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灰色の記憶

日記 1/29-2/4

1/29(金) 天気:晴れ

本をまた、何冊か買った。倉橋由美子「大人のための残酷童話」。既存の童話のオマージュらしい。読むのが楽しみ。童話が好きだから。

きょうで、バイトを辞めてちょうど一年が経った。辞めた日の夜に書いたブログが残っていて、読み返してみた。「人間、いくつになってもやり始めるのに遅いということはないからね」と先輩に言われたらしい。その先輩の名前すら、もう思いだせない。「わたしは、死ぬと決めるには早かったかもしれなかったみたいです。」なんてことも書いていた。そうか、死にたかったのか、私は。先輩、今あなたが私のこの状態と状況を見たら、なんと言うでしょうか。なんと言われようと、私は受け止めます。

一日一日を、一分一秒を、不器用なりに、懸命に生きていると、いつか伝えたいです。


1/30(土) 天気:晴れ

きょうは、ずっと寝ていた。

弟の誕生日だった。最後にまともに話したのはいつだろう。いつからか話さなくなった。

私は、今年で22になる。最後にまともに話した相手は、いつも家族ではない。

私は、実名も、詳細な素性も知らない人との記憶を積み上げている。それが空虚なことだとは、思わない。相手がどう思っているかは知る由もないけれど、私は、やっぱり話すことが好きで、私を好きな人のことが、好きだから。


1/31(日) 天気:晴れ

途方もない考え事をしていたら、いつの間にか夜が明けていて、諦めて寝た。4時。

図書館にいった。サルトルの「水いらず」を借りた。中村文則が作品で取り上げてたから、気になっていた。

今月も、なんとか終えました。やり過ごしたというと悲観的なので、乗り切ったと言っておきます。来月も、がんばります。


2/1(月) 天気:晴れ

左側の顎関節のあたりに異変を感じ、口を開閉するたびに痛みが走り、咀嚼も碌に出来ない。最初、心因性の歯痛かと思っていたのだけど、歯ではないことにすぐ気付いた。もう少し様子をみて、治まる兆しがなければ病院にいこうかなと思う。何科になるんだろう。内科?

散歩がしたい。明日また図書館にいこう。


2/2(火) 天気:晴れ

多和田葉子「献灯使」読了。

昼過ぎ、図書館にいった。人がまばらで、殆どいないに等しかった。ジッドと、コレットと、ゴールズワージーを1冊ずつ借りた。

古本屋で、シャーリイ・ジャクスンの「ずっとお城で暮らしてる」を偶然見つけて、迷いなく買ってしまった。

どうせ死ぬのに、というフレーズがある。それは普遍的な根拠ではなく、個人的な意味付けに過ぎない。それなのに、全体に適用しようとする人がいる。そういった前提を踏まえたうえで、理由なく、もっといえば、意味付けに固執することなく、何かをしてもいいのだし、何もしなくてもいいのだと思う。個人の選択に干渉する権利があっても、それを抑圧したり侵害したり嘲笑したりする権利は誰にもない。ただ、何かをする際には責任が伴うのと同様に、何もしない際にも責任が伴うことを心得ておく必要がある。受け身で未来が好転することはない、とは私は断言しない。また、主体的であれば好転する、とも言わない。最も、成長に興味がない人間にこんなことを言うのも、野暮な話だけれど。私はあらゆる性格の人間を否定も肯定もしない。現実として受け入れるだけだ。私が受け入れられるかどうかは、別にどうでもいい。


2/3(水) 天気:晴れ

アンナ・カヴァンアサイラム・ピース」を読んだ。始終圧倒されていた。どこが凄いのかというと、どこにも救いが無い。徹底的に無い。多分、何度読んでも圧倒されるだろうと思う。

シモーヌ・ヴェイユの誕生日らしい。哲学書より詩集を読んでみたいのだけど、なかなか見つからない。あきらめて、先に哲学書を読むか。


2/4(木) 天気:くもり

最近は、よく寝られている気がする。

アンドレ・ジッド「パリュウド」読了。ジッド作品には「盲目」というワードがよく登場するような気がする。この作品でジッドが好きになった。小林秀雄の訳も素晴らしかった。次は「狭き門」を読もうかなと思う。

