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灰色の記憶

日記 3/15-3/31

3/15(水)

通所86日目。

 

 


3/15(水)

緩やかな衰亡の途上にあることの悦び。あるいは、形態の記憶を徐々に忘れ去ってゆくことの悦び。

(四方田犬彦『摩滅の賦』筑摩書房 p6)

 

 

 

3/16(木)

・石沢麻依『貝に続く場所にて』(講談社 2021.7)

諏訪哲史『岩塩の女王』(新潮社 2017.8)

を借りた。

 


・ジュネ『薔薇の奇跡』(宇野邦一光文社古典新訳文庫 2016.11)

前川嘉男ロートレアモン論』(国書刊行会 2007.10)

を買った。

 


図書館、本屋、古本屋に。半袖ではないが半袖でもいいくらいの暑さで参ってしまった。帰路に着くや否や頭が痛みだした。

 

 


3/16(木)

仮面の下に潜むのは素顔であり本心だと考えるのは、変わらぬ信仰のようなものかもしれない。だが、時間を重ねれば重ねるほど、幾つもの面が顔を覆ってゆく以上、それを取るのは難しくなる。

(石沢麻依『貝に続く場所にて』講談社 p19)

 


頭の中にある記憶を支えるのは、身体の記憶である。それは繰り返すことによって濃い痣のように、さらに身体に転写されてゆく。

(p59)

 


失われた場所を想い続ける。全てが剝ぎ取られた土地を、記憶を根こそぎ奪われた人の顔のような場所を。そこは凍りついた時間と、破壊後に動き続けた時間が重なり合う二重の場所。この重なり合う時間や場所の距離は、どれほどまでに近づいてゆけるのか、今でも分からずにいる。

(p126)

 


私が恐れていたのは、時間の隔たりと感傷が引き起こす記憶の歪みだった。その時に、忘却が始まってしまうことになる。

(p149)

 

 

 

3/17(金)

通所87日目。

 

 


3/17(金)

無声の曠野に、語り終えられた生が棄てられていた。

(諏訪哲史『岩塩の女王』新潮社 p31)

 

 


3/17(金)

より狡猾になろうという意志と、優しく在ろうという心構えは、両立できるものなのだろうか。

 

 

 

3/18(土)

墓参りに。

 

 

 

3/19(日)

詩を書いた。

 

 

 

3/20(月)

あらゆる感情が死と繋がっていた

 

 

 

3/21(火)

通所88日目。

 

 


3/21(火)

古井由吉『聖なるものを訪ねて』(集英社 2005.1)

須永朝彦『天使』(国書刊行会 2010.7)

・蜂飼耳『食うものは食われる夜  新装』(思潮社 2006.9)

牧野信一『ゼーロン・淡雪  他十一篇』(岩波文庫 1990.11)

・G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳 新潮社 2006.9)

・アドルフォ・ビオイ=カサレス『脱獄計画』(鼓直、三好孝訳 現代企画室 1993.9)


を借りた。

 

 

 

3/22(水)

通所89日目。

 

 


3/22(水)

私は、事物には本来あるべき位置が決まっており、個々の問題には処理すべきときがあり、ひとつひとつの単語にはそれがぴったりはまる文体があると思い込んでいたが、そうした妄想が、明晰な頭脳のもたらす褒賞などではなく、逆に自分の支離滅裂な性質を覆い隠すために考え出されたまやかしの体系であることに気がついた。

(G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』木村榮一訳 新潮社 p74)

 

 


わたしの嘘はわたしのものとなったためしがない。

(『消失  ポール・オースター詩集』飯野友幸思潮社 p18)

 

 

 

3/23(木)

音のない、しずかな雨だった。運行時間も調べずに外に出た。風が涼しい。桜が咲いていた。携帯で写真を一枚撮った。虚しくなり、すぐに消去した。見回すと、自分以外は誰もいなかった。

 


後輩に会う予定がある。待ち合わせまでまだ2時間以上あり、暇を潰さなければならない。

 


目をつけていたピエエル・ルイス『ビリチスの歌』(鈴木信太郎講談社文芸文庫)がなくなっていた。誰か買ったんだな。

 


レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』(中村融河出書房新社 2002.10)を買った。単行。これは文庫でしか見たことがなかった。

 


遅れる、という連絡があり、別段憤るわけでもなくああそうなんだという思いを抱いた。古井由吉の『楽天記』(講談社文芸文庫)を読みながら待っている。

 


3年ぶりということだった。3年間の出来事を思い出そうとしたが、うまく思い出せなかった。互いに遅い昼を摂り、とりとめもない近況報告をし合った。

 


3時間も経たないうちに解散した。また会おうとは言わなかった。言い忘れてしまった。

 


頭がうっすらと痛い。疲れは知覚した途端に酷くなる。

 


きょうの雨で、桜がどのくらい散るのか。

 

 

 

3/23(水)

人の歳月は夜のうちではなくて、朝ごとに進むのではないか……。

(古井由吉『聖なるものを訪ねて』集英社 p38)

 


どうせ本末転倒を犯すのが作家の習いとするならばいっそ、暮らすのを記すという自然の裏を行って、記すがごとくに暮らすよう心がけたらどうか、と。

(p71)

 


時間が生死の彼方へ向かって開きかけてしまった。

(p110)

 


人格の多重性が喪われかける時、多重人格の現象は露われかかるのではないか。

(p132)

 


記憶も時間の連続性に見放されれば、点々と孤立して、やがては分解する。自身が多数の自身のひしめきとなる。

(p133)

 


「俺の死に方は、なしくずしだよ」
「なしくずしは、誰でもさ」

(p187)

 

 

 

3/24(金)

きのうの頭痛が尾を引いている。

 

 


3/24(金)

バタイユ『空の青み』(伊東守男河出文庫 2004.7)を買った。

 

 

 

3/25(土)

不意に来る食への嫌悪。嫌悪というより、罪悪感に近いか。

 

 

 

3/26(日)

こぽ、こぽ、という気抜のするような音が間歇的に聞えてくる。雨が日がな降っている。

 

 

 

3/26(日)

意味の飽和が無意味に変ずるのと同様に、無意味の堅持が却って意味を、一つの意味を浮かび上がらすということが、ありはしないか。

 

 

 

3/27(月)

勝利する者は、決して第二の死によって傷つけられることはないのだ

(『ヨハネの黙示録小河陽講談社学術文庫 p28-29)

 


お前は生きているとの評判を得てはいるが、〔実際には〕死んでいる。

(p33)

 

 


地獄からもう一つの地獄へ発とう。

(須永朝彦『天使』国書刊行会 p83)

 

 

 

3/28(火)

通所90日目。

 

 

 

3/29(水)

通所91日目。

 

 


3/29(水)

・福永武彥『独身者』(中公文庫 1982.5)

・ロープシン『蒼ざめた馬』(川崎浹訳 同時代ライブラリー 1990.12)

辻邦生西行花伝』(新潮社 1995.4)

を買った。

 

 


3/29(水)

わたしは未来を知ろうとは思わない。過去のことは忘れるようにしている。

(ロープシン『蒼ざめた馬』川崎浹訳 同時代ライブラリー p14)

 


だがはたしてこの地上に愛があるだろうか?

