批判序説』(中公文庫 1990.10)

・澁澤龍彥『東西不思議物語』(河出文庫 1982.6)

・鈴村和成『ヴェネツィアプルーストを読む』(集英社 2004.2)

・『ボードレール詩集』(佐藤朔訳 白凰社 1966.8)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『砂の本』(篠田一士集英社 1980.12)

を買った。

 

 

 

5/6(土)

立花種久『眠る半島』(れんが書房新社 2013.12)

ニーチェツァラトストラかく語りき(下)』(竹山道雄新潮文庫 1953.4)

を買った。

 

 

 

5/7(日)

過去なんか私にはないだろう  あったこともない

(サミュエル・ベケット『どんなふう』宇野邦一河出書房新社 p76)


みんな失われた  手に入れたこともない

(p102)


言葉なき祈り

(p134)


私一人に関して  私はあいかわらず私の想像の旅  私の中の想像上の仲間を引用する

(p165)


二人の異邦人が責苦を求めて結束する

(p177)


声なしの呪い

(p184)


与えそこね  受けそこね  見つけそこね  届けそこねた言葉の数えきれない痕跡

(p199)

 


情感はそれを生ませたところに生きず、感じた者にだけ生きのこる。他人は僕のなかに生きのこり、僕は他人の中に生きのこる。

(伊藤整『街と村・生物祭・イカルス失墜』講談社文芸文庫 p152)

 

 

 

5/8(月)

もう、自分が本当に死んでいることを知っていた。少なくとも、生きている証拠はなにもなかった。生も死も同じことだった。

(G.ガルシア=マルケス『落葉  他12篇』高見英一訳 新潮社 p22)


それはもはや美貌ではなく、疾病であった。

(p27)


この闇に永遠に慣れなければならないのだろうか?

(p35)


「わたしのために、ひとつだけ噓をついてくれないかしら」

(p96)


落葉はあらゆるものを持って来て、あらゆるものを持って行ってしまった。

(p287)

 

 

 

5/9(火)

通所106日目。

 

 


5/9(火)

多和田葉子パウル・ツェランと中国の天使』(文藝春秋 2023.1)

古井由吉『鐘の渡り』(新潮社 2014.2)

・マフムード・ダルウィーシュ『壁に描く』(四方田犬彦訳 書肆山田 2006.8)

マルカム・ラウリー『火山の下』(斎藤兆史監訳、渡辺暁、山崎暁子共訳  白水社 2010.3)

を借りた。

 

 

 

5/9(火)

ある世界の中にとどまりつつ、同時にその世界を去るということは矛盾しない。

(多和田葉子パウル・ツェランと中国の天使』文藝春秋 p15)


三人称はひとつの救いである。

(p16)


過去自体が三人称である。とりわけ、現在において一人称を演じようとするときは。現在さえ絶え間ない延期であり、輪郭のはっきりしないグラグラする写真である。さまざまな時間が頭の中で衝突し、ズキズキする痛みをもたらす。

(p57)


「なぜきみの心臓は疲労困憊しているんだい?」
「心臓をいつも隠喩として酷使してきたから」

(p87)


「「目標」という語を聞くと本当に気が狂いそうになるよ」

(p91)


手紙を書くことで過ごした夜は、思い出の中のほかのどの夜にもまして輝いている。

(p96)


人間には大きな一方的な愛が必要であり、愛の不可能性が人生を豊かにしてくれるのだ。

(p96)


孤立は偽装された死罪だ。

(p100)


ある人が別の人に比べて生きる価値が少ないという考え自体が、人権に対する無知を証明している。

(p103)

 

 

 

5/10(水)

通所107日目。

 

 

 

5/11(木)

・ポーリーヌ・レアージュO嬢の物語』(澁澤龍彥訳 角川文庫 1973.3)

・『月下の一群  堀口大學訳詩集』(新潮文庫 1955.6)

古井由吉『眉雨』(福武文庫 1989.10)

・大庭みな子『がらくた博物館』(文春文庫 1988.2)

大岡昇平中原中也』(講談社文芸文庫 1989.2)

伊藤整『変容』(岩波文庫 1983.5)

ジャン・コクトー『阿片  或る解毒治療の日記』(堀口大學訳 角川文庫リバイバルコレクション 1952.4)

ジャン・コクトー『山師トマ』(河盛好蔵訳 角川文庫リバイバルコレクション 1955.7)

を買った。

 

 

 

5/12(金)

通所108日目。

 

 


5/12(金)

小川国夫『アフリカの死』(集英社文庫 1983.5)を買った。

 

俺には、型に嵌ると安心する人間が解らないんだ。

(小川国夫『アフリカの死』集英社文庫 p51)


努めて明るくしていないと、錯乱の中へ押し流されそうな気がした。

(p81)

