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灰色の記憶

詩も日記もあなたとの会話も、全部遺書だから

今年の誕生日の翌日からちまちまと日記を書いていますが、なんとか続いています。2ヶ月続きました。

一行でもいいや、と思いながらやってるとそんなに難しくないです。死にたいとか、ずっと寝てたとか、そんな短文でもれっきとした生活の一部ですから。読み返した時に「ああ、この日はこうだったんだな」と過去の断片が垣間見えれば、良いわけです。

9/15から今日の分までまとめて投下してもよかったんですが、まあ、一度も見られなかった日記というのもそれはそれでいいなと思ったので、辞めておきます。

その代わりに、一部だけ載せておきます。

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9/21(月) 天気:晴れ

自分の苦しさは自分だけのもの。それはそうなんだけれど、それを正確に言語化できない。悩んでいる事が多すぎて、それが複雑に絡み合って、何に怯えているかの説明すらできない。だから時々、この得体の知れない漠然とした不安感や焦燥感、閉塞感なんかを持て余してしまって、それをそのまま放置してしまうことがある。言葉に起こすという途方もない作業自体に苦しめられてしまう。本末転倒だと思う。いろんな事に怯えている。いろんな事に疑心暗鬼になっている。それでも、それでもさ、自分を信じてやれるのは自分しかいないんだ。自分に対して、自分自身が手に負えなくなって見捨ててしまったら、誰が自分の事を受け止めてくれるの?誰が私の苦しみを、私を、認めてくれるの?誰が私の存在を受け入れてくれるの?拙い文章でも、瑣末な事でも何でもいいから、断片的でもいいから、自分を遺しておきたい。過去の自分が未来の自分を肯定してくれる事だってあるはずだから。だから、ゆっくりでいいから、いつかの自分のために、今の私はその筆を止めないで。言葉にする事を辞めないで。いつかのあなたの言葉が、あなた以外の誰かにも寄り添ってくれるかもしれないから。


10/4(日) 天気:雲り

3時半くらいに寝た。本を読んでいた。

昔聴いていた曲を聴き漁っていた。今聴いている曲は10年後も聴いているだろうか。それ以前に、10年後も生きているだろうか。

満たされないという言葉を卑しく思う。実際に満たされないと感じる自分に対しても卑しく思う。同じように嘆いている人を見ると共感する一方で疎ましくも思う。恐らく誰もが一度くらいは思ったことがあるだろう。言葉にするかしないかの違いだけだ。そしてその不満の程度は辛さ苦しさと同じように比べるものではないというのは言うまでもない。言うまでもないことには違いないが、それでも人は自分が一番辛い苦しいと思っていないと正気を保っていられない時さえある。やり場のない禍々しい感情を溜め込むことでその思い込みに拍車がかかる。けれども、その場凌ぎだとしても思い込みで少しでも楽になるのなら誰に咎められる筋合いもないと思う。今に苦しめれている人間に努力や根性なんて言葉は自殺自傷を後押しするだけだ。嘘でもなんでもいいから縋り付けるものが必要だという人だっている。それが気休めだからといって、何の問題があるのかと思う。


10/22(木) 天気:くもり

理解して欲しい人を限定するのは、悪いことだろうか。止めて欲しくない人に自殺を妨害された時、私はこいつを殺したいとさえ思った。邪魔をするな、と。お前に私の何が分かるんだ、と。嫌悪感が湧いた。止めて欲しい人に止めてもらえたら、私の中で何か新しい感情が生まれたかもしれない。理解して欲しい人に、寄り添われて受け入れられて、理解してもらえるように。そう思うのは、傲慢だろうか。馬鹿が見る幻想だろうか。でも私には私と同じ人が必ずいることを知っている。見返りを求めず、絶えず与える側の、受け入れる側の人間にならざるを得なかった人間の存在を知っている。繊細で自閉的な人間がSOSを発せない本当の理由を、私は知っている。知っているからこそ、寄り添いたいと思う。あなたの傲慢さを、私だけは理解したいと思う。自分のことのように、傷つきたいと思う。幻想を、現実にしたいと思う。


