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灰色の記憶

日記 5/7-5/13

5/7(金)

二者関係における欲求のすべてを諦める?二者関係自体を諦める?


忘れることを諦める?諦めることを忘れる?


見て見ぬ振りを、もう何とも思わない。選ぶということは、選ばなかった方を見捨てるということだ。


両方選ぶか?両方見捨てるか?


謝るくらいなら最初からやるな?おいおい、自分を棚に上げるなって。俺もお前も偽善者だ。


くだらない駆け引き、感傷。馬鹿げた賭け。


直接言えないことの蓄積。それに伴う負の感情の蓄積。


極端な思考しかできない愚かさ、哀しみ。


「自分じゃなくてよかった」、「あなたを解りたい」という相反する感情を抱くことへの嫌悪感。感情というものに対する嫌悪感、絶望。


比較から生じる感情に対する嫌悪感。無意識に比較していることに対する嫌悪感。嫌悪感に対する嫌悪感。自分本位になりきれない絶望。


転換・転換点に対する不安、恐怖、憎悪。


過去を蔑ろにする人々への軽蔑。この軽蔑だけは忘れてはならない。


無知に対する憧憬、軽蔑。この葛藤からは死ぬまで逃れられない。矛盾に引き裂かれ続ける。


責任、誠意、誠実。これらの言葉が放つ悪臭。


過信が生む悲劇。信じることに対する恐怖。


結局、私自身も含めて、誰も自分のことしか考えていない。考えても仕方がないというのに。


復讐は束の間の達成感を生むが、その後は地獄のような虚無感に転ずる。第一、復讐相手が既に死んでいるとすれば、その努力は空虚という他ない。割に合わないどころの騒ぎではない。


対立を煽ってはいけない。双方を吟味すること。折衷できるなら、すること。


自分が持つ観念の微調整。その際限の無さ。


グラデーションにおける中間。この位置でしか、両端を同じ視力で捉えることはできない。


方法的懐疑。弁証法。あと何が必要だ?


あらゆる人が私でないのが羨ましい。それは、不可能なことのなかでいつも最大のもののように思われ、それが最大の原因となって、私の毎日の苦悩、あらゆる時間が悲しいという私の絶望が生まれた。
​───フェルナンド・ペソア

/

芥川龍之介『沼』。辛くなったら読み返そう。


勿論僕は死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。

(芥川龍之介『遺書』)

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途方もない。やりきれなさだけが肥大する。視覚も聴覚も厭わしい。助けを求める、誰に?助けてもらった、その先は?わからない。全部がわからない。狂い続けて、死ぬのか。

/

自分という病は、少なくとも私の場合は、部分寛解はしても、完全寛解することはない。


私は、私という監獄の囚人だから。ここから出られることはない。ここから出られたとしても、人間社会から完全に逃れる術はない。生まれながらにして八方塞がりだ。


本能だけの生物に生まれたかった。単純で美しいから。


善人、悪人などいない。善行と悪行があるだけだ。人間には善と悪が同在している。

/

私達は物事をあるがままに見ない。私達に都合のいいようにしか見ないのだ。
​───アナイス・ニン

/

忘れない。忘れないという意思を忘れない。


優しさなんてないよ。心があるだけだ。



5/8(土)

マンディアルグ『薔薇の葬儀』読了。『城の中のイギリス人』よりはライトだった。


図書館に。未読のアンナ・カヴァンを一冊。


澁澤龍彥『快楽主義の哲学』読了。なかなかの良書だった。そういえば、今朝、今日が澁澤の誕生日であることを知った。


理解・被理解に対する執着からの脱却。不理解に対する諦め。


維持と停滞を見紛わないよう注意すること。


努力には二種類ある。一つは漸近、もう一つは維持。特に後者に対する絶望。努力には際限がないことを思い知らされる。到達に対する恐怖、焦燥。絶えずこの矛盾に晒されている。


しなくてもいい努力というのは、基本的にはない。だが、しなくてもよかった努力というのは、少なくとも私には、数え切れないほどある。努力には時に後悔を生むという欠陥がある。この欠陥を私は容認することができない。


