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灰色の記憶

日記 6/25-7/1

6/25(土)

人は法を作る瞬間から、法の外に置かれ、同時に法の保護から逃れる。かかる理由によって、なんらかの権力を行使する人間の命は、ごきぶりまたは毛虱の命ほどの値打ちももたない。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p95)



悪と苦痛と死の礼賛が、生への仮借ない憎悪をともなうのは論理的に必然だ。愛───抽象的に説かれた愛は、それが具体的なかたちをおび、形をなし、性欲、エロティシズムと呼ばれるとたちまち、はげしい迫害を受ける。喜びと創造の泉、最高善、呼吸するすべてのものの存在理由は、世俗人と聖職者の双方の頑迷固陋なすべての屑どもから、悪魔的な不機嫌さをもって迫撃されるのだ。

(p96-97)



純粋は生の嫌悪、人間への憎しみ、無への病的な熱情だ。

(p97)



一人しかもたないことは、なに一つもたないことだ。一人をもちそこなうことは、全部をもちそこなうことなのだ。

(p112)




6/26(日)

今やおれは、自分がどのようにしてこの世とおさらばするかを知っている。おれの最期は、おれのなかにある石でできた人間の、その残りの肉と血とでできたものに対する決定的勝利であるだろう。おれの運命がおれをことごとく所有し終わり、おれの断末魔の叫び、おれの最期の吐息がやってきて石の唇の上で死ぬ夜に、それは実現されるだろう。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p118)



彼らはどれも、同じ程度に取るに足りないものに思われた。つまり、たがいに同じくらい重要に思われるのだった。

(p122)



盲目と聾啞の壁を突き破るには、徴がおれたちを立て続けに叩くことが必要だ。世界のどこかではいっさいが象徴であり、比喩であることを理解するには、無限の注意力だけがおれたちに不足している。

(p131)




6/27(月)

水族館にいった。海月がきれいだった。




6/27(月)

日野啓三『抱擁』(P+D BOOKS 2018.9)

木村敏『異常の構造』(講談社現代新書 1979.1)

を買った。




6/28(火)

暑い。だるい。

・『中井英夫 虚実の間に生きた作家(KAWADE道の手帖)』(河出書房新社 2007.6)

・『久生十蘭 評する言葉も失う最高の作家(文芸の本棚)』(河出書房新社 2015.2)

・『竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔 生誕130年永久保存版』(河出書房新社 2014.1)

を買った。




6/29(水)

この世のいのちだけが存在ではないのですから




6/29(水)

武田泰淳『富士』(中公文庫 1973.8)

芹沢光治良『告別』(中公文庫 1979.1)

・澁澤龍彥『悪魔のいる文学史 神秘家と狂詩人』(中公文庫 1982.2)

三島由紀夫『鍵のかかる部屋』(新潮文庫 1980.2)

駒田信二『中国怪異小説集』(旺文社文庫 1986.6)

永井荷風『珊瑚集』(岩波文庫 1938.9)

平野啓一郎『一月物語』(新潮文庫 2002.9)

ディケンズ二都物語(上)』(中野好夫新潮文庫 1967.1)

ディケンズ二都物語(下)』(中野好夫新潮文庫 1967.1)

ゲーテ『若きヴェールテルの悩み』(佐藤通次訳 角川文庫 1950.8)

・オースター『幻影の書』(柴田元幸新潮文庫 2011.9)

・ヘンリ・ミラー『北回帰線』(大久保康雄訳 新潮文庫 1969.1)

を買った。




6/30(木)

東雅夫(編)『吸血鬼文学名作選』(創元推理文庫 2022.6)

ジョン・ミルトン失楽園(上)』(平井正穂訳 岩波文庫 1981.1)

を買った。




7/1(金)

日野啓三『梯の立つ都市 冥府と永遠の死』(集英社 2001.5)

日野啓三『落葉 神の小さな庭で』(集英社 2002.5)

日野啓三『地下へ サイゴンの老人』(講談社文芸文庫 2013.8)

