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灰色の記憶

日記 4/16-4/22

4/16(金) 天気:晴れ

新越谷に来た。駅ビルの本屋で時間を潰した。


南越谷に隣接していて、そこには二年前に来た。その時会った人とはもう繋がっていない。


電車で一人、あてのない旅がしたい。


繰り返す事が怖い。でも、時には繰り返さなければいけない。みずからの意思で。


出来るなら、損得勘定で生死を捉えたくない。出来るだけ、自分を呪いたくない。


楽な方へ、楽な方へと視線を彷徨わせながら歩き、いざ辿り着くと、そこにおいて自分が場違いな存在のように感じる。そして逃げだす。その繰り返し。私は一体、何がしたいのだろう?


久々に、小説を書いた。


4/17(土) 天気:くもり

頭に圧迫感を感じる。朝は大抵気分が悪い。


まともな思考も計画もできない。建設的な案を講じる事ができない。


いままで、まともなふりをしていただけだ。まともじゃない事を自覚する事から始めよう。


自信過剰にはなりたくない。自分の傲慢性が怖い。鈍感に焦がれながら畏れている。


足音が聞こえる。気配を感じる。近づいているようにも、遠ざかっているようにも聞こえる。


去年や一昨年の出来事が、ずっと昔の事のように感じる。


4/18(日) 天気:晴れ

フェルナンド・ペソア短編集 アナーキストの銀行家」読了。とても好きだった。


不安になると視界が揺らぐ。酷い目眩がする。


考え過ぎないこと。ただ、考えるのは辞めないこと。


理由にこだわらないこと。理由を後付けしないこと。


好きということを知られずに、知らせずに好きでいつづけるということ。


一度免罪符として利用したものは、最後まで免罪符として利用すること。


許されないことと同様に、許されることにも耐えること。


意味付けに囚われないこと。


4/19(月) 天気:晴れ






早く死にたい


4/20(火) 天気:晴れ

夏日だった。


図書館にいった。レダツァラツヴァイクユイスマンスを借りた。ツァラを借りられたのはよかった。


本を読んでいない時は何をしているかというと、面白そうな本がないか延々とネットの海を漂っている。要は、本の事しか考えていない。


4/21(水) 天気:晴れ

ジャン・コクトー「大胯びらき」読了。


消灯し、横になった。深夜の2時だった。中途覚醒を繰り返し、いくつもの夢を見た。


マンディアルグ「城の中のイギリス人」読了。


暑いけど、明日は外にでようかな。


4/22(木) 天気:晴れ

すこしだけ散歩した。風がつよかった。帰りがけに公園へ。桜の姿はもうなかった。


頭が痛くなってしまって、横になっていた。


特に書くこともないので、気になっている本を整理して終りにします。


バルザック/ ラブイユーズ

コレット/ 軍帽

北杜夫/ 楡家の人びと

カフカ/ ミレナへの手紙

ジャコモ・レオパルディ/ 断想集

・エマニュエル・ボーヴ/ のけ者

ジャン・ジュネ/ シャティーラの四時間

シュテファン・ツヴァイク/ 女の二十四時間

・ハンス・エーリヒ・ノサック/ ブレックヴァルトが死んだ

トーマス・マン/ ヴェネツィアに死す

マリオ・バルガス=リョサ/ 世界終末戦争

アラン・ロブ=グリエ/ もどってきた鏡

吉行淳之介/ 廃墟の眺め

・フアン・ホセ・サエール/ 傷痕

・ホセ・ドノソ/ 夜のみだらな鳥

アナイス・ニン/ 人工の冬

・ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル/ すべては壊れる

マイケル・オンダーチェ/ イギリス人の患者

マイケル・オンダーチェ/ 戦下の淡き光

皆川博子/ ペガサスの挽歌

・マルセル・ベアリュ/ 水蜘蛛

・ホフマン短篇集

ガルシン短篇集

ジュール・シュペルヴィエル/ 日曜日の青年

・ピーター・トレメイン/ アイルランド幻想

・フィッツ=ジェイムズ・オブライエン/ 金剛石のレンズ