11/3(火) 天気:くもり

待つという行為は生きている人間にしか、出来ない。待たれていると感じることも生きている人間にしか、出来ない。ただ、待たれていると感じて初めて、その人が自分を待っているという空想が出来上がる。死者が待っているという空想が出来上がる。空想はあらゆる事を可能にする。それに生かされている人間が、いる。


11/11(水) 天気:晴れ

傍から見れば明らかに無理をしているのに、自分では無理をしているかどうかわからないほどそれが恒常的になっていて、「無理をしないこと」自体が不可能になっていたら(無理をする前の自分が思い出せなかったら)、当人ひとりではもう、軌道修正できない。そしてそのまま放っておくと、遅かれ早かれ確実に死んでしまう。


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こんな日記を書いています。気が向いたらまた更新ます。それでは。

私はここにいる

私には背景主義な一面があるが故に、目に見えてわかるもの、いわゆる結果や事実だけを手放しに評価することに抵抗がある。したくないというより、できないのである。目に見えない部分にこそ心根を揺さぶるものがある、それこそ無根拠で身勝手な憶測だが、私はそう思っている。


そもそも自分が他人をジャッジしたり、あるいは自分が他人にジャッジされることに対して、幼い時分から苦手意識があった。その意識の存在を認めているにも関わらず、無意識のうちに自分がそのようなことをしているのに遅れて気が付くと、その矛盾になんとも後ろめたい気持ちになる。自分が最もなりたくなかった存在にいつのまにかなってしまっていたと気付いたときの絶望、無力感というのは計り知れないものだ。


人間がもつ善悪という基準は基本的に不透明で不安定で理不尽なものだと思っている。私の価値基準もその例に漏れず身勝手なものに違いない。人間というのは、往々にして本能よりも理性を高位のものと見なすように思うが、本能に助けられていることだってあるはずだ。人間というのは私たちが思っているより、どこまでも矛盾を抱えた生き物なのだ。


ではどうしたらいいのか。物事の善し悪しについて考えさせられるのは生きている限り避けられない宿命だ。厄介なのは、考え込めば考え込むほど事が複雑化していき、深刻化していき、堂々巡りになることだ。出口のない迷宮をさまよっているようなものだ。その迷宮を創り出しているのが他でもない自分だという事実には目もくれずに。


懐疑的な姿勢が重度のフェーズに達すると、手掛かりさえも胡散臭く見える。胡散臭い手掛かりで無理矢理結論づけた内容など、胡散臭くて当然だ。然し、時にはそうせざるを得ない場合もある。どこかで割り切らなければならないという意識に駆られる。苦悩から一刻も早く解放されたいからだ。人は本能的に楽な道を選んで進みたがる。理性の私が私に教えたのは理性の無力だと芥川も言っている。思考癖があり、かつ神経質な人間にとって、この世はつくづく生きづらい場所だと思う。かといって感情を無にして生きながらえるというのも、半死の身で生きているようなものだ。それなら早く死んだ方がいいという人の気持ちもわからなくもない。精神がどのように作用しようと、生きながらえるほど身体は困憊し、衰弱し、欠損する。


一つ仮説を立てよう。仮説といっても冒頭で述べた憶測のように、私の願望に過ぎないとも言える。だが、突飛な発想ではない自負があるので聞くだけ聞いてみて欲しい。

「もし、この世に、この人生に、正解など一つもないとしたら?」

ここで言う正解というのは物理法則や化学現象といった自然の摂理ではなく、人為の理屈を指している。つまり、今まで散々述べてきたような善悪をはじめとした価値基準に対しての仮説だ。当然のことながら誰かの味方になることは誰かの敵になることで、その逆もまた然りだ。そこでふと思った。「敵も味方も自分の内に取り込んでしまえばいいのではないか?」つまり、ある限りの視点を取り入れ、徹底的に客観的な態度を一貫するということだ。ある意味でそれは、敵からも味方からも顰蹙を買い忌避される存在になることだとも言える。対立が和解に終わることはそう多くはないのだ。だからこそ声を大にして言う。孤立してしまうくらい客観的になれ、と。最も、純粋な客観というのは存在せず、そこには多かれ少なかれ主観が入り交じっているものだ。それを逆に利用する。正解がないのなら、正解らしきものをあるだけ持てばいい。あるいは、それらしいものを書き出しては折衷していけばいい。自分だけの真実があればいい。善も悪も、敵も味方も関係ない、と。