日野啓三『断崖の年』(中公文庫 1999.9)

を借りた。




7/1(金)

もうどこにも行き場がないってことがどういうことか、おまえにわかるか。

(日野啓三「黒よりも黒く」)

日記 6/18-6/24

6/18(土)

忘れる




6/19(日)

「記憶の園が砂漠化したら、誰もが手の内に残った最後の樹木や薔薇を震えるほど慈しむよ。どうか萎れてしまわないようにと、朝から晩まで水をやり、愛撫するんだ。覚えているよ、覚えているから、忘れたりするもんか、とね。」

(オルハン・パムク『黒い本』鈴木麻矢藤原書店 p36)



古い習慣と新しい命令が対立した場合、たとえば「殺してはならない」という古い習慣と「殺せ」という新しい命令が対立した場合に、罪の感情は生まれます。しかしその正反対の場合、すなわち古い習慣では「殺せ」と命じていたのに、新しい道徳性が「殺すな」と命じ、すべての人がこれをうけいれた場合にも、これにしたがわないと罪の感情が生まれるのです。ということは、こうした罪の感情は道徳性によって生まれるのではなく、習慣や命令に適合するかどうかによって生まれるということです。

(ハンナ・アレント『責任と判断』中山元ちくま学芸文庫 p177)




6/20(月)

マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』(多田智満子訳 白水Uブックス 1984.12)を買った。




6/20(月)

死ぬ恐怖ではなく、死の無意味、いや生存そのものの無意味の恐怖。

(日野啓三「地下都市」)



ぼくは眠っても醒めてもいない。そしてなかば夢見ごこちのぼくの心のなかを、いつか直接に体験したり読んだり聞いたりしたものが、そのさまざまな色彩や明度のいくつもの流れが、ひとつに混じりあって流れていく。

(グスタフ・マイリンク「眠り」)



われわれはけっして主観を認識しない。主観とはそもそも、認識されるものを認識するものにほかならない。

(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)




6/21(火)

一切は孤独なしのびなきなのだ。

(林芙美子「瑪瑙盤」)




6/22(水)

日野啓三『あの夕陽・牧師館 日野啓三短篇小説集』(講談社文芸文庫 2002.10)を買った。




6/23(木)

辻邦生『廻廊にて』(新潮文庫 1973.5)

鷺沢萠帰れぬ人びと』(文春文庫 1992.10)

を買った。


マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳 白水社 2001.5)

マルグリット・ユルスナール『黒の過程』(岩崎力白水社 2001.7)

を借りた。




6/24(金)

ああ、なぜわたしの精神は、その最上の日々においてさえ、肉体の同化力のわずか一部分ほどのものしかもちえなかったのであろう?

(マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想』多田智満子訳 白水社 p15)


美の愛好者は、結局、いたるところに美を見いだし、もっとも下賤の鉱脈からさえ金鉱を発見するにいたるものなのだ。

(p22)



​短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな
​────日野啓三

日記 6/11-6/17

6/11(土)

何回読んだか知れない「秋風記」を読んだ。今日は、つづけて、7回読んだ。




6/12(日)

善人が愛するのは善人で、悪人が愛するのは悪人、本当にそうか?




6/12(日)

ゴーゴリ『死せる魂』(東海晃久訳 河出書房新社 2016.9)を借りた。


・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整新潮文庫 1964.6)

・『E.M.フォースター短篇集』(井上義夫訳 ちくま文庫 2022.6)

を買った。




6/13(月)

わたしたちは、何ものかであることを捨て去らねばならない。それこそが、わたしたちにとってただひとつの善である。

(シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』田辺保訳 ちくま学芸文庫 p61)




6/13(月)

久生十蘭『十字街』(P+D BOOKS 2020.5)

塚本邦雄『紺青のわかれ』(河出文庫 2022.6)

マルキ・ド・サド『閨房哲学』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1992.4)

アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹新潮文庫 1969.7)

・『室生犀星詩集』(福永武彦新潮文庫 1968.5)

を買った。




6/13(月)