橋本一子/ 森の中のカフェテラス

・リュドミラ・ペトルシェフスカヤ/ 私のいた場所

・オーブリ・ビアズレー/ 美神の館

・スザンナ・ケイセン/ 思春期病棟の少女たち

色川武大/ 狂人日記

倉阪鬼一郎/ The End

恒川光太郎/ 夜市

筒井康隆/ 笑うな





それでは、今回はこの辺で。よき夢を。

日記 4/9-4/15

4/9(金) 天気:晴れ

悪は無くならない。何故なら、誰もが同じ正義をもつわけではないから。悪というのは往々にして、認識の齟齬から生まれるから。


長らく共にしてきた認識というのは、もはや身体の一部みたいなものだ。当人にとってはそれが常識となる。矯正するのは容易ではない。


葛藤とは自問自答の事だろうか?受容の背後に葛藤がある事は少なくない。


全否定と同じくらい、全肯定が恐ろしい。肯定と受容は違う。また、受容は共感ではない。


この間、ルソーを読んでいたら、「僕は憎む事は無いが、軽蔑はする」みたいな文章があったけれど、芥川も同じような事を言っていた気がする。憎むより軽蔑する方が楽だと思う。


_____


君もまた優しさのために、性格を壊すのではないか。

​───中原中也


詩を書き始めて、きょうで二年。三年目も頑張ろう。


4/10(土) 天気:晴れ




倦怠と焦燥だけがある。どうにかしてくれ。


4/11(日) 天気:晴れ

鷺沢萠帰れぬ人びと」読了。こんなに文章が上手い人がいたのか、と思った。


また本屋にいった。上田岳弘「ニムロッド」が気になっている。帯文が島本理生だった。


田中西二郎訳のブロンテ「嵐が丘」が読みたい。あと、天沢退二郎の詩集を探している。


4/12(月) 天気:くもり

悪い夢ばかり。


選択肢に死があるうちは幸福にはなれないのだろうか。本当にどうにもならなくなったら死ねばいいしな、という気持ちで生きている。じゃあ今はどうにかなってるのかというと、まあ、辛うじてどうにかなってるんだと思う。いつ崩壊してもおかしくないような、瀬戸際の日々。


4/13(火) 天気:雨

いまさらながら、人間失格を読みました。本当に良いものを読むと、何も語りたくなくなりますね。死ぬまで、繰り返し読むと思います。


4/14(水) 天気:雨






何も無し。けど、詩は書いた。


4/15(木) 天気:晴れ

江國香織「雨はコーラがのめない」を読んだ。


恐怖はたぶん、一人一人がみんな個別に、いつも、そしてずっと、戦わなきゃならない何かなんだろうなあ。

(本文より抜粋)


_____


自分が一番不運な人間なんだという思いと、自分よりも不運な人間なんていくらだっているという思いに板挟みになる時が、最も悶える時かもしれない。


思い込むことで楽になることはあるが、所詮は虚しい弥縫策に過ぎない。半端な自己暗示は、却って劣等感罪悪感を増幅させるだけのように思う。


言語化できない苦しみにぶつかった時、出来ることは、「言語化」という活動を批評することくらいだろう。或いは、黙って死を待つこと。


「あなたの言葉に救われました」、「あなたの言葉に傷つきました」、どちらを言われても嬉しい。それは、良くも悪くも、無視しなかったということだ。向き合わなければ、癒えることはおろか、傷つくことさえ出来ない。


腹が減れば物を食い、喉が渇けば水を飲む。愛も、それくらい単純なものならよかったのに。


真剣になれるものが、言葉くらいしかない。


_____


あなたを見ている 忘れていくから
さよならの途中、悲しみが足りない

(ピコン/ 悲しみが足りない)


涙が零れた あなたに触れて
さよなら忘れて生きていたい惨めなまま

(ピコン/ 死ぬにはいい日だった)


さよならからまだ始まらない
君との会話も忘れてゆく

君の脈で踊りたかった 今はできない
生ぬるいまま変れないでいる日々に溶けてゆく

今に負けそうだ

君の所為とか思わないけど何故か寂しくて
生ぬるいまま息を吐いている 日々に騙されて

君の脈で踊りたかった 今はできない
情けないけど抱きしめてよ 側にいて

(ピコン/ 君の脈で踊りたかった)


