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灰色の記憶

日記 3/8-3/14

3/8(水)

通所83日目。

 

 

 

3/9(木)

マッコルランによれば、表現主義が関わるところでは必ず、社会的幻想も存在している。それはおそらく、この双子のような二つの傾向がいずれもその不健康なエネルギーをロマン主義の泉から汲んでいるからだろう。

(ピエール・マッコルラン『写真幻想』(昼間賢訳 平凡社 p13)

 

シュルレアリスムたちにとって驚異とは世俗的であり、ささいなものでさえあり、まさにマッコルランの社会的幻想が超自然的なものに背を向けたように、聖なるものを断念したように見える。そもそも、マッコルランは何度か、社会的幻想の代わりに「社会的驚異」という表現を用いている。二つの概念が等価であるかのように。

(p13-14)

 

 

 

3/10(金)

通所84日目。

 

 


3/10(金)

アラン・ロブ=グリエ『快楽の館』(若林真訳 河出文庫 2009.4)を買った。

 

 

 

3/11(土)

鷲田清一『感覚の幽い風景』(紀伊國屋書店 2006.7)

松浦寿輝『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』(新潮社 2004.11)

四方田犬彦『摩滅の賦』(筑摩書房 2003.10)

を借りた。


ホーソーン『完訳  緋文字』(八木敏雄訳 岩波文庫 1992.12)を買った。

 

 


3/11(土)

死によって搔き立てられた優しさは、同じ優しさを感じている生者を愛させる。

(アンドレ・マルロー『黒耀石の頭  ピカソ・仮面・変貌』岩崎力みすず書房 p6)

 


覚えているのはただ、こんなよそよそしい世界に放り出されてしまった理不尽に対するせつない怯えと憤りだけだ。

(松浦寿輝『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』新潮社 p27)

 

 

 

3/12(日)

ほんとうの暴力とは〈自明のこと〉という暴力である、という暗い考えから彼は離れることができなかった。明白なこととは、暴力的なことなのだ。たとえ、その明白さがおだやかに、寛大に、民主的に示されていようとも、である。逆説的なことや、明白ではないことは、たとえ独断的に押しつけられようとも、あまり暴力的にはならないのだ。とんでもない法律を発令する専制君主のほうが、〈自明のことだ〉と言って満足している大衆よりも、結局のところは暴力性が少ないと言えるだろう。「自然なこと」とは、ようするに〈最大の侮辱〉なのである。

(『ロラン・バルトによるロラン・バルト石川美子みすず書房 p117)

 


「結局僕たちはいつでもお座なりのことを言って、自分たちの秘密を心の奥底に隠しているのさ。そういうふうにして生きているのだ。」

(福永武彦『告別』講談社文芸文庫 p13)


己たちはみんな孤独で、しかも人とのつながりの中でしか生きられないのだ。つながりがあるために一層孤独なのだ。己たちは未来を知らず、ただ現在の中で正面を向いているが、未来はその顔を仮面で隠したまま、己たちの来るのをじっと待ち受けているのだ。そして己たちはその仮面の怪物の方へ、餌食になるとも知らずに、一歩一歩近づいて行きつつある……。

(p54)


別レルコトハ何デモナイ。シカシ別レタコトノ記憶ガ甦ルタビニ、別レノ持ツ意味ハ次第ニ大キクナリ、人ガ愛スルノハ遂ニハ別レルタメデアッタコトヲ理解スルノダ。シカシソレヲ知ッタ時ニハスベテガモウ遅スギルノダ。

(p107)


晴れた空には雲一つなかったから、男は空の全体が宇宙の意志を伝える一つの大きな眼球であるような気がしていた。

(p181)

 

 

 

3/13(月)

雨が降った。

遅い昼を摂りに外に出、店に入った。食後らしい親子のうちの子供のほうが、それをしていないと落ち着かないとでもいうように、編み物をしていた。

 

 


3/13(月)

わたしの憂鬱の……?憂鬱の種……?いや種がないのが憂鬱ってもんでしょうが。

(松浦寿輝『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』新潮社 p34)


それにしても記憶なんてものはまったく頼りにならないもんだな。いろいろなものがたちまちごっちゃになり、すり替わり入れ替わり、いい加減に変造されてしまう。

(p72)


まばたくたび、そのつど世界はほんのわずかずつ死んでいるのだ。何もかもが、決して目には見えない遅さで絶えず死につつある、死んでゆく。見つめているぼくの瞳も、また。

(p165)


重く、あまりにも重く感じていたこの軀が、じつはなんの重さももっていないことにふと気づく。

(p174)


言葉は人生の時間そのもののように流れていき、過ぎ去っていき、ぷつりと断たれ、その後にはただ真っ白な闇が広がっているだけだ。

(p230)


どこまでつんのめるように歩いても月は昇らず
詩はわたしに訪れない

(p232)

 

 

 

3/14(火)

通所85日目。

 

 


3/14(火)

ワイルド『サロメ  改版』(福田恆存訳 岩波文庫 2000.5)を買った。

 


死すべき運命をつねに見つめる者と、死を意識から排除することに成功した者と、どちらがより生に近いのか。

(ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』細井直子訳 河出書房新社 p13)


結局のところ、現在あるものとは残されたものにすぎない。

(p15)


基本的にすべての物はすでにゴミであり、すべての建物はすでに廃墟であり、すべての創造は破壊に他ならない。

(p16)