新宿で人と会った。楽しかったです。


また、会いましょう。




6/14(火)

一人でいることの存在様態は

・孤独(ソリチュード)
・孤立(ロンリネス)
・孤絶(アイソレーション)

の3つ(『責任と判断』参照)




6/14(火)

​───これこそは大なる苦痛だ。今おれはそれを体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。


​───これが死だ。今おれは死を体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。

(トーマス・マン「幻滅」実吉捷郎訳)



無関心───それは一種の幸福だということをおれは知っている。

(トーマス・マン「道化者」実吉捷郎訳)



いつか一度、あの呪いからのがれられたら。───お前はただあることは許されない、創造せねばならぬ。愛することは許されない、知らねばならぬ───というあの犯しがたい呪いから。

(トーマス・マン「飢えた人々」実吉捷郎訳)




6/15(水)

おれはまさに道化癖のために、どうしても滅亡せざるを得ないのだ。


​───おれはどうかというと、おれはもう失われた人間なのである。

(トーマス・マン「道化者」実吉捷郎訳)



芸術だ。享楽だ。美だ。この世を美で包んで、いっさいの事物に様式の高貴を与えろ、と彼等は叫んでいる。───やめてくれ、無頼漢ども。お前たちはこの世の悲惨を、けばけばしい色で塗り隠せると思うのか。悩める大地のうめき声を、豊潤な美感のお祭り騒ぎで消してしまえると信ずるのか。それは違うぞ、恥知らずども。神を嘲けることはできないのだ。神の眼から見れば、ぎらぎらする表面に対する、お前たちの厚顔な偶像礼拝は、恐るべき悪行なのだ。


僕は芸術を侮辱しはしない。芸術というものは、人を誘惑して、肉的生活の鼓舞と是認にかり立てるような、そんな破廉恥な詐欺じゃありません。芸術とは、人生のあらゆるおそろしい深みへも、恥と悲しみとにみちたあらゆる淵の中へも、慈悲深く光を射し入れる神聖な炬火です。芸術とは、この世に点ぜられた神々しい火です。この世を燃え上らせて、そのすべての汚辱と苛責ごと、救いをもたらす憐憫のうちに消滅してしまわせるために、点ぜられた火なのです。

(トーマス・マン「神の剣」実吉捷郎訳)



彼がこんなに長い間、死を征服してきたのは、ただひとえに意志の───幸福への意志のおかげではなかったのか。その幸福への意志が充足させられた時、彼は死ぬよりほかはなかった。争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかはなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである。

(トーマス・マン「幸福への意志」実吉捷郎訳)




6/16(木)

病院にいった。




6/16(木)

最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ


なぜなら幸福とは───と彼は胸の中で言った───愛せられることではない。愛せられるというのは、嫌厭の念と入りまざった、虚栄心の満足である。幸福とは愛することであり、また愛する対象へ、時としてわずかに心もとなく近づいてゆく機会を捉えることである。


誠実というものが地上にあり得ないということに、心からの驚きと幻滅とを感じていた。


​───自分は無数の生活様式に対する可能性と同時に、それが要するにことごとく不可能性だというひそかな自覚をもいだいている……

(トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳)



私は自分が存分に受け取ってきた断罪を、神の怠惰によって私から盗まれてしまった断罪を夢見ている。

(ニック・ランド『絶滅への渇望 ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム』五井健太郎河出書房新社 p159)




6/17(金)

自分の倦怠の灰の下に、明らかな焔ともならず、ほの暗くやるせなく微光を放っているものは、これはみんな何なのだろう。

(トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳)




6/17(金)

オルハン・パムク『わたしの名は紅』(和久井路子訳 藤原書店 2004.11)

オルハン・パムク『黒い本』(鈴木麻矢藤原書店 2016.3)

を借りた。


・ジッド『狭き門』(山内義雄新潮文庫 1954.7)

・マルセル・エイメ『壁抜け男』(長島良三訳 角川文庫 2000.7)

を買った。




6/17(金)

