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灰色の記憶

日記 8/13-8/19

8/13(金)

ブッツァーティ『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫)を買った。



8/14(土)

死にたい



8/15(日)

好きだよ



8/16(月)

風に誘はれた木の葉が落ちて来る
夕暮を歩む人や子供が木の葉を踏んで行く
靴底の釘が木の葉を踏み破る、彼等の足の下で
彼等自ら知らずにゐるのに。

微風にさへも散り、事事に傷く
これ等の木の葉に若も感覚があつたとしたら、
木の葉はさびしい荘厳な酩酊を感じるであらう。
何故と云ふに、人が自ら親木から離れ、
さうして秋が墓の方へ撒きちらす、
孤児、弱い者、孤独者であると感じ、
自らが自らの為の死布であると知り、
今日より後、自分は人間に対しても、獣類に対しても虚無であり、
何物もこの悩みの世に自分を繋ぐものはなく、
自分は今はじめて、自由な風に従つてとびまはる外、
何物にも服従しない落葉であり、
詩人であると感ずることは
悲痛の中の歓喜であるから。

それは自由に顫動きながら飛び廻る風の美しい酩酊だ。

(ルイ・マンダン『抒情発生』)



8/17(火) その1

人は何かを期待しなくとも十分、生きていくことができるのだ。

(ミシェル・ウエルベックランサローテ島』)



8/17(火) その2

もはやその頃、私のもつてゐたのは、神への愛ばかり、そしてもう一つのは、私はそれを喪してゐた。私は腰を下ろしてゐた、夜に向きあつて。夜は明るかつた、その中で、柏香樹が、黑い天鵞絨のやうに見えるほど。これよりももつと美しい夜があらうとは、思はれない。これに似た夜の思ひ出さへ、私はもつてゐない。公園の向ふにうち續く丘を私は眺めてゐた。それから眼をあげた。そして息づく星の、星屑を手にいつぱい、掬つてみたいと思つたけれど、けれどもそれを、どうしてこの毀れてしまつた心の中に、しまつておかう?

(フランシス・ジャム『公園の夜』)



8/17(火) その3

幸せを願うことすら暴力。幸せになることすら暴力。幸せになりたがることすら暴力。


暴力。



8/17(火) その4

黙れない性分なんだね。


まあ死んだら永遠に黙ってるわけだから、いいか。



8/17(火) その5

完全にどんな夾雑物もない注意が、祈りである。

(シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』)



8/18(水) その1

雪がふる、雪がふる地の上に、
影がふる、影がふる地の上に、

落葉な何所へ行つたのか?
落葉さへ死んでしまつたのだ、
さうして今雪と影がふる。

錆びた鉄槌で悪戯な天使たちが
戸を叩いてゐるやうに思はれる、
少しづつ私たちを殺す天使たち
さうして地平線の上にはひくく垂れたさびしい雲・・・・・・

暗い墓のやうに人家は皆とざされてゐる
さうしてそこらぢゆうに雪と影がふる。

(フェルディナン・エロルド『雪』)



8/18(水) その2

キーツ詩集』(岩波文庫)、『ウンガレッティ全詩集』(岩波文庫)を買った。



8/19(木) その1

パスカルキニャール『ローマのテラス』読了。



8/19(木) その2

幸せなんて言葉知ってるんだ。不幸だね。



8/19(木) その3

軽蔑しながら愛することはできる?



8/19(木) その4

来た時よりはよくなつて私は帰る、
裸で生れて来たのだがいま着物きて死んで行く。

(シヤルル・アドルフ・カンタキユゼエン『碑銘』)