日記 1/22-1/28

1/22(金) 天気:晴れ

図書館にいった。受験シーズンの為か、相変わらず制服姿の中高生で犇めき合っていた。その視線をかいくぐるように物色し、面倒臭くなり、同じ人の本をまとめて3冊借りた。


1/23(土) 天気:雨

いつぶりの雨だろう。雨が好きになったきっかけは、何だったろう。雨音に耳を澄ましていると、いつかの光景が脳裏を掠める。過去という名の海に潜水し、私はたどたどしい手つきで真珠を掬いあげる。錆びついた結晶を掬いあげる。それを見た刹那、私は過去と現在との距離感に愕然とし、眩暈を起こす。今日まで、錯覚に生かされていたのだと知る。恨めないものが、憎めないものが、またひとつ増えていく。


1/24(日) 天気:雨

青空文庫モーリス・ルヴェルを読み返していた。「無駄骨」、「碧眼」、「自責」、「乞食」、「幻想」、「十時五十分の急行」、「或る精神異常者」、「麻酔剤」、「誰?」、「ふみたば」、「ペルゴレーズ街の殺人事件」。上がっているのはどれも20頁前後の短篇なのだけど、どれも癖があって好きだ。たしか創元推理文庫から短篇集が刊行されていたと思うから、見かけたら無くなる前に買っておきたい。


1/25(月) 天気:晴れ

中村文則「何もかも憂鬱な夜に」読了。

白石一文「この世の全部を敵に回して」読了。川上弘美の解説がよかった。川上弘美の小説が無性に読みたくなってきた。彼女の文章は洗練されていて美しいから。


1/26(火) 天気:晴れ

最果タヒ「十代に共感する奴はみんな嘘つき」読了。十代の時に読みたかったな。

すべてが換言可能であったら、どんなにつまらないだろう、と思う。でもきっと、私はそのつまらなさまでをも愛するのだろう。

ゲームセンターを通りかかったら、子供向けのクレーンゲームで遊んでいる小さな女の子と、すぐ傍のベンチに座っている母親らしき人物がいて、その子供が「獲れた」と母親に景品を示しても、母親の方は手元のスマートフォンに気を取られているのか気付いていなくて(騒音のせいということも加味できるが)、その一瞬の光景を通りすがりに目撃した時、ああ、やるせないな、と思った。喜びの共有が上手くいかなかった時、共有する喜びというのが瞞しのように思えて、共有したくなくなる。そんなことが、昔あったな。よかったね、と声に出さずに言った。名前も知らないその子に。きみがいつか、感情を共有し合える人と巡り会えますように。


1/27(水) 天気:晴れ

久々の渋谷は快晴だった。少し見ない間に駅構内がまた変わっていて、出るのに手間取ってしまった。CDを買いに来た。予約していたヨルシカのCDを受け取った。あと、Hammer Head Shark、afloat strangeのCDを1枚ずつ買った。

夕頃、公園にいった。芝に座って、酒を飲んでいた。白い月が白々しく空に貼りついていた。嘘みたいな雲が嘘みたいに浮かんでいた。ほんの少しだけ日が延びたような気がする。「こんなよい月を一人で見て寝る」と詠んだのは、放哉だったか。あの句で重要なのは「一人で」という部分だろう。そう、一人で。

今月は今のところ16冊読んだけど、きりが悪いからあと4冊読みたいな。読めるかな。


1/28(木) 天気:雨

終日寒かった。東京では雪が降ったらしい。私は東京の人間じゃないけど。

コレットの誕生日だった。「青い麦」しか読んだことがないから、他も読んでみたいとおもう。

日記 1/15-1/21

1/15(金) 天気:くもり

皆川博子「夜のアポロン」読了。


1/16(土) 天気:晴れ

無印のシングルベッドを組み立てていた。組み立てたが、自分のものではない。


1/17(日) 天気:くもり

姫野カオルコ「変奏曲」読了。

空腹感というのは、なぜこうも鬱陶しいのだろう。食べること自体は嫌いではない。むしろ好きなほうだ。ただ、食べたくない時に無理に食べることほどストレスになることはない。