観念論ほど詩的なものはない…、いや違う、詩が観念論そのものなんだ…

日記 6/4-6/10

6/4(土)

悲しみだけが 人の世のさだめだとしたら
死によって限られる日々が
歎きの雲で 覆いつくされるとしたら
人間に授けられた この呼吸はむなしいだろう

(ルイス・キャロル「孤独」)




6/5(日)

詩を書いている




6/6(月)

あなたの想像と私の現実が重なった時、あなたにまた会える気がするから




6/7(火)

静けさに聾される、か。




6/7(火)

一条の希望の光がついに暗黒の空に射し込むようになるには、ときに深淵の底に達しなければならない。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p34)


存在への拒絶が無言のざわめきのようにおれのなかでこみ上げてきた。

(p35)




6/8(水)

北杜夫『幽霊 或る幼年と青春の物語』(新潮文庫 1965.11)を買った。




6/9(木)

「人間の生涯で、自分の運命が倒錯に捧げられていることについて偶然に発見すること以上に感動的なことはおそらくないだろう」

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p63)




6/10(金)

運命は目にこそ見えないが、避けられない仕方で現前し、そしてそのことをおれが忘れないように監視するばかりでなく、そう欲してもいるのだ。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p80)


おれが「肉が好きだ、血が好きだ、生き身が好きだ」と言うとき、重要なのは好きだという動詞だけなのだ。おれは愛のかたまりのようなものだ。動物が好きだから、肉を食うのが好きなのだ。自分の手で育て、自分の命を分け与えたような動物を、自分の手で喉を切って殺し、愛情こもる食欲を感じながら食うこともできるだろうとさえ思う。匿名の、非人称の肉を食べるよりはるかに豊かな、はるかに深い味覚をもって、おれはその動物を食べさえするかもしれない。それこそまさに、トゥーピー嬢のような女におれがむなしく理解させようとしたことだ。あの女ときたら屠殺場を怖がって菜食主義者になっているのだから。だれもがあの女のようにすれば、大部分の家畜はわれわれの風景から消えて、それは実に味気ないものになるだろうということがどうしてあの女に分からないのだろう。自動車が奴隷状態から馬を解放するにつれて馬がその姿を消しつつあるように、家畜はいなくなるだろう。

(p87)


われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂に、滴の落つるを将、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶間なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。

(ガブリエレ・ダンヌンチオ「声曲」)




6/10(金)

夕立があった。


ミシェル・トゥルニエ『気象(メテオール)』(榊原晃三、南条郁子訳 国書刊行会 1991.8)

セリーヌ『夜の果てへの旅(上)』(生田耕作訳 中公文庫 2003.12)

・フォースター『天使も踏むを恐れるところ』(中野康司訳 白水Uブックス 1996.9)

・『ディラン・トマス全詩集』(松田幸雄青土社 2005.11)

マルグリット・デュラス『廊下で座っているおとこ』(小沼純一訳 書肆山田 1994.3)

皆川博子『蝶』(文藝春秋 2005.12)

を借りた。


日野啓三が気になっている。

日記 5/28-6/3

5/28(土)

「愛してくれるなら愛してあげる」これは論外である。殊に、親が子に対してそのように思っているなら、本当に救いようがない。愛は物々交換ではないのだ。愛は、仮言命法であってはならない。

愛されているかどうかの一つの指標として、「自分がまだ生きたいと思えるかどうか」が挙げられる(ここで忘れて欲しくないのは、幸せ故に死んでしまいたいという理屈も存在するということ)。だが、あなたが今生きたくないと思っていることは、あなたが誰にも愛されていない証左だ、などと言いたいわけではない。愛とは世界を受け入れる過程に他ならない。




5/29(日)

・ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(中山元光文社古典新訳文庫 2008.9)

久生十蘭『湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫 2005.8)

を買った。




5/30(月)

渋谷にいった。




5/31(火)

アブラハム・B.イェホシュア『エルサレムの秋』(母袋夏生訳 河出書房新社 2006.11)