(p34)

 


きみは誰をも愛さない。自分自身すらね。

(p39)

 


すべては、どうだっていいことだ、どうせ死ぬんだから。

(p45)

 


わたしはまだエレーナを愛しているのだろうか?それとも影だけを──彼女への以前の愛だけを愛しているのだろうか?

(p56)

 


わたしは生死の境にいる。罪にかんする言葉が、わたしにとってなんの役にたとう?

(p87)

 


生きていたくもないし、といって死にたいとも思わなかった。

(p166)

 


わたしは誰とも共有したくないし、これからもそんなことはしないだろう。

(p177)

 


愛は夕日のように消えてしまった。

(p202)

 


いま、わたしは誰をも愛していない。愛したいとも思わないし、また愛することもできない。世界は呪うべきものとなり、いちどきに、わたしにとって荒涼たる砂漠と化した。すべては虚偽であり、すべては空の空である。

(p211)

 

 

 

3/30(木)

ヘミングウェイ全短編1  われらの時代・男だけの世界』(高見浩訳 新潮文庫 1995.9)を買った。

 

 

 

3/31(金)

通所92日目。

 

 


3/31(金)

・G・ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』(旦敬介訳 新潮社 1996.5)

アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(古賀弘人訳 青土社 1996.12)

・『怪物  ブッツァーティ短篇集Ⅲ』(長野徹訳 東宣出版 2020.1)

・フェルナンデス・フローレス『七つの柱』(牛島信明小学館 1997.2)

を借りた。

 

 


3/31(金)

1年以上切っていなかった髪を切った。

日記 3/8-3/14

3/8(水)

通所83日目。

 

 

 

3/9(木)

マッコルランによれば、表現主義が関わるところでは必ず、社会的幻想も存在している。それはおそらく、この双子のような二つの傾向がいずれもその不健康なエネルギーをロマン主義の泉から汲んでいるからだろう。

(ピエール・マッコルラン『写真幻想』(昼間賢訳 平凡社 p13)

 

シュルレアリスムたちにとって驚異とは世俗的であり、ささいなものでさえあり、まさにマッコルランの社会的幻想が超自然的なものに背を向けたように、聖なるものを断念したように見える。そもそも、マッコルランは何度か、社会的幻想の代わりに「社会的驚異」という表現を用いている。二つの概念が等価であるかのように。

(p13-14)

 

 

 

3/10(金)

通所84日目。

 

 


3/10(金)

アラン・ロブ=グリエ『快楽の館』(若林真訳 河出文庫 2009.4)を買った。

 

 

 

3/11(土)

鷲田清一『感覚の幽い風景』(紀伊國屋書店 2006.7)

松浦寿輝『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』(新潮社 2004.11)

四方田犬彦『摩滅の賦』(筑摩書房 2003.10)

を借りた。


ホーソーン『完訳  緋文字』(八木敏雄訳 岩波文庫 1992.12)を買った。

 

 


3/11(土)

死によって搔き立てられた優しさは、同じ優しさを感じている生者を愛させる。

(アンドレ・マルロー『黒耀石の頭  ピカソ・仮面・変貌』岩崎力みすず書房 p6)

 


覚えているのはただ、こんなよそよそしい世界に放り出されてしまった理不尽に対するせつない怯えと憤りだけだ。

(松浦寿輝『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』新潮社 p27)

 

 

 

3/12(日)

ほんとうの暴力とは〈自明のこと〉という暴力である、という暗い考えから彼は離れることができなかった。明白なこととは、暴力的なことなのだ。たとえ、その明白さがおだやかに、寛大に、民主的に示されていようとも、である。逆説的なことや、明白ではないことは、たとえ独断的に押しつけられようとも、あまり暴力的にはならないのだ。とんでもない法律を発令する専制君主のほうが、〈自明のことだ〉と言って満足している大衆よりも、結局のところは暴力性が少ないと言えるだろう。「自然なこと」とは、ようするに〈最大の侮辱〉なのである。

(『ロラン・バルトによるロラン・バルト石川美子みすず書房 p117)

 


「結局僕たちはいつでもお座なりのことを言って、自分たちの秘密を心の奥底に隠しているのさ。そういうふうにして生きているのだ。」

(福永武彦『告別』講談社文芸文庫 p13)


己たちはみんな孤独で、しかも人とのつながりの中でしか生きられないのだ。つながりがあるために一層孤独なのだ。己たちは未来を知らず、ただ現在の中で正面を向いているが、未来はその顔を仮面で隠したまま、己たちの来るのをじっと待ち受けているのだ。そして己たちはその仮面の怪物の方へ、餌食になるとも知らずに、一歩一歩近づいて行きつつある……。

(p54)


別レルコトハ何デモナイ。シカシ別レタコトノ記憶ガ甦ルタビニ、別レノ持ツ意味ハ次第ニ大キクナリ、人ガ愛スルノハ遂ニハ別レルタメデアッタコトヲ理解スルノダ。シカシソレヲ知ッタ時ニハスベテガモウ遅スギルノダ。

(p107)


晴れた空には雲一つなかったから、男は空の全体が宇宙の意志を伝える一つの大きな眼球であるような気がしていた。

(p181)

 

 

 

3/13(月)

雨が降った。

遅い昼を摂りに外に出、店に入った。食後らしい親子のうちの子供のほうが、それをしていないと落ち着かないとでもいうように、編み物をしていた。

 

 


3/13(月)

わたしの憂鬱の……?憂鬱の種……?いや種がないのが憂鬱ってもんでしょうが。

(松浦寿輝『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』新潮社 p34)


それにしても記憶なんてものはまったく頼りにならないもんだな。いろいろなものがたちまちごっちゃになり、すり替わり入れ替わり、いい加減に変造されてしまう。

(p72)


まばたくたび、そのつど世界はほんのわずかずつ死んでいるのだ。何もかもが、決して目には見えない遅さで絶えず死につつある、死んでゆく。見つめているぼくの瞳も、また。

(p165)


重く、あまりにも重く感じていたこの軀が、じつはなんの重さももっていないことにふと気づく。

(p174)


