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灰色の記憶

日記 6/1-6/30

6/1(木)

私たちは人びとと親密になると、これは一生の結びつきになると考える、それが突然、一夜にしてその人びとが視界からも記憶からも消えてしまう、これは本当だ、と安楽椅子のうえで私は考えた。

(トーマス・ベルンハルト『樵る  激情』初見基河出書房新社 p56)

 

 

 

6/2(金)

通所117日目。

 

 


6/2(金)

愛の応答を求めての呼びかけではない、もはやそのような呼びかけではなく、
おさえてもおさえきれぬ声のほとばしり、それがおまえの叫びの本性であれ。

(リルケ『ドゥイノの悲歌  改版』手塚富雄岩波文庫 p53)

 


幸福とはまぢかに迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ。

(p69)

 

 


内側へと湾曲した隘路もまた、無限に広い場所なのだ。

(ボート・シュトラウス『マルレーネの姉  二つの物語』藤井啓司訳 同学社 p25)

 

 


彼は出典のあやしいアンソロジーを編もうと計画していた。一見アフリカの民衆が語り伝えてきた民話を蒐集したように見えて、その実シャンディたちがプラハで再会したときに語った話をいかにも自分らしいやり方で書き換えたものだった。
サンドラールの人柄を知っていれば、そのような計画を立てたからといって別に驚いたりはしないだろう。というのも、彼は人が話して聞かせるストーリーに耳を傾けたりはしなかったし、逆にそうしたストーリーのなかから単語を二つ、三つ拾い上げて、それをもとに頭の中で開かれたフィクションを、つまりそのときに聞かされたものとはまったく違ったストーリーを組み立てる癖があった。

(エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』木村榮一平凡社 p90)

 


そのエネルギーは消滅したのではなく、拡散することで潜在的なものになったのだ。

(p155)

 


メランコリックな人間は死のオブセッションにとりつかれている。だからこそ誰よりもよく世界を読むことができるのだ。

(p160)

 


歴史の真の顔は一瞬のうちに通りすぎ、過去はひとつのイメージしか残さない。歴史の真の顔はわれわれが目にする瞬間に強い光を放つが、稲妻のようにきらめく非礼な態度と同じで、それを二度と目にすることはない。

(p162)

 


われわれが過去を読むことができるのは、それがすでに死んでしまっているからなのだ。

(p163)

 

 

 

6/3(土)

・塚本邦雄『夏至遺文  トレドの葵』(河出文庫 2023.6)

・『アンダスン短編集』(橋本福夫訳 新潮文庫 1976.7)

を買った。

 

 

 

6/4(日)

魂は残酷の領土
生きることは拷問であり
不治の病であり
常に聖戦を必要としている

(磯﨑寛也『キメラ/鮫鯨』芸術新聞社 p51-52)

 


救いのない暗闇も
出口の見つからない迷路も
全て天国の階段であり
愛の物語の断片だから

(p62-63)

 


君にとっての表現は
おそらく弔いなのだ
僕にとってそれが
食事であるように

(p76-77)

 

 


6/4(日)

カミュ『最初の人間』(大久保敏彦訳 新潮文庫 2012.11)を買った。

 

 

 

6/5(月)

病院にいった。

 

 


6/5(月)

西部邁『虚無の構造』(中公文庫 2013.8)

芥川龍之介『舞踏会・蜜柑』(角川文庫 1968.10)

を買った。

 

 

 

6/6(火)

通所118日目。

 

 


6/6(火)

旧約聖書  出エジプト記』(関根正雄訳 岩波文庫 1969.1)を買った。

 

 

 

6/7(水)

通所119日目。

 

 


6/7(水)

美しさは常に呪われている。

(ウィリアム・バロウズ『ゴースト』山形浩生河出書房新社 p26)

 


観察者が観察されるのを観察せよ。

(p28)

 

 


「人間はしだいに形を失い、玉になる。そして、玉になると人間はその欲望をすべて失う」

(ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳 ヴィレッジブックス p45)

 


まともに向き合ったのでは惨めな敗北しか待ち受けていない人生に振り回されないためには、道化として振舞うのが一番だったのだ。

(p156-157)

 


「何か本当に意味があって、この世界のみならず、他の世界の出来事のなりゆきでさえ変えられるようなものが、この世の中にはあるでしょうか?」

(p189)

 

 

 

6/8(木)

