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灰色の記憶

日記 7/2-7/8

7/2(土)

ヘミングウェイの晩年を思っていた




7/3(日)

ロレンス『チャタレイ夫人の恋人 完訳』(伊藤整訳、伊藤礼補訳 新潮文庫 1996.11)を買った。


完訳ではないのを前に買っていた。




7/4(月)

「哀れな身寄りもない年寄りをなぐったりすると、ひどい罰が当たるぞ」と老人はうめいた。
おまえみたいなのを見ていると、こっちまで生きてるのがイヤになる、と少年は心の中で言い返した。死んじまえ、さっさと。人間は多すぎるんだ。


「人間を神にする力がないのなら、聖霊なんて空気と同じだ」

(日野啓三「天窓のあるガレージ」)



自分が誰からも必要とされなくなる日をぼんやりとでも予感できるようにならなければ、自分を必要とはしないものの存在はわからないのだ。

(日野啓三「夕焼けの黒い鳥」)




7/4(月)

夜の7時。夕焼け。




7/5(火)

蝉が鳴いている。




7/5(火)

トーマス・マン魔の山(下)改版』(関泰祐、望月市恵訳 岩波文庫 1988.10)を買った。


・『日本文学全集17 堀辰雄 福永武彦 中村真一郎』(河出書房新社 2015.3)

・『日本文学全集21 日野啓三 開高健』(河出書房新社 2015.8)

を借りた。




7/6(水)

生きることを本当に知らなかった者にとって、ただ死にさえしなければいいと思っていた者にとって、生きることは汲み尽されない悦びの泉でした。


自分から進んで断食した者よりも、否応なしに飢えさせられてしまった者の方が、己には親しい。


己には日附のついた過去というものはない。それは思い出す限り平べったくて、しかも前後もなければ関係もない。まるで暗闇の中からぽつぽつと明りが見えるようなものだ。いつ何処にいて何をしたのか、己はそれを言い表せない。

(福永武彦「深淵」)




7/7(木)

くすんでいく紫陽花。

12時6分。太陽の動きを感じる。

16時57分。また太陽の動きを感じる。

19時47分。救急車の音がする。




7/7(木)

一人の人間が救えなければ、全世界をも救えないのです。


己は全身が胃袋である状態に馴れてしまった。飢が己の中に生きている別の生きものなのでなく、己自身が飢になってしまった。


わたしひとりが罪人なのではなく、わたしたち二人ともが罪人であることをこいねがいました。彼にはわたしだけの知る秘密があり、わたしには彼だけの知る秘密があることによって、わたしたち二人の間がしっかりと繋び合さっているようにと願いました。


わたしは憐みを受けて慰められるよりも、わたし一人の道を歩んで行きたいのでございます。


わたしは誰からも認められることのないこの世の異邦人なのでございます。


お前は余計者だ。お前は己の邪魔だ。己は一人だ。お前にそれが分らないのか。己はお前を連れて行くことは出来ない。なぜなら己は己だからだ。お前は己ではないからだ。


彼が獣ならばわたしも獣になりましょう。彼が人非人ならばわたしも人非人になりましょう。どのような苦痛も虐待もいといません。わたしの信仰が邪魔になるならばそれも捨て去りましょう。わたしの魂が彼の重荷ならば、魂も捨て去りましょう。わたしは魂のない人間になるつもりでございます。

(福永武彦「深淵」)



ひとっところにとどまっていられない人間の業。




7/8(金)

すべて現実の一日に伴うものは
嘘のように 空しくなる。

(D.H.ロレンス「たそがれ」)



自分の歓喜を語る言葉はなく、
ただ 大らかに 発光する微風を息づく
壮麗な樹々にならえよ。

(D.H.ロレンス「コロー」)



私は知っているのだ、死はこれから生きないよりはずっとましなことを。

(D.H.ロレンスキンギョソウ」)



ひき裂かれた紅の日没は もうやって来ないであろう。

(D.H.ロレンス「火あかりと夕闇」)



幼年時代の魔力が
わたしに乗りうつって、わたしの大人としての存在は
溢れる思い出の中に投げすてられている、わたしは子供のように 過去を慕って泣くのだ。

(D.H.ロレンス「ピアノ」)