本能に基づく努力と、理性に基づく努力。私を煩わすのは、くどいようだが、後者だ。理性はよく本能を断罪しているが、私に言わせれば、理性だって本能にとっては障害になっている。


退化欲求があるというのは、何も恥ずべきことではない。進化を無条件に賞賛する態度と風潮に疑問の目を向けねばならない。不本意な変化を歓迎しろと言われても、それは無理な話だ。



5/9(日)

興味は必ずしも好意であるとは限らない。好意は何から成る?興味、共感、あと何から?共感…いや、共感性羞恥という言葉があるように、共感が必ずしも好意と直結するとは限らない。


偽物の安心を、どう処理したらいい?

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個性を探すとは唯一性を探すことだ。孤独に耐えられないならそんなものを探す必要はない。わざわざ不安になりにいくようなものだ。


わざわざ精神を危険や不安に晒さないと気付けないこと、わからないことがある。それに価値があるのかはともかくとして、そういう現実がある。それを実践する人は凄く切実だと思う。


理解なんてない。理解したいという姿勢があるだけだ。その姿勢を決して冷笑しないこと。



5/10(月)

私を人として好きな人はいるんだろうか。私は自分のことが全然好きじゃない。死ぬまで好きになれないかもしれない。それでも許してくれるだろうか。それで自分を許せるだろうか。


「覚えていてくれてありがとう。記憶の中の私と今相手にしている私は、重なっているかな。重なっていてもいなくても、また話せるかな」



5/11(火)

他人の日記だけ読みたい。

/

もしも願い一つだけ叶うなら
君の側で眠らせて
どんな場所でもいいよ

宇多田ヒカル/ Beautiful World



5/12(水)

アンナ・カヴァン『あなたは誰?』読了。心理描写のことごとくが自分を指しているようで、読んでいてあまりに辛かった。


ときに娘は現在置かれている状況の不確かさに落ち着かなくなり、自分の新しい幸せが不意に消えてしまうかもしれないと不安になる。しかしそのことを認めたり、それについて考えたりしようとはしない。とはいえその気持ちは、ふたりのあいだではすべてのことを、ずっとそうであったようにまったく同じにしておきたいという彼女の迷信的な望みのなかに表れる​──どのような変化が忍びこんでくることにも、彼女は耐えられない。(本文より抜粋)


しぬつもりで
しぬならば
幸福とよべるかもしれないが
しぬつもりで
いきていない
お前の息は
正しいか

(三角みづ紀『水曜日、万有と』より抜粋)


私を棄てて去ってゆく者は、
昨日というその日であり、引き留めることができない。
私の心を乱しつづける者は、
今日というこの日であり、憂いは尽きることがない。

(李白『宣州の謝朓の楼にて 校書叔雲に餞別す』より抜粋)


自ら生きるために罪を犯し
誰かを生かすために道を誤る

(植松晃一『罪人ジャン・バルジャン』より抜粋)


すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに

(原民喜『悲歌』より抜粋)


悲しいまでに遠くを見てうるんだ眼をお前は人からひた隠してゐた

(立原道造『驢馬の歌』より抜粋)


痛みの終わりが、
ここから見える大好きな景色の終わりなら、
私はずっと傷ついていい。

(矢口蓮人『リング』より抜粋)


苦痛のどん底に落ちた人は叫ぶ。​──俺を救い得るものはただ苦痛のみである。苦痛の盃を最後の一滴まで飲み干すことである。

(種田山頭火『生の断片』より抜粋)


明日の私へ。あなたは断片に過ぎないかもしれない。けれど、その断片が誰かにとってのすべてになるかもしれない。それは明日の私かもしれない。だから、どうか、書くことをやめないでください。



5/13(木)