 

 

 

5/13(土)

大岡昇平『花影』(新潮文庫 1963.6)

森茉莉恋人たちの森』(新潮文庫 1975.4 )

・フィツジェラルド『ラスト・タイクーン』(大貫三郎訳 角川文庫リバイバルコレクション 1977.9)

・イエーツ『鷹の井戸』(松村みね子訳 角川文庫リバイバルコレクション 1953.12)

を買った。

 

 

 

5/14(日)

シルエット、それは、今にいたるまで、私にとって、約束を意味しているの。

(ペーター・ハントケアランフエスの麗しき日々  夏のダイアローグ』阿部卓也訳 論創社 p17-18)


時が一つの肉体、一つの魂になり、どの始めと終わりも永遠をあえぎ求める。

(p37)


ひとは、愛するものを、ことの始めから失っているんだ。永遠に。失わなかったとしても。

(p62)


​──ああ、秋、どの影もひとを騙す。何かがいるように見せかける。何かがいないことを思い出させる。苦しみ、痛み、何かを逃してしまったことを思い出させる。

(p64)

 

 

「地上の暗さは性質が悪いですな。なぜあんたの詩はこう白いのかね」
「心が三十もの海でいっぱいだからですよ」

(マフムード・ダルウィーシュ『壁に描く』四方田犬彦訳 書肆山田 p18-19)


地獄に墜ちてもいいよ。
きみが好きだ。

(p35)


墓とは詩だ、
墓は風でできている。

(p56)


冬の煙を信じてはならない。

(p62)


審判の門では苦痛を感じない。時間も感情もない。

(p65)


意味はわたしを焼き、消える。

(p68)


天国への道があきらかになるにつれ、
未知が終末を露にするにつれ、
賛美歌は砕け散り、祈りは腐って世俗の散文となる。

(p75-76)


言語という自分に与えられたすべてにおいて、わたしは異邦人だ。

(p76)


暗示と表現の塵がわたしを空虚にした。

(p79)


わたしの人生には  自分の終わりと始まりを繋ぐだけの時間がもはやない。

(p85)


心の水が枯れ尽きたとき、美学はいっそう抽象的となる。

(p126)

 

 

 

5/15(月)

寒い

 

 

 

5/16(火)

通所109日目。

 

 

 

5/17(水)

通所110日目。

 

 


5/17(水)

・石沢麻依『月の三相』(講談社 2022.8)

・川村二郎『アレゴリーの織物』(講談社文芸文庫 2012.3)

を借りた。

 

大江健三郎『芽むしり  仔撃ち』(新潮文庫 1965.5)

野口冨士男『感触的昭和文壇史』(文藝春秋 1986.7)

を買った。

 

 

 

5/18(木)

吉田精一芥川龍之介』(新潮文庫 1958.1)を買った。

 

・『ヴァルター・ベンヤミン/グレーテル・アドルノ往復書簡 1930−1940』(編:H・ローニツ、C・ゲッデ、訳:伊藤白、鈴木直、三島憲一 みすず書房 2017.11)

・『リルケ詩集』(片山敏彦訳 みすず書房 1962.4)

を借りた。

 

 


5/18(木)

どんな悪い出来事が起きたとしても、掘り崩すことのできない友情の礎石があることを、わたしとともに信じてくださいますか。わたしのことをひどく長く待っていなければならないように感じることがあっても、どうぞお赦しください。

(『ヴァルター・ベンヤミン/グレーテル・アドルノ往復書簡 1930−1940』編:H・ローニツ、C・ゲッデ、訳:伊藤白、鈴木直、三島憲一 みすず書房 p18〈グレーテル〉以下、どちらによる文章かを〈〉内に記載)


わたしの孤独はまたほとんど完全なものになっています。単に表面的なものとはいえ、あなたの不在はわたしにとって破滅なのです。あなたがそこにいらっしゃるということは、たとえそれが非常に遠い場所であったとしても、わたしにとって大きな慰めです。

(p18-19)〈グレーテル〉


もう一度、心からお願いしておきますが、わたしがあなたのためにできることがあったら、今あなたが感じてらっしゃる抵抗感や遠慮に逆らってでも、少し早めにわたしに知らせてくださいね。なぜって、万一あなたの身に何かがあったら、わたしは自分のことを絶対にゆるせなくなるでしょうから。

(p32)〈グレーテル〉


でもわたしはとんでもないエゴイストですね。だって、あなたの孤独はもっと比べものにならないのに、わたしのちっぽけな悩みを話しているのですから。

(p37)〈グレーテル〉


今日はあなたの誕生日ですね。わたしは一日中あなたのことを考えていました。いろいろすてきなこと、いいことがありますように。とくにこれからの一年がこれまでの一年よりあなたにとって憂いの少ない年になりますように。