・ロベルト・ボラーニョ『通話』(松本健二訳 白水社 2009.6)

ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』(植田祐次みすず書房 2001.7)

中井英夫『幻戯』(出版芸術社 2008.8)

古井由吉『蜩の声』(講談社文芸文庫 2017.5)

を借りた。




6/1(水)

狂奔の内に一滴の静まりが点ずると、恐怖は一気に溢れ出す。

(古井由吉『蜩の声』講談社文芸文庫 p95)


「俺は死から抜け出そうと土を掘ったが、俺が掘ったのは死に通じる道のりだった」

(イ・ジョンミョン『星をかすめる風』鴨良子訳 論創社 p90)




6/2(木)

レオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』(垂野創一郎国書刊行会 2015.10)

・『リッツォス詩選集』(中井久夫訳 作品社 2014.7)

・ジャネット・フレイム『潟湖』(山崎暁子訳 白水社 2014.11)

ジョルジョ・アガンベン『王国と楽園』(岡田温司、多賀健太郎平凡社 2021.11)

フレデリック・グロ『創造と狂気』(澤田直、黒川学訳 法政大学出版局 2014.7)

を借りた。




6/2(木)

言葉の意味は言葉が隠すもので決まる。

(ヤニス・リッツォス「終わらない」)




6/3(金)

彼は手に取る。ちぐはぐなものだ。石が一個。
壊れた屋根瓦。マッチのもえかす二本。
前の壁から抜いた錆びた釘。
窓から舞い込んだ木の葉。
水をやった植木鉢からの滴。
昨日、きみの髪に風が付けた藁しべ。
こういうものを持って裏庭に行き、
おおよそ家らしきものを建てる。
詩はこの「おおよそ」にある、分かるか?

(ヤニス・リッツォス「おおよそ」)

日記 5/21-5/27

5/21(土)

・ディディエ・フランク『他者のための一者 レヴィナスと意義』(米虫正巳、服部敬弘訳 法政大学出版局 2015.10)

神崎繁『内乱の政治哲学』(講談社 2017.10)

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(ホーム社 2020.4)

を借りた。




5/22(日)

アガンベンが気になっている、あと、カール・シュミット




5/23(月)

我が生涯はあはれなる夢、
我れは世界の頁の上の一つの誤植なりき。
我れはいかに空しく世界の著者に
その正誤をば求めけん。
されど誰か否と云ひ得ん、
この世界自らもまた
あやまれる、無益なる書物なるを。

(生田春月「誤植」)




5/23(月)

・伊良子清白『孔雀船』(岩波文庫 1938.4)

・シュトルム『みずうみ 他四篇』(関泰祐訳 岩波文庫 1953.2)

サンドバーグ『シカゴ詩集』(安藤一郎訳 岩波文庫 1957.6)

ガルシン『あかい花 他四篇』(神西清岩波文庫 1937.9)

D.H.ロレンス『裸の神様』(岩倉具栄訳 角川文庫 1959.8)

を買った。




5/24(火)

ヴィルジリオ曰(い)ふ。あゝ福(さいはひ)に終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ

(ダンテ・アリギエリ『神曲』浄火 第三曲 七三-七五 山川丙三郎訳)




5/25(水)

死にたい




5/25(水)

闘争における死は、生きたこと、そして記憶されることに対する対価である。

(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p526)




5/26(木)

〈善〉、〈悪〉、〈善意〉、〈悪意〉、〈善行〉、〈悪行〉…それらは〈間の領域〉において生起するものであり、文字通り〈ひとり〉で生きている者にとっては、そんなことはどうでもいいことだ…




5/26(木)

爲すによるにあらず爲さざるによりて我は汝の待望み我の後れて知るにいたれる高き日を見るをえざるなり

(ダンテ・アリギエリ『神曲』浄火 第七曲 二五-二七 山川丙三郎訳)


心を苛責の状態にとむるなかれ、その成行を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判の後まで續かざることを思へ

(第十曲 一〇九-一一一)


語れ約まやかにかつ適はしく。

(第十三曲 七六-七八)