私たちは知るのだ、
美は死の向うまで滅びることがなく、
完全な、輝かしい経験は決して
無に帰することがないということを、
そして 「時」は月の光をうすれさせることはあっても
この半端な人生で私たちの完全な達成は
いろ褪せて消えることはないということも。

(D.H.ロレンス「月の出」)



おれは見ているぞ、おまえがちょっとの間
忘却に身をふるわしながら、
みだらにも陶然としている様子を、

(D.H.ロレンス「蚊」)



食物と、恐怖と、生命の歓び、
愛はなく。

この順序を逆にして、
生命の歓びと、恐怖と、食物、
すべて愛はなく。

(D.H.ロレンス「魚」)



きみの誇張された愛の終末、
愛の中に自分を見つけることができないで
ただ 分解して、ますます自分を失うにすぎないきみ。

愛することのオルガスムから
きみの永劫に失われた、太古の、孤立した本体を取り戻せないきみ。
宇宙の中の きみの単独。

愛することにおいて
きみの孤立の限界をぶちこわし
いやが上にもぶちこわしていく、
だが こういう混交の墓から再生して、
新しい、誇りにみちた単独に立ち上がることの決してないきみ。

(D.H.ロレンス「たそがれの国」)



愛というものは強烈で、個人的で、無限ではないということを悟っていないのか?

(D.H.ロレンス「たそがれの国」)



楽天主義者は独房の中に自分を安全に築き
その内側の壁を空いろに塗り
ドアをがっちりと閉じて
そしておれは天国にいるんだと言う。

(D.H.ロレンス楽天主義者」)



人々はいつも 平和を愛すると言うときに戦争を始める。
平和の喧ましい叫びは闘いのときの声よりもなおひとをおののかせる。
平和を愛するという理由がどこにあろう?戦争をするのが悪いことはあまりに明白だ。
喧ましい平和の宣伝は戦争を切迫したものに思わせる。
それは戦争の一種だ、また、自己主張や他人のために賢明になることもそうだ。
人々は自分のために賢明であればよい。

(D.H.ロレンス「平和と戦争」)



私はもう飽きあきしている もはや愛というものがないのに
烈しく罵り 愛されることをしつこく主張する女には。

(D.H.ロレンス「私が求めるものは​───」)



罪は消えている、罪は消えている、だが汚れは消えていない。

(D.H.ロレンス「性は罪ではない​───」)



性はそっと放っておけ、性はそっと放っておけ、すぐに死ぬままにしておけ、
すぐに死ぬままにしておけ、再びみずから起ち上がるまで。

(D.H.ロレンス「性はそっと放っておけ​───」)



私は 人々が全く太陽を失っているのなら
生存しないほうがいいと思う。

(D.H.ロレンス「民主主義」)



すでに われわれのたましいは
無残な傷口からもれでている。

(D.H.ロレンス「死の船」)



肉体は少しずつ死ぬ、そして 臆病なたましいは
押しよせてくる暗い洪水に、その足場を流されている。

われわれは死にかかっている、死にかかっている、われわれのすべてが死にかかっている、
そして、いかなるものも、われわれの中に満ちてくる死の洪水を止めることができない、
やがて この洪水は世界に、外の世界に溢れていくだろう。

われわれは死にかかっている、死にかかっている、少しずつ われわれの肉体は死んでいく、
われわれの力は抜けていく、
そして われわれのたましいは洪水の上に降る暗い雨の中に 裸でふるえている
われわれの生命の樹の 最後の枝にすがってふるえながら。

(D.H.ロレンス「死の船」)




7/8(金)

20時32分。ただいま、と外から声が聞こえた。

日記 6/25-7/1

6/25(土)

人は法を作る瞬間から、法の外に置かれ、同時に法の保護から逃れる。かかる理由によって、なんらかの権力を行使する人間の命は、ごきぶりまたは毛虱の命ほどの値打ちももたない。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p95)



