4/1(土)
大地が自分を待ちうけているとわかっていながら、空虚を選びとる人間は、充溢の拒否を表し、質量的なものに怖れをいだいていて、何秒か、物理的な空虚を横切ることによって〈永遠の空虚〉の道を渡ろうと願う。
(アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』古賀弘人訳 青土社 p138)
4/2(日)
「残念ながら、私が考えることまで禁止なさるわけにはいきませんが」
(G・ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』旦敬介訳 新潮社 p33)
「どんな狂人も、こっちがその論理を受け入れれば狂人とは言えなくなります」
(p48)
4/3(月)
しかし倖せとははかないもので、人間や環境が倖せをぶちこわさないときには、幻影が幸福を脅かすのです。
(マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』多田智満子訳 白水Uブックス p92)
われらはみなきれぎれの断片であり、影であり、とりとめもない幻なのだ。
(p146)
───欲望はそなたに欲望のはかなさを教えた。悔恨はそなたに悔いることのむなしさを教えた。
(p147)
4/4(火)
通所93日目。
4/4(火)
・『アントナン・アルトー著作集Ⅱ ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(多田智満子訳 白水社 1996.1)
・リディア・デイヴィス『話の終わり』(岸本佐知子訳 作品社 2010.12)
・ル・クレジオ『アルマ』(中地義和訳 作品社 2020.11)
・アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』(巖谷國士訳 學藝書林 1989.2)
・スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』(柴田元幸訳 白水Uブックス 2003.7)
を借りた。
4/4(火)
親愛なる想像力よ、私がおまえのなかで何よりも愛しているのは、おまえが容赦しないという点なのだ。
(アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』巖谷國士訳 學藝書林 p15)
精神にとって、過ちをおかすことの可能性はむしろ、善の偶然性と等しいのではあるまいか?
(p16)
私が作ったものも、私が作らなかったものも、みんなあなたにさしあげる。
(p82)
生きるとか生きるのをやめるとかいうのは、想像のなかだけの解決だ。人生は別のところにある。
(p87)
空のひびわれが、とうとうまた私を目覚めさせた。
(p95)
さあやってきた、倦怠だ、きれいな平行線だ、ああ!平行線は、神の垂直線の下でなんと美しいことか。
(p99)
悲しい両手よ、君たちはなんだか僕には美しさをすっかり隠しているようだね、そんな君たちの謀り事めいた様子、僕は好かないよ。
(p140)
私は何ひとつ縁起のいいことを予告しない虹を知っている。
(p197)
いつも教えられてきた通り、深刻さのいちばん高級な表現は、たったひとりで呟くことにあるのだ。
(p199)
4/5(水)
通所94日目。
4/6(木)
永遠とは、何かがあることではなく、ないことなのだ。
(スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』柴田元幸訳 白水Uブックス p137)
苦難やら死やらに対して、そしてそれ以上に、宗教というものの根底に流れている恐怖に対して、憤りの念を感じるようになっていた。恐怖から逃れるためには、まず信仰を逃れる必要があるように思えた。
(p152)
現在に重ねあわされた影───でも現在なんてありゃしない。あるのはただ、瓦礫と化した過去か、約束に過ぎない未来だけだ。
(p165-166)
4/7(金)
池袋にきた。
・A・P・ド・マンディアルグ『汚れた歳月』(松本完治訳 エディション・イレーヌ 2023.2)
・ボードレール『悪の華』(安藤元雄訳 集英社文庫 1991.4)
・辻邦生『異邦にて』(角川文庫 1972.8)
を買った。
4/8(土)
・庄野英二『ロッテルダムの灯』(講談社文芸文庫 2013.7)
・マルキ・ド・サド『悪徳の栄え(下)』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1990.10)
・ガルシア=マルケス『エレンディラ』(鼓直、木村榮一訳 サンリオ文庫 1983.10)
を買った。
4/8(土)
始まりは、もうひとつの始まりの続きでしかないのだ。
(アントニオ・タブッキ『黒い天使』堤康徳訳 青土社 p53)
不幸な人はみんなそうだが、恨みをいだいているものです。つまりですね、ふつうに暮らしている人々をあなたは憎んでいる、どうにかうまく切り抜けた彼らが、あなたと同じ状況に、つまり泥沼にはまることを望んでいる。
(p76)
きみの残酷さが、わたしをあらゆるものから守ってくれた。
(p95)
詩は噓偽りです、わたしは生涯にわたり噓をつき続けてきました、書く行為はすべて噓偽りです、それがどんなにリアルでも、どうかお許しください、噓をつくこと以外わたしは何もしませんでした。
(p105)
罪を犯してから許されるのではなく、許されてから罪を犯すのは、心地よかった。なぜなら、赦罪は罪よりも先になされなければならないから、事前の赦罪、予防的な許しがあるはずだから。
(p108)
4/9(日)
ニーチェ『この人を見よ』(西尾幹二訳 新潮文庫 1990.6)を買った。
4/10(月)
アンドレ・ジッド『地の糧 新版』(今日出海訳 新潮文庫 2023.4)を買った。
4/10(月)
この透明な世界のただ中で、いったい誰が身を潜めることができるというのか?
