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灰色の記憶

日記 7/1-7/31

7/1(土)

久坂葉子『ドミノのお告げ』(勉誠出版 2003.2)を買った。

 

 

 

7/2(日)

はじめて会う人と高円寺、それから中野に行った。

 

 


7/2(日)

古井由吉『聖耳』(講談社 2000.9)

古井由吉『仮往生伝試文』(河出書房新社 1989.9)

ニーチェ『偶像の薄明』(秋山英夫訳 角川文庫リバイバルコレクション 1951.6)

ヘミングウェイ『われらの時代に』(宮本陽吉訳 福武文庫 1988.1)

を買った。

 

 

 

7/3(月)

病院にいった。

 

 

 

7/3(月)

ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』(角川文庫 2006.11)を買った。

 

 

 

7/4(火)

通所130日目。

 

 

 

7/5(水)

通所131日目。

 

 

 

7/6(木)

虐殺領域の区域は、マイダネク収容所において、ドイツ人によって𝑅𝑜𝑠𝑒𝑛𝑔𝑎𝑟𝑡𝑒𝑛あるいは𝑅𝑜𝑠𝑒𝑛𝑓𝑒𝑙𝑑(「バラの庭園」、「バラの野原」)と名付けられたことが知られている。そこには明らかに一輪の花も咲かなかったのだが、しかしそこで死んだ人々が、ときには〈バラ(𝑅𝑜𝑠𝑒𝑛)〉と呼ばれていたのである。

(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『場所、それでもなお』江澤健一郎訳 月曜社 p28)

 


むしろ、「これは想像を絶している、だから私は、それでもなおそれを想像しなければならない」と言うべきだろう。

(p68)

 


真実を語ることができるのは、単語によってではなく(それぞれの単語は、噓をつくことができて、すべてを意味することができるし、その反対を意味することもできる)、文章によってである。

(p80)

 


見えるものを疑うのを心得るには、さらに見ることを、それでもなお見ることを心得ねばならないのだ。

(p103)

 

 

 

7/7(金)

通所132日目。

 

 

 

7/8(土)

福永武彦『夢みる少年の昼と夜』(新潮文庫 1972.11)を買った。2冊目。

 

 

 

7/9(日)

タブッキを読んでいる。

 

 

 

7/10(月)

経験していないことを書いてはいけないのだろうか?そんなことはない。説得力がない信憑性がない、そんな非難は真に受けずにただ書けばいい。書き続ければ。書くことでしか生きられないのであれば。

作家と作品の距離は遠ければ遠いほどいいとは言わないが、その遠さに救われることもある。現に救われたことがあるから。

 

 

 

7/11(火)

通所133日目。

 

 

 

7/12(水)

通所134日目。

 

 

 

7/13(木)

通所135日目。

 

 


7/13(木)

野呂邦暢『鳥たちの河口』(集英社文庫 1978.2)を買った。


無数の光が溢れ氾濫し、相互に反映しあう、眩しさの沸点こそが闇なのだ。

(高柳誠『大地の貌、火の声/星辰の歌、血の闇』書肆山田 p122)

 


​───〈呪われた者だけが、闇を見る視力を得ることができる...。〉

(p126)

 

 

 

7/14(金)

通所136日目。

 

 

 

7/15(土)

過去を思い浮かべるときに浮かぶ像は、ただ灰一色の画面のみのこともあるが、ときにはみずから信用がならないと感じられるほど、異様にあざやかなこともある。

(W・G・ゼーバルト『目眩まし』鈴木仁子訳 白水社 p8)

 


逼塞して思いにふけっているだけでも人は死に至りうるのではないか、という気がした。

(p56)

 

 

 

7/16(日)

外に出なかった

 

 

 

7/17(月)

通所137日目。

 

 

 

7/18(火)

通所138日目。

 

 

 

7/19(水)

通所139日目。

 

 

 

7/20(木)

中野孝次ブリューゲルへの旅  新装版』(河出文庫 1993.8)を買った。

 

 


7/20(木)

故郷は要るのだ、たとえ立ち去る喜びのためだけにせよ。

(パヴェーゼ『月と篝火』河島英昭訳 岩波文庫 p14)

 

 

 

7/21(金)

通所140日目。

 

 

 

7/22(土)

書き物はしだいに難渋してきた。やがてとうとう、書いたものがどれもこれも、意味もなにもない、からっぽの、欺瞞にみちた屑に過ぎない気がしてきた。

(W・G・ゼーバルト『目眩まし』鈴木仁子訳 白水社 p80)

 


唯一のなぐさめは、自分の居場所をだれも知らないということだけだ。

(p124)

 


おれたちが希望をつなぐ人間は、もう必要じゃなくなったときにしか来ないんだよ。

(p124-125)

 

 

 

7/23(日)

世界をことばによって穢すのを  これ以上許すわけには絶対にいかぬ

(高柳誠『無垢なる夏を暗殺するために』書肆山田 p121)

 

 

風に靡くこのあたりの夾竹桃のように
たくさんの言いたいことがどんどん変わってゆく
最後まで大事にしておこうと決めていた言葉さえ
もうどうでもよくなって

(新延拳『経験の定義あるいは指の痛み』書肆山田 p14)

 


倦怠という愛撫がいくら傷口を擦っても
痛みをおぼえないのだろうか

(p67)

 

 

 

7/24(月)

苦しい

 

 

 

7/25(火)

通所141日目。

 

 

 

7/26(水)

通所142日目。

 

 

 

7/27(木)

通所143日目。

 

 


7/27(木)

小川一水『老ヴォールの惑星』(ハヤカワ文庫JA 2005.8)を買った。

 

 

 

7/28(金)

通所144日目。

 

 


7/28(金)

カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹新潮文庫 1969.7)を買った。

 

 

 

7/29(土)

通所145日目。

 

 


7/29(土)

ミシェル・ビュトール『時間割』(清水徹河出文庫 2006.12)を買った。

 

 

 

7/30(日)

お前は偸んだと言われればそのとおりに、お前は殺したと言われればそのとおりに、うなだれて、記憶にはない悪行の、つぶさな所作を舞いはじめる。

(古井由吉『山躁賦』講談社文芸文庫 p37)

 

 

 

7/31(月)

「ほかのみんながいなくなったのなら、自分もこの世界から消えるはず。みんなに起こったことがわたしにだけ起こらないなんて、そんなこと、あるものですか」

(ピーター・S・ビーグル『最後のユニコーン金原瑞人訳 学研 p12)