薬が切れたので病院に来た。


終日雨で寒いというのに、扇風機が稼働していた。青空文庫萩原朔太郎の詩を読んでいた。


ストラテラをやめ、トリンテリックスという薬を処方された。頓服のルネスタも貰った。


帰りしな駅に。中古で『ライ麦畑でつかまえて』を購入。でも先に『フラニーとゾーイー』を読もうと思う。訳者はどちらも野崎孝


詩を書いた。2つ。


『澁澤龍彥玉手匣(エクラン)』読了。澁澤が紹介しているものは全部読みたくなる。きっと紹介のしかたが巧いのだろう。


いま気になっているのは福永武彦深沢七郎


ジッドをもっと読みたい。『田園交響楽』もよかったが、個人的には『パリュウド』が逸品だと思う。


もともと、紙の本を手にする前は青空文庫を読み漁っていた。太宰や芥川は言わずもがな、まったく知らない詩人の詩なんかも分け隔てなく読んでいる。


と、まあこんなことをつらつらと書いていてもしかたがないので、また新しい本を開くとする。世界は広いので、日本の小説だけを読むのは勿体ないです。


それでは今週はこの辺で。死にたくなったら詩を書きましょう。

日記 4/30-5/6

4/30(金) 天気:晴れ

ダンテの神曲が気になっている。あと、キリスト教が気になっている。


今月も死なずに済みました。まだ生きていたいです。来月もよろしくお願いします。


5/1(土)

殺してくれ、と叫んだ。そんな目で見るなよ。そんな口調で諭すなよ。お願いだから。


俺は誰なんだ?誰だったんだ?誰も教えてくれない。教えてくれよ、記憶が消えてくんだ。


詩を書くのを、やめようと思った。でも、できなかった。自分には、これしかなかった。


5/2(日)

近所を散歩した。雲はみていて飽きないな。


海浜公園にいきたかった。来年いけるかな。


食べる、という行為が気持ち悪くなる。水を飲むことに抵抗は無い。水だけで生きれたらな。


トーマス・ベルンハルト「アムラス」読了。


5/3(月)

何冊か古本を購入。田中西二郎訳のブロンテ「嵐が丘」を偶然見つけた。


図書館に寄る。ゴールデンウィークだからか、人がたくさんいた。何も借りなかった。


花の名前とか全然わからないけど、綺麗だと思う。梅雨になる前にできるだけ散歩したいな。


5/4(火)

きょうは外にでなかった。


ジャック・レダ「パリの廃墟」読了。

孤独になりたいという、ときに野蛮なまでの欲求に苦しめられている輩にはさまざまな欠陥があるのだが、内に秘めた犯罪の比率が憂慮すべきほど高くなることがある。(本文より抜粋)


ルソー「孤独な散歩者の夢想」読了。

幸福というのは、一つの不易の状態であるが、かかる状態は、この世では人間にとって誂えむきにできていないらしい。地上にある一切は不断の転変のなかにあって、不変の形体をとることは何物にも許されないのである。われわれの周囲の一切のものは変化する。われわれ自身が変化する。そして、きょう愛するものを明日も愛するであろうなどと、いかなる人といえども確信することはできまい。かようにして、現世の至福を求めようとするわれわれの計画はすべて妄想でしかないのだから、精神の満足が得られるときには、のがさずそれを有益に使おう。迂闊にもそれを疎んずるようなことはしまい。(本文より抜粋)


5/5(水)

図書館に。佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」を借りた。読みたかった小説。


身体が重くて横になっていたら寝てしまっていた。雨の日は十中八九活動できない。

/

美の本質の一つに、虚しさがあると思った。内容が無いという意味ではなく、役に立たないという意味の方。


美を何かに役立てようなどとさもしい了見を持つのは、美のほんとうの理解者ではない。
​───寺山修司


美に限らず、役に立たないものをどうにか役立てようとするのは、個人的に見苦しい。万人受けする必要があるだろうか?一般的に役に立たないものにこそ個人的な価値や愛着が宿るのではないのか。それを自分が知っていればいい。

/

等価には、考えてみれば当たり前のことだが、「等しく無価値」も含まれる。


5/6(木)

まっすぐ伸び続けたそれはきっと
まっすぐすぎて折れてしまったようだ

(yonige/ 二月の水槽)

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文字が頭に入ってこない。穴の空いたスプーンで食事をしているみたいだ。これじゃあ、断食しているのと変わらない。栄養失調になる。