あれもこれもそれも駄目になって
思い出したいくらい辛くなって
だけど今も思い出せなくて
涙が溢れた毎日だって
季節を忘れた毎日だって
くだらないなりに記憶めくって

故に哀しあってなぁなぁになって
君がいないなんて嘘みたいな毎日だ
哀しあってなぁなぁになって
ただ独り見えた 君が笑っていた

(ピコン/ ただ息をしていた)


覚えたことすら零れていくけど
脆すぎる日々をまだまだ愛していたい

塞いでいたけど季節がただ剥がれていく
あなたが居ないこと認めてしまえた

まだ浅い夜に

また逢えたらあなたと夢の中で
いつかは忘れるけど

目が覚めたらいつかと同じ夜で

あなたの声すら忘れてただ剥がれていく
あなたが居ないこと認めてしまえた

まだ浅い夜に

(ピコン/ 愛)


_____


外にでた。相変わらず錆びた自転車を飛ばしている。最近は雨が降りやすいから、晴れている時は外にでたくなる。


古本を買った。レアージュO嬢の物語」(澁澤龍彥訳)、ギャリコ「雪のひとひら」(矢川澄子訳)の2冊。どうでもいいけど、澁澤と矢川は元夫婦。


図書館へ。ペソアコクトーグラビンスキ、マンディアルグを1冊ずつ借りた。鞄が重い。本当は絵本が読みたくて来たのだけど、いつもの癖で小説の棚にいってしまった。


来月、シオランの「生誕の災厄」新装版がでるらしいから、とりあえずそれまでは生きる。


死がよぎらない日がない。私は、戦いつづけたい。死ぬまで、戦いつづけたい。完全にひとりになったとしても。

















ひとりになってからが、本番だろう。

日記 4/2-4/8

4/2(金) 天気:晴れ

有明という街に来た。やけに広かった。

一人で不安を解消する方法というのは実際にあるのだろうか。

前進だけが称賛され、停滞や後退には冷めた視線を向けられる。そもそも前進とか後退とか、そういう概念自体が気に食わない。人間というだけで、人間らしく振る舞わなければならないという生来的な枷、責苦、逃れられない呪縛。


4/3(金) 天気:晴れ

葉桜になっていた。それでも綺麗だった。

フェルナンド・ペソア「不穏の書、断章」を買った。



夜風が心地いい。


4/4(日) 天気:雨

本当に何もかもどうでもよくなった時、どこまでも堕ちていける気がする。その時にはもう、喪失なんて眼中にないのだから、躊躇ってきた事のすべてをやってから死んでもいいのではないだろうか?最後くらい、自分の欲望に忠実になってもいいのではないだろうか?どうせ最後には何も残らないのだから、人の目など気にせず、死ぬまでやりたいことだけをやるのも悪くないのではないだろうか?そんな考えがよく脳裏を掠める。

要は、自殺以外で救われる方法を探しているという事です。くどいですが、死んだらおしまいなので。


4/5(月) 天気:雨

シュペルヴィエル「海の上の少女」読了。

2時49分。まだ眠くなかったけど、消灯した。雨が降っている。

パスポートの有効期限が先月で切れていた。

顔と名前は一致するのに、顔と声が一致しない事が増えた。やっぱり、ひとの特徴で一番最初に忘れてしまうのは声らしい。


4/6(火) 天気:くもり

ずっと外にでないでいると、頭がおかしくなってくる。3日に1回は散歩しにいった方がいい。

生きたいとか、死にたいとか思うのはもう疲れた。でも、感覚なので仕方がない。


いまの私は、まちがった私で、なるべき私にはならなかったのだ。
まとまった衣装がまちがっていたのだ。
別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。
後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。

​──アルヴァロ・デ・カンポス(ペソアの異名)


4/7(水) 天気:晴れ

午前は図書館にいった。

午後は本屋にいった。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、村上龍限りなく透明に近いブルー」を買った。

いつか会えるのなら、生きている限りは、何年でも、何十年でも待つよ。約束する。


4/8(木) 天気:晴れ

激痛のような思いが、身体を走り抜けた。何もかも、いちように幸せでいたかった。そうでなければ、生きている意味はないような気がした。あり余るほどの幸福のもとでしか生きていきたくない。そう思うことはそれほど傲慢なことだろうか。そう望むのはいけないことだろうか。