作家の手から放たれてしまったテキストというのは、死んでいるのかもしれませんね。

(菊地信義『装幀百花  菊地信義のデザイン』水戸部功編 講談社文芸文庫 p77)

 

 

 

6/9(金)

通所120日目。

 

 


6/9(金)

金子國義『美貌帖』(河出書房新社 2015.2)

・ピーター・マレー『ピラネージと古代ローマの壮麗』(長尾重武訳 中央公論美術出版 1990.10)

・サミュエル・ベケット『事の次第』(片山昇訳 白水社 2016.5)

を借りた。


ヘンリー・ミラー『愛と笑いの夜』(吉行淳之介訳 福武文庫 1987.5)

梶井基次郎城のある町にて』(角川文庫 1951.12)

を買った。

 

 

 

6/10(土)

彼はあいかわらず、眼にうつるものをみずに、みつめる、ひかりのめくらましを、ふるえている大気を。

(マルグリット・デュラス『廊下で座っているおとこ』小沼純一訳 書肆山田 p23)

 


わたしは海がおとことおんなにみえるものからはるかとおくにあるのを知っている。

(p27)

 


あなたは眼差のつきるところ、それがまさしく失明するところまで凝視しようとする、そしてその失明をつきぬけてなおもみようとするにちがいない。さいごまで。

(p49)

 


あなたの生(ありよう)はとおいところにある。

(p60)

 


あなたの不在だけが残り、もはやあつみもなく、これからあなたの生のあるところにひとつの道を開いてゆく可能性もないまま、そこで欲望にうちひしがれる、可能性もないままに。

(p60)

 


もうすでにあなたは危険にさらされている。あなたがいま受けている最大の危険は、あなたに似てしまうこと、一時間まえに撮影した最初のショットのあなたにあなたが似ているということだ。

(p72)

 


わたしは生きることと死ぬことの瀬戸際にあるひとつの愛のなかにいる。

(p83)

 


わたしはおもっている、わたしはあなたが生のさなかにあるということのただの付随物にすぎないのではないか、それいがいのものではない、生のうつりゆきにはわたしは無関心なまま、生があなたについてわたしに教えてくれることはなにひとつない、生はわたしに死をより身近な、許しうる、そう、望ましいものと思わせるばかりだ。

(p83-84)

 

 

 

ぼんやりとした光が闇の中へ分け入っていくとき、さほど白くなかったものまでが青ざめた白い光を放つ。

(ハン・ガン『すべての、白いものたちの』斎藤真理子訳 河出書房新社 p35)

 


生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。額を、眉を、頬をやさしく濡らすのはみぞれ。すべてのことは過ぎ去ると胸に刻んで歩むとき、ようやく握りしめてきたすべてのものもついには消えると知りつつ歩むとき、みぞれが空から落ちてくる。雨でもなく雪でもない、氷でもなく水でもない。目を閉じても開けていても、立ち止まっても足を速めても、やさしく私の眉を濡らし、やさしく額を撫でにやってくるのはみぞれ。

(p73)

 


ある記憶は決して、時間によって損なわれることがない。苦痛もそうだ。苦痛がすべてを染め上げて何もかも損なってしまうというのは、ほんとうではない。

(p107-108)

 


壊れたことのない人の歩き方を真似てここまで歩いてきた。

(p146)

 

 

 

6/11(日)

雨。朝4時に床に就く

 

 

 

6/12(月)

わたしは決定的悪化の不断の連続

(サミュエル・ベケット『事の次第』片山昇訳 白水社 p11)

 


所詮わたしは幸不幸魂の平安というようなものにはむいていないのだほとんどむいていないのだ

(p31)

 

 

 

6/13(火)

通所121日目。

 

 


6/13(火)

私たちは人びととこのうえなく親しくつきあい、実際それが一生つづくと思う、それがある日、他のなにものにもまして評価していた、それどころか讃美していた、要するに愛してすらいた人びとに幻滅する、そして彼らを嫌悪し、憎み、もういっさい関係をもとうとしない、と安楽椅子のうえで私は考えた。私たちは一生のあいだ、もともと好意や愛でもって彼らを追いかけようとしていたごとくには、憎しみをもってそうしようとは思わないため、彼らのことを記憶からこともなく消し去る。

(トーマス・ベルンハルト『樵る  激情』初見基河出書房新社 p58-59)

 