/

どんな読者を私は望むか。私をも自分をも忘れて、本の中にのみ生きる無私虚心な読者を。
​───ゲーテ

/

この作家は性格が悪い、というような感想を時折聞くが、作品に触れてそう言っているなら、その感想は甚だ可笑しい。第一、順序が逆だ。自身の性格の歪みを直視し、それを自覚している人間のうちの一部が物を書いている、書こうとしているのだと私は思う。作者の性格が悪いからといって、作品を食わず嫌いするのは実に勿体ない。逆に、作品が良いから作者の人となりもさぞ立派なんだろうと思い込むのもいい迷惑だ。勝手に期待して勝手に失望する人間は、二度と作家も作品も相手にしない方がいい。

/

太宰は、ちゃんと全部読んでから相手を批評していたよ。

/

誰に怒っているんだろう。何だか酷く虚しい。怒ったところで、どうしようもないのにね。

/

まだ砕けていないだけだ。よく見てみろよ。亀裂が無数にある。砕けるのは時間の問題だ。





















砕けてたまるかよ。

日記 4/23-4/29

4/23(金) 天気:晴れ

日差しが心地いい。


特に不安も感じず、安穏とした一日だった。


安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。【太宰治 / 葉】


もう会えない人達の顔が折に触れてちらつくけど、殆ど全員、詩にし尽くしてしまった。


書くことは生きることで、生かすことだった。


あと、いくつ書けるかなあ。


もう、自分はとうに救われてるんだ。救われたという声に。


自分の為にしか書いてないなんて、真っ赤な嘘だったな。


生きてる限り、書こうと思うよ。それ以外に私にできることなんて、何もないからさ。


4/24(土) 天気:晴れ

髪を切った。


プリーモ・レーヴィ「天使の蝶」、ルゴーネス「アラバスターの壺」を買った。どちらも欲しい本だったから、買えてよかった。


関わっている人が死ぬのはもう見たくないんだけど、それでも私は、人と関わるのを辞められないんだろうな。筋金入りの馬鹿だから。


信じることは、自分を騙すことに似ている。


/


何かを信じるということは、何も考えないということだ。

(村田沙耶香『変半身』)


人を傷つける行為は、自分の中にある堕落を他人に転嫁することである。だからこそ、まるでそうすれば救われるかのように、そういう行為に走りがちなのだ。​

───シモーヌ・ヴェイユ


4/25(日) 天気:くもり

斜線堂有紀「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」読了。すごくよかった。


3時25分、消灯。


/


書いた詩が700に達した。


4/26(月) 天気:晴れ

図書館にいった。精神に関する本が読みたいなと思い、統合失調症と、境界性パーソナリティ障害についての本を一冊ずつ選んだ。それと、シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」も借りた。これは哲学書かな?ノートは好きではないから、ルーズリーフを使おうと思う。