誰もが自分の視野を世界の限界だと思っていると言ったのはショーペンハウアーだ。その状態になれ、と私は言っているのではない。むしろその逆だ。物事を多角的に見るために異なる視点を取り入れて、視野を拡げ、世界を見つめろと言っているのだ。しかし、それには盲目にならないように注意する旨をここまで示唆してきたはずだが、最終到達目標は「自分だけの真実を持つこと」だと前述した。それは見方によっては盲目になることで矛盾しているのではないか?それは実は半分正解で、半分間違っている。折衷という言葉を出したように、既存の真実をいくらでも上書き保存して、更新してもいいのだ。更新の余地もないくらい満足な真実が完成したら、それを矜恃に自分の生き方、そして死に方を次は模索していけばいい。主観と客観のレンズを交互に使いながら。その途中で自分の矜恃と全く重なっている、あるいは酷く似ている人に出会うかもしれない。どうかその人を、受け入れて欲しい。それは、自分を受け入れることと、自分のために涙を流すことと同じだから。


さあ、どうだろうか。背景なしに涙を流せるのもある種の才能だとは思うが、やはり私には背景なしには対象を見つめることはできない。見つめるどころか、目を開けることもできないだろう。結果だけを鵜呑みにすることは、できない。


善悪とは一体、何なのだろうか。幸福とは、人間とは、一体何なのだろうか。思考癖の私に思考がもたらしてくれたものは、想像する力だ。想像力は自分を変え、他人も変える。


どうか、想像することをやめないで欲しい。半死で生きることを、受け入れないで欲しい。あなたと全く同じ人がいる可能性を、みずから潰さないで欲しい。受け入れることは受け入れられることに通ずると、教えてあげて欲しい。


死ぬ間際に思い出す結果なんて、自分と同じような人がひとりいて、受け入れ合ったというだけで充分だろう。

9/12 ー 9/14

9/12(土)

天気:雨のち雲り

眠剤のお陰で熟睡できた。何をしようにも気力がなく、横になっているうちに午前が終わる。

横になっていたらいつのまにか眠っていた。仮眠のつもりが過眠になり、束の間の自己嫌悪。15時2分。雨上がりの空に烏の鳴き声が響いていた。昨日買った小説でも読もう。

15時46分。生憎、読書は捗らない。栞を挟んで閉じる。近隣からトランペットの音が断続的に流れ始める。おそらく、一人で練習しているのだろう。聞く度に上達しているような気がする。僕はこの音が嫌いじゃない。初めて聞いたときは煩わしく思っていたが、今は終わってしまうと寂しくなるまでになってしまった。時計を見遣る。夕刻。ほどなくして17時の鐘。もう今日は何もしないでいいかな、なんて思う。ゆっくりと瞼を下ろし、ふたたび耳を傾ける。この天気に馴染んでいるような音色だ。僕はこういった身近にある美しさほど尊び、それらを死ぬまで慈しんでいたい。



9/13(日)

天気:雲り、のち雨

あれだけ寝たのにまだ倦怠感が残っている。燃費の悪い体だとつくづく思う。朝食は目玉焼きとトースト。昔はよくトーストの上に乗せて食べていたが、最近は何となくしなくなった。空は一面、雲で覆われていた。今日は夕方から雨だって言ってたな。10時44分。網戸から入る風が涼しくて心地いい。

人工的な灯りというものが苦手だ。蛍光灯、街路灯、ネオンライト、自動車のヘッドライト、テールランプ、等々。家に一人でいるとき、僕は電気を滅多に点けない。南の窓から自然光を取り入れるだけだ。真昼なのに薄暗い、極夜みたいな部屋で僕は生活している。それが精神的に落ち着くんだろう、僕は朝も昼も嫌いだ。気に入っている人工灯は一つだけある。ひとけのない場所でひっそりと佇んでいる、控えめな数の装飾が施されたクリスマスツリーだ。去年の冬のバイト終わり、僕はそんな人工灯を偶然目にして、勝手にシンパシーを抱いた。早くお互い月明かりになりたいな、と心の中で呟いた。



