7/30(土)
現実の孤独においては、錯覚だけが信者に応えるのだが、信者でない者に応えるのは不可解なものなのである。
(ジョルジュ・バタイユ『有罪者 無神学大全』江澤健一郎訳 河出文庫 p31)
宇宙を笑うことで私の生は解放されていた。
(p33)
激しい笑いが生じれば、いかなる限界もなくなる。
(p34)
道徳を意識すると、私は無邪気なまでに「野性的」になるのだ。
(p35)
7/31(日)
軽井沢に来た。
7/31(日)
福永武彦『夢見る少年の昼と夜』(P+D BOOKS 2017.4)を買った。
8/1(月)
ピエール・モリオン『閉ざされた城の中で語る英吉利人』(生田耕作訳 中公文庫 2003.12)を買った。
・アントニオ・ダブッキ『レクイエム』(鈴木昭裕訳 白水社 1996.5)
・『新潮日本文学アルバム 福永武彦』(新潮社 1994.12)
を借りた。
8/2(火)
通所7日目。暑い。暑い。
8/2(火)
・ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』(橋本勝雄訳 東京創元社 2016.2)
・ミシェル・トゥルニエ『オリエントの星の物語』(榊原晃三訳 白水社 2001.9)
を借りた。
ゲエテ『親和力』(実吉捷郎訳 岩波文庫 1956.7)を買った。
8/3(水)
世界は終わっていて、世界はまがっていて、世界は閉じている。
(タチヤーナ・トルスタヤ『金色の玄関に』沼野充義、沼野恭子訳 白水社 p95)
───たとえ痛ましい思い出だって、ぼくらを拘束する絆になるんだよ。
(ミラン・クンデラ『別れのワルツ』西永良成訳 集英社 p114)
───自分自身から治癒した者は、破滅する。
(ミロラド・パヴィッチ「ブルーモスク」)
「永遠のために充分な時間など、あったためしがない」
(ミロラド・パヴィッチ『帝都最後の恋』三谷惠子訳 松籟社 p53)
8/4(木)
雨。
8/4(木)
死にうち克ちたいという盲目的な衝動から発した生への欲求は、それ自体が、死の種子をまく手段にほかならない。生を完全に受け入れないもの、生を有意義に使わないものは、すべて、この世界を死によって満たすのを助けているのだ。
寛大というのはな、相手が口をひらく前にイエスということなんだ。イエスというためには、まずシュールレアリストかダダイストになって、ノーということがなにを意味するかを理解することだ。
「発狂するとは、理性をうしなうことであると解されている。たしかに理性はうしなうかもしれないが、しかし決してそれは真理をうしなうわけではない。なぜなら、ほかのものが沈黙をつづけているときに、真理を語る狂人がいるからである……」
おまえのなかに太陽が何万とあればよかったのだがね。永久にここに寝そべって天国の花火を眺めていたい。
私はこれから生の病のなかで生きるつもりだ。
私はおまえの嘘をすべて絶対的に信じる。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
8/5(金)
通所8日目。
8/5(金)