18時にも関わらず、空は依然として青い。白い月が浮かんでいて、放哉を思いだした。


寂しさと苦しさは、独立していると思った。


4/27(火) 天気:晴れ

エイミー・ベンダー「燃えるスカートの少女」を買った。これも前から欲しかった本。


岩波の青背みたいな難しい本は続けて読めないから、箸休めに童話とか絵本とか読みたい。


日記とかエッセイ、私小説なんかも好きなんだ。読んでいて、その人の生を感じるから。


4/28(水) 天気:くもり

この頃、結構な頻度で金縛りに遭う。


/


自分さえよければいい、という考えになれない。もしなったとしたら、誰とも関わらない方がいい。


記憶が日に日に抜け落ちていく。それが辛い。


4/29(木) 天気:雨

全否定も、全肯定も、哀しいことのように思う。哀しいことだらけだ。


/


辻村深月のエッセイ、鷺沢萠皆川博子遠藤周作中島らも中村文則カポーティの小説を買った。


気になっていたトーマス・ベルンハルトの小説を借りた。ベルンハルト・シュリンクと混同する。前者はオーストリア、後者はドイツ出身。


去年の4月あたりから本を読み始めて、1年経って、100冊くらい読んだかな。全然だ。


/


中也の誕生日だった。いつか、墓にいきたい。


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もう、4月も終る。来年の4月まで、生きてんのかな。

















失いつづけるのに、慣れたくないな。

日記 4/16-4/22

4/16(金) 天気:晴れ

新越谷に来た。駅ビルの本屋で時間を潰した。


南越谷に隣接していて、そこには二年前に来た。その時会った人とはもう繋がっていない。


電車で一人、あてのない旅がしたい。


繰り返す事が怖い。でも、時には繰り返さなければいけない。みずからの意思で。


出来るなら、損得勘定で生死を捉えたくない。出来るだけ、自分を呪いたくない。


楽な方へ、楽な方へと視線を彷徨わせながら歩き、いざ辿り着くと、そこにおいて自分が場違いな存在のように感じる。そして逃げだす。その繰り返し。私は一体、何がしたいのだろう?