私は彼らに対していつもすべて演じてきた、と私は独りごちた。私はすべての者に対してすべてをいつだって演じてみせているだけだった、私は一生涯演技し、演じてみせているだけだった、と安楽椅子のうえで私は独りごちた、私が生きているのは、実際の、現実の生ではない、私が生きて存在しているのは、演じてみせられた生にすぎず、私はいつでも演じてみせられた生だけを送ってきた、実際の、現実の生などではけっしてなかった、と私は独りごちた、そしてこの考えを推し進め、ついにはこの考えを信じていたのだった。私は息を深く吸い込み独りごちた、それも楽の間にいる人びとに聞こえざるをえないように、おまえが生きてきたのは演じてみせられた生にすぎず、現実の生ではなかった、演じてみせられた存在にすぎず、実際の存在ではなかった、おまえに関するすべて、おまえがそうであるすべては、いつだって演じられたものにすぎず、実際の、現実のものではなかったと。

(p82-83)

 

 

 

6/14(水)

通所122日目。

 

 


6/14(水)

わたしに残ったのは、現在だけ、わたしはいつも現在に生きている。人は現在を生きることはできる、しかし未来への計画を立てる暇はない

(アンリ・ボーショー『アンチゴネ』宮原庸太郎訳 書肆山田 p93)

 

 

 

6/15(木)

吉行淳之介『出口・廃墟の眺め』(講談社文庫 1973.5)を買った。

 

 

 

6/15(木)

もしこの世界に贖える罪と贖うことの適わぬ罪が存在するならば、あの時、僕は一時の軽薄な、さもしく、卑しい情動から、進んで贖うことが適わぬ罪を犯すことを選択したのです。

(嶽本野ばら『シシリエンヌ』新潮文庫 p130)

 

 

 

6/16(金)

通所123日目。

 

 

 

6/17(土)

死にたい

 

 

 

6/18(日)

死にたい

 

 

 

6/19(月)

死にたい

 

 

 

6/20(火)

通所124日目。

 

 

 

6/21(火)

武子和幸『モイライの眼差し』(土曜美術社出版販売 2020.10)を買った。

 


世の中には二千キロの海よりも広い隔たりがある。そのために泣いた。

(李琴峰『星月夜』集英社 p8)

 


大丈夫だから、心配しないで、と私は言った。大丈夫じゃなければならない。

(p40)

 

 

 

6/21(水)

通所125日目。

 

 

 

6/22(木)

死にたい

 

 

 

6/23(金)

死にたい

 

 

 

6/24(土)

ある考えを長く置いておき、そこに様々な想像が加わったなら、たとえ夢が壊れるとわかってはいても、絶対に実現させなければならない。

(陳春成『夜の潜水艦』大久保洋子訳 アストラハウス p37)

 


あらゆる人間の現在は、定まりなく揺れ動く未来の記憶の中を歩んでいるにすぎないのだ。

(p43)

 

 

 

6/25(日)

シャルドンヌを流し読みしたけれど、どうでもいいことばかり書いてあった

 

 

 

6/26(月)

近視、亂視、潛伏性斜視わが持ちて模糊錯落のこの春の視野

(『葛原妙子歌集』書肆侃侃房 p21)

 


棘のなき薔薇をひととき夢想せりこの上もなき低俗として

(p32)

 


どの病室(へや)も花を愛せり人閒のいのち稀薄となりゆくときに

(p43)

 

 

 

6/27(火)

通所127日目。

 

 

 

6/28(水)

通所128日目。

 

 

 

6/29(木)

加賀乙彦『海霧』(新潮文庫 1992.6)

加賀乙彦『フランドルの冬』(新潮文庫 1972.1)

大江健三郎『水死』(講談社文庫 2012.12)

・『地獄の季節  ランボオ詩集』(粟津則雄訳 集英社文庫 1992.10)

レイモンド・チャンドラーさらば愛しき女よ』(清水俊二訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 1976.4)

ロアルド・ダール『あなたに似た人〔新訳版〕Ⅰ』(田口俊樹訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 2013.5)

・ポーリーヌ・レアージュO嬢の物語』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1992.5)

を買った。


コリン・ウィルソン『迷宮の神』(大瀧啓裕訳 東京創元社 2006.1)

・ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『場所、それでもなお』(江澤健一郎訳 月曜社 2023.1)

を借りた。

 

 

 

6/30(金)

通所129日目。元気がないのはいつものことで、元気なふりをするのは疲れるとは言わない。