9/14(月)

天気:雲り

4時14分。日が昇るにはまだ少し早いくらいの時間に起きてしまった。外の薄明かりを頼りに本を読むのが好きなのだけれど。

8時17分。ゴミ出し。寝巻きから私服に着替えるのは3日ぶりだ。外に出ると涼しいを通り越して肌寒かった。もう半袖は辞めにしよう。

青空文庫八木重吉の「秋の瞳」を読んだ。この詩集の冒頭には、こうしたためてある。

『私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。』

久々に良い詩人に出逢えた。今度、詩集を買いに行こう。



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幸い、三日坊主は免れました。

21

21になりました。


去年20になったとき、そこまでの感動はありませんでした。そこまでというより、全然ありませんでした。


その癖、まだ20歳の気分でいます。きっと、その気分は抜けきらずに、ずっと、20歳の頃の自分にしがみついているでしょう。


大人にも子供にも、なれなかったということです。


子供の頃はインナーアダルト、肝心の今はインナーチャイルド。そんな心境でいます。最も、その定義は人それぞれだとは思いますが。


さて。唐突ですが、今日から日記を付けようかな、と思います。


種田山頭火の行乞記を読んで、自分もやろうかな、と思いました。特に最終的な展望のようなものは設定しませんし、これからもすることはないでしょう。ただの自己満足の日記です。コンセプトはありません。


とりあえず四日は続けてみようと思います。三日坊主と言われるのは居た堪れないので(ささやかな抵抗)。


それでは、一日目。9/11。天気、曇。


池袋にいった。三ヶ月ぶりだ。母とランチをとった。その後、別行動。ルミネから出ると西口にいた。西口には三ヶ月前に一度いったきりで、地理が全く頭にない。普段は東口にしかいかないからだ。東口への連絡通路を歩く。ここ、どっかに似てるなと思ったらあれだ。新宿東口の、西口までの連絡通路。何とか梅通り?肝心な名称が出てこない。まあいい。サンシャインからグランドシネマ、その他諸々をぐるっと回る。ざっと。それが終わって、カラオケに入る。2時間くらい歌った。ヨルシカとか、色々。最後にジュンク堂に寄った。何も買わなかった。帰宅ラッシュの電車内は、人酔いしそうで息苦しかった。雑踏を歩いていたら頭が痛くなるあれとなんとなく似ている。道草を食おうと思ったけど、思いとどまってやめた。まだ全然、夏虫は鳴き止んでいなかった。でも、明日の大雨でその殆どが死滅してしまうことだろう。季節の終わりは呆気ない。儚く思う。


明日は、読書日和になりそうだ。

夏の終りのカルテット

二週間に一度だけ図書館を訪れています。


単純に本の貸出期限が二週間だからです。


こういう期限というものは往々にして鬱陶しかったり、人を焦らせたりしますが、そこにまた来てもいいという口実にもなるので悪くないですね。


もっとも、これが友人と交わす約束だったりすると尚よろしい気もするんですが。ええ、個人的にですよ。


閑話休題、今日は返却日だったので、返却ついでにまた借りる本を見繕ってきました。


こんな事を言うのもどうかという気がするのですが、私は読んでいる時より選んでいる時の方が好きです。いや、どうだろう。同率かなあ...。


でも私にはどちらも「冒険」という感覚がします。良くも悪くも、自分さがしという側面があるのではないでしょうか。未知の世界の開拓、未知の自分との交感。内に秘めたる核の涵養。大袈裟ですかね。


私は書店でも古書店でも図書館でも、いつも五十音順に見ていくのですが(文学コーナーに限ります)、いつもの通り、先頭の「あ行」からタイトルやらジャケットやら、裏表紙のあらすじやらで物色していると、本と本のあいだに挟まっている紙のようなものを発見しました。