久々に、小説を書いた。


4/17(土) 天気:くもり

頭に圧迫感を感じる。朝は大抵気分が悪い。


まともな思考も計画もできない。建設的な案を講じる事ができない。


いままで、まともなふりをしていただけだ。まともじゃない事を自覚する事から始めよう。


自信過剰にはなりたくない。自分の傲慢性が怖い。鈍感に焦がれながら畏れている。


足音が聞こえる。気配を感じる。近づいているようにも、遠ざかっているようにも聞こえる。


去年や一昨年の出来事が、ずっと昔の事のように感じる。


4/18(日) 天気:晴れ

フェルナンド・ペソア短編集 アナーキストの銀行家」読了。とても好きだった。


不安になると視界が揺らぐ。酷い目眩がする。


考え過ぎないこと。ただ、考えるのは辞めないこと。


理由にこだわらないこと。理由を後付けしないこと。


好きということを知られずに、知らせずに好きでいつづけるということ。


一度免罪符として利用したものは、最後まで免罪符として利用すること。


許されないことと同様に、許されることにも耐えること。


意味付けに囚われないこと。


4/19(月) 天気:晴れ






早く死にたい


4/20(火) 天気:晴れ

夏日だった。


図書館にいった。レダツァラツヴァイクユイスマンスを借りた。ツァラを借りられたのはよかった。


本を読んでいない時は何をしているかというと、面白そうな本がないか延々とネットの海を漂っている。要は、本の事しか考えていない。


4/21(水) 天気:晴れ

ジャン・コクトー「大胯びらき」読了。


消灯し、横になった。深夜の2時だった。中途覚醒を繰り返し、いくつもの夢を見た。


マンディアルグ「城の中のイギリス人」読了。


暑いけど、明日は外にでようかな。


4/22(木) 天気:晴れ

すこしだけ散歩した。風がつよかった。帰りがけに公園へ。桜の姿はもうなかった。


頭が痛くなってしまって、横になっていた。


特に書くこともないので、気になっている本を整理して終りにします。


バルザック/ ラブイユーズ

コレット/ 軍帽

北杜夫/ 楡家の人びと

カフカ/ ミレナへの手紙

ジャコモ・レオパルディ/ 断想集

・エマニュエル・ボーヴ/ のけ者

ジャン・ジュネ/ シャティーラの四時間

シュテファン・ツヴァイク/ 女の二十四時間

・ハンス・エーリヒ・ノサック/ ブレックヴァルトが死んだ

トーマス・マン/ ヴェネツィアに死す

マリオ・バルガス=リョサ/ 世界終末戦争

アラン・ロブ=グリエ/ もどってきた鏡

吉行淳之介/ 廃墟の眺め

・フアン・ホセ・サエール/ 傷痕

・ホセ・ドノソ/ 夜のみだらな鳥

アナイス・ニン/ 人工の冬

・ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル/ すべては壊れる

マイケル・オンダーチェ/ イギリス人の患者

マイケル・オンダーチェ/ 戦下の淡き光

皆川博子/ ペガサスの挽歌

・マルセル・ベアリュ/ 水蜘蛛

・ホフマン短篇集

ガルシン短篇集

ジュール・シュペルヴィエル/ 日曜日の青年

・ピーター・トレメイン/ アイルランド幻想

・フィッツ=ジェイムズ・オブライエン/ 金剛石のレンズ

橋本一子/ 森の中のカフェテラス

・リュドミラ・ペトルシェフスカヤ/ 私のいた場所

・オーブリ・ビアズレー/ 美神の館

・スザンナ・ケイセン/ 思春期病棟の少女たち

色川武大/ 狂人日記

倉阪鬼一郎/ The End

恒川光太郎/ 夜市

筒井康隆/ 笑うな





それでは、今回はこの辺で。よき夢を。

日記 4/9-4/15

4/9(金) 天気:晴れ

悪は無くならない。何故なら、誰もが同じ正義をもつわけではないから。悪というのは往々にして、認識の齟齬から生まれるから。


長らく共にしてきた認識というのは、もはや身体の一部みたいなものだ。当人にとってはそれが常識となる。矯正するのは容易ではない。


葛藤とは自問自答の事だろうか?受容の背後に葛藤がある事は少なくない。


全否定と同じくらい、全肯定が恐ろしい。肯定と受容は違う。また、受容は共感ではない。


この間、ルソーを読んでいたら、「僕は憎む事は無いが、軽蔑はする」みたいな文章があったけれど、芥川も同じような事を言っていた気がする。憎むより軽蔑する方が楽だと思う。


_____


君もまた優しさのために、性格を壊すのではないか。

​───中原中也


詩を書き始めて、きょうで二年。三年目も頑張ろう。


4/10(土) 天気:晴れ




倦怠と焦燥だけがある。どうにかしてくれ。


4/11(日) 天気:晴れ

鷺沢萠帰れぬ人びと」読了。こんなに文章が上手い人がいたのか、と思った。


また本屋にいった。上田岳弘「ニムロッド」が気になっている。帯文が島本理生だった。


田中西二郎訳のブロンテ「嵐が丘」が読みたい。あと、天沢退二郎の詩集を探している。


4/12(月) 天気:くもり

悪い夢ばかり。


選択肢に死があるうちは幸福にはなれないのだろうか。本当にどうにもならなくなったら死ねばいいしな、という気持ちで生きている。じゃあ今はどうにかなってるのかというと、まあ、辛うじてどうにかなってるんだと思う。いつ崩壊してもおかしくないような、瀬戸際の日々。


4/13(火) 天気:雨

いまさらながら、人間失格を読みました。本当に良いものを読むと、何も語りたくなくなりますね。死ぬまで、繰り返し読むと思います。


4/14(水) 天気:雨






何も無し。けど、詩は書いた。


4/15(木) 天気:晴れ

江國香織「雨はコーラがのめない」を読んだ。


恐怖はたぶん、一人一人がみんな個別に、いつも、そしてずっと、戦わなきゃならない何かなんだろうなあ。

(本文より抜粋)


_____


自分が一番不運な人間なんだという思いと、自分よりも不運な人間なんていくらだっているという思いに板挟みになる時が、最も悶える時かもしれない。


思い込むことで楽になることはあるが、所詮は虚しい弥縫策に過ぎない。半端な自己暗示は、却って劣等感罪悪感を増幅させるだけのように思う。


言語化できない苦しみにぶつかった時、出来ることは、「言語化」という活動を批評することくらいだろう。或いは、黙って死を待つこと。


「あなたの言葉に救われました」、「あなたの言葉に傷つきました」、どちらを言われても嬉しい。それは、良くも悪くも、無視しなかったということだ。向き合わなければ、癒えることはおろか、傷つくことさえ出来ない。


腹が減れば物を食い、喉が渇けば水を飲む。愛も、それくらい単純なものならよかったのに。


真剣になれるものが、言葉くらいしかない。


_____


あなたを見ている 忘れていくから
さよならの途中、悲しみが足りない

(ピコン/ 悲しみが足りない)


涙が零れた あなたに触れて
さよなら忘れて生きていたい惨めなまま

(ピコン/ 死ぬにはいい日だった)