(鷺沢萠「川べりの道」)


尾崎放哉の随筆を読んでいたら、種田山頭火の日記がまた読みたくなってきた。


もっと、もっと読みたい、書きたい、足りない、全然足りない。


「青」が私のテーマなんだと思う。優しくて残酷で、届きそうで届かない、届いた途端に褪せてしまうもののイマージュ。それに私は「青」という色を見いだした。青空は、そんな理由で好きだ。自分を苦しめてくるものすべてに意味がある。それが目にみえないものなら、なおさら。


過去を蔑ろにしたくない。過去に不誠実な人間に救いは無い。救われたいかは別として。


優しさは、やっぱり、想像力の事じゃないかな。


過去に救われた事がある。その事実さえあれば、その事実さえ覚えていられれば、私は充分だ。


遡った分だけ、遡る度に、私は真実をみる。


一つの事実と、一つの真実さえあれば。
















いつか、会えたらなあ。

日記 3/26-4/1

3/26(金) 天気:晴れ

上野公園にいった。上野公園は3年ぶりだった。白妙という桜が気に入った。ユリカモメという白い鳥がいた。鳴き声が面白かった。

自然や動物に興味なんてなかったのに、精神を病んでから興味が出てきた。どうしてだろう、人間とその周辺に疲れていたからかな。


3/27(土) 天気:くもり

欲しい本がたくさんある。とりあえず、ルゴーネスの短篇集は今度買おうと思う。

桜を見に近所の公園へ。これで見納めかな。


3/28(日) 天気:雨

朝起きて、発狂しそうになった。あとどれだけ朝を繰り返すんだろう。

宮木あや子「あまいゆびさき」を買いました。宮木あや子は「官能と少女」がおすすめです。

性別が厭わしいです。


3/29(月) 天気:晴れ

美波「Prologue」を久々に聴いたら泣きそうになった。

薬を貰いに病院にいった。待っている間は立原道造の詩集を読んでいた。今日が命日だった。

駅前の本屋に寄った。小川洋子「完璧な病室」を買った。


3/30(火) 天気:晴れ

あなたの優しさは優しさじゃなくて弱さだよ、みたいに断定・断罪しているひとを偶にみかけるけど、そういうあなたは立派な人間なの?


3/31(水) 天気:くもり

外にでた。桜が散っていく。

死は怖くないと自分に言い聞かせている。

フランツ・カフカ「夢・アフォリズム・詩」(編訳:吉田仙太郎)を買った。

今月は殆ど何もできなかった。まあ、死ななかったからいいか。来月も死なないといいな。


4/1(木) 天気:晴れ

吾々の記憶というものは、この世界などよりも遥かに完全な世界なのだ。記憶は既に生存していないものに生命をあたえるのだ。

(ギ・ド・モーパッサン『ある自殺者の手記』)


ジョルジュ・バタイユ「青空」読了。

以下本文より抜粋


ぼくは綱を引張っている犬のような状態だった。何も見えなかった。時間の中に、瞬間の中に、血の脈動の中に閉じこめられ、ちょうど、殺されるために縛られて、その紐を必死に切ろうとしている人間と同じ苦しみを味わっていた。もう幸福など全然期待していなかった。自分が何を待っているのか、もう全然わからなかった。