言葉は人生の時間そのもののように流れていき、過ぎ去っていき、ぷつりと断たれ、その後にはただ真っ白な闇が広がっているだけだ。

(p230)


どこまでつんのめるように歩いても月は昇らず
詩はわたしに訪れない

(p232)

 

 

 

3/14(火)

通所85日目。

 

 


3/14(火)

ワイルド『サロメ  改版』(福田恆存訳 岩波文庫 2000.5)を買った。

 


死すべき運命をつねに見つめる者と、死を意識から排除することに成功した者と、どちらがより生に近いのか。

(ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』細井直子訳 河出書房新社 p13)


結局のところ、現在あるものとは残されたものにすぎない。

(p15)


基本的にすべての物はすでにゴミであり、すべての建物はすでに廃墟であり、すべての創造は破壊に他ならない。

(p16)

日記 3/1-3/7

3/1(水)

通所80日目。

 

 


3/1(水)

ガルシア・マルケスのことを考えていた。

 

 

 

3/2(木)

疲れている。気づいたら倒れている

 

 

 

3/3(金)

通所81日目。

 

 


3/3(金)

歓喜する人間は、氾濫する時間の水源に体ごと飛び込んでいく。

(パスカルキニャール『いにしえの光』小川美登里訳 水声社 p63)

 


わずかとはいえ死を思わせるところのないものは、なんであれ例外なく俗悪である。

(E.M.シオラン『四つ裂きの刑』金井裕訳 法政大学出版局 p144)

 


私は自分の芸術を功利的な目的のために折り曲げるよりは、もはや何も書かないことを望んでいる。功利的な目的は今日最も重要なものにちがいないと信じていることが、同時に私に沈黙を強いている。

(『ジッドの日記IV  1931〜1939』 新庄嘉章訳 日本図書センター p149)

 

 


3/3(金)

三島由紀夫『音楽  新版』(新潮文庫 2021.10)

三島由紀夫『愛の渇き  新版』(新潮文庫 2020.10)

を買った。

 

 

 

3/4(土)

・ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』(細井直子訳 河出書房新社 2020.3)

アンドレ・マルロー『黒耀石の頭  ピカソ・仮面・変貌』(岩崎力みすず書房 1990.5)

ピエール・マッコルラン『写真幻想』(昼間賢訳 平凡社 2015.7)

小林紀晴『見知らぬ記憶』(平凡社 2018.1)

・高橋義隆『言葉の果ての写真家たち 一九六〇−九〇年代の写真表現』(青弓社 2017.3)

を借りた。

 

自転車のブレーキワイヤーが切れた。ついこのあいだ、前輪のパンクを修理したばかりなのに、また故障か。

 

生命の有無で変わる呼称。自転車は修理、動物は治療。

 

 

 

3/5(日)

オリヴィア・ハワード・ダンバー。久々に青空文庫をひらいて目についたこの名前が気になり検索するも、日本語による紹介サイトは見当たらず。

 

英語によるwikiがあった。

 

Olivia Howard Dunbar (1873–1953) was an American short story writer, journalist and biographer, best known today for her ghost fiction.

オリヴィア・ハワード・ダンバーはアメリカの短篇作家、ジャーナリスト、伝記作家であり、今日では幽霊フィクションで最もよく知られている。

 

青空文庫で確認できる作品は、

・『感覚の殻(The Shell of Sense)』(1908)
・『長い部屋(The Long Chamber)』(1914)

の2つのみ。いずれも短篇。

 

wikiによると『シカゴの家(A House In Chicago)』(1947)という小説も残しているらしい。翻訳がない。

 


人が一つの事柄を苛酷なまでに明瞭に理解し、初めて自分の頭がそれで一杯になった時、たやすく耐えられるものだなどとは思わないで欲しいし、内気な幻も一たび解き放たれれば古い衝立や霧を振り捨ててしまえるものだとも思わないで欲しい。

(オリヴィア・ハワード・ダンバー『感覚の殻』The Creative Cat訳)

 


感覚の殻』を読んだ。wikiにある"幽霊フィクション"というのはこういうことか、と膝を打った。なぜもっと早くに読んでいなかった、と後悔した。この作家は私の魂を、魂の最奥を見透かし、つぶさに記述している。

 


あの人はあまりにも強く愛したために生きる必要がなくなってしまったのです。

(オリヴィア・ハワード・ダンバー『長い部屋』The Creative Cat訳)

 

 

長い部屋』も読んだ。これも"幽霊"が絡んでいる。

 


ダンバーの幽霊(ゴースト)フィクション。読むまでは幻想的な舞台と雰囲気だろうかと疑ったがそんなことは殆どなく、彼女が紡ぎ出す文章は寧ろ、舌を巻くほど現実的であり、内省的だった。ふとした瞬間に、物語世界に"幽霊"が潜んでいることを失念してしまうほどに。

 


彼女の作品を訳したThe Creative Cat氏に敬意を表する。特に『感覚の殻』は逸品で、折に触れて何度も読み返すことになりそうです。

 

 

 

3/6(月)

雨の匂いがする。雨の匂いが好きだ。

 

病院に来た。気が立っている老人がいる。お前を見ていると生きることが嫌になってくる。

 


「哀れな身寄りもない年寄りをなぐったりすると、ひどい罰が当たるぞ」と老人はうめいた。
おまえみたいなのを見ていると、こっちまで生きてるのがイヤになる、と少年は心の中で言い返した。死んじまえ、さっさと。人間は多すぎるんだ。

(日野啓三『天窓のあるガレージ』)

 

 

 

3/7(火)

通所82日目。死にかけの自転車。

 

 


3/7(火)

忘れたいという欲求を、忘れられたいという欲求が上回るとき、理想の優しさを手にすることができる気がした。

日記 1/1-2/28(2023)

1/1(日)

遠藤周作『月光のドミナ』(新潮文庫 1972.3)

吉行淳之介『闇の中の祝祭』(集英社文庫 1978.2)

中村文則惑いの森』(新潮文庫 2018.1)

中村文則『迷宮』(新潮文庫 2015.4)

を買った。

 

 

1/2(月)

ミラン・クンデラ『冗談』(西永良成訳 岩波文庫 2014.12)

・黄崇凱『冥王星より遠いところ』(明田川聡士訳 書肆侃侃房 2021.10)

を買った。

 

 

1/3(火)

お参りをした。

 

詩を書いた。

 

 

1/4(水)

風が冷たい。

 

 

1/5(木)

通所54日目。

 


1/5(木)

西崎憲『世界の果ての庭』(新潮社 2002.12)

田中克彦『ことばと国家』(岩波新書 1981.11)

を買った。

 