(p135)〈グレーテル〉


破滅のあらゆる苦しみと甘さを嘗め尽くしました。

(p160)〈グレーテル〉


思い出が残ることが許せる程度には、何もかもが卑小で不快なことになったりしなければいいのに。

(p163)〈グレーテル〉


苦悩は人生が満ち足りているときに抱くものですから。

(p165)〈ヴァルター〉


でも、結局のところ、友情と愛情のあの微妙な境界線はどこにあるのでしょうか。

(p174)〈グレーテル〉

 

 

 

5/19(金)

通所111日目。

 

 


5/19(金)

生の最も決定的な瞬間が詩を通じて記憶に凝縮されている時、その詩の重さは、客観的な価値を超えていよう。

(川村二郎『アレゴリーの織物』講談社文芸文庫 p17)


一見無邪気な単純な同語反復は、むしろ、拒否の強い意志を示している。

(p21)

 

 

 

5/20(土)

雨。何もやる気が起きない

 

 

 

5/21(日)

短歌を書いている

 

 

 

5/22(月)

北千住に行った

 

 

 

5/23(火)

通所112日目。

 

 


5/23(火)

リルケ『ドゥイノの悲歌  改版』(手塚富雄岩波文庫 2010.1)を買った。

 

 

 

5/24(水)

通所113日目。

 

 

 

5/25(木)

『英国クリスマス幽霊譚傑作集』(創元推理文庫 2022.11)を買った。

 

 

 

5/26(金)

通所114日目。

 

 

 

5/27(土)

閻連科『四書』を読んでいる。

 

 

 

5/28(日)

残雪『カッコウが鳴くあの一瞬』(近藤直子訳 河出書房新社 1991.6)を借りた。

 

 


5/28(日)

あらゆる分裂の狂乱が  けし飛んで、
我が周りには  緑の森の親しみ深い落ちつきが
金色の日の翼に乗って  ゆるやかに揺れている。

(『リルケ詩集』片山敏彦訳 みすず書房 p18)

 


とはいえ正義がなされると
世界は崩落してしまう。

(アン・カーソン『赤の自伝』小磯洋光訳 書肆侃侃房 p42)


子どものころのように空をじっと見渡してるけど、これは何の夜明け?

(p87)

 

 

 

5/29(月)

・サミュエル・ベケット『伴侶』(宇野邦一訳 書肆山田 1990.4)

シモーヌ・ド・ボーヴォワール『おだやかな死』(杉捷夫訳 紀伊國屋書店 1995.2)

スタンダールカストロの尼』(宗左近訳 角川文庫リバイバルコレクション 1970.11)

・サンドラール『世界の果てまで連れてって』(生田耕作訳 福武文庫 1988.9)

中井英夫『薔薇への供物』(河出文庫 1990.5)

を買った。

 

 

 

5/30(火)

通所115日目。

 

 


5/30(火)

いつのころからか、生命はあるひとつの方向に向かって果てしなく、虚しく単調に延びていくようになった。それをはっきりと区切るしるしは何もなかった。

(残雪『カッコウが鳴くあの一瞬』近藤直子訳 河出書房新社 p90)

 

 

 

5/31(水)

通所116日目。

 

 


5/31(水)

・鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社 2007.12)

・サミュエル・ベケット『蹴り損の棘もうけ』(川口喬一訳 白水社 2003.10)

・『短篇で読むシチリア』(編訳:武谷なおみ みすず書房 2011.1)

ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』(増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳
ヴィレッジブックス 2010.6)

ウィリアム・バロウズ『ゴースト』(山形浩生河出書房新社 1996.6)

エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』(木村榮一平凡社 2011.2)

ペトル・クラール『プラハ』(阿部賢一成文社 2006.7)

・『十六の夢の物語  M・パヴィッチ幻想短編集』(三谷惠子訳 松籟社 2021.10)

・ボフミル・フラバル『厳重に監視された列車』(飯島周訳 松籟社 2012.9)

・ボート・シュトラウス『マルレーネの姉  二つの物語』(藤井啓司訳 同学社 2004.8)

を借りた。

 

 


5/31(水)

死を子供のように胎内で養い育てること、ただし外にはけっして出さないこと。

(ボート・シュトラウス『マルレーネの姉  二つの物語』藤井啓司訳 同学社 p12)

日記 4/1-4/30

4/1(土)

大地が自分を待ちうけているとわかっていながら、空虚を選びとる人間は、充溢の拒否を表し、質量的なものに怖れをいだいていて、何秒か、物理的な空虚を横切ることによって〈永遠の空虚〉の道を渡ろうと願う。

(アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』古賀弘人訳 青土社 p138)

 