コンセントに繋いで使うCDプレイヤーのほかに、単三乾電池2本で起動するCDプレイヤーを持っているが、こっちは数えるほどしか使っていない。いつだか、渋谷のタワーレコードで買ったものだ。Bluetoothが搭載されている変わり物なのだが、この機能も数えるほどしか使っていない。なぜ買ったのだろう。


1/18(月) 天気:晴れ

湯を沸かし、インスタントコーヒーを2杯あおり、暖を取った。なんとなく歩きたい気分になり、家を出た。計算が正しければ、4日ぶりの外出になる。まあ、外出といえるほど、たいそうな規模ではないのだけど。

川面が陽光を反射して煌めいていた。地平線が仄かに白んでいるが、冬うららと呼んで差し支えない、冴えざえとした様相を呈していた。

改築中の家を横目に、あれがジャングルジムだったらいいのになと、ぼんやり思った。

参道脇の小さな店で、クレープを買い食いしている高校生二人組がいて、いいなと思った。

いつもの図書館に寄った。4冊借りた。

駅に寄り、歌広場で1時間潰した。

よく歩いた。復路で一つ詩を書いた。

アルベール・カミュ「異邦人」読了。


1/19(火) 天気:晴れ

PCでスパイダーソリティアをしていたら2時半を過ぎていた。昔、祖母の家のPCでよくやっていたのを思いだした。祖母に会いたくなった。

夢をみた。切り立った崖から落ちる夢だった。踏み外したのか、みずからの意志で身を拋ったのかは定かではない。ただ、転落中、空と大地が逆だったらいいのにな、せめて重力がなければな、と思った。大地よりも、空に吸い込まれたい、呑み込まれたい、そしていっそ、融けてしまいたい、と思った。空が好きだから。

村田沙耶香「変半身」読了。


1/20(水) 天気:晴れ

夜釣十六「楽園」読了。

もし失明したら、ということを時々考える。目に限らず、自分のからだのどこかが突然機能しなくなった時のことを想像する。昔、どこかのお寺で戒壇廻りを体験した。胎内巡りともいうらしい。暗闇の中を歩くというものだ。怖いというより、心細いと思ったような気がする。


1/21(木) 天気:晴れ

『わたしには今苦痛がある許り、

さうしてそのほかは何も望まない。

苦痛はわたしに忠実だつた、

さうして今でも忠実だ。

何故わたしは苦痛に対して腹を立てたか、

魂がわたしの心の底を搗き砕いたあの時に

わたしの側に坐つてゐたのは彼ではなかつたか?

おお、苦痛よ、やうやくわたしはお前を尊敬するやうになつて来た。

お前は死ぬまでわたしを去らぬことを

やうやくわたしは知ることが出来た。

ああ!つまりお前は美しいのだ、

お前はわたしの哀れな暗い心の中の囲炉裏の側から

去つたことのない人たちのやうだ。

おおわたしの苦痛よ、お前は恋人以上だ

何故なれば、わたしは知つてゐる

わたしの断末魔の時も

お前はわたしと一緒に病床にゐることを

おお苦痛よ、もつと深くわたしの心に食ひ入らうとして。』

(フランシス・ジャム『苦痛を愛する為の祈り』訳:堀口大學



これほど孤独を感じる詩が、あっていいのか。

日記 1/8-1/14

1/8(金) 天気:くもり

近くから工事音が聞こえてくる。振動が部屋に伝わる。まるで、家がひとつの生き物として、冬の祁寒に肩を聳やかして打ち震えるように。何かが解体されていく様子というのは、崩壊していく様子というのは、なぜ物憂いのだろう。