悪と苦痛と死の礼賛が、生への仮借ない憎悪をともなうのは論理的に必然だ。愛───抽象的に説かれた愛は、それが具体的なかたちをおび、形をなし、性欲、エロティシズムと呼ばれるとたちまち、はげしい迫害を受ける。喜びと創造の泉、最高善、呼吸するすべてのものの存在理由は、世俗人と聖職者の双方の頑迷固陋なすべての屑どもから、悪魔的な不機嫌さをもって迫撃されるのだ。

(p96-97)



純粋は生の嫌悪、人間への憎しみ、無への病的な熱情だ。

(p97)



一人しかもたないことは、なに一つもたないことだ。一人をもちそこなうことは、全部をもちそこなうことなのだ。

(p112)




6/26(日)

今やおれは、自分がどのようにしてこの世とおさらばするかを知っている。おれの最期は、おれのなかにある石でできた人間の、その残りの肉と血とでできたものに対する決定的勝利であるだろう。おれの運命がおれをことごとく所有し終わり、おれの断末魔の叫び、おれの最期の吐息がやってきて石の唇の上で死ぬ夜に、それは実現されるだろう。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p118)



彼らはどれも、同じ程度に取るに足りないものに思われた。つまり、たがいに同じくらい重要に思われるのだった。

(p122)



盲目と聾啞の壁を突き破るには、徴がおれたちを立て続けに叩くことが必要だ。世界のどこかではいっさいが象徴であり、比喩であることを理解するには、無限の注意力だけがおれたちに不足している。

(p131)




6/27(月)

水族館にいった。海月がきれいだった。




6/27(月)

日野啓三『抱擁』(P+D BOOKS 2018.9)

木村敏『異常の構造』(講談社現代新書 1979.1)

を買った。




6/28(火)

暑い。だるい。

・『中井英夫 虚実の間に生きた作家(KAWADE道の手帖)』(河出書房新社 2007.6)

・『久生十蘭 評する言葉も失う最高の作家(文芸の本棚)』(河出書房新社 2015.2)

・『竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔 生誕130年永久保存版』(河出書房新社 2014.1)

を買った。




6/29(水)

この世のいのちだけが存在ではないのですから




6/29(水)

武田泰淳『富士』(中公文庫 1973.8)

芹沢光治良『告別』(中公文庫 1979.1)

・澁澤龍彥『悪魔のいる文学史 神秘家と狂詩人』(中公文庫 1982.2)

三島由紀夫『鍵のかかる部屋』(新潮文庫 1980.2)

駒田信二『中国怪異小説集』(旺文社文庫 1986.6)

永井荷風『珊瑚集』(岩波文庫 1938.9)

平野啓一郎『一月物語』(新潮文庫 2002.9)

ディケンズ二都物語(上)』(中野好夫新潮文庫 1967.1)

ディケンズ二都物語(下)』(中野好夫新潮文庫 1967.1)

ゲーテ『若きヴェールテルの悩み』(佐藤通次訳 角川文庫 1950.8)

・オースター『幻影の書』(柴田元幸新潮文庫 2011.9)

・ヘンリ・ミラー『北回帰線』(大久保康雄訳 新潮文庫 1969.1)

を買った。




6/30(木)

東雅夫(編)『吸血鬼文学名作選』(創元推理文庫 2022.6)

ジョン・ミルトン失楽園(上)』(平井正穂訳 岩波文庫 1981.1)

を買った。




7/1(金)

日野啓三『梯の立つ都市 冥府と永遠の死』(集英社 2001.5)

日野啓三『落葉 神の小さな庭で』(集英社 2002.5)

日野啓三『地下へ サイゴンの老人』(講談社文芸文庫 2013.8)

日野啓三『断崖の年』(中公文庫 1999.9)

を借りた。




7/1(金)

もうどこにも行き場がないってことがどういうことか、おまえにわかるか。

(日野啓三「黒よりも黒く」)

日記 6/18-6/24

6/18(土)

忘れる




6/19(日)

「記憶の園が砂漠化したら、誰もが手の内に残った最後の樹木や薔薇を震えるほど慈しむよ。どうか萎れてしまわないようにと、朝から晩まで水をやり、愛撫するんだ。覚えているよ、覚えているから、忘れたりするもんか、とね。」

(オルハン・パムク『黒い本』鈴木麻矢藤原書店 p36)