/

​──あたし、苦しんで幸せだったわ。


_____


4月になった。まわりは進み、私は進むどころか後退している。停滞したり後退したりしている。それでも生きているので、いいです。


もう少し、もう少しと言い聞かせながら、もう少しだけ足掻くつもりで、往生際悪く、這いつくばっていきましょう。















私のことはわすれて構わないので、私の言葉だけ、時折思いだしてくれたら、うれしいです。

日記 3/19-3/25

3/19(金) 天気:晴れ

ピラネージという画家を知ったのだけど、画が本当に恰好いい。画集が欲しい。

午後は外にでた。本屋と図書館にいった。本があるところにしか用がない。本のことばかり考えている。

また目が悪くなった気がする。


3/20(土) 天気:くもり





何にも期待しない。


3/21(日) 天気:雨

何も捗らず、横になる。泥になりたい。

なぜ好きなのか言葉にするのも億劫なくらいに、好きなものがある。それは生き甲斐であると同時に、死に甲斐でもある。解るかな。

本当に胸打たれたものに、比喩など必要ない。が、比喩は時に、記憶と記憶の接着剤になる。


3/22(月) 天気:くもり

文学も音楽も嗜むものではなくなり、みずからを傷つけるための道具になってしまった。それは決して、使いこなせるようにはならない。何かを面白い(=interesting)と感じるのは、他人事ではないから。何かを面白いと思うには、自分を歪ませるのが手っ取り早い。思考や想像をやめると、ただ生きているだけになってしまう。

私のような人間は、一人で死んだ方がいい。


3/23(火) 天気:晴れ

多和田葉子ボルドーの義兄」読了。

以下本文より抜粋


一度書きしるされた言葉は、それがどういう理由で書かれたかには関係なく、必ず未来に影響を及ぼす。

/

罪もない?罪もない人なんていないでしょう。

/

苦しみを避けるのではなく、苦しみから喜びを得ることを学びなさい。


電車に1時間揺られて、柏へ。

祖母の家へ。斜向かいに山があり、視界の先に辛夷の花がみえた。最後に来たのはいつだったろう。ところどころ変わっていたけど、相変わらず落ち着く空間だった。他愛もない昔話に花が咲いた。

お墓参りへ。桜の花が咲いていた。祖母曰く、祖父と同じお墓に入るという。線香の匂いが、鼻孔と胸の奥を擽る。マッチを摩ったのはいつ以来だろう。一人で来る時は、来るだろうか。

会えてよかったと言われた。

地平線が藤色がかっていた。沈んでいく夕陽を目で追っていた。

帰りの電車の中では、三好達治の詩集を読んでいた。


私の詩は
三日の間もてばいい

昨日と今日と明日と
ただその片見であればいい

(三好達治『枕上口占』より)

今日も詩を書いた。


3/24(水) 天気:晴れ

午前は図書館にいった。6冊借りた。

公園に寄ったら、桜が満開だった。しだれ桜のかたちが綺麗だなと思い、写真を撮った。

午後は駅前の本屋にいた。フリオ・コルタサル「秘密の武器」購入。また積読が増えた。


3/25(木) 天気:くもり

サミュエル・ベケット「いざ最悪の方へ」を読んだ。

すべて消え去るという憧れ。薄暗さが消え去る。虚空が消え去る。憧れが消え去る。無駄な憧れが消え去るという無駄な憧れ。(本文より抜粋)



_____


呆気ないものに惹かれるのは、同情のせいか?

疑いを入れたくなるのは、信じたい意思の裏返しか?

生きているうちに、救われることなんてあるのか?そもそも、何から救われるというんだ?


書かなければならない。もっと、もっとだ。死ぬまで苦しめ、苦みながら書きつづけろ。

日記 3/12-3/18

3/12(金) 天気:くもり

自分が生きているという事も、死んだという事も、たったひとりの人にしか知られたくない。あるいは、誰にも知られたくない。


3/13(土) 天気:雨

記録帳を読み返していた。島本理生の言葉にだいぶ救われたんだな、と思った。そういえば、今年はまだ読んでないな。


3/14(日) 天気:晴れ

怖い。





怖い、怖い。


3/15(月) 天気:晴れ

矢川澄子ベストエッセイ 妹たちへ 」購入。

欲しい本が買えたので、きょうはよかった。


3/16(火) 天気:晴れ

幸福を感じている時は誰かの不幸を願うことなんてないのに、不幸を感じている時は誰かの幸福を願うことがある。違うな。耐えられる不幸にいる時は誰かの幸福を願うだけの余裕があるけど、耐えられないほどの不幸にいる時は誰でもいいから自分と同じ苦しみを味わって欲しいという気になるのだろう、それは余裕がないから。でも、叶う叶わないは置いといて、自分が幸福な時に誰かの幸福を願うのが最も理に適っているのかもしれない。不幸が連鎖するよりは増しだろう。いやどうだろう、難しいな。