死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己が意のまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。

(第十四曲 一-三)




5/26(木)

哲学ではなくて詩が絶対化される場合には救いがある。

(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p543)


われわれが直接に、無媒介に、われわれの間にある共同のものに関係なく理解するのは、われわれが愛しているときだ。

(p543)




5/26(木)

私が生れる前にはこの私と少しも関係がない永遠があり、私が死んだ後にも永遠が横たわっている。

(『ラフォルグ抄』吉田健一講談社文芸文庫 p92)




5/27(金)

人に
秘密がないということは、財産を持たないかのように貧しく、うつろなことだ。

(『失花』書肆侃侃房 p10)




5/27(金)

オーブリ・ビアズレー『美神の館』(澁澤龍彥訳 中公文庫 1993.1)を買った。




5/27(金)

無意味なものの燦かさ

日記 5/14-5/20

5/14(土)

なにかを善だと認めたのなら、これを捕えようと欲すべきだ。そうせずにいるのはたんなる怯懦である。

(シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと(下)』冨原眞弓訳 岩波文庫 p68)


まがいの無限性を追い求めずにいられない刑罰。これは、地獄そのものである。

(シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』田辺保訳 ちくま学芸文庫 p117)


どんな嫌悪をも、自己への嫌悪にかえること……

(p292)




5/14(土)

・ピエール・ルヴェルディ『死者たちの歌 詩集』(佐々木洋訳 七月堂 2021.8)

福永武彦『廃市』(P+D BOOKS 2017.7)

・『金井美恵子詩集』(現代詩文庫 1973.7)

木田元ハイデガー存在と時間』の構築』(岩波現代文庫 2000.1)

志賀直哉『灰色の月・万暦赤絵』(新潮文庫 1968.9)

を買った。




5/14(土)

愛することと愛されることのどちらが崇高だろうか?




5/14(土)

4年ぶりに恩師に会った。


また会いましょう。




5/15(日)

私は、物語の洪水の中に住んでいる。

(太宰治「秋風記」)


昨日の酔いが少し残っている気がする、俺は滅多に酒を飲まない人間だからしばらく飲まないうちに弱くなったのか。




5/15(日)

ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』(生島遼一新潮文庫 1953.8)を買った。


・マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』(八重樫克彦、八重樫由貴子訳 作品社 2011.1)

・ミルチャ・カルタレスク『ノスタルジア』(住谷春也訳 作品社 2021.10)

を借りた。


降らないと思っていた雨が降ってきて全身ずぶ濡れになってしまった。




5/16(月)

北村透谷の命日だった。25歳で縊死したと書いてある。


草の葉末に唯だひとよ。かりのふしどをたのみても。さて美い夢一つ、見るでもなし。野ざらしの風颯々と。吹きわたるなかに何がたのしくて。

(北村透谷「露のいのち」)




5/17(火)

愛することなく讃えることができようか。賞讃が愛の一種であるなら、なにゆえ善ならざるものをあえて愛そうとするのか。

(シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと(下)』冨原眞弓訳 岩波文庫 p71)


善は、ただひとえに、ある種の条件が地上で真に実現した比率にのっとって、天から地上に降りてくるのだ。

(p124)


権利を所有するとは、それを善用する可能性と悪用する可能性をふたつながらに含意する。逆に、義務の遂行はつねに無条件にあらゆる点でひとつの善である。

(p144)


自分を所有物とみなす相手に捧げられる奴隷の献身は浅ましくも卑しい振る舞いだ。自由な人間に全身全霊を放棄させ、完全なる善を構成するものへの服従をうながす愛は、隷従的な愛の対極にある。

(p144)


神は世界の秩序を侵害する。生じさせたいものを出現させるためではなく、結果として生じさせたいものを導きだすような原因を出現させるために。

(p146)


神のはたらきの徴を宇宙にみいだそうとする試みは、神自身を完了形で限定的な善とするものだ。これは瀆神にほかならない。

(p148)