 

 

4/2(日)

「残念ながら、私が考えることまで禁止なさるわけにはいきませんが」

(G・ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』旦敬介訳 新潮社 p33)


「どんな狂人も、こっちがその論理を受け入れれば狂人とは言えなくなります」

(p48)

 

 

 

4/3(月)

しかし倖せとははかないもので、人間や環境が倖せをぶちこわさないときには、幻影が幸福を脅かすのです。

(マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』多田智満子訳 白水Uブックス p92)


われらはみなきれぎれの断片であり、影であり、とりとめもない幻なのだ。

(p146)


​───欲望はそなたに欲望のはかなさを教えた。悔恨はそなたに悔いることのむなしさを教えた。

(p147)

 

 

 

4/4(火)

通所93日目。

 

 


4/4(火)

・『アントナン・アルトー著作集Ⅱ  ヘリオガバルス  または戴冠せるアナーキスト』(多田智満子訳 白水社 1996.1)

リディア・デイヴィス『話の終わり』(岸本佐知子訳 作品社 2010.12)

ル・クレジオ『アルマ』(中地義和訳 作品社 2020.11)

アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言  溶ける魚』(巖谷國士學藝書林 1989.2)

スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』(柴田元幸白水Uブックス 2003.7)

を借りた。

 

 


4/4(火)

親愛なる想像力よ、私がおまえのなかで何よりも愛しているのは、おまえが容赦しないという点なのだ。

(アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言  溶ける魚』巖谷國士學藝書林 p15)


精神にとって、過ちをおかすことの可能性はむしろ、善の偶然性と等しいのではあるまいか?

(p16)


私が作ったものも、私が作らなかったものも、みんなあなたにさしあげる。

(p82)


生きるとか生きるのをやめるとかいうのは、想像のなかだけの解決だ。人生は別のところにある。

(p87)


空のひびわれが、とうとうまた私を目覚めさせた。

(p95)


さあやってきた、倦怠だ、きれいな平行線だ、ああ!平行線は、神の垂直線の下でなんと美しいことか。

(p99)


悲しい両手よ、君たちはなんだか僕には美しさをすっかり隠しているようだね、そんな君たちの謀り事めいた様子、僕は好かないよ。

(p140)


私は何ひとつ縁起のいいことを予告しない虹を知っている。

(p197)


いつも教えられてきた通り、深刻さのいちばん高級な表現は、たったひとりで呟くことにあるのだ。

(p199)

 

 

 

4/5(水)

通所94日目。

 

 

 

4/6(木)

永遠とは、何かがあることではなく、ないことなのだ。

(スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』柴田元幸白水Uブックス p137)


苦難やら死やらに対して、そしてそれ以上に、宗教というものの根底に流れている恐怖に対して、憤りの念を感じるようになっていた。恐怖から逃れるためには、まず信仰を逃れる必要があるように思えた。

(p152)


現在に重ねあわされた影​───でも現在なんてありゃしない。あるのはただ、瓦礫と化した過去か、約束に過ぎない未来だけだ。

(p165-166)

 

 

 

4/7(金)

池袋にきた。

 

・A・P・ド・マンディアルグ『汚れた歳月』(松本完治訳 エディション・イレーヌ 2023.2)

ボードレール悪の華』(安藤元雄集英社文庫 1991.4)

大江健三郎同時代ゲーム』(新潮社 1979.11)

辻邦生『異邦にて』(角川文庫 1972.8)

を買った。

 

 

 

4/8(土)

庄野英二ロッテルダムの灯』(講談社文芸文庫 2013.7)

谷崎潤一郎細雪(全)』(中公文庫 1983.1)

マルキ・ド・サド悪徳の栄え(下)』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1990.10)

・ガルシア=マルケスエレンディラ』(鼓直木村榮一サンリオ文庫 1983.10)

を買った。

 

 


4/8(土)

始まりは、もうひとつの始まりの続きでしかないのだ。

(アントニオ・タブッキ『黒い天使』堤康徳訳 青土社 p53)


不幸な人はみんなそうだが、恨みをいだいているものです。つまりですね、ふつうに暮らしている人々をあなたは憎んでいる、どうにかうまく切り抜けた彼らが、あなたと同じ状況に、つまり泥沼にはまることを望んでいる。

(p76)


きみの残酷さが、わたしをあらゆるものから守ってくれた。

(p95)


詩は噓偽りです、わたしは生涯にわたり噓をつき続けてきました、書く行為はすべて噓偽りです、それがどんなにリアルでも、どうかお許しください、噓をつくこと以外わたしは何もしませんでした。

(p105)


罪を犯してから許されるのではなく、許されてから罪を犯すのは、心地よかった。なぜなら、赦罪は罪よりも先になされなければならないから、事前の赦罪、予防的な許しがあるはずだから。

(p108)

 

 

 

4/9(日)

ニーチェ『この人を見よ』(西尾幹二新潮文庫 1990.6)を買った。

 

 

 

4/10(月)

アンドレ・ジッド『地の糧 新版』(今日出海新潮文庫 2023.4)を買った。

 

 


4/10(月)

この透明な世界のただ中で、いったい誰が身を潜めることができるというのか?