3/17(水) 天気:晴れ

お前の思ひの鎖が
願はくば何時でも私の頸を巻いてゐるやうに。

(ルミ・ド・グウルモン『鎖』)


「ただまつすぐにお前の道を行け、
さうして暴風雨を嗤っておやり、
波と風との中で暴風雨にぶつかれ、
お前の死に向つてまつすぐに進め、
死の島が見える、
霞から遠く朝露にあふれた死の島は
空が姿を写し、
空がヴエルをはづすお月さまのやうに輝いてゐる。
やがて舟を岸へよせて
お前の星を草むらの中に摘め。」

(ポオル・フオル『舟』)


3/18(木) 天気:晴れ

外にでた。信号で待っていたら、前のほうに、手話で会話している二人組がいた。

倉橋由美子「大人のための怪奇掌編」購入。

図書館にいった。何も借りなかった。

三日月だった。

キケロは約束が無条件に守られなければならないという主張は退ける。①自分の側に極端な不利益が伴う時、②相手の側の不利益になる時、③約束が暴力や詐欺によって結ばれている時、④相手側に不誠実がある時には、約束は守らなくてよい。

(加藤尚武『現代倫理学入門』より)


実行しなければ
差はない

(エーリヒ・ケストナー『倫理』)















もはや何に耐えているのかも判然としませんが、どうにか、耐えています。


「まだ死なずにいてよかった、これがみられたから、もう悔いはない」と思うことが、私にとっての美なのかもしれません。そんな時が、来ればの話ですが。














来ると信じて、待ちましょう。

日記 3/5-3/11

3/5(金) 天気:くもり

精神(≒脳)がやられているのに託けて、実際にあった出来事を、無かったことにされる事がある。くそが。憶えているからな。舐めやがって。おまえの手口は詐欺や洗脳と同じだ。

忘れる事も忘れない事も怖いと思ってしまう。繊細とか、もうそういう領域じゃないくらいに、怯えている、気がする。怯えている?何に?何もかもに。何もかも吹き飛んじまえ、と思う瞬間が、一日に一回はあるでしょう?え、無いんですか、何、病んでるのって?病んでますよ。病んだ事ない人間なんているんですかね。第一、病む事を嘲笑するような人間が他者と関係しようとする事自体が誤りですよ。そんな奴を伴侶にするなよ。関係するなよ。自分を捻じ曲げるなよ。自分を安く明け渡すなよ。ああ、苛々するな。憤懣やるかたない、ってのはこういう事ですよ。病む事の何が滑稽なんだ?それは中には構って欲しさにある事ない事でっち上げて深刻ぶってる奴もいるかもしれんよ。偶々そういう馬鹿ばかりに遭遇するから「病む」「病んでる人」に対してネガティブイメージを持っているのかもしれない。けど、本当に深刻で今この瞬間にも死のうとしてる人間が、構って欲しさなんかじゃなく本当にそれしか考えられなくてそうしてしまった人間が確実にいるんですよ。そういう人を、誰もが見殺しにしている。無論私も。私は、見殺しにされて然るべき人間かもしれない。そういう事を考えた事の無い人間が、酷く憎く、酷く羨ましい。ああ、どれだけ嘆いても無駄だ。でも、嘆く以外に能が無い。ないものねだりは厭だ、卑しい。結局、何が言いたいんだって?精神病みをそこまで忌み嫌っているおまえは、人間じゃないという事だよ。人間の本質は精神なのにね。今後一切、どんな精神活動もするなよ、全部冒涜になるから。大切な人がいるだって?笑わせるなよ。おまえのそんな人格や態度で守りたいものが守れる訳が無いだろうが。無自覚に傷つけまくって殺すだけだ、冗談も大概にしろよ。おまえはその大切な人とやらに見捨てられて、逃げられて、挙句の果ては復讐されて、一生を後悔して過ごすだろうね。おまえみたいな屑に即死は用意されないよ。後悔して後悔して、苦痛に喘ぎ続けて、いつ終わるとも知れない生き地獄を味わうんだな。いい気味だよ。想像力の無さは殺人を引き起こす。その犠牲者が偶々自分の大切な存在だった時の遣る瀬無さ。後悔先に立たずとはこの事だね。まあ、ここまで言っても判らない奴は判らないんだろうな。おまえの「守る」は口先だけだろうが。何も守れんよ。おまえの方こそ恥を知れ。