手に取ってみると、それは自動貸出機で発行される、借りた書籍と返却期限が印刷されている紙でした。きっと、それを栞がわりか何かにしていて、返却時に抜き取るのを忘れてしまったのでしょう。顔も名前も知らない人が何を借りたのか気になって、私はその紙をまじまじと観察してしまいました。


そこには、「あさのあつこ」と「井伏鱒二」の名がありました。ははあ、さては私と同じように五十音順に見繕っているタチだな、と憶測を巡らせつつも、人の頭の中を覗き見しているようで、なんとも言えない罪悪感と共感性羞恥に襲われました。その二人の名は古本屋に従事していた私が知らないわけはありませんでした。あさのあつこはだいぶ前に「ナンバーシックス」という小説を買って、まだ読んでいません。井伏鱒二は太宰の友人です。詩集だけ一冊持っています。


私は純文学も現代文学も分け隔てなく読むようにしているので、こういう借り方は良いなあ、と思いました。前回自分もこんな借り方をしたのを思い出して、気恥ずかしくなったかたわら、親近感を覚えました。


私は今回は現代作家一辺倒で、江國香織川上未映子、三秋縋、最近の人から宇佐見りん、という方の小説を借りました。


物色していると最近出たばかりの書籍もちらほら棚に隠れていて、経緯はどうあれ寄付した方に感謝の情が湧くものです。


書店で新品を買うよりかは古書店で古本を買うのが好きで、線が引かれていたりするものが特に好物です。残念ながら、こういう類の印が人為的に施された本は受け取れないというのが図書館の決まりだそうです。


本がある空間が私は好きなんだなという事を再認識しながら、借りた本の数だけ重さを増した鞄を背負って家路に着きました。


蝉、からす、ひぐらしツクツクボウシのカルテットを全身に浴びながら夕暮れの下を自転車で漕ぐのは、晩夏の哀愁をひしひしと感じさせられるものでした。


次の返却日には残蝉が鳴いていて、夏の面影を感じる初秋になっている事を願い、私は今日も物語の中に身を沈めます。

詮のないことでも

なんだか昔のことをどんどん忘れている気がする。昔のことというか、最近のことまでも。


高校の時のことをひとつ、思い出してみようか。


記憶が正しければ、高二の海外研修でニュージーランドに行き、帰国したタイミングでTwitterのアカウントを作った。校内の人と繋がるためだけのアカウント。


学年、コース(僕の高校は偏差値を基準に当時5つのコースに分けられていました)、性別、学年問わずいろいろな生徒と繋がりを持ち、校内で僕の苗字を知っている人に話しかけられたりもした。バーチャルがリアルに融けこんだみたいで、割と面白かった。当時のアカウントはもう機能していないけれど、今他で使っているアカウントを通じてオフラインで人と会うとき、今でもそういう感覚が依然としてある。


いろいろな生徒と会ってきたけれど、今回はふと思い出した生徒、正確には元生徒について書こう。


その生徒もTwitterで知り合った生徒だ。僕が確か二年の頃にその子が一年、だから後輩だった。5つあるコースのうち僕は真ん中のコースで、その子はそれより1つ上のコースにいた。


学校のない日に、そう遠くないショッピングモールの、セルフバイキング形式のとあるお店でランチをとりながら会話に興じていた。その子はずっとピアノを続けていて、過去には賞を取ったこともあるという、おそらく音楽に造詣が深い子だった。心療内科に罹っていて、病名は全部は把握していないけれど、確か自律神経失調症と、それに付随する起立性調節障害を持っていた。


意外、というほどでもなかった。はた目で見て何かに秀でている、また、極めようとしている人は孤独に自分自身と向き合う時間が少なくないと思うから(それでもピアノや学業が相関しているかはわからないけれど)、両親にも難儀していた様子だったからそういった側面も含めて多かれ少なかれ精神に影響しているんだろうと察した。


その子は二年に進級するタイミングかどうかはよく覚えていないけれど、最終的に通信制の高校に転校したらしい。当時のTwitterアカウントが手元に残っていないからその後のことは知る術がないけれど、当時の様子から察するにまだ睡眠障害や不安障害に苦しめられていると思う。僕も昔からその気があったけれど、実際に精神科に通い始めたのは大学に入ってからだから自己診断で共感やら何やらのことを言うのは憚られた。それ自体は仕方のないことなのに自分で壁を作っているような気がしてしまい、悔しさというか、名残惜しさ、虚しさがあった。


