9/24(土)
離人になるとき、私は何を思ってきたのだろう
9/25(日)
・ジャン・ジュネ『泥棒日記』(朝吹三吉訳 新潮文庫 1968.9)
・大庭みな子『花と虫の記憶』(中公文庫 1982.4)
を買った。
・カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』(柳原孝敦訳 白水社 2011.10)
・オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』(小椋彩訳 白水社 2010.10)
・ ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』(木下眞穂訳 白水社 2020.8)
・『第二誕生 1930−1931 ボリース・パステルナーク詩集』(工藤正廣訳 未知谷 2006.7)
を借りた。
9/25(日)
日々のしきたりに
深く根付いた難問の終身性を
座りきりの人生と呼ぶにしても、──
ぼくにはそのような、人生が恋しい。
(ボリース・パステルナーク『波』)
眠れ、過去よ。人生の長い夜になって眠れ。
(ボリース・パステルナーク『バラード〈別荘では眠っている〉』)
9/26(月)
リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』(木原善彦訳 新潮社 2019.10)を借りた。
9/27(火)
通所23日目。
9/28(水)
善をなす場合には、わたしはいわば自己から不在でなければならず、わたしが自分の善を目撃しないことが望ましいのです。
(ハンナ・アレント『責任と判断』中山元訳 ちくま学芸文庫 p192)
9/29(木)
ところで「売りに出されることのないもの」とは何か。肉体であれ、臓器であれ、神であれ、信心であれ、詩であれ、空気であれ、この世界で売られていないものなど、何ひとつないのに。
(宇野邦一『〈兆候〉の哲学 思想のモチーフ26』青土社 p95)
最悪なのは、欲望が自動化し、自己目的と化し、もはや何を欲望するのでもなく、ただ拡張と増殖を欲望するようになることだ。
(p96)
9/26(木)
・ジャック・フィニィ『レベル3』(福島正実訳 早川書房 1974.9)
・『ポオ小説全集3』(創元推理文庫 1974.6)
を買った。
9/30(金)
『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫 2005.6)を買った。
9/30(金)
通所24日目。
10/1(土)
『忘却についての一般論』を読み始めた。
10/2(日)
『忘却についての一般論』を読み終えた。
10/2(日)
死にたい
10/3(月)
感情が詩を書きとらせるとき、
それは舞台にひとりの奴隷を送り出すということ、
そのとき芸術は終わり、
土と運命が息づくばかり。
(『第二誕生 1930−1931 ボリース・パステルナーク詩集』工藤正廣訳 未知谷 p107)
10/3(月)
病院にきた。
10/4(火)
通所25日目。
10/4(火)
春によって、春によって、
底無しの春によって水浸しにされた広大な空間がある。
(『第二誕生 1930−1931 ボリース・パステルナーク詩集』工藤正廣訳 未知谷 p134-135)
10/5(水)
もしもあなたの心がほんのわずかでも緑がかった部分を持っていたなら、あなたはきっと意味の横溢に溺れてしまうことだろう。
(リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』木原善彦訳 新潮社 p12)
10/6(木)
図書館に。津原泰水の追悼コーナーが設けられていた。
・ジョゼ・ルイス・ペイショット『ガルヴェイアスの犬』(木下眞穂訳 新潮社 2018.7)
・ミシェル・トゥルニエ『海辺のフィアンセたち』(松田浩則訳 紀伊國屋書店 1998.9)
・アルベルト・ルイ=サンチェス『空気の名前』(斎藤文子訳 白水社 2013.3)
を借りた。
10/7(金)
朝からうっすら吐き気がする。一気に寒くなった。
通所26日目。