古い習慣と新しい命令が対立した場合、たとえば「殺してはならない」という古い習慣と「殺せ」という新しい命令が対立した場合に、罪の感情は生まれます。しかしその正反対の場合、すなわち古い習慣では「殺せ」と命じていたのに、新しい道徳性が「殺すな」と命じ、すべての人がこれをうけいれた場合にも、これにしたがわないと罪の感情が生まれるのです。ということは、こうした罪の感情は道徳性によって生まれるのではなく、習慣や命令に適合するかどうかによって生まれるということです。

(ハンナ・アレント『責任と判断』中山元ちくま学芸文庫 p177)




6/20(月)

マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』(多田智満子訳 白水Uブックス 1984.12)を買った。




6/20(月)

死ぬ恐怖ではなく、死の無意味、いや生存そのものの無意味の恐怖。

(日野啓三「地下都市」)



ぼくは眠っても醒めてもいない。そしてなかば夢見ごこちのぼくの心のなかを、いつか直接に体験したり読んだり聞いたりしたものが、そのさまざまな色彩や明度のいくつもの流れが、ひとつに混じりあって流れていく。

(グスタフ・マイリンク「眠り」)



われわれはけっして主観を認識しない。主観とはそもそも、認識されるものを認識するものにほかならない。

(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)




6/21(火)

一切は孤独なしのびなきなのだ。

(林芙美子「瑪瑙盤」)




6/22(水)

日野啓三『あの夕陽・牧師館 日野啓三短篇小説集』(講談社文芸文庫 2002.10)を買った。




6/23(木)

辻邦生『廻廊にて』(新潮文庫 1973.5)

鷺沢萠帰れぬ人びと』(文春文庫 1992.10)

を買った。


マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳 白水社 2001.5)

マルグリット・ユルスナール『黒の過程』(岩崎力白水社 2001.7)

を借りた。




6/24(金)

ああ、なぜわたしの精神は、その最上の日々においてさえ、肉体の同化力のわずか一部分ほどのものしかもちえなかったのであろう?

(マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想』多田智満子訳 白水社 p15)


美の愛好者は、結局、いたるところに美を見いだし、もっとも下賤の鉱脈からさえ金鉱を発見するにいたるものなのだ。

(p22)



​短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな
​────日野啓三

日記 6/11-6/17

6/11(土)

何回読んだか知れない「秋風記」を読んだ。今日は、つづけて、7回読んだ。




6/12(日)

善人が愛するのは善人で、悪人が愛するのは悪人、本当にそうか?




6/12(日)

ゴーゴリ『死せる魂』(東海晃久訳 河出書房新社 2016.9)を借りた。


・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整新潮文庫 1964.6)

・『E.M.フォースター短篇集』(井上義夫訳 ちくま文庫 2022.6)

を買った。




6/13(月)

わたしたちは、何ものかであることを捨て去らねばならない。それこそが、わたしたちにとってただひとつの善である。

(シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』田辺保訳 ちくま学芸文庫 p61)




6/13(月)

久生十蘭『十字街』(P+D BOOKS 2020.5)

塚本邦雄『紺青のわかれ』(河出文庫 2022.6)

マルキ・ド・サド『閨房哲学』(澁澤龍彥訳 河出文庫 1992.4)

アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹新潮文庫 1969.7)

・『室生犀星詩集』(福永武彦新潮文庫 1968.5)

を買った。




6/13(月)

新宿で人と会った。楽しかったです。


また、会いましょう。




6/14(火)

一人でいることの存在様態は

・孤独(ソリチュード)
・孤立(ロンリネス)
・孤絶(アイソレーション)

の3つ(『責任と判断』参照)




6/14(火)

​───これこそは大なる苦痛だ。今おれはそれを体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。


​───これが死だ。今おれは死を体験しつつある。しかし、結局これがどうしたというのだ。

(トーマス・マン「幻滅」実吉捷郎訳)



無関心───それは一種の幸福だということをおれは知っている。

(トーマス・マン「道化者」実吉捷郎訳)



いつか一度、あの呪いからのがれられたら。───お前はただあることは許されない、創造せねばならぬ。愛することは許されない、知らねばならぬ───というあの犯しがたい呪いから。