チャック・パラニュークインヴィジブル・モンスターズ』(池田真紀子訳 早川書房 2003.5)

・閻連科『硬きこと水のごとし』(谷川毅河出書房新社 2017.12)

・『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』(柳下毅一郎監修、浅倉久志他訳 東京創元社 2017.5)

を借りた。

 

 

1/6(金)

通所55日目。

 

 

1/7(土)

パスカルキニャール『アマリアの別荘』(高橋啓青土社 2010.6)

・アレクサンダル・ヘモン『ノーホエア・マン』(岩本正恵白水社 2004.4)

を借りた。

 

 

1/8(日)

財布を探しているが、好みのものがなかなか見つからない

 

 

1/9(月)

通所56日目。

 

 

1/10(火)

通所57日目。

 

 

1/11(水)

ウィリアム・トレヴァーが読みたい

 

 

1/12(木)

よく夢を見る

 

 

1/13(金)

通所58日目。

 


1/13(金)

石川淳『焼跡のイエス処女懐胎』(新潮文庫 1970.5)

・『海潮音 上田敏訳詩集』(新潮文庫 1952.11)

を買った。

 

 

1/14(土)

倫理的秩序は準備ではなく、神への到達そのものである。
残りはすべて妄想なのだ。

(エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』法政大学出版局 p139)

 

 

1/15(日)

吉行淳之介『暗室』(講談社文庫 1973.1)

島尾敏雄『死の棘』(新潮社 1977.9)

を買った。

 

辻邦生『安土往還記』(新潮文庫 2005.11)

埴谷雄高『死霊 1』(講談社文芸文庫 2003.2)

を借りた。

 

 

1/16(月)

辻邦生を読んでいる

 

 

1/17(火)

通所59日目。

 


1/17(火)

鴨長明方丈記』(浅見和彦校訂・訳 ちくま学芸文庫 2011.11)

・トニ・モリスン『ビラウド』(吉田廸子訳 ハヤカワepi文庫 2009.12)

パトリック・モディアノ『家族手帳』(安永愛訳 水声社 2013.1)

を買った。

 

皆川博子『クロコダイル路地 Ⅰ』(講談社 2016.4)

皆川博子『クロコダイル路地 Ⅱ』(講談社 2016.4)

を借りた。

 

 

1/18(水)

通所60日目。

 

 

1/19(木)

三鷹にきた。友人に会った。

 

春になったら、また会おうね。

 


1/19(木)

金子光晴『老薔薇園』(烏有書林 2015.11)

・塚本邦雄『詩歌榮頌』(審美社 1973.10)

青山光二『美よ永遠に』(新潮社 1998.6)

野上弥生子『真知子』(新潮文庫 1966.11)

・ハリー・クレッシング『料理人』(一ノ瀬直二訳 ハヤカワ文庫NV 1972.2)

・ナタリア・ギンズブルグ『モンテ・フェルモの丘の家』(須賀敦子ちくま文庫 1998.10)

・『ポオ 詩と詩論』(創元推理文庫 1979.11)

を買った。

 

 

1/20(金)

通所61日目。

 

 

1/21(土)

外に出なかった。

 

 

1/22(日)

今日も外に出なかった。

 

 

1/23(月)

堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮文庫 2008.5)を買った。

 

 

1/24(火)

通所62日目。

 

 

1/25(水)

通所63日目。

 

 

1/26(木)

通所64日目。

 

 

1/27(金)

通所65日目。

 

 

1/28(土)

何を捨てればいい

 

 

1/29(日)

徳田秋声『あらくれ』(新潮文庫 1949.10)

遠藤周作『留学』(新潮文庫 1968.9)

川端康成『掌の小説』(旺文社文庫 1969.12)

福永武彦『愛の試み』(新潮文庫 1975.5)

辻井喬『彷徨の季節の中で』(新潮文庫 1989.4)

倉橋由美子『夢の通い路』(講談社文庫 1993.11)

小川一水『天冥の標Ⅰ  メニー・メニー・シープ(上)』(ハヤカワ文庫JA 2009.9)

小川一水『天冥の標Ⅰ  メニー・メニー・シープ(下)』(ハヤカワ文庫JA 2009.9)

小川一水『天冥の標Ⅱ  救世群』(ハヤカワ文庫JA 2010.3)

小川一水『天冥の標Ⅲ  アウレーリア一統』(ハヤカワ文庫JA 2010.7)

小川一水『天冥の標Ⅴ  羊と猿と百掬の銀河』(ハヤカワ文庫JA 2011.11)

スタンダールパルムの僧院(上)』(生島遼一岩波文庫 1952.5)

スタンダールパルムの僧院(下)』(生島遼一岩波文庫 1952.6)

・ジッド『未完の告白』(新庄嘉章訳 新潮文庫 1952.8)

・『サキ短篇集』(中村能三訳 新潮文庫 1958.2)

・マッカラーズ『夏の黄昏』(加島祥造訳 福武文庫 1990.11)

カポーティ『草の竪琴』(大澤薫訳 新潮文庫 1993.3)

を買った。

 

 

1/30(月)

気分が悪い。

 

 

1/31(火)

通所66日目。

 

 

2/1(水)

通所67日目。

 

 

2/2(木)

グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』(原正人訳 リトルモア 2020.8)を買った。

 

 

2/3(金)

通所68日目。

 


2/3(金)

中村佐喜子『ロレンスを愛した女たち』(中村佐喜子訳 中公文庫 1993.12)を買った。

 

 

2/4(土)

外に出なかった。

 

 

2/5(日)

今日も外に出なかった。

 

 

2/6(月)

私には友人が、恋人がいた。それは夢だった。

(アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』)

 

 

2/7(火)

通所69日目。

 

 

2/8(水)

通所70日目。

 

 

2/9(木)

アルベール・カミュ『太陽の讃歌  カミュの手帖1』(高畠正明訳 新潮文庫 1974.11)

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(堀茂樹訳 ハヤカワepi文庫 2001.11)

アゴタ・クリストフ『第三の噓』(堀茂樹訳 ハヤカワepi文庫 2002.3)

・伊藤浩子『数千の暁と数万の宵闇と』(思潮社 2020.10)

を買った。


平出隆葉書でドナルド・エヴァンズに』(講談社文芸文庫 2021.4)を借りた。

 

 

2/10(金)

通所71日目。

 

 

2/11(土)

見えない世界を断ち切ろうとする意志に、ぼくは欠けているようです。

(平出隆葉書でドナルド・エヴァンズに講談社文芸文庫 p57)

 

あなたは、あなたがつくりだしたもう一人のあなたに、いつか歳月をへてかさなりあう、ということを考えなかったでしょうか。

(p58)