(A・P・ド・マンディアルグ『汚れた歳月』松本完治訳 エディション・イレーヌ p16)


しかし光は常に射し続け、絶望的なまでに同じ光そのものなのだ。

(p28)

 


善か悪か懸念せずに愛すること。

(アンドレ・ジッド『地の糧 新版』(今日出海新潮文庫 p12)


死とは、すべてのものが絶えず更新されるように、他のさまざまな生への宥しにすぎない。

(p26)


あらゆる幸福は不意に出会うものであり、途上にいる乞食のように各瞬間ごとに君の前に立ち現われるものだということを、君は理解しなかったとでもいうのか。そのように君の幸福を君が夢想していなかったという理由から、自分の幸福は失せ去ったというならば​───また自分の綱領や祈願に一致しない幸福は認めないというならば、君に災いあれ。

(p38)


もう行為をしないと覚悟しなければ罪を犯さないだけの自信は持てなかった。

(p44)

 

 

 

4/11(火)

通所95日目。

 

 

 

4/12(水)

通所96日目。

 

 

 

4/13(木)

萩原朔太郎『詩集  月に吠える  改版』(角川文庫リバイバルコレクション 1969.11)

オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』(神吉敬三訳 角川文庫リバイバルコレクション 1967.9)

・『名短篇 新潮創刊一〇〇周年記念 通巻一二〇〇号記念』(新潮社 2005.1)

・シャーリイ・ジャクスン『山荘綺談』(小倉多加志訳 ハヤカワ文庫NV 1972.6)

を買った。

 

 


4/13(木)

「わたしたちはみんな、どこか閉じこめられていた場所から出てくるんだ」

(アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『すべては消えゆく』中条省平白水社 p73)


「編み目がひとつでも明かされれば、全体が解けてしまう」

(p125)


「確かなことがもうなにも分からなくなったときにこそ」と女は続ける。「確かさへの道を順調に進んでいるのよ」

(p163)


問いは存在しようがないのよ、だって答えがないんだもの、ともかく、どんな答えにもなんの価値もないわ、答えを出させた問いそのものになんの意味もなかったんだから。

(p170)


「『屍』を閉じこめることのない『墓』、『墓』に閉じこめられることのない『屍』、自分自身の『墓』でもある『屍』」

(p177)

 

 

 

4/14(金)

通所97日目。

 

 


4/14(金)

まだ何ひとつ始まっていなかったあの時間こそが、ある意味では最良の時だったのかもしれない。

(リディア・デイヴィス『話の終わり』岸本佐知子訳 作品社 p25)


自分の中の何かが死ぬか麻痺するかしてしまい、ほとんど何も感じずにいられることが救いだった。以前は何かを感じることが救いだったのに。たとえ痛みであっても。

(p233)

 

 

 

4/15(土)

雨。

 

 

 

4/16(日)

優しくありたい

 

 

 

4/17(月)

命名された事物は、死んだ事物である。

(『アントナン・アルトー著作集Ⅱ  ヘリオガバルス  または戴冠せるアナーキスト』多田智満子訳 白水社 p66)


物質の中に神々はない。均衡の中に神々はない。神々は力と力の分離から生まれ、それらが和合する時に死ぬ。

(p67-68)


すべて詩の中には本質的な矛盾が存在する。詩とは、砕かれてめらめらと炎をあげる多様性である。したがって秩序をもたらす詩はまず無秩序を、燃えさかる無秩序の状態を蘇らせる。

(p120)

 

 

 

4/18(火)

通所98日目。

 

 


4/18(火)

「実現の見込のない希望なんて、何の役にも立たないわ。」

(福永武彦『死の島(上)』講談社文芸文庫 p410)


わたしにとって目覚めていることと眠っていることとは、もう区別のつかないものになっていた。

(p440)


わたしは言った。お前たちが待っているのはわたしではない、わたしは一度もお前たちに生命を与えたことはないし、この後も決してそれを与えることは出来ない、なぜならわたしは死んでいるから、わたしもまた死んでいるから、と。

(p445)

 

 

「もしこの世界でやっていけないなら、自分で自分の世界を作ってしまうことよ」

(ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』岸本佐知子白水社 p13)

 

 

 

4/19(水)

通所99日目。

 

 


4/19(水)

聞こうとしない者は聞こえない者より始末が悪いのではないだろうか?