(A・P・ド・マンディアルグ『汚れた歳月』松本完治訳 エディション・イレーヌ p16)
しかし光は常に射し続け、絶望的なまでに同じ光そのものなのだ。
(p28)
善か悪か懸念せずに愛すること。
(アンドレ・ジッド『地の糧 新版』(今日出海訳 新潮文庫 p12)
死とは、すべてのものが絶えず更新されるように、他のさまざまな生への宥しにすぎない。
(p26)
あらゆる幸福は不意に出会うものであり、途上にいる乞食のように各瞬間ごとに君の前に立ち現われるものだということを、君は理解しなかったとでもいうのか。そのように君の幸福を君が夢想していなかったという理由から、自分の幸福は失せ去ったというならば───また自分の綱領や祈願に一致しない幸福は認めないというならば、君に災いあれ。
(p38)
もう行為をしないと覚悟しなければ罪を犯さないだけの自信は持てなかった。
(p44)
4/11(火)
通所95日目。
4/12(水)
通所96日目。
4/13(木)
・萩原朔太郎『詩集 月に吠える 改版』(角川文庫リバイバルコレクション 1969.11)
・オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』(神吉敬三訳 角川文庫リバイバルコレクション 1967.9)
・『名短篇 新潮創刊一〇〇周年記念 通巻一二〇〇号記念』(新潮社 2005.1)
・シャーリイ・ジャクスン『山荘綺談』(小倉多加志訳 ハヤカワ文庫NV 1972.6)
を買った。
4/13(木)
「わたしたちはみんな、どこか閉じこめられていた場所から出てくるんだ」
(アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『すべては消えゆく』中条省平訳 白水社 p73)
「編み目がひとつでも明かされれば、全体が解けてしまう」
(p125)
「確かなことがもうなにも分からなくなったときにこそ」と女は続ける。「確かさへの道を順調に進んでいるのよ」
(p163)
問いは存在しようがないのよ、だって答えがないんだもの、ともかく、どんな答えにもなんの価値もないわ、答えを出させた問いそのものになんの意味もなかったんだから。
(p170)
「『屍』を閉じこめることのない『墓』、『墓』に閉じこめられることのない『屍』、自分自身の『墓』でもある『屍』」
(p177)
4/14(金)
通所97日目。
4/14(金)
まだ何ひとつ始まっていなかったあの時間こそが、ある意味では最良の時だったのかもしれない。
(リディア・デイヴィス『話の終わり』岸本佐知子訳 作品社 p25)
自分の中の何かが死ぬか麻痺するかしてしまい、ほとんど何も感じずにいられることが救いだった。以前は何かを感じることが救いだったのに。たとえ痛みであっても。
(p233)
4/15(土)
雨。
4/16(日)
優しくありたい
4/17(月)
命名された事物は、死んだ事物である。
(『アントナン・アルトー著作集Ⅱ ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』多田智満子訳 白水社 p66)
物質の中に神々はない。均衡の中に神々はない。神々は力と力の分離から生まれ、それらが和合する時に死ぬ。
(p67-68)
すべて詩の中には本質的な矛盾が存在する。詩とは、砕かれてめらめらと炎をあげる多様性である。したがって秩序をもたらす詩はまず無秩序を、燃えさかる無秩序の状態を蘇らせる。
(p120)
4/18(火)
通所98日目。
4/18(火)
「実現の見込のない希望なんて、何の役にも立たないわ。」
わたしにとって目覚めていることと眠っていることとは、もう区別のつかないものになっていた。
(p440)
わたしは言った。お前たちが待っているのはわたしではない、わたしは一度もお前たちに生命を与えたことはないし、この後も決してそれを与えることは出来ない、なぜならわたしは死んでいるから、わたしもまた死んでいるから、と。
(p445)
「もしこの世界でやっていけないなら、自分で自分の世界を作ってしまうことよ」
(ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』岸本佐知子訳 白水社 p13)
4/19(水)
通所99日目。
4/19(水)
聞こうとしない者は聞こえない者より始末が悪いのではないだろうか?