起こらないことはすべて同程度に神によって阻止されている。起こることはすべて同程度に神によって許容されている。

(p150)




5/17(火)

誰も必要としたくない。誰にも必要とされたくない。こうして生への渇望が失われていく。




5/18(水)

政治哲学を調べていた。




5/18(水)

愛するものたちを全て数え上げるとき 私は本当に遠くにいる

(ピエール・ルヴェルディ「二重鍵をかけて」佐々木洋訳)




5/19(木)

中条省平カミュ伝』(インターナショナル新書 2021.8)を買った。




5/19(木)

「汝、なすべし」と「汝、なすべからず」という命令の背後には、「さもなくば」という脅しが控えています。報復する時、コミュニティの一致した意見、あるいは良心が、制裁を加えると脅すのです。こうしたものがみずからを罰すると脅すのです(これは改悛と呼ばれます)。

(ハンナ・アレント『責任と判断』中山元ちくま学芸文庫 p128-129)


「汝、なすべし」とか「あなたはそうすべきである」という命令にたいしては、「わたしはどんな理由があろうとも、そんなことはしない、またはできない」と言い返すことができるのです。いざ決断を迫られたときに信頼することのできた唯一の人々は、「わたしにはそんなことはできない」と答えた人々なのです。

(p130)


自分を愛することができるという奇妙な観念は昔からあるものですが、この観念はわたしがほかのもの、さまざまな事物や人々に傾向性を向けるのと同じように、自己にも傾向性を向けることができるということを前提としているのです。

(p135)




5/20(金)

・ジョナサン・コット『奪われた記憶 記憶と忘却の旅』(鈴木晶求龍堂 2007.10)

ジョン・ロック『ロック政治論集』(山田園子、吉村伸夫訳 法政大学出版局 2007.6)

を借りた。




5/20(金)

もしわたしが他の人々と意見を異にするならば、相手との議論をやめて歩み去ることができます。でもわたしは自己と議論をやめて歩み去ることはできないのです。ですからほかのすべてのものを考慮にいれる前に、まず最初に自己と意見が一致するように努めるのが望ましいのです。

(ハンナ・アレント『責任と判断』中山元ちくま学芸文庫 p149)




チュートンの民の神オーディンは、二羽のカラスを飼っていた。一羽の名は「思考」、もう一羽は「記憶」。オーディンは毎朝、明け方にカラスたちを空に放ち、下界で何が起きているかを偵察させた。夜になると、カラスたちはねぐらに帰ってきて、夜通し、見たもの聞いたものすべてをオーディンに詳しく話した。ある日、オーディンの頭を疑問がよぎった。一方のカラスしか戻らなかったらどうなるだろうか。生きていくのにどうしても必要なのは、どちらのカラスだろうか。そしてオーディンはさとった。「思考」がいなくとも生きていけるが、「記憶」がいなくては生きていけないということを。

(北欧神話)




思い出されない夢なら、見ないほうがましだ。
記憶がなかったなら、眠っていたほうがましだ。
記憶がなかったなら、人生を生きてこなかったようなもの、あるいは、別の誰かがその人生を生きてきたようなものだ。
記憶がなかったなら、自分が誰だったのか、自分がほんとうは誰なのかを知るのはむずかしい。
記憶がなかったなら、今は思い出せないかつてのあなたが誰だったのかを知ることは困難だ。
記憶がなかったなら、自分自身やあなたの人生の物語とのつながりを失ってしまう。
記憶がなかったなら、他の人たちと分かち合った過去の経験の人間的つながりを失ってしまう。
記憶がなかったなら、かつて経験したことのある喜びや悲しみの感覚を思い出したり、再び味わったりすることができない。
記憶がなかったなら、忘れてしまった過去の行動に責任をもつことはむずかしい。
記憶がなかったなら、未来へとつなげるために、過去と現在を結びつけることはむずかしい。
記憶がなかったなら、内的世界と外的世界を、混乱と断絶と場所として経験する。
記憶がなかったなら、あてもなくさまよい、道に迷う。

(ゾハール)