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灰色の記憶

詮のないことでも

なんだか昔のことをどんどん忘れている気がする。昔のことというか、最近のことまでも。


高校の時のことをひとつ、思い出してみようか。


記憶が正しければ、高二の海外研修でニュージーランドに行き、帰国したタイミングでTwitterのアカウントを作った。校内の人と繋がるためだけのアカウント。


学年、コース(僕の高校は偏差値を基準に当時5つのコースに分けられていました)、性別、学年問わずいろいろな生徒と繋がりを持ち、校内で僕の苗字を知っている人に話しかけられたりもした。バーチャルがリアルに融けこんだみたいで、割と面白かった。当時のアカウントはもう機能していないけれど、今他で使っているアカウントを通じてオフラインで人と会うとき、今でもそういう感覚が依然としてある。


いろいろな生徒と会ってきたけれど、今回はふと思い出した生徒、正確には元生徒について書こう。


その生徒もTwitterで知り合った生徒だ。僕が確か二年の頃にその子が一年、だから後輩だった。5つあるコースのうち僕は真ん中のコースで、その子はそれより1つ上のコースにいた。


学校のない日に、そう遠くないショッピングモールの、セルフバイキング形式のとあるお店でランチをとりながら会話に興じていた。その子はずっとピアノを続けていて、過去には賞を取ったこともあるという、おそらく音楽に造詣が深い子だった。心療内科に罹っていて、病名は全部は把握していないけれど、確か自律神経失調症と、それに付随する起立性調節障害を持っていた。


意外、というほどでもなかった。はた目で見て何かに秀でている、また、極めようとしている人は孤独に自分自身と向き合う時間が少なくないと思うから(それでもピアノや学業が相関しているかはわからないけれど)、両親にも難儀していた様子だったからそういった側面も含めて多かれ少なかれ精神に影響しているんだろうと察した。


その子は二年に進級するタイミングかどうかはよく覚えていないけれど、最終的に通信制の高校に転校したらしい。当時のTwitterアカウントが手元に残っていないからその後のことは知る術がないけれど、当時の様子から察するにまだ睡眠障害や不安障害に苦しめられていると思う。僕も昔からその気があったけれど、実際に精神科に通い始めたのは大学に入ってからだから自己診断で共感やら何やらのことを言うのは憚られた。それ自体は仕方のないことなのに自分で壁を作っているような気がしてしまい、悔しさというか、名残惜しさ、虚しさがあった。


同じ境遇にいた人にしか、相手の苦しさは想像できない。その現実をまざまざと見せつけられた気がする。きっとその子も話していながら雀の涙ほどでもそう思っていただろう。正論は言いたくなかった。そんなことを言うより、いや、言葉なんかなくてもただ親身になって寄り添おうと必死だった。初対面の相手にこんなに無防備に、弱音を洗いざらい(一部かもしれないけれど)曝けだせる人間なんてそうそういないだろう、そう思った。ただ、自分のことを話すより、相手の滔々と放つ本音や、そこに見え隠れする感情の発露に目を、耳を、そして心を傾けたかった。正論よりも大切なものなんて、挙げればきりがないほどあるはずだから。


あの子は今一体どうしているだろう。きっともう二度と会えない人。先輩後輩とか関係すべて取っ払った、一対一の時間。ピアノは、今は好きだろうか。私は精神科に通い始めて2年が過ぎました。もう遅いけれど、あの時のあなたの言いたかったこと、伝わりすぎるほど伝わっています。


詮のないことだって何でも言ってください、聞かせてください。あなたと出会ったことで、そう思うようになりました。出会って対話した人のことは、その時間は、何にも変えられないんです。あなたに会えて、よかった。


私は死ぬまでずっと忘れないと思います。あなたと、そしてあの日のことを。