(フィリップ・ソレルス『ステュディオ』齋藤豊訳 水声社 p204)

 

 

 

4/20(木)

・『中村真一郎福永武彦堀田善衛  カラー版日本文学全集49』(河出書房新社 1971.4)

・『現代の文学17  林芙美子集』(河出書房新社 1965.1)

マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(巖谷國士河出文庫 1996.8)

を買った。

 

 


4/20(木)

じぶんのしてきたことといえば、生きて存在しているだけのことで、もしかしたら、生きるふりをしてきたにすぎないのではないか。

(アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは......』須賀敦子白水社 p12)


哲学は、真理のことしかいわないみたいでいて、じつは空想を述べているのではないだろうか。いっぽう、文学は空想とだけ関わっているようにみえながら、ほんとうは、真理を述べているのじゃないか。

(p27)

 

 

 

4/21(金)

通所100日目。

 

 

 

4/22(土)

・『日本文学全集35  伊藤整』(新潮社 1967.9)

伊藤整『街と村・生物祭・イカルス失墜』(講談社文芸文庫 1993.2)

南木佳士ダイヤモンドダスト』(文春文庫 1992.2)

・ソポクレス『オイディプス王』(藤沢令夫訳 岩波文庫 1967.9)

中条省平アルベール・カミュ ペスト  果てしなき不条理との闘い』(NHK100分de名著ブックス 2020.9)

を買った。


・サミュエル・ベケット『名づけられないもの』(宇野邦一河出書房新社 2019.11)

・『エッセンス・オブ・久坂葉子』(河出書房新社 2008.4)

を借りた。

 

 

 

4/23(日)

しかし辛い思いをするために私はここにいる。

(サミュエル・ベケット『名づけられないもの』宇野邦一河出書房新社 p63)


固有名のないところに救済はない。

(p89)


私が言っていることのなかに、たったひとつでも私の言葉なんてあるのか。

(p107)


前に進め。言うのは簡単だ。そもそもどこが前なんだ。そこで何をしようと言うんだ。

(p147)

 

 

 

4/24(月)

わたしは夢想はしない。文章を作るのだ。

(『ロラン・バルトによるロラン・バルト石川美子みすず書房 p212)


ほんとうの戯れとは、主体を隠すことではなく、戯れそのものを隠すことである。

(p213)


わたしは矛盾しているのではない。分散しているのである。

(p215)


言葉を止めることが、言葉の暴力にたいしてなしうる最大の暴力なのである。

(p241)


わたしたちは繊細さの欠如によって学問的となるのだ。

(p243)


どこにいても、彼が耳を傾けていたもの、耳を傾けずにはいられなかったもの、それは自分自身の言葉にたいする他の人たちの難聴ぶりであった。

(p259)

 

 

絶望は瓦礫の中で打ち砕かれ、絶望は隙間をよろめき歩く......。

(ステファン・グラビンスキ『狂気の巡礼』芝田文乃国書刊行会 p27)

 

 

 

4/25(火)

通所101日目。

 

 


4/25(火)

あなたが何か云えば云う程
私は
あなたがわからなくなるんです。

(『エッセンス・オブ・久坂葉子河出書房新社 p196)


愛ハ不変ナラズ
オビタダシイ変化

(p199)


無形ノ愛ヲ信ジルコトハ出来ヌ

(p200)


生きようとも死のうとも思わない。
ただ。
わたしに出来ることをやろう。

(p204)


わたしは、
それでもまつ

(p227)

 

 

 

4/26(水)

通所102日目。

 

 

 

4/27(木)

未来は常に過去の名残を含んでいる。

(ジャネット・ウィンターソン『フランキスシュタイン  ある愛の物語』木原善彦河出書房新社 p131)


私たちは憎悪のために破壊を行う。私たちは愛のためにも破壊を行う。

(p158)


愛は攪乱された世界の中の攪乱そのものだ。

(p208)


僕は物語の語り手なのか、それとも物語なのか、それが分からないのです。

(p234)

 

 

 

4/28(金)

渋谷にきた。


モーリス・ブランショ『来るべき書物』(粟津則雄訳 現代思潮社 1968.9)

・タブッキ『夢のなかの夢』(和田忠彦訳 岩波文庫 2013.9)

パヴェーゼ『月と篝火』(河島英昭訳 岩波文庫 2014.6)

を買った。

 

 

 

4/29(土)

大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ  改版』(新潮文庫 2007.1)

大江健三郎『叫び声』(講談社文芸文庫 1990.3)

大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(講談社文芸文庫 1991.2)

・『フランス名詩選』(安藤元雄入沢康夫渋沢孝輔訳 ワイド版岩波文庫 2001.3)

シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』(田辺保訳 ちくま学芸文庫 2014.11)

を買った。

 

 

 

4/30(日)

大江健三郎『われらの時代  改版』(新潮文庫 1990.6)を買った。

 

 


4/30(日)

僕の生活、僕の世界は暗くみじめで、いかなる希望のきざしもそこにあらわれてこないようだった......