3/6(土) 天気:晴れ

外にでた。目が悪いせいで遠くに見える花が何なのか判らない。銀河鉄道の夜では季節を無視して花が咲いている。狂い咲きというやつだ。

図書館はもう再開してるのだろうか。ああ、でもまだ読みさしのが2冊あるんだった。この日記で書く「読んだ」は一日で読んだ、「読了」は二日以上かかった、という風に何となく使い分けている。そんな意味の無い使い分けをしているのは私くらいだろうけど。はやく読もう。


3/7(日) 天気:くもり

女性ボーカルの曲しか聴けない時がある。落下する夕方(著:江國香織)の華子がそうだったな、と思う。最後死んじゃうけどね、彼女。

相変わらず、文が全然頭に入らない。はあ。

きょうも、何もしなかったな。


3/8(月) 天気:くもり





ずっと寝ていたい。懈い。


3/9(火) 天気:晴れ

自分に向けられる優しさだったり、心配だったりを当たり前に思うようになってしまった瞬間から、人は孤独になるのだろう。いや、自分の中の孤独に気附くのだろう。誰もが生まれた時点から、孤独の種を抱えている。自分に染みついている傲慢性の一切を排除したい。そうでもしない限り、向けられる優しさのすべてを掬い取る事など出来ない。ましてや、本当の意味で自分で自分を導く事も出来ない。本当の意味?何だ、本当の意味って、何だ本当って、意味って、何なんだ?嘘吐きを嫌っている奴が嫌いだ。何なんだ、その正義づらは。誰も救わない正義なんて塵同然だろう。役に立つ事ばかりにしか目がいかない奴は大体役に立たないよね。無知の次に怖いのは想像力の欠如だ。その想像力をどうやって培うか?まず知るしかない。知って、向き合うしかない。知らない事以上に、知ろうとしない事は、罪だ。知らなければよかった事というのは勿論あるだろう。だが、そんな事実は、おのれの無知に甘んじる正当な理由にはならない。もっと知れ。もっと自分を傷つけろ。他人に傷つけられる前に、先に傷つけ。無傷の人間に想像力など無いに等しい。知る事は、想像する事は、正義に酔う事じゃない、真実を試行錯誤する事だ。真実に耐える事だ。


3/10(水) 天気:晴れ

アンナ・カヴァン「われはラザロ」読了。

午後は図書館を梯子した。ウエルベックが気になっていたので借りた。ほかにも、多和田葉子とか借りた。

風が強かった。砂丘という単語が不意に浮かび、何か書くか、と思った。


3/11(木) 天気:晴れ

新宿に来た。3ヶ月ぶりの新宿は快晴だった。夕方にある用事まで歩いていた。

紀伊國屋へ。「ノディエ幻想短篇集」購入。

ブックオフへ。ナサニエル・ウェスト「孤独な娘」購入。

新宿御苑は休園期間で、例によって花園神社やゴールデン街を見て廻った。

16時半、会う約束をしていた人と落ち合った。私は今年初めて人と会った。

いつものカフェに入り、3時間ほど話した。私は話下手なので、聞き役に徹していた。色々聞けてよかった。

中華屋で夕食をとり、解散した。

3ヶ月ぶりに人に会った。

何年の何月何日に会ったとか、自然と憶えている。だって、年に数回しか人に会わないから。

きょうも、詩を書きました。詩なんて書いて、何になるんだと。わかりません。ただ、気づけば書いてるんです。よし書くぞとかじゃなくて、勝手に出来てるんです。それで救われる事もあれば、突き放される事もあります。とにかく、すべてを書きたい。

生き甲斐が、人と会う事、そして、詩を書く事。この2つしかありません。

生き甲斐というのは、必ずしも希望だけで出来ているものではありません。そこには、時に、いくばくかの絶望も混交しているものです。

それでも私は続けるのでしょう。続けるしかないのでしょう。

呪いと思わない呪いも、祈りと思わない祈りも、等しく美しいと信じているから。