(トーマス・マン「飢えた人々」実吉捷郎訳)




6/15(水)

おれはまさに道化癖のために、どうしても滅亡せざるを得ないのだ。


​───おれはどうかというと、おれはもう失われた人間なのである。

(トーマス・マン「道化者」実吉捷郎訳)



芸術だ。享楽だ。美だ。この世を美で包んで、いっさいの事物に様式の高貴を与えろ、と彼等は叫んでいる。───やめてくれ、無頼漢ども。お前たちはこの世の悲惨を、けばけばしい色で塗り隠せると思うのか。悩める大地のうめき声を、豊潤な美感のお祭り騒ぎで消してしまえると信ずるのか。それは違うぞ、恥知らずども。神を嘲けることはできないのだ。神の眼から見れば、ぎらぎらする表面に対する、お前たちの厚顔な偶像礼拝は、恐るべき悪行なのだ。


僕は芸術を侮辱しはしない。芸術というものは、人を誘惑して、肉的生活の鼓舞と是認にかり立てるような、そんな破廉恥な詐欺じゃありません。芸術とは、人生のあらゆるおそろしい深みへも、恥と悲しみとにみちたあらゆる淵の中へも、慈悲深く光を射し入れる神聖な炬火です。芸術とは、この世に点ぜられた神々しい火です。この世を燃え上らせて、そのすべての汚辱と苛責ごと、救いをもたらす憐憫のうちに消滅してしまわせるために、点ぜられた火なのです。

(トーマス・マン「神の剣」実吉捷郎訳)



彼がこんなに長い間、死を征服してきたのは、ただひとえに意志の───幸福への意志のおかげではなかったのか。その幸福への意志が充足させられた時、彼は死ぬよりほかはなかった。争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかはなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである。

(トーマス・マン「幸福への意志」実吉捷郎訳)




6/16(木)

病院にいった。




6/16(木)

最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ


なぜなら幸福とは───と彼は胸の中で言った───愛せられることではない。愛せられるというのは、嫌厭の念と入りまざった、虚栄心の満足である。幸福とは愛することであり、また愛する対象へ、時としてわずかに心もとなく近づいてゆく機会を捉えることである。


誠実というものが地上にあり得ないということに、心からの驚きと幻滅とを感じていた。


​───自分は無数の生活様式に対する可能性と同時に、それが要するにことごとく不可能性だというひそかな自覚をもいだいている……

(トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳)



私は自分が存分に受け取ってきた断罪を、神の怠惰によって私から盗まれてしまった断罪を夢見ている。

(ニック・ランド『絶滅への渇望 ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム』五井健太郎河出書房新社 p159)




6/17(金)

自分の倦怠の灰の下に、明らかな焔ともならず、ほの暗くやるせなく微光を放っているものは、これはみんな何なのだろう。

(トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」実吉捷郎訳)




6/17(金)

オルハン・パムク『わたしの名は紅』(和久井路子訳 藤原書店 2004.11)

オルハン・パムク『黒い本』(鈴木麻矢藤原書店 2016.3)

を借りた。


・ジッド『狭き門』(山内義雄新潮文庫 1954.7)

・マルセル・エイメ『壁抜け男』(長島良三訳 角川文庫 2000.7)

を買った。




6/17(金)

観念論ほど詩的なものはない…、いや違う、詩が観念論そのものなんだ…

日記 6/4-6/10

6/4(土)

悲しみだけが 人の世のさだめだとしたら
死によって限られる日々が
歎きの雲で 覆いつくされるとしたら
人間に授けられた この呼吸はむなしいだろう

(ルイス・キャロル「孤独」)




6/5(日)

詩を書いている




6/6(月)

あなたの想像と私の現実が重なった時、あなたにまた会える気がするから




6/7(火)

静けさに聾される、か。




6/7(火)

一条の希望の光がついに暗黒の空に射し込むようになるには、ときに深淵の底に達しなければならない。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p34)


存在への拒絶が無言のざわめきのようにおれのなかでこみ上げてきた。

(p35)




6/8(水)