 


書くことしか自分には残されていないのだとの危機感と、書いて本当に救われるこの身であるのかとの思いの狭間に浮かぶ冴えた空白を埋めてくれるものが、幻の手の出現にほかならなかった。

(堀江敏幸『書かれる手』講談社文芸文庫 p14)

 

 

2/12(日)

ただ一人の、それも既に沒している人間の為に、その人間の母語を習得する試みほど、純粋で、狂っている愛を知らない。

 

 

2/13(月)

ひとたび失なわれた楽しみは、何かで代替されることはなく、永久に失なわれたままである。ほかの楽しみを見つけても、それは何の代わりにもならない。〈楽しみに進歩はない〉のだ。変化しかないのである。

(ロラン・バルトロラン・バルトによるロラン・バルト石川美子みすず書房 p59-60)

 

 

2/14(火)

通所72日目。

 

 

2/15(水)

通所73日目。

 

 

2/16(木)

清岡卓行アカシヤの大連』(講談社文芸文庫 1988.1)を見つけ、おお、と思い手にとった。手持ちが足りず、装幀を眺めるにとどめた。代わりに日野啓三砂丘が動くように』(中公文庫 1990.3)、福永武彦『告別』(講談社文芸文庫 1990.6)を買った。併せて二百円にも満たない。

 

日が延びている。季節の移ろいを思う。

 

 

2/17(金)

通所74日目。

 

頼ろうと思える大人がいて、自分の傲慢さを恥じた。

 

 

2/18(土)

祖母に会った

 

 

2/18(土)

吉行淳之介篠山紀信ヴェニス  光と影』(新潮文庫 1990.8)を買った。

 

 

2/19(日)

いくら寝ても寝た気がしない

 

 

2/20(月)

三島由紀夫『真夏の死  新版』(新潮文庫 2020.11)を買った。

 

 

2/21(火)

通所75日目。

 

 

2/21(火)

多くの紙を破り捨て、様々な物を失くし、愛情を捨てるうちに、人生は軽くなっていく。雨に濡れた中庭の赤い敷石を見ても、もはや心を慰められることはなく、あったとしても、それは単なる心地よさにすぎない。秋の空を映す窓ガラスや壊れた銅像に心を動かされることもなく、動かされたとしても、それは単なる心地よさにすぎない。人は数字のようになり、外見でしか区別できなくなる。忌まわしいえり好みは心から消える。

(シルビナ・オカンポ『復讐の女/招かれた女たち』寺尾隆吉訳 幻戯書房 p19)


「君と僕の運命を複雑にもつれさせ、君が僕の振る舞いに軽蔑と拒絶を覚えるよう、君が僕を見放すよう仕向けたいのに、僕にはなぜその勇気がないのだろう?」

(p20)


まるで持ち物のようにあなたを愛していたけれど、人を所有することなんてできない、何であれ物を所有するなんて空しい苦痛にすぎない、それが私にはわかっていなかった。

(p20)


他の人と私を繋ぎとめる絆さえ忘れてしまえば、死はたやすいものだ。

(p22)


罪の意識もなく、ごく自然に自殺まで至るには、生活を豊かにするものすべてを捨てねばならなかった。

(p23)

 

 

2/22(水)

通所76日目。

 

 

2/23(木)

通所77日目。

 

 

2/24(金)

通所78日目。

 

 

2/25(土)

「運命がなくても人は生きていける」

(シルビナ・オカンポ『復讐の女/招かれた女たち』寺尾隆吉訳 幻戯書房 p80)

 

 

2/26(日)

夢を三つ見た。嫌な夢と、嫌な夢と、嫌な夢。

 

 

2/27(月)

「孤独が欲しい、特徴のない顔を千以上も備えた孤独が欲しい」

(シルビナ・オカンポ『復讐の女/招かれた女たち』寺尾隆吉訳 幻戯書房 p106)

 

 

2/28(火)

通所79日目。

 


2/28(火)

ホセ・レサマ=リマ『パラディーソ』(旦敬介訳 国書刊行会 2022.9)を借りた。 


・『消失  ポール・オースター詩集』(飯野友幸思潮社)

ポール・オースター鍵のかかった部屋』(柴田元幸白水Uブックス 1993.10)

三島由紀夫『夜告げ鳥  初期作品集』(平凡社 2020.1)

三島由紀夫『岬にての物語  改版』(新潮文庫 2005.12)

ヴァジニア・ウルフ『波』(鈴木幸夫訳 角川文庫 1954.6)

酒見賢一『分解』(ちくま文庫 2010.2)

を買った。

日記 10-22-12/31

10/22(土)

喉が痛い。

 

 

10/23(日)

朝。寒気に嘔気。

食べ物を入れたら吐いてしまった。

昼。寒気と嘔気は消えた。まだ喉が痛い。

 

 

10/24(月)

たとえ言葉を話さなくとも、花が生きて呼吸をしていて、やがて萎れて死んでしまうという事実を否定できる者がいるだろうか?

(カルロス・フエンテス「女友達」)


石の国。石の言葉。石の血と記憶。ここから逃げなければお前も石になるだろう。さっさと出てゆけ、国境を越えて、石を払い落とせ。

(カルロス・フエンテス「賭け」)


生き残ったおかげで、噓という尽きることのない富を手にした、
生き残ったからこそ人を騙すことができる、

(カルロス・フエンテス「リオ・グランデ、リオ・ブラーボ」)

 

 

10/25(火)

通所31日目。

 


10/25(火)

・『山中智恵子歌集』(書肆侃侃房 2022.7)

高橋たか子『亡命者』(講談社文芸文庫 2022.5)

室生犀星『かげろうの日記遺文』(講談社文芸文庫 2012.7)

タハール・ベン・ジェルーン『気狂いモハ、賢人モハ』(澤田直訳 現代企画室 1996.7)

を借りた。

 

 

10/26(水)

咳がとまらない。

 

 

10/27(木)

咳がとまらない。

 


10/27(木)

そりゃ、人生が懐かしくなることだって時にはあるんだ。生きたことのない人生だけれど。

(タハール・ベン・ジェルーン『気狂いモハ、賢人モハ』澤田直訳 現代企画室 p59)

 

 

10/28(金)

通所32日目。

 


10/28(金)

川野芽生『月面文字翻刻一例』(書肆侃侃房 2022.10)を買った。


・マリオ・バルガス・ジョサ『マイタの物語』(寺尾隆吉訳 水声社 2018.1)

・ロベルト・ボラーニョ『ムッシュー・パン』(松本健二訳 白水社 2017.1)

を借りた。

 

 

10/29(土)

・『ハーディ短編集』(河野一郎新潮文庫 1957.12)

