5/28(土)
「愛してくれるなら愛してあげる」これは論外である。殊に、親が子に対してそのように思っているなら、本当に救いようがない。愛は物々交換ではないのだ。愛は、仮言命法であってはならない。
愛されているかどうかの一つの指標として、「自分がまだ生きたいと思えるかどうか」が挙げられる(ここで忘れて欲しくないのは、幸せ故に死んでしまいたいという理屈も存在するということ)。だが、あなたが今生きたくないと思っていることは、あなたが誰にも愛されていない証左だ、などと言いたいわけではない。愛とは世界を受け入れる過程に他ならない。
5/29(日)
・ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(中山元訳 光文社古典新訳文庫 2008.9)
・久生十蘭『湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫 2005.8)
を買った。
5/30(月)
渋谷にいった。
5/31(火)
・アブラハム・B.イェホシュア『エルサレムの秋』(母袋夏生訳 河出書房新社 2006.11)
・ロベルト・ボラーニョ『通話』(松本健二訳 白水社 2009.6)
・ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』(植田祐次訳 みすず書房 2001.7)
を借りた。
6/1(水)
狂奔の内に一滴の静まりが点ずると、恐怖は一気に溢れ出す。
「俺は死から抜け出そうと土を掘ったが、俺が掘ったのは死に通じる道のりだった」
(イ・ジョンミョン『星をかすめる風』鴨良子訳 論創社 p90)
6/2(木)
・レオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』(垂野創一郎訳 国書刊行会 2015.10)
・『リッツォス詩選集』(中井久夫訳 作品社 2014.7)
・ジャネット・フレイム『潟湖』(山崎暁子訳 白水社 2014.11)
・ジョルジョ・アガンベン『王国と楽園』(岡田温司、多賀健太郎訳 平凡社 2021.11)
・フレデリック・グロ『創造と狂気』(澤田直、黒川学訳 法政大学出版局 2014.7)
を借りた。
6/2(木)
言葉の意味は言葉が隠すもので決まる。
(ヤニス・リッツォス「終わらない」)
6/3(金)
彼は手に取る。ちぐはぐなものだ。石が一個。
壊れた屋根瓦。マッチのもえかす二本。
前の壁から抜いた錆びた釘。
窓から舞い込んだ木の葉。
水をやった植木鉢からの滴。
昨日、きみの髪に風が付けた藁しべ。
こういうものを持って裏庭に行き、
おおよそ家らしきものを建てる。
詩はこの「おおよそ」にある、分かるか?
(ヤニス・リッツォス「おおよそ」)