北杜夫『幽霊 或る幼年と青春の物語』(新潮文庫 1965.11)を買った。




6/9(木)

「人間の生涯で、自分の運命が倒錯に捧げられていることについて偶然に発見すること以上に感動的なことはおそらくないだろう」

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p63)




6/10(金)

運命は目にこそ見えないが、避けられない仕方で現前し、そしてそのことをおれが忘れないように監視するばかりでなく、そう欲してもいるのだ。

(ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』植田祐次みすず書房 p80)


おれが「肉が好きだ、血が好きだ、生き身が好きだ」と言うとき、重要なのは好きだという動詞だけなのだ。おれは愛のかたまりのようなものだ。動物が好きだから、肉を食うのが好きなのだ。自分の手で育て、自分の命を分け与えたような動物を、自分の手で喉を切って殺し、愛情こもる食欲を感じながら食うこともできるだろうとさえ思う。匿名の、非人称の肉を食べるよりはるかに豊かな、はるかに深い味覚をもって、おれはその動物を食べさえするかもしれない。それこそまさに、トゥーピー嬢のような女におれがむなしく理解させようとしたことだ。あの女ときたら屠殺場を怖がって菜食主義者になっているのだから。だれもがあの女のようにすれば、大部分の家畜はわれわれの風景から消えて、それは実に味気ないものになるだろうということがどうしてあの女に分からないのだろう。自動車が奴隷状態から馬を解放するにつれて馬がその姿を消しつつあるように、家畜はいなくなるだろう。

(p87)


われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂に、滴の落つるを将、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶間なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。

(ガブリエレ・ダンヌンチオ「声曲」)




6/10(金)

夕立があった。


ミシェル・トゥルニエ『気象(メテオール)』(榊原晃三、南条郁子訳 国書刊行会 1991.8)

セリーヌ『夜の果てへの旅(上)』(生田耕作訳 中公文庫 2003.12)

・フォースター『天使も踏むを恐れるところ』(中野康司訳 白水Uブックス 1996.9)

・『ディラン・トマス全詩集』(松田幸雄青土社 2005.11)

マルグリット・デュラス『廊下で座っているおとこ』(小沼純一訳 書肆山田 1994.3)

皆川博子『蝶』(文藝春秋 2005.12)

を借りた。


日野啓三が気になっている。

日記 5/28-6/3

5/28(土)

「愛してくれるなら愛してあげる」これは論外である。殊に、親が子に対してそのように思っているなら、本当に救いようがない。愛は物々交換ではないのだ。愛は、仮言命法であってはならない。

愛されているかどうかの一つの指標として、「自分がまだ生きたいと思えるかどうか」が挙げられる(ここで忘れて欲しくないのは、幸せ故に死んでしまいたいという理屈も存在するということ)。だが、あなたが今生きたくないと思っていることは、あなたが誰にも愛されていない証左だ、などと言いたいわけではない。愛とは世界を受け入れる過程に他ならない。




5/29(日)

・ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(中山元光文社古典新訳文庫 2008.9)

久生十蘭『湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集』(講談社文芸文庫 2005.8)

を買った。




5/30(月)

渋谷にいった。




5/31(火)

アブラハム・B.イェホシュア『エルサレムの秋』(母袋夏生訳 河出書房新社 2006.11)

・ロベルト・ボラーニョ『通話』(松本健二訳 白水社 2009.6)

ミシェル・トゥルニエ『魔王(上)』(植田祐次みすず書房 2001.7)

中井英夫『幻戯』(出版芸術社 2008.8)

古井由吉『蜩の声』(講談社文芸文庫 2017.5)

を借りた。




6/1(水)

狂奔の内に一滴の静まりが点ずると、恐怖は一気に溢れ出す。

(古井由吉『蜩の声』講談社文芸文庫 p95)


「俺は死から抜け出そうと土を掘ったが、俺が掘ったのは死に通じる道のりだった」

(イ・ジョンミョン『星をかすめる風』鴨良子訳 論創社 p90)




6/2(木)

レオ・ペルッツ『聖ペテロの雪』(垂野創一郎国書刊行会 2015.10)

・『リッツォス詩選集』(中井久夫訳 作品社 2014.7)