(フィリップ・ソレルス『ステュディオ』齋藤豊訳 水声社 p204)
4/20(木)
・『中村真一郎・福永武彦・堀田善衛 カラー版日本文学全集49』(河出書房新社 1971.4)
・『現代の文学17 林芙美子集』(河出書房新社 1965.1)
・マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(巖谷國士訳 河出文庫 1996.8)
を買った。
4/20(木)
じぶんのしてきたことといえば、生きて存在しているだけのことで、もしかしたら、生きるふりをしてきたにすぎないのではないか。
(アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは......』須賀敦子訳 白水社 p12)
哲学は、真理のことしかいわないみたいでいて、じつは空想を述べているのではないだろうか。いっぽう、文学は空想とだけ関わっているようにみえながら、ほんとうは、真理を述べているのじゃないか。
(p27)
4/21(金)
通所100日目。
4/22(土)
・『日本文学全集35 伊藤整』(新潮社 1967.9)
・伊藤整『街と村・生物祭・イカルス失墜』(講談社文芸文庫 1993.2)
・ソポクレス『オイディプス王』(藤沢令夫訳 岩波文庫 1967.9)
・中条省平『アルベール・カミュ ペスト 果てしなき不条理との闘い』(NHK100分de名著ブックス 2020.9)
を買った。
・サミュエル・ベケット『名づけられないもの』(宇野邦一訳 河出書房新社 2019.11)
・『エッセンス・オブ・久坂葉子』(河出書房新社 2008.4)
を借りた。
4/23(日)
しかし辛い思いをするために私はここにいる。
(サミュエル・ベケット『名づけられないもの』宇野邦一訳 河出書房新社 p63)
固有名のないところに救済はない。
(p89)
私が言っていることのなかに、たったひとつでも私の言葉なんてあるのか。
(p107)
前に進め。言うのは簡単だ。そもそもどこが前なんだ。そこで何をしようと言うんだ。
(p147)
4/24(月)
わたしは夢想はしない。文章を作るのだ。
(『ロラン・バルトによるロラン・バルト』石川美子訳 みすず書房 p212)
ほんとうの戯れとは、主体を隠すことではなく、戯れそのものを隠すことである。
(p213)
わたしは矛盾しているのではない。分散しているのである。
(p215)
言葉を止めることが、言葉の暴力にたいしてなしうる最大の暴力なのである。
(p241)
わたしたちは繊細さの欠如によって学問的となるのだ。
(p243)
どこにいても、彼が耳を傾けていたもの、耳を傾けずにはいられなかったもの、それは自分自身の言葉にたいする他の人たちの難聴ぶりであった。
(p259)
絶望は瓦礫の中で打ち砕かれ、絶望は隙間をよろめき歩く......。
(ステファン・グラビンスキ『狂気の巡礼』芝田文乃訳 国書刊行会 p27)
4/25(火)
通所101日目。
4/25(火)
あなたが何か云えば云う程
私は
あなたがわからなくなるんです。
愛ハ不変ナラズ
オビタダシイ変化
(p199)
無形ノ愛ヲ信ジルコトハ出来ヌ
(p200)
生きようとも死のうとも思わない。
ただ。
わたしに出来ることをやろう。
(p204)
わたしは、
それでもまつ
(p227)
4/26(水)
通所102日目。
4/27(木)
未来は常に過去の名残を含んでいる。
(ジャネット・ウィンターソン『フランキスシュタイン ある愛の物語』木原善彦訳 河出書房新社 p131)
私たちは憎悪のために破壊を行う。私たちは愛のためにも破壊を行う。
(p158)
愛は攪乱された世界の中の攪乱そのものだ。
(p208)
僕は物語の語り手なのか、それとも物語なのか、それが分からないのです。
(p234)
4/28(金)
渋谷にきた。
・モーリス・ブランショ『来るべき書物』(粟津則雄訳 現代思潮社 1968.9)
・タブッキ『夢のなかの夢』(和田忠彦訳 岩波文庫 2013.9)
・パヴェーゼ『月と篝火』(河島英昭訳 岩波文庫 2014.6)
を買った。
4/29(土)
・大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ 改版』(新潮文庫 2007.1)
・大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(講談社文芸文庫 1991.2)
・『フランス名詩選』(安藤元雄、入沢康夫、渋沢孝輔訳 ワイド版岩波文庫 2001.3)
・シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』(田辺保訳 ちくま学芸文庫 2014.11)
を買った。
4/30(日)
大江健三郎『われらの時代 改版』(新潮文庫 1990.6)を買った。
4/30(日)
僕の生活、僕の世界は暗くみじめで、いかなる希望のきざしもそこにあらわれてこないようだった......
「おれの夢のなかの犯罪はおれ独自の犯罪だから、おれ以外の人間にはとらえられない、そして夢のなかの犯罪者のおれも忘れられるだけで、処罰されたりすることはないよ」
(p36)