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灰色の記憶

日記 3/15-3/31

3/15(水)

通所86日目。

 

 


3/15(水)

緩やかな衰亡の途上にあることの悦び。あるいは、形態の記憶を徐々に忘れ去ってゆくことの悦び。

(四方田犬彦『摩滅の賦』筑摩書房 p6)

 

 

 

3/16(木)

・石沢麻依『貝に続く場所にて』(講談社 2021.7)

諏訪哲史『岩塩の女王』(新潮社 2017.8)

を借りた。

 


・ジュネ『薔薇の奇跡』(宇野邦一光文社古典新訳文庫 2016.11)

前川嘉男ロートレアモン論』(国書刊行会 2007.10)

を買った。

 


図書館、本屋、古本屋に。半袖ではないが半袖でもいいくらいの暑さで参ってしまった。帰路に着くや否や頭が痛みだした。

 

 


3/16(木)

仮面の下に潜むのは素顔であり本心だと考えるのは、変わらぬ信仰のようなものかもしれない。だが、時間を重ねれば重ねるほど、幾つもの面が顔を覆ってゆく以上、それを取るのは難しくなる。

(石沢麻依『貝に続く場所にて』講談社 p19)

 


頭の中にある記憶を支えるのは、身体の記憶である。それは繰り返すことによって濃い痣のように、さらに身体に転写されてゆく。

(p59)

 


失われた場所を想い続ける。全てが剝ぎ取られた土地を、記憶を根こそぎ奪われた人の顔のような場所を。そこは凍りついた時間と、破壊後に動き続けた時間が重なり合う二重の場所。この重なり合う時間や場所の距離は、どれほどまでに近づいてゆけるのか、今でも分からずにいる。

(p126)

 


私が恐れていたのは、時間の隔たりと感傷が引き起こす記憶の歪みだった。その時に、忘却が始まってしまうことになる。

(p149)

 

 

 

3/17(金)

通所87日目。

 

 


3/17(金)

無声の曠野に、語り終えられた生が棄てられていた。

(諏訪哲史『岩塩の女王』新潮社 p31)

 

 


3/17(金)

より狡猾になろうという意志と、優しく在ろうという心構えは、両立できるものなのだろうか。

 

 

 

3/18(土)

墓参りに。

 

 

 

3/19(日)

詩を書いた。

 

 

 

3/20(月)

あらゆる感情が死と繋がっていた

 

 

 

3/21(火)

通所88日目。

 

 


3/21(火)

古井由吉『聖なるものを訪ねて』(集英社 2005.1)

須永朝彦『天使』(国書刊行会 2010.7)

・蜂飼耳『食うものは食われる夜  新装』(思潮社 2006.9)

牧野信一『ゼーロン・淡雪  他十一篇』(岩波文庫 1990.11)

・G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳 新潮社 2006.9)

・アドルフォ・ビオイ=カサレス『脱獄計画』(鼓直、三好孝訳 現代企画室 1993.9)


を借りた。

 

 

 

3/22(水)

通所89日目。

 

 


3/22(水)

私は、事物には本来あるべき位置が決まっており、個々の問題には処理すべきときがあり、ひとつひとつの単語にはそれがぴったりはまる文体があると思い込んでいたが、そうした妄想が、明晰な頭脳のもたらす褒賞などではなく、逆に自分の支離滅裂な性質を覆い隠すために考え出されたまやかしの体系であることに気がついた。

(G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』木村榮一訳 新潮社 p74)

 

 


わたしの嘘はわたしのものとなったためしがない。

(『消失  ポール・オースター詩集』飯野友幸思潮社 p18)

 

 

 

3/23(木)

音のない、しずかな雨だった。運行時間も調べずに外に出た。風が涼しい。桜が咲いていた。携帯で写真を一枚撮った。虚しくなり、すぐに消去した。見回すと、自分以外は誰もいなかった。

 


後輩に会う予定がある。待ち合わせまでまだ2時間以上あり、暇を潰さなければならない。

 


目をつけていたピエエル・ルイス『ビリチスの歌』(鈴木信太郎講談社文芸文庫)がなくなっていた。誰か買ったんだな。

 


レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』(中村融河出書房新社 2002.10)を買った。単行。これは文庫でしか見たことがなかった。

 


遅れる、という連絡があり、別段憤るわけでもなくああそうなんだという思いを抱いた。古井由吉の『楽天記』(講談社文芸文庫)を読みながら待っている。

 