さよならからまだ始まらない
君との会話も忘れてゆく

君の脈で踊りたかった 今はできない
生ぬるいまま変れないでいる日々に溶けてゆく

今に負けそうだ

君の所為とか思わないけど何故か寂しくて
生ぬるいまま息を吐いている 日々に騙されて

君の脈で踊りたかった 今はできない
情けないけど抱きしめてよ 側にいて

(ピコン/ 君の脈で踊りたかった)


あれもこれもそれも駄目になって
思い出したいくらい辛くなって
だけど今も思い出せなくて
涙が溢れた毎日だって
季節を忘れた毎日だって
くだらないなりに記憶めくって

故に哀しあってなぁなぁになって
君がいないなんて嘘みたいな毎日だ
哀しあってなぁなぁになって
ただ独り見えた 君が笑っていた

(ピコン/ ただ息をしていた)


覚えたことすら零れていくけど
脆すぎる日々をまだまだ愛していたい

塞いでいたけど季節がただ剥がれていく
あなたが居ないこと認めてしまえた

まだ浅い夜に

また逢えたらあなたと夢の中で
いつかは忘れるけど

目が覚めたらいつかと同じ夜で

あなたの声すら忘れてただ剥がれていく
あなたが居ないこと認めてしまえた

まだ浅い夜に

(ピコン/ 愛)


_____


外にでた。相変わらず錆びた自転車を飛ばしている。最近は雨が降りやすいから、晴れている時は外にでたくなる。


古本を買った。レアージュO嬢の物語」(澁澤龍彥訳)、ギャリコ「雪のひとひら」(矢川澄子訳)の2冊。どうでもいいけど、澁澤と矢川は元夫婦。


図書館へ。ペソアコクトーグラビンスキ、マンディアルグを1冊ずつ借りた。鞄が重い。本当は絵本が読みたくて来たのだけど、いつもの癖で小説の棚にいってしまった。


来月、シオランの「生誕の災厄」新装版がでるらしいから、とりあえずそれまでは生きる。


死がよぎらない日がない。私は、戦いつづけたい。死ぬまで、戦いつづけたい。完全にひとりになったとしても。

















ひとりになってからが、本番だろう。

日記 4/2-4/8

4/2(金) 天気:晴れ

有明という街に来た。やけに広かった。

一人で不安を解消する方法というのは実際にあるのだろうか。

前進だけが称賛され、停滞や後退には冷めた視線を向けられる。そもそも前進とか後退とか、そういう概念自体が気に食わない。人間というだけで、人間らしく振る舞わなければならないという生来的な枷、責苦、逃れられない呪縛。


4/3(金) 天気:晴れ

葉桜になっていた。それでも綺麗だった。

フェルナンド・ペソア「不穏の書、断章」を買った。



夜風が心地いい。


4/4(日) 天気:雨

本当に何もかもどうでもよくなった時、どこまでも堕ちていける気がする。その時にはもう、喪失なんて眼中にないのだから、躊躇ってきた事のすべてをやってから死んでもいいのではないだろうか?最後くらい、自分の欲望に忠実になってもいいのではないだろうか?どうせ最後には何も残らないのだから、人の目など気にせず、死ぬまでやりたいことだけをやるのも悪くないのではないだろうか?そんな考えがよく脳裏を掠める。

要は、自殺以外で救われる方法を探しているという事です。くどいですが、死んだらおしまいなので。


4/5(月) 天気:雨

シュペルヴィエル「海の上の少女」読了。

2時49分。まだ眠くなかったけど、消灯した。雨が降っている。

パスポートの有効期限が先月で切れていた。

顔と名前は一致するのに、顔と声が一致しない事が増えた。やっぱり、ひとの特徴で一番最初に忘れてしまうのは声らしい。


4/6(火) 天気:くもり

ずっと外にでないでいると、頭がおかしくなってくる。3日に1回は散歩しにいった方がいい。

生きたいとか、死にたいとか思うのはもう疲れた。でも、感覚なので仕方がない。


いまの私は、まちがった私で、なるべき私にはならなかったのだ。
まとまった衣装がまちがっていたのだ。
別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。
後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。

​──アルヴァロ・デ・カンポス(ペソアの異名)


4/7(水) 天気:晴れ

午前は図書館にいった。

午後は本屋にいった。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、村上龍限りなく透明に近いブルー」を買った。