(大江健三郎『叫び声』講談社文芸文庫 p18)


「おれの夢のなかの犯罪はおれ独自の犯罪だから、おれ以外の人間にはとらえられない、そして夢のなかの犯罪者のおれも忘れられるだけで、処罰されたりすることはないよ」

(p36)

日記 3/15-3/31

3/15(水)

通所86日目。

 

 


3/15(水)

緩やかな衰亡の途上にあることの悦び。あるいは、形態の記憶を徐々に忘れ去ってゆくことの悦び。

(四方田犬彦『摩滅の賦』筑摩書房 p6)

 

 

 

3/16(木)

・石沢麻依『貝に続く場所にて』(講談社 2021.7)

諏訪哲史『岩塩の女王』(新潮社 2017.8)

を借りた。

 


・ジュネ『薔薇の奇跡』(宇野邦一光文社古典新訳文庫 2016.11)

前川嘉男ロートレアモン論』(国書刊行会 2007.10)

を買った。

 


図書館、本屋、古本屋に。半袖ではないが半袖でもいいくらいの暑さで参ってしまった。帰路に着くや否や頭が痛みだした。

 

 


3/16(木)

仮面の下に潜むのは素顔であり本心だと考えるのは、変わらぬ信仰のようなものかもしれない。だが、時間を重ねれば重ねるほど、幾つもの面が顔を覆ってゆく以上、それを取るのは難しくなる。

(石沢麻依『貝に続く場所にて』講談社 p19)

 


頭の中にある記憶を支えるのは、身体の記憶である。それは繰り返すことによって濃い痣のように、さらに身体に転写されてゆく。

(p59)

 


失われた場所を想い続ける。全てが剝ぎ取られた土地を、記憶を根こそぎ奪われた人の顔のような場所を。そこは凍りついた時間と、破壊後に動き続けた時間が重なり合う二重の場所。この重なり合う時間や場所の距離は、どれほどまでに近づいてゆけるのか、今でも分からずにいる。

(p126)

 


私が恐れていたのは、時間の隔たりと感傷が引き起こす記憶の歪みだった。その時に、忘却が始まってしまうことになる。

(p149)

 

 

 

3/17(金)

通所87日目。

 

 


3/17(金)

無声の曠野に、語り終えられた生が棄てられていた。

(諏訪哲史『岩塩の女王』新潮社 p31)

 

 


3/17(金)

より狡猾になろうという意志と、優しく在ろうという心構えは、両立できるものなのだろうか。

 

 

 

3/18(土)

墓参りに。

 

 

 

3/19(日)

詩を書いた。

 

 

 

3/20(月)

あらゆる感情が死と繋がっていた

 

 

 

3/21(火)

通所88日目。

 

 


3/21(火)

古井由吉『聖なるものを訪ねて』(集英社 2005.1)

須永朝彦『天使』(国書刊行会 2010.7)

・蜂飼耳『食うものは食われる夜  新装』(思潮社 2006.9)

牧野信一『ゼーロン・淡雪  他十一篇』(岩波文庫 1990.11)

・G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳 新潮社 2006.9)

・アドルフォ・ビオイ=カサレス『脱獄計画』(鼓直、三好孝訳 現代企画室 1993.9)


を借りた。

 

 

 

3/22(水)

通所89日目。

 

 


3/22(水)

私は、事物には本来あるべき位置が決まっており、個々の問題には処理すべきときがあり、ひとつひとつの単語にはそれがぴったりはまる文体があると思い込んでいたが、そうした妄想が、明晰な頭脳のもたらす褒賞などではなく、逆に自分の支離滅裂な性質を覆い隠すために考え出されたまやかしの体系であることに気がついた。

(G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』木村榮一訳 新潮社 p74)

 

 


わたしの嘘はわたしのものとなったためしがない。

(『消失  ポール・オースター詩集』飯野友幸思潮社 p18)

 

 

 

3/23(木)

音のない、しずかな雨だった。運行時間も調べずに外に出た。風が涼しい。桜が咲いていた。携帯で写真を一枚撮った。虚しくなり、すぐに消去した。見回すと、自分以外は誰もいなかった。

 


後輩に会う予定がある。待ち合わせまでまだ2時間以上あり、暇を潰さなければならない。

 


目をつけていたピエエル・ルイス『ビリチスの歌』(鈴木信太郎講談社文芸文庫)がなくなっていた。誰か買ったんだな。

 


レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』(中村融河出書房新社 2002.10)を買った。単行。これは文庫でしか見たことがなかった。

 


遅れる、という連絡があり、別段憤るわけでもなくああそうなんだという思いを抱いた。古井由吉の『楽天記』(講談社文芸文庫)を読みながら待っている。

 


3年ぶりということだった。3年間の出来事を思い出そうとしたが、うまく思い出せなかった。互いに遅い昼を摂り、とりとめもない近況報告をし合った。

 


3時間も経たないうちに解散した。また会おうとは言わなかった。言い忘れてしまった。

 


頭がうっすらと痛い。疲れは知覚した途端に酷くなる。

 


きょうの雨で、桜がどのくらい散るのか。

 

 

 

3/23(水)

人の歳月は夜のうちではなくて、朝ごとに進むのではないか……。

(古井由吉『聖なるものを訪ねて』集英社 p38)

 


どうせ本末転倒を犯すのが作家の習いとするならばいっそ、暮らすのを記すという自然の裏を行って、記すがごとくに暮らすよう心がけたらどうか、と。

(p71)

 


時間が生死の彼方へ向かって開きかけてしまった。

(p110)

 


人格の多重性が喪われかける時、多重人格の現象は露われかかるのではないか。

(p132)

 


記憶も時間の連続性に見放されれば、点々と孤立して、やがては分解する。自身が多数の自身のひしめきとなる。

(p133)

 


「俺の死に方は、なしくずしだよ」
「なしくずしは、誰でもさ」

(p187)

 

 

 

3/24(金)

きのうの頭痛が尾を引いている。

 

 


3/24(金)

バタイユ『空の青み』(伊東守男河出文庫 2004.7)を買った。

 

 

 

3/25(土)

不意に来る食への嫌悪。嫌悪というより、罪悪感に近いか。

 

 

 

3/26(日)

こぽ、こぽ、という気抜のするような音が間歇的に聞えてくる。雨が日がな降っている。

 

 

 

3/26(日)

意味の飽和が無意味に変ずるのと同様に、無意味の堅持が却って意味を、一つの意味を浮かび上がらすということが、ありはしないか。

 

 

 

3/27(月)

勝利する者は、決して第二の死によって傷つけられることはないのだ

(『ヨハネの黙示録小河陽講談社学術文庫 p28-29)

 


お前は生きているとの評判を得てはいるが、〔実際には〕死んでいる。

(p33)

 

 


地獄からもう一つの地獄へ発とう。

(須永朝彦『天使』国書刊行会 p83)

 

 

 

3/28(火)

通所90日目。

 

 

 

3/29(水)

通所91日目。

 

 


3/29(水)

・福永武彥『独身者』(中公文庫 1982.5)

・ロープシン『蒼ざめた馬』(川崎浹訳 同時代ライブラリー 1990.12)

辻邦生西行花伝』(新潮社 1995.4)

を買った。

 

 


3/29(水)

わたしは未来を知ろうとは思わない。過去のことは忘れるようにしている。

(ロープシン『蒼ざめた馬』川崎浹訳 同時代ライブラリー p14)

 


だがはたしてこの地上に愛があるだろうか?

(p34)

 


きみは誰をも愛さない。自分自身すらね。

(p39)

 


すべては、どうだっていいことだ、どうせ死ぬんだから。

(p45)

 


わたしはまだエレーナを愛しているのだろうか?それとも影だけを──彼女への以前の愛だけを愛しているのだろうか?

(p56)

 


わたしは生死の境にいる。罪にかんする言葉が、わたしにとってなんの役にたとう?

(p87)

 


生きていたくもないし、といって死にたいとも思わなかった。

(p166)

 


わたしは誰とも共有したくないし、これからもそんなことはしないだろう。

(p177)

 


愛は夕日のように消えてしまった。

(p202)

 


いま、わたしは誰をも愛していない。愛したいとも思わないし、また愛することもできない。世界は呪うべきものとなり、いちどきに、わたしにとって荒涼たる砂漠と化した。すべては虚偽であり、すべては空の空である。

(p211)

 

 

 

3/30(木)

ヘミングウェイ全短編1  われらの時代・男だけの世界』(高見浩訳 新潮文庫 1995.9)を買った。

 

 

 

3/31(金)

通所92日目。

 

 


3/31(金)

・G・ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』(旦敬介訳 新潮社 1996.5)

アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(古賀弘人訳 青土社 1996.12)

・『怪物  ブッツァーティ短篇集Ⅲ』(長野徹訳 東宣出版 2020.1)

・フェルナンデス・フローレス『七つの柱』(牛島信明小学館 1997.2)

を借りた。

 

 


3/31(金)

1年以上切っていなかった髪を切った。