10/15(土)
何かぼく以上のものがぼくの中で動いている。
(日野啓三『地下へ /サイゴンの老人 ベトナム全短篇集』講談社文芸文庫 p59)
10/16(日)
『ボードレール詩集』(粟津則雄訳 現代詩文庫 1993.7)を買った。
10/16(日)
死がたくみに生の中へ紛れこむ。
(トーマス・ベルンハルト『凍』池田信雄訳 河出書房新社 p14)
たえず生産の働きを生産し、この生産の働きを生産されるものに接木してゆくといったきまりこそ、欲望する諸機械、すなわち生産の生産という根源的な生産の特質なのである。
(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』市倉宏祐訳 河出書房新社 p19)
すなわち、パラノイア機械は、欲望する諸機械と器官なき身体との間の関係から生じてくるもので、器官なき身体がもはや欲望する諸機械に耐えられなくなる場合に生起してくるものなのである。
(p22)
資本とは、不毛なる貨幣に対して、〈貨幣が貨幣を生む生産的形態〉を付け加えることになるものなのである。ちょうど、器官なき身体が自分自身を再生産してゆくように、資本は剰余価値を生産し、みずから発芽して、宇宙の端にまで枝をひろげてゆくのだ。
(p23)
10/17(月)
「自然は残酷だ。その自然がいちばん残酷なのは、もっとも素晴らしくもっとも驚嘆すべき、自然自らが選り抜いた才能の持ち主に対してだ。自然は彼らを眉ひとつひそめることもせずに踏みつぶす。」
(トーマス・ベルンハルト『凍』池田信雄訳 河出書房新社 p16)
10/18(火)
通所29日目。
10/18(火)
鴉の大群が幾何学的な模様を描きながら空を旋回していた。
10/19(水)
ぼくにはことばが、人と人とのあいだに漂う関係性の網ではなく、人を規定し、人を拘束する実体として見えていた。
10/20(木)
・オーシュ卿(G・バタイユ)『眼球譚〔初稿〕』(生田耕作訳 河出文庫 2003.5)
・『鬼火 底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫 2003.3)
を買った。
・マリオ・レブレーロ『場所』(寺尾隆吉訳 水声社 2017.3)
・レイナルド・アレナス『襲撃』(山辺弦訳 水声社 2016.2)
を借りた。
10/21(金)
通所30日目。
10/21(金)
アタウラー・マルダーン『犯されて』(広瀬順弘訳 富士見ロマン文庫 1978.8)を買った。
10/21(金)
ぼくの中にぼくではない不吉な影がある。