同じ境遇にいた人にしか、相手の苦しさは想像できない。その現実をまざまざと見せつけられた気がする。きっとその子も話していながら雀の涙ほどでもそう思っていただろう。正論は言いたくなかった。そんなことを言うより、いや、言葉なんかなくてもただ親身になって寄り添おうと必死だった。初対面の相手にこんなに無防備に、弱音を洗いざらい(一部かもしれないけれど)曝けだせる人間なんてそうそういないだろう、そう思った。ただ、自分のことを話すより、相手の滔々と放つ本音や、そこに見え隠れする感情の発露に目を、耳を、そして心を傾けたかった。正論よりも大切なものなんて、挙げればきりがないほどあるはずだから。


あの子は今一体どうしているだろう。きっともう二度と会えない人。先輩後輩とか関係すべて取っ払った、一対一の時間。ピアノは、今は好きだろうか。私は精神科に通い始めて2年が過ぎました。もう遅いけれど、あの時のあなたの言いたかったこと、伝わりすぎるほど伝わっています。


詮のないことだって何でも言ってください、聞かせてください。あなたと出会ったことで、そう思うようになりました。出会って対話した人のことは、その時間は、何にも変えられないんです。あなたに会えて、よかった。


私は死ぬまでずっと忘れないと思います。あなたと、そしてあの日のことを。

詩を書いている理由

何を書くかより誰に伝えるか(あるいは誰に宛てるメッセージでもない)、同じこと、あるいは似たようなことを言う人がいるとき、対象が内容に先立つようであってほしくて、そうでないと解釈やニュアンスはおろか、その人のバッググラウンドまで潰されて無かったことにされてしまう。

だから脚色でも改竄でもなんでもいいから、自分の雑念や情念を詩として昇華するしかなかった。詩の中ならすべてが許されるから。いくら自分を捏ねくり回したところで自分がどういう人間なのかが見えてくるわけじゃないから、自分の残骸を詩として保存することであらゆる人格を可視化、あるいはそれぞれの解像度を上げて、自分という容器のなかにその都度インストール、アップデートしていく。

私は人格が2つ以上ある人間より、1つしかない人間(そんな人は滅多にいないと思うけれど)の方が生きづらいように見えてしまう。人格ではなく仮面と言った方が分かりやすいだろうか。何枚も仮面を持っている人はすべての仮面が切り札であり、自分の味方であり、また自分になり得るのである。

だから誰に詩の内容を悪く言われようと本体の自分の解像度さえ未だ低い私がどの自分(人格)がどういった理由で否定されているのか分からないし、自分以外の人間に向けて書いているわけじゃないからどうでもよくて、「私の創作物」、言わばその「内容」が否定されたところで痛くも痒くもない。生活そのものがフィクションと隣り合わせだから傷つく感覚が日に日に麻痺しているように思う。それでも傷つけば傷つく分だけ傷つけ方は否が応でも上達していく。それを理性で隠蔽している人間の性を誰かが優しさと呼び美徳とする。余計なお世話だ。

私は詩を書く(自分を分析する)「行為」そのものと「対象」の2つを何よりも重く見ている。自分のためにしか詩を書いていないというのにはそういった意図...意図というより本能なんだろう。はじめはそういう意識はなかったものの、いつの間にか創作というより生活の一部になっていた。本当に精神が逼迫しているときは詩を書いている、というより詩に書かされていると言った方が近い時もある。

自分の口から、指先から紡がれる言葉。それが嘘であろうと真実であろうとどうでもいい。どちらでも構わない。嘘も真実も人を傷つけるのだとしたら何も言わずに黙っている方がいいのかもしれない。だけれど私にとって黙っている、手を止めていることは死んでいるのと同じだ。私は正直言ってまだ死にたくはない。詩人は沈黙することを好まない。私にとって詩は自分に対する自分のための、唯一の延命方法だから。

私は死ぬまで、詩を書き続けたいと思う。