いつか会えるのなら、生きている限りは、何年でも、何十年でも待つよ。約束する。


4/8(木) 天気:晴れ

激痛のような思いが、身体を走り抜けた。何もかも、いちように幸せでいたかった。そうでなければ、生きている意味はないような気がした。あり余るほどの幸福のもとでしか生きていきたくない。そう思うことはそれほど傲慢なことだろうか。そう望むのはいけないことだろうか。

(鷺沢萠「川べりの道」)


尾崎放哉の随筆を読んでいたら、種田山頭火の日記がまた読みたくなってきた。


もっと、もっと読みたい、書きたい、足りない、全然足りない。


「青」が私のテーマなんだと思う。優しくて残酷で、届きそうで届かない、届いた途端に褪せてしまうもののイマージュ。それに私は「青」という色を見いだした。青空は、そんな理由で好きだ。自分を苦しめてくるものすべてに意味がある。それが目にみえないものなら、なおさら。


過去を蔑ろにしたくない。過去に不誠実な人間に救いは無い。救われたいかは別として。


優しさは、やっぱり、想像力の事じゃないかな。


過去に救われた事がある。その事実さえあれば、その事実さえ覚えていられれば、私は充分だ。


遡った分だけ、遡る度に、私は真実をみる。


一つの事実と、一つの真実さえあれば。
















いつか、会えたらなあ。

日記 3/26-4/1

3/26(金) 天気:晴れ

上野公園にいった。上野公園は3年ぶりだった。白妙という桜が気に入った。ユリカモメという白い鳥がいた。鳴き声が面白かった。

自然や動物に興味なんてなかったのに、精神を病んでから興味が出てきた。どうしてだろう、人間とその周辺に疲れていたからかな。


3/27(土) 天気:くもり

欲しい本がたくさんある。とりあえず、ルゴーネスの短篇集は今度買おうと思う。

桜を見に近所の公園へ。これで見納めかな。


3/28(日) 天気:雨

朝起きて、発狂しそうになった。あとどれだけ朝を繰り返すんだろう。

宮木あや子「あまいゆびさき」を買いました。宮木あや子は「官能と少女」がおすすめです。

性別が厭わしいです。


3/29(月) 天気:晴れ

美波「Prologue」を久々に聴いたら泣きそうになった。

薬を貰いに病院にいった。待っている間は立原道造の詩集を読んでいた。今日が命日だった。

駅前の本屋に寄った。小川洋子「完璧な病室」を買った。


3/30(火) 天気:晴れ

あなたの優しさは優しさじゃなくて弱さだよ、みたいに断定・断罪しているひとを偶にみかけるけど、そういうあなたは立派な人間なの?


3/31(水) 天気:くもり

外にでた。桜が散っていく。

死は怖くないと自分に言い聞かせている。

フランツ・カフカ「夢・アフォリズム・詩」(編訳:吉田仙太郎)を買った。

今月は殆ど何もできなかった。まあ、死ななかったからいいか。来月も死なないといいな。


4/1(木) 天気:晴れ

吾々の記憶というものは、この世界などよりも遥かに完全な世界なのだ。記憶は既に生存していないものに生命をあたえるのだ。

(ギ・ド・モーパッサン『ある自殺者の手記』)


ジョルジュ・バタイユ「青空」読了。

以下本文より抜粋


ぼくは綱を引張っている犬のような状態だった。何も見えなかった。時間の中に、瞬間の中に、血の脈動の中に閉じこめられ、ちょうど、殺されるために縛られて、その紐を必死に切ろうとしている人間と同じ苦しみを味わっていた。もう幸福など全然期待していなかった。自分が何を待っているのか、もう全然わからなかった。

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​──あたし、苦しんで幸せだったわ。


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4月になった。まわりは進み、私は進むどころか後退している。停滞したり後退したりしている。それでも生きているので、いいです。


もう少し、もう少しと言い聞かせながら、もう少しだけ足掻くつもりで、往生際悪く、這いつくばっていきましょう。















私のことはわすれて構わないので、私の言葉だけ、時折思いだしてくれたら、うれしいです。