ph1los0phy

灰色の記憶

日記 2/12-2/18

2/12(土) その1

不幸になるかもしれないということを愛さなければならない。

(シモーヌ・ヴェイユシモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』今村純子 河出文庫 2018.7)




2/12(土) その2

美しいものは、最初から美しかったのだろうか?そして、永遠に美しいのだろうか?




2/13(日)

・『怪奇小説傑作集 新版 1 英米編Ⅰ』(訳:平井呈一 創元推理文庫 2006.1)

・『怪奇小説傑作集 新版 4 フランス編』(訳:青柳瑞穂、澁澤龍彥 創元推理文庫 2006.7)

・ゴーチエ『死霊の恋・ポンペイ夜話 他三篇』(訳:田辺貞之助 岩波文庫 1982.3)

・ハリー・クレッシング『料理人』(訳:一ノ瀬直二 ハヤカワ文庫NV 1972.2)

を買った。




2/14(月)

・ハンス・ヘニー・ヤーン『岸辺なき流れ(上・下)』(訳:沼崎雅行、松本嘉久、安家達也、黒田晴之 国書刊行会 2014.5)

・カルロス・フエンテス『ガラスの国境』(訳:寺尾隆吉 水声社 2015.3)

を借りた。




2/15(火)

梅崎春生の誕生日だった。




2/16(水) その1

死はあらゆる可能性を閉ざすのか?

(カルロス・フエンテス『忘却の線』)




2/16(水) その2

閻連科『心経』(訳:飯塚容 河出書房新社 2021.7)を借りた。3分の1くらい読んだけれど、かなり面白い。


ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(訳:伊東守男 ハヤカワepi文庫 2002.1)を買った。訳者違いで既に持っているけれど、訳者違いで蒐集するのが好きだから。




2/17(木) その1

詩を書いた。




2/17(木) その2

悲しみの底にいながらエクリチュールにしがみつくことさえできなくなったそのときに、「鬱病」は始まるのだろう。


「どこにいてもうんざりする」


喪の断続的な性質が、どうしてもわたしをおびえさせる。


だれに(答えを期待して)この質問をできるだろうか?
愛していたひとがいなくなっても生きられるということは、思っていたほどはそのひとのことを愛していなかった、ということなのだろうか・・・・・・?


わたしの悲しみが還元されること──キェルケゴールによると、一般化されること──には耐えられない。まるで剽窃されているみたいではないか。


喪は、弱まらない。磨耗もしないし、時間の作用も受けない。混沌として、不安定で、最初の日も今もおなじように鮮烈な(悲しみの/生涯の愛の)ときなのだ。

(わたしという)主体は、現在のものにすぎない。現在にしかいない。こうしたことすべては、精神分析に反する。十九世紀的なもの、すなわち「時間」や転位の哲学や、「時間」による変化(治癒)、そして有機体論に反する。


いまでは、ときおり、泡がはじけるように不意に、わたしのなかで湧きおこってくる。彼女はもういない、もういない、永久に完全に、という事実確認が。それは、くすんでいて、形容することができない──めまいを起こさせる。なぜなら、なにも意味しない(解釈がありえない)からだ。


わたしの喪を言い表せないのは、わたしがそれをヒステリックに語らないことからきている。とても特殊な、持続する不調だからである。


​──すべてがわたしを傷つける。ささいなことが、見捨てられたという思いをわたしのなかにひきおこす。
ほかの人たちのことが耐えがたくなっている。ほかの人たちの生きる意欲や、ほかの人たちの世界が。ほかの人たちから遠いところに隠遁する決断に心ひかれている


わたしの世界は、くすんでいる。そこでは、なにもほんとうに響かない──なにも結晶化しない。


わたしをひどく苦しめるものと、わたしの感情を抑えつけるものとを、同時に癒すことはできない(苦悩にたいしては、ヒステリックにゆさぶりをかけることはまったくできない、なぜなら勝負はついているからだ)。


わたしは孤独を欲してはいないが、必要としている。


​──寛容の欠如という、やっかいな(不愉快で、落胆させられる)感情。そのことに苦しむ。


喪は、変わることはないが、散発的であるとわかった。喪は磨耗しない。なぜなら、持続したものではないからだ。

会話の中断や、うっかりと話がべつのものにとぶことが、社交上の喧騒や不快から生じるときには、鬱状態はひどくなる。だが、そうした「変化」(散発的なものを生みだす)が、沈黙や内面に向かうときには、喪の傷は、より高度な思考へと移行してゆく。(逆上の)下品さは、(孤独の)気高さとは違うのだ。


わたしたちは、仕事に追われて、忙しくし、外から刺激を受けて、外在化しているときにこそ、悲しみがもっとも大きくなる。内面性、静寂、孤独などのほうが、苦しみを少なくするのである。


「時間」とともに、喪は和らげられるものですよ、とよく言われる(パンゼラ夫人がわたしにそう言った)。──いや、そうではない、「時間」によって何も移ろったりしないのだ。喪による涙もろさが移ろってゆくだけである。


感情(涙もろさ)は過ぎ去るが、悲しみは残る。


涙もろさ(和らいでゆくもの)と、喪や悲しみ(いまここにあるもの)との、(おそるべき)区別をまなぶこと。


きのう、ダミッシュに説明した。涙もろさは過ぎ去りつつあるが、悲しみは残っている、と。──彼は言う。いや、涙もろさはもどってくるよ、今にわかるから。


じつは、結局のところ、といつもこうだ。まるでわたしが死んでいるかのように。


こんどは何を失わねばならないのか。わたしは、生きる「理由」を──だれかのことを心配する「理由」を──失ってしまったというのに。


絶望。この言葉は演劇的すぎる。言語活動の一部をなしている。


思い出すために書く?自分が思い出すためではなく、忘却がもたらす悲痛さと闘うためだ。忘却が、絶対的なものになるであろうかぎりは。──やがては──どこにも、だれの記憶にも、「もはやいかなる痕跡もなくなってしまう」ということ。


わたしはイマージュではなく、イマージュの理屈をこねまわすことを求めていたのだ。


起こってしまったことへの恐怖に苦しむ。


愛とおなじように喪も、非現実性や執拗さによって、世間や社交的なものとぶつかる。わたしは世間に抵抗する。世間がわたしに求めるものや、求めること自体に苦しめられる。わたしの悲しみ、渇き、混乱、いらだちなどを世間は増加させる。世間はわたしを落ちこませる。

(ロラン・バルト『喪の日記』石川美子 みすず書房 2009.12)




2/18(金) その1

信仰とは、他人のためになればなるほど価値が上がるものだ。信仰が他人のためのものではなく、自分だけのためのものだったら、この世に宗教が存在する意味はなくなる

(閻連科『心経』飯塚容 河出書房新社 2021.7)




2/18(金) その2

河野多惠子『みいら採り猟奇譚』(新潮文庫 1995.10)

ヘミングウェイ日はまた昇る』(訳:高見浩 新潮文庫 2003.6)

ヘミングウェイ日はまた昇る』(訳:谷口陸男 岩波文庫 1992.12)

を買った。




2/18(金) その3

怯え。恐れというより怯え。間歇的な怯え。ほどなくして眩暈。浮動性の眩暈。倦怠。どうしようもない倦怠。意味を剥ぎ取られた生。無機質な生。機械的な愛と祈り。罪は日ごとに増えていく。