・ジャネット・フレイム『潟湖』(山崎暁子訳 白水社 2014.11)

ジョルジョ・アガンベン『王国と楽園』(岡田温司、多賀健太郎平凡社 2021.11)

フレデリック・グロ『創造と狂気』(澤田直、黒川学訳 法政大学出版局 2014.7)

を借りた。




6/2(木)

言葉の意味は言葉が隠すもので決まる。

(ヤニス・リッツォス「終わらない」)




6/3(金)

彼は手に取る。ちぐはぐなものだ。石が一個。
壊れた屋根瓦。マッチのもえかす二本。
前の壁から抜いた錆びた釘。
窓から舞い込んだ木の葉。
水をやった植木鉢からの滴。
昨日、きみの髪に風が付けた藁しべ。
こういうものを持って裏庭に行き、
おおよそ家らしきものを建てる。
詩はこの「おおよそ」にある、分かるか?

(ヤニス・リッツォス「おおよそ」)

日記 5/21-5/27

5/21(土)

・ディディエ・フランク『他者のための一者 レヴィナスと意義』(米虫正巳、服部敬弘訳 法政大学出版局 2015.10)

神崎繁『内乱の政治哲学』(講談社 2017.10)

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』(ホーム社 2020.4)

を借りた。




5/22(日)

アガンベンが気になっている、あと、カール・シュミット




5/23(月)

我が生涯はあはれなる夢、
我れは世界の頁の上の一つの誤植なりき。
我れはいかに空しく世界の著者に
その正誤をば求めけん。
されど誰か否と云ひ得ん、
この世界自らもまた
あやまれる、無益なる書物なるを。

(生田春月「誤植」)




5/23(月)

・伊良子清白『孔雀船』(岩波文庫 1938.4)

・シュトルム『みずうみ 他四篇』(関泰祐訳 岩波文庫 1953.2)

サンドバーグ『シカゴ詩集』(安藤一郎訳 岩波文庫 1957.6)

ガルシン『あかい花 他四篇』(神西清岩波文庫 1937.9)

D.H.ロレンス『裸の神様』(岩倉具栄訳 角川文庫 1959.8)

を買った。




5/24(火)

ヴィルジリオ曰(い)ふ。あゝ福(さいはひ)に終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ

(ダンテ・アリギエリ『神曲』浄火 第三曲 七三-七五 山川丙三郎訳)




5/25(水)

死にたい




5/25(水)

闘争における死は、生きたこと、そして記憶されることに対する対価である。

(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p526)




5/26(木)

〈善〉、〈悪〉、〈善意〉、〈悪意〉、〈善行〉、〈悪行〉…それらは〈間の領域〉において生起するものであり、文字通り〈ひとり〉で生きている者にとっては、そんなことはどうでもいいことだ…




5/26(木)

爲すによるにあらず爲さざるによりて我は汝の待望み我の後れて知るにいたれる高き日を見るをえざるなり

(ダンテ・アリギエリ『神曲』浄火 第七曲 二五-二七 山川丙三郎訳)


心を苛責の状態にとむるなかれ、その成行を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判の後まで續かざることを思へ

(第十曲 一〇九-一一一)


語れ約まやかにかつ適はしく。

(第十三曲 七六-七八)


死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己が意のまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。

(第十四曲 一-三)




5/26(木)

哲学ではなくて詩が絶対化される場合には救いがある。

(ハンナ・アーレント『思索日記 新装版Ⅰ 1950-1953』青木隆嘉訳 法政大学出版局 p543)


われわれが直接に、無媒介に、われわれの間にある共同のものに関係なく理解するのは、われわれが愛しているときだ。

(p543)




5/26(木)

私が生れる前にはこの私と少しも関係がない永遠があり、私が死んだ後にも永遠が横たわっている。

(『ラフォルグ抄』吉田健一講談社文芸文庫 p92)




5/27(金)

人に
秘密がないということは、財産を持たないかのように貧しく、うつろなことだ。

(『失花』書肆侃侃房 p10)




5/27(金)

オーブリ・ビアズレー『美神の館』(澁澤龍彥訳 中公文庫 1993.1)を買った。




5/27(金)

無意味なものの燦かさ