3年ぶりということだった。3年間の出来事を思い出そうとしたが、うまく思い出せなかった。互いに遅い昼を摂り、とりとめもない近況報告をし合った。

 


3時間も経たないうちに解散した。また会おうとは言わなかった。言い忘れてしまった。

 


頭がうっすらと痛い。疲れは知覚した途端に酷くなる。

 


きょうの雨で、桜がどのくらい散るのか。

 

 

 

3/23(水)

人の歳月は夜のうちではなくて、朝ごとに進むのではないか……。

(古井由吉『聖なるものを訪ねて』集英社 p38)

 


どうせ本末転倒を犯すのが作家の習いとするならばいっそ、暮らすのを記すという自然の裏を行って、記すがごとくに暮らすよう心がけたらどうか、と。

(p71)

 


時間が生死の彼方へ向かって開きかけてしまった。

(p110)

 


人格の多重性が喪われかける時、多重人格の現象は露われかかるのではないか。

(p132)

 


記憶も時間の連続性に見放されれば、点々と孤立して、やがては分解する。自身が多数の自身のひしめきとなる。

(p133)

 


「俺の死に方は、なしくずしだよ」
「なしくずしは、誰でもさ」

(p187)

 

 

 

3/24(金)

きのうの頭痛が尾を引いている。

 

 


3/24(金)

バタイユ『空の青み』(伊東守男河出文庫 2004.7)を買った。

 

 

 

3/25(土)

不意に来る食への嫌悪。嫌悪というより、罪悪感に近いか。

 

 

 

3/26(日)

こぽ、こぽ、という気抜のするような音が間歇的に聞えてくる。雨が日がな降っている。

 

 

 

3/26(日)

意味の飽和が無意味に変ずるのと同様に、無意味の堅持が却って意味を、一つの意味を浮かび上がらすということが、ありはしないか。

 

 

 

3/27(月)

勝利する者は、決して第二の死によって傷つけられることはないのだ

(『ヨハネの黙示録小河陽講談社学術文庫 p28-29)

 


お前は生きているとの評判を得てはいるが、〔実際には〕死んでいる。

(p33)

 

 


地獄からもう一つの地獄へ発とう。

(須永朝彦『天使』国書刊行会 p83)

 

 

 

3/28(火)

通所90日目。

 

 

 

3/29(水)

通所91日目。

 

 


3/29(水)

・福永武彥『独身者』(中公文庫 1982.5)

・ロープシン『蒼ざめた馬』(川崎浹訳 同時代ライブラリー 1990.12)

辻邦生西行花伝』(新潮社 1995.4)

を買った。

 

 


3/29(水)

わたしは未来を知ろうとは思わない。過去のことは忘れるようにしている。

(ロープシン『蒼ざめた馬』川崎浹訳 同時代ライブラリー p14)

 


だがはたしてこの地上に愛があるだろうか?

(p34)

 


きみは誰をも愛さない。自分自身すらね。

(p39)

 


すべては、どうだっていいことだ、どうせ死ぬんだから。

(p45)

 


わたしはまだエレーナを愛しているのだろうか?それとも影だけを──彼女への以前の愛だけを愛しているのだろうか?

(p56)

 


わたしは生死の境にいる。罪にかんする言葉が、わたしにとってなんの役にたとう?

(p87)

 


生きていたくもないし、といって死にたいとも思わなかった。

(p166)

 


わたしは誰とも共有したくないし、これからもそんなことはしないだろう。

(p177)

 


愛は夕日のように消えてしまった。

(p202)

 


いま、わたしは誰をも愛していない。愛したいとも思わないし、また愛することもできない。世界は呪うべきものとなり、いちどきに、わたしにとって荒涼たる砂漠と化した。すべては虚偽であり、すべては空の空である。

(p211)

 

 

 

3/30(木)

ヘミングウェイ全短編1  われらの時代・男だけの世界』(高見浩訳 新潮文庫 1995.9)を買った。

 

 

 

3/31(金)

通所92日目。

 

 


3/31(金)

・G・ガルシア=マルケス『愛その他の悪霊について』(旦敬介訳 新潮社 1996.5)

アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(古賀弘人訳 青土社 1996.12)

・『怪物  ブッツァーティ短篇集Ⅲ』(長野徹訳 東宣出版 2020.1)

・フェルナンデス・フローレス『七つの柱』(牛島信明小学館 1997.2)

を借りた。

 

 


3/31(金)

1年以上切っていなかった髪を切った。