アンドレ・ブルトン狂気の愛』(海老坂武訳 光文社古典新訳文庫 2008.3)

・『怪談の悦び』(南條竹則編訳 創元推理文庫 1992.10)

を買った。

 

 

10/30(日)

おまえさんときたら、浮き世ばなれしていて全く良い役回りだね。おれたちのことを眺めて、それをネタに三文小説を書くわけだ。批判するのはた易いが、生きるのは、生きるために戦うのは誰にでもできることではないと誰かも言っていたではないか。おまえは人のことをとやかく批判するだけが取り柄だ。気楽なもんだな。自分でもこの悪徳の泥沼の中に入ってみたらどうだ。辛いものだぞ。おれには守るべき原則もあるが、おまえときたら風の向くまま気の向くまま。いつだって鰻みたいにぬらっと手の間をすり抜けてゆくんだ。人生には言葉があれば十分と思っているらしいね。おまえたちは言葉の林の中に逃げ込んで、言葉で世界を作っている。階級闘争とやらがお望みらしいな。幻想だよ、そんなもん。国家は言葉など必要としていない。詩なんてなおさらおよびじゃない。必要なのは進歩と新技術だ。

(タハール・ベン・ジェルーン『気狂いモハ、賢人モハ』澤田直訳 現代企画室 p74-75)

 

 

10/31(月)

病院にいった。

 

 

11/1(火)

通所33日目。

 


11/1(火)

山藤の花序の無限も薄るるとながき夕映に村ひとつ炎ゆ

(『山中智恵子歌集』書肆侃侃房 p10)

 

 

11/2(木)

夢枕獏『バロルの晩餐会 ハロウィンと五つの謎々』(角川書店 2018.10)を買った。

 


11/2(水)

寒い。
この世すべてが、寒い。
誰か、ここにいる人々の一人に、そう言いたい。寒い、この世すべてが寒いけど、別なものをね、という答が、こだまのようにその人の口から返ってくれば、ほっとするだろう。

(高橋たか子『亡命者』講談社文芸文庫 p11)

 

 

11/3(木)

詩を書いた

 

 

11/4(金)

通所34日目。

 


11/4(金)

『妖術』(泉鏡花)を読んだ。

 

 

11/5(土)

突然、どういうわけか、何もかもが完璧に思えた。

(ロベルト・ボラーニョ『ムッシュー・パン』松本健二訳 白水社 p34)

 

 

11/6(日)

大江健三郎『宙返り(上)』(講談社 1999.6)

大江健三郎『宙返り(下)』(講談社 1999.6)

スタインベック『キャナリー・ロウ〈缶詰横町〉』(井上謙治訳 福武文庫 1989.5)

を買った。

 


11/6(日)

母が倒れた。救急車を呼んだ。

親父は自分のことしか考えていない。

両親は愛し合ったことがなかった。私は望まれない存在だった。

 

 

11/7(月)

おまえの頭に、いくつの小太陽があるのか?

(タハール・ベン・ジェルーン『気狂いモハ、賢人モハ』澤田直訳 現代企画室 p82)


あんたらの信仰を愚弄するときの海が好きだよ。

(p103)


もはやおれは源を見失った流れ
来歴のない言葉
夜とともに消え去る夢

(p114)


あいつは反(アンチ)・全てなんだ。

(p123)


おれの言葉はずっと狂っているんだ。

(p130)


生まれてこないのがまず最良の方法さ。そりゃあ誰にでもできることじゃないけどな

(p132)


生きて来た過去はおれを忘れてしまった。おれは失墜する記憶のなかへと粉々になって落ちて行く。言葉の砂のなかに身を投げる。おれは苦い言葉、拙く、良く考えられもせず、生きられることのなかった一行。そして、幻想のために今でもおれはそのまわりを回っている。

(p141)


おれの頭には変化する軽い牧場がある。生きている牧場、光の広がりの上にひっくり返された小詩篇でできた世界。遠くには、ひとりの女、ひとつの国、ひとつの民。おまえの髪には最後の月の露。おまえの体の上では言葉が輝き、おまえは夜から混乱へと、沈黙から陶酔へと向かう。呪いの言葉を吐かないために、祈ることを避けるために、思い出さなくなるように、抑圧を止めるために。

(p147)

 

 

11/7(月)

死にたい

 

 

11/8(火)

通所35日目。

 


11/8(火)

スチュアート・ダイベック『僕はマゼランと旅した』(柴田元幸白水社 2006.3)

・ウラジーミル・ソローキン『ロマン Ⅰ』(望月哲男訳 国書刊行会 1998.3)

ハリー・ムリシュ『天国の発見(上)』(長山さき訳 バジリコ 2005.12)

・イスマイル・カダレ『死者の軍隊の将軍』(井浦伊知郎訳 松籟社 2009.10)

レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』(垂野創一郎国書刊行会 2012.7)

・アレクサンドル・グリーン『消えた太陽』(沼野充義、岩本和久訳 国書刊行会 1999.6)

タハール・ベン・ジェルーン『出てゆく』(香川由利子訳 早川書房 2009.2)

を借りた。

 

 

11/8(火)

なにかを見落とすことを恐れて、彼はひたすら見つめていたのである。

(ウラジーミル・ソローキン『ロマン Ⅰ』(望月哲男訳 国書刊行会 p19)

 

 

11/9(水)

ミシェル・ウエルベック素粒子』(野崎歓ちくま文庫 2006.1)を買った。

 

 

11/10(木)

ニーチェツァラトゥストラ』(手塚富雄訳 中公文庫 2018.5)を買った。

 

 

11/11(金)

通所36日目。

 


11/11(金)
 
大江健三郎『﨟たしアナベル・リイ  総毛立ちつ身まかりつ』(新潮社 2007.11)

・松浦友久『李白  詩と心象』(現代教養文庫 1970.1)

宮木あや子『喉の奥なら傷ついてもばれない』(集英社文庫 2021.11)

を買った。


レアード・ハント『ネバーホーム』(柴田元幸朝日新聞出版 2017.12)を借りた。

 

 

11/12(土)

まるで、自覚がないから俺に落ち度は無い、そんな記憶は無いんだから、咎められる筋合いは無いとでも言わんばかりの態度。人を、舐めているのか?

会話をしてくれないって?俺を避ける、孤立させるって?破綻している会話をする必要は無い。まともな受け応えができない人間を相手にする時間は無い。建設的な会話を他人に求める前に、会話の練習を共にしてくれる人と、会話の練習をしたらどうだ?会話を、知らないのか?お前との会話は会話でも何でもない、ただ時間を空費しているだけだ。誰がどう見ても、建設的な議論を希求する人間の人格ではない。人格が破綻しているから会話が破綻するのではない。会話が破綻していれば相手の人格は破綻しているんだよ、十中八九。

お前が良かれと思って為すことすべてが裏目に出る。なのに謝罪はなし、それどころか被害者面だ。疎外するな、だ?疎外されるべき人間を疎外して何が悪い?何度注意しても直さない、直す素振りも見せない愚かな人間を忌避し、憎悪し、軽蔑して何が悪い?自己内省を知らないお前の空回りの善意で幸せになる人間は一人もいない。

 

 

11/13(日)

倉橋由美子パルタイ』(新潮文庫 1978.1)

円地文子『妖  花食い姥』(講談社文芸文庫 1997.1)

カミュ『ペスト』(宮崎嶺雄訳 新潮文庫 1969.10)

・シュトルム『みずうみ』(高橋義孝新潮文庫 1953.8)

を買った。

 

 

11/14(月)

作品を見てくれる人がいる。また見たいと言ってくれる人がいる。それで充分だ。

 

 

11/15(火)

通所37日目。

 

 

11/16(水)

真実は、真実であるからこそ、無限に変容する。

(宇野邦一『〈兆候〉の哲学  思想のモチーフ26』青土社 p177)


言葉は愛にまみれ、やがて空転し始めた。愛について語る言葉がもうないのだ。

(p184)


対話しながら対話が止まってしまうとき、そこに穿たれるクレヴァスがあるなら、その空隙と対話し、もう一つ空隙が見つかるなら、こんどは空隙どうしが対話するだろう。

(p187)


言葉は死、言葉の死、そのことに中心まで深く冒された生は、初めから死とむつまじく親和していた……。

(p189)


あなたがいなくてものすごくさみしい、とわたしは書いた。ものすごくしあわせだ、ともわたしは書いた。

(レアード・ハント『ネバーホーム』柴田元幸朝日新聞出版 p6)

 

 

11/17(木)

自分のやることは全て正しいと思っているらしい。

 

 

11/18(金)

通所38日目。

 

 

11/19(土)

寝ても寝た気がしない。

 

 

11/20(日)

料理をしていた。

 

 

11/21(月)

夢のなかで詩を書いていた。復元できない。『巡』という字を書いたことは憶えている。

 

 

11/22(火)

通所39日目。

 


11/22(火)

『ハーディ短篇集 幻想を追ふ女 他五篇』(森村豊訳 岩波文庫 1932.9)を買った。

 

 

11/23(水)

通所40日目。雨。

 

 

11/24(木)

開高健『輝ける闇』(新潮文庫 1982.10)を買った。

 

 

11/25(金)

通所41日目。

 

 

11/26(土)

中井久夫スペシャル 2022年12月 (100分 de 名著)』を買った。

 

 

11/27(日)

疲れた。

 

 

11/28(月)

大江健三郎『日常生活の冒険』(新潮文庫 1971.8)を買った。

 

 

11/29(火)

通所42日目。

 


11/29(火)

中村眞一郎『秋』(新潮社 1981.1)

・『地の果て  至上の時 中上健次選集10』(小学館文庫 2000.2)

大江健三郎『見る前に跳べ』(新潮文庫 1974.5)

山尾悠子ラピスラズリ』(国書刊行会 2003.9)

を買った。

 

 

11/30(水)

詩を書いている。

 

 

12/1(木)

少し楽になった。

 

 

12/2(金)

通所43日目。

 

 

12/3(土)

中上健次『大洪水』『熱風』が読みたい

 

 

12/4(日)

ベルンハルトの新刊を少し読んだ。

 

 

12/5(月)

料理と掃除をした。

 

 

12/6(火)

通所44日目。

 


12/6(火)

コクトー恐るべき子供たち』(東郷青児訳 角川文庫 1953.3)

服部まゆみ『罪深き緑の夏』(河出文庫 2018.8)

を買った。

 

 

12/7(水)

通所45日目。

 

 

12/8(木)

井上靖『石濤』(新潮社 1991.6)を買った。

 

 

12/9(金)

通所46日目。

 


12/9(金)

『箱の中のあなた 山川方夫ショートショート集成』(ちくま文庫 2022.12)を買った。

 

 

12/10(土)

石川達三『青春の蹉跌』(新潮文庫 1971.5)

石坂洋次郎『麦死なず』(新潮文庫 1976.3)

黒井千次『春の道標』(新潮文庫 1984.6)

立原正秋『雪の朝』(角川文庫 1981.9)

檀一雄『火宅の人(上)』(新潮文庫 1981.7)

檀一雄『火宅の人(下)』(新潮文庫 1981.7)

永井荷風ふらんす物語』(新潮文庫 1951.7)

福永武彦『忘却の河』(新潮文庫 1969.4)

を買った。

 

 

12/11(日)

いとこの家にきた。

 

 

12/12(月)

いとこと焼肉を食べた。

 

 

12/13(火)

通所47日目。

 

 

12/14(水)

通所48日目。

 

 

12/15(木)

詩が書けない

 

 

12/16(金)

通所49日目。

 


12/16(金)

福永武彦『夢みる少年の昼と夜』(新潮文庫 1972.11)

中村真一郎『俳句のたのしみ』(新潮文庫 1996.5)

・澁澤龍彥『少女コレクション序説』(中公文庫 1985.3)

を買った。

 

 

12/17(土)

操られたくない

 

 

12/18(日)

佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』(角川書店 2022.3)を買った。

 

 

12/19(月)

何もありはしない。すべての現実のものの正体は無、無なのさ。荒野の上の空のように虚しい空(くう)なのさ。わたしたちがその一番の証しじゃないか。

(金井美恵子『忘れられた土地』)

 


12/19(月)

パスカルキニャール『深淵』(村中由美子訳 水声社 2022.1)を買った。

 

 

12/20(火)

通所50日目。

 


12/20(火)

この悠久の時の流れの中で人類の歴史がわずかな時しか占めていないことに気づくと、吐き気がして全身に悪寒が走ります。わたしを救いに来て下さい。わたしは今、窓辺にいて、波の音に耳を傾けています。

(金井美恵子『恋人たち』)


錯乱の中で苦痛に充ちた記憶は、古びた紙切れの中に書かれた物語としてここに存在し、記憶の髄から溢れる水は彼女の肉体の中心に無数の支流を持つ河のように流れ込み、河は唯一の物語を洪水のように溢れさせる。それは全てを吞みつくし押し流し溶かし込み砕きつくす激しい流れであり、死によってしか回復され癒されることのない病いだ。

(金井美恵子『不滅の夜』)

 

 

12/21(水)

三島由紀夫仮面の告白』(新潮文庫 1950.6)を買った。

 


12/21(水)

通所51日目。

 

 

12/22(木)

ミラン・クンデラ『生は彼方に』(西永良成訳 ハヤカワepi文庫 2001.7)

矢川澄子『兎とよばれた女』(ちくま文庫 2008.5)

・『中上健次選集 十九歳の地図 蛇淫他』(小学館文庫 2000.5)

神林長平『猶予の月(上)』(ハヤカワ文庫JA 1996.6)

神林長平『猶予の月(下)』(ハヤカワ文庫JA 1996.6)

を買った。

 


12/22(木)

人と会った。また来年も会いましょうと言った。

 

 

12/23(金)

通所52日目。

 

 

12/24(土)

料理をした。

 

 

12/25(日)

・『宮沢賢治全集1』(ちくま文庫 1986.2)

・『宮沢賢治全集2』(ちくま文庫 1986.4)

を買った。

 

 

12/26(月)

弱さと目が合う時はあなたを思い出していた

 

 

12/27(火)

通所53日目。

 


12/27(火)

古川日出男『沈黙/アビシニアン』(角川文庫 2003.7)

・キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(三角和代訳 東京創元社 2014.5)

・『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国  シルヴィア・プラス短篇集』(柴田元幸集英社 2022.5)

・ウィル・マッキントッシュ『落下世界(上)』(茂木健訳 創元SF文庫 2019.8)

を借りた。

 

 

12/28(水)

通所54日目。

 

 

12/28(水)

詩を書いた

 

 

12/29(木)

・『宮沢賢治全集4』(ちくま文庫 1986.7)

・『狼の太陽 マンディアルグ短編集』(生田耕作白水Uブックス 1989.7)

カート・ヴォネガット『母なる夜』(池澤夏樹白水Uブックス 1984.6)

ジョン・ファウルズ『コレクター(上)』(小笠原豊樹白水Uブックス 1984.7)

ジョン・ファウルズ『コレクター(下)』(小笠原豊樹白水Uブックス 1984.7)

J・G・バラード『結晶世界』(中村保男訳 創元SF文庫 1969.1)

を買った。

 

 

12/30(金)

「おれは悪そのものであり、その悪を、生きとし生けるものに自覚させる」

(古川日出男『沈黙』)

 

 

12/31(土)

今年も死なずに終えた。来年も同じことが言えているのか。

 

日記 10/15-10/21

10/15(土)

何かぼく以上のものがぼくの中で動いている。

(日野啓三『地下へ /サイゴンの老人  ベトナム全短篇集』講談社文芸文庫 p59)

 

 

 

10/16(日)

ボードレール詩集』(粟津則雄訳 現代詩文庫 1993.7)を買った。

 

 


10/16(日)

死がたくみに生の中へ紛れこむ。

(トーマス・ベルンハルト『凍』池田信雄訳 河出書房新社 p14)

 


たえず生産の働きを生産し、この生産の働きを生産されるものに接木してゆくといったきまりこそ、欲望する諸機械、すなわち生産の生産という根源的な生産の特質なのである。

(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』市倉宏祐訳 河出書房新社 p19)


すなわち、パラノイア機械は、欲望する諸機械と器官なき身体との間の関係から生じてくるもので、器官なき身体がもはや欲望する諸機械に耐えられなくなる場合に生起してくるものなのである。

(p22)


資本とは、不毛なる貨幣に対して、〈貨幣が貨幣を生む生産的形態〉を付け加えることになるものなのである。ちょうど、器官なき身体が自分自身を再生産してゆくように、資本は剰余価値を生産し、みずから発芽して、宇宙の端にまで枝をひろげてゆくのだ。

(p23)

 

 

 

10/17(月)

「自然は残酷だ。その自然がいちばん残酷なのは、もっとも素晴らしくもっとも驚嘆すべき、自然自らが選り抜いた才能の持ち主に対してだ。自然は彼らを眉ひとつひそめることもせずに踏みつぶす。」

(トーマス・ベルンハルト『凍』池田信雄訳 河出書房新社 p16)

 

 

 

10/18(火)

通所29日目。

 

 


10/18(火)

鴉の大群が幾何学的な模様を描きながら空を旋回していた。

 

 

 

10/19(水)

ぼくにはことばが、人と人とのあいだに漂う関係性の網ではなく、人を規定し、人を拘束する実体として見えていた。

(伊藤計劃虐殺器官ハヤカワ文庫JA p42)

 

 

 

10/20(木)

・オーシュ卿(G・バタイユ)『眼球譚〔初稿〕』(生田耕作河出文庫 2003.5)

・『鬼火 底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫 2003.3)

を買った。

 

・マリオ・レブレーロ『場所』(寺尾隆吉訳 水声社 2017.3)

レイナルド・アレナス『襲撃』(山辺弦訳 水声社 2016.2)

を借りた。

 

 

 

10/21(金)

通所30日目。

 

 


10/21(金)

アタウラー・マルダーン『犯されて』(広瀬順弘訳 富士見ロマン文庫 1978.8)を買った。

 

 


10/21(金)

ぼくの中にぼくではない不吉な影がある。

(日野啓三『地下へ /サイゴンの老人  ベトナム全短篇集』講談社文芸文庫 p62)

日記 10/8-10/14

10/8(土)

どうでもいいことばかり憶えているのは、そのどうでもよさを些少なりとも愛していたから

 

 


10/8(土)

優しいといわれる行動をしたからといって優しくしたいと思っているとは限らない、というのが私の基本原則だった

 

 

 

10/9(日)

ここにあるのは機械のたえまなく唸る音。

(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』市倉宏祐訳 河出書房新社 p14)

 

 

 

10/10(月)

「うん、いいね、でも、何にもなかったらもっとよかったんじゃない?」

(ミシェル・トゥルニエ『海辺のフィアンセたち』松田浩則紀伊國屋書店 p8-9)

 

 

 

10/11(火)

通所27日目。

 

 

 

10/12(水)

伊藤計劃虐殺器官』(ハヤカワ文庫JA 2014.8)を買った。

 

 

 

10/13(木)

日野啓三『地下へ /サイゴンの老人  ベトナム全短篇集』(講談社文芸文庫 2013.8)

・トーマス・ベルンハルト『凍』(池田信雄訳 河出書房新社 2019.1)

・イミョンオク『ファム・ファタル 妖婦伝』(樋口容子訳 作品社 2008.1)

を借りた。

 

 

 

10/14(金)

通所28日目。

 

 

 

10/14(金)

左も右も漆黒だった。

(トーマス・ベルンハルト『凍』池田信雄訳 河出書房新社 p6)