1/9(土) 天気:晴れ

怖い。


1/10(日) 天気:晴れ

欲が、目標があってこその人生なら、欲も目標も何もない人間はどうしたらいいのだろう。

意識したくないのに、死を意識してしまう日々がつづいている。きまって動悸と目眩がする。

外に出た。山尾悠子の「飛ぶ孔雀」を買った。


1/11(月) 天気:くもり

アナイス・ニン「小鳥たち」読了。短篇集。

江國香織「夕闇の川のざくろ」読了。童話。10分足らずで読めた。何度でも読みたい。

長野まゆみ「玩具草子」読了。随筆集。言葉選びや文章が美しくて心地いい。長野まゆみさんもたくさん読みたいな、今年は。

ヘッドフォンを新調した。白と黒で迷い、白を購入。

どこにいても自分を異物のように感じる。不安と疎外感を常に感じる。他者の眼差しが、邪魔だと、いなくなれと、そう訴えている気がする。責められている気がする。自分が正しいかどうかということはわからず、自分は正しくないかもしれないということしかわからない。


1/12(火) 天気:くもり

通話をした。通話だけど、久々に人と話せてよかった。


1/13(水) 天気:晴れ

どうして生きているんだろう。そんな途方もない疑問で頭の中がいっぱいになる。理由なんか別に、なくたっていいじゃないかとその都度思う。なんとなくそうしてるだけ。なんとなく生きて、なんとなく死ぬ。それだけだよ。

最期に思いだす記憶は、なんなんだろうな。


1/14(木) 天気:晴れ

夢を見ていた。夢の中で私は眠っていて、また別の夢を見ていた。あいにく、その夢の内容までは思いだせない。現実に戻るためには目をさまさなければならない、二回。一回目に目をさました時、からだが動かなかった。正確には、思うように動かすことができなかった。起き上がろうとしてもたちまち膝からくずおれてしまって、何度試みても同じだった。這いずるようなかたちで移動することしかできないのだろうか。不意に視界が狭まったような気がした。カフカの変身を思いだした。けれど、からだはまだ人間のかたちを保っていた。何故か首が右に曲がっていて、視点が定まらない。からだは自由がきかないばかりか、鉛のように重く、畳に沈んでいくようだった。その部屋に、だれも来ることはなかった。自分でどうにかするしかなかったが、突然の事態に冷静さを失い、ただ狼狽していた。結局、どうにもならないことを悟り、諦め、そこから何度か眠りを貪った。間欠的、断続的な眠りだった。夢の中の私は、精神の疲れはおろか、からだの疲れを取ることもできなかった。地獄だった。発狂しかけた時、二回目の覚醒がきた。からだは酷く汗ばんでいて、息が短かった。首は曲がってはいなかった。静寂がうるさかった。気のせいか、からだがまだ自由に動かないような気がした。

日記 1/1-1/7

1/1(金) 天気:晴れ

夢を見た記憶はない。CDプレイヤーにイヤホンを繋いで、一巡しないまま眠った。

初日の出も見なければ、初詣にもいかなかった。初詣には明日の朝いくらしい。朝は昔から苦手だ、勘弁してほしい。

コレットの「青い麦」を読んだ。


1/2(土) 天気:晴れ

7時に起床した。近所の神社に初詣へ。御籤を引いたら末吉だった。このパッとしない感じが自分を象徴しているようで笑えてくる。賽銭には用意があればいつも25円を投じる。10円、10円、5円の組み合わせに「重々御縁がありますように」という意味が込められているらしい。こういう一見くだらないような言説がわたしはなんとなく好きで、いつからか習慣になっている。自分が何を願ったのか、妄りにひけらかす、うっかり口を滑らすと願いの価値が損なわれるように思うが、わたしは「皆が倖せになりますように」と如何にも現実的でないことを願ってしまった。そもそも倖せが何であるのかわたしにはわかっていない。わからないものを願うなんて、我ながら間抜けだなと思う。そもそもわたしは無神論者だし、天国と地獄の存在も信じていない。ただ、神社の雰囲気がなんとなく好きなだけで、周囲の人達の行動を模倣している自分がなんとなく面白いだけだ。意思や行動に明確な理由は要らない場合だってある。最近のわたしは要らない場合の方が多いような気がする。類型的であることは時に個性的であることよりも強烈だ、みたいなことを言っていたのは三島由紀夫だったか。まあ、なんとなくです。なんとなく。

二階堂奥歯の「八本脚の蝶」を買った。買ったというか、買ってもらった。先日、彼女のブログを見つけた。ブログと並行して読んでいこうと思う。わたしは今20代だから20代で死んだ人にどうしても惹かれてしまう。詩人でいうと、立原道造が最初に浮かぶ。ほかにも、八木重吉とかが好きだ。久坂葉子は21で自殺していたということを、つい最近知った。知らずに彼女の作品を読んでいた。ネットの友人によると彼女は詩も書いているらしい。わたしの好きな萩原朔太郎に影響されているらしく、一篇の画像を見せてもらったら、絵画的かつ抒情的で、ああ、これはわたしが目指しているものだし好きなやつだ、と思った。とりあえず小説だけでも彼女と同じ年齢のうちに読んでおきたい。


1/3(日) 天気:晴れ

強くなることと痛みに鈍感になることを一緒にしちゃいけない。そのふたつが結びついているのなら、わたしは強くなんてならなくていい。自分の痛みを忘れるということは、受容能力、共感能力を損なうということだ。


1/4(月) 天気:晴れ

『君は好んで、君をいつも一ぱいにしている言い知れぬ悲しみを歌っているが、君にあって最もいいのは、その言い知れぬ悲しみそのものではなくして、むしろそれ自身としては他愛もないようなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしている君の珍らしい心ばえなのだ。(堀辰雄)』

ああ、わたしはやっぱり、言葉に救われてます。わたしは孤独じゃないです。言葉があるから、孤独じゃないです。たとえ孤独だとしても、孤独から教えられたものは、得たものは、この生涯において、この生涯が終わった後でさえも、他の何にも替えがたい、貴重な財産です。かたちのない、貴重な財産です。


1/5(火) 天気:くもり

「死にたい」と「死ぬのが怖い」という相反する感情のあいだで苦しんでいた。「死ぬのが怖い」というのは長らく感じていなかったのだけど、突然息を吹き返したようにまたその感情が蘇ってきた。困った。果てのない自責を繰り返し、このまま破滅していくのだろうか。もうこの世にいない人の言葉というのはこんなにも胸に浸透するものなのか。光は泡になっていく。

ドストエフスキーの「白夜」を読んだ。


1/6(水) 天気:くもり

2時過ぎまで起きていた。本を読んでいた。ジッド「田園交響楽」読了。

18時前。モリエール「人間ぎらい」読了。2冊続けて報われない話を読んでしまった。ああ。

あした、天気と体調がすぐれていたら図書館にいこう。本格的に寒くなっている。寒がりには厳しい季節だ。春とネモフィラが待ち遠しい。


1/7(木) 天気:晴れ

ふたつ通っているうちの近い方はまだ休館期間にあたるのでやむなく遠い方へ。沼田真佑「影裏」読了。別の小説を彷彿とした。中村文則の…思い出せない。「最後の命」?まあいいや。2冊だけ借りた。気になっていた、フランシス・ハーディング「カッコーの歌」。それから偶然手に取った、皆川博子「夜のアポロン」。

不連続日記 12/25-12/31

12/25(金) 天気:晴れ

自分と同じような境遇にいる人を見かけると、好意的な感情を抱かずにはいられなくなる。その機序は単純で、「ああ、自分だけじゃなかったんだな」という安心感から来るものだろう。ただ、従来の孤独感がすこしばかり希釈されるだけで、根本的問題の解決の手掛かりになるということはまずない。自分ひとりでも解決できること、というのは勿論あるのだろう。あるべきだ。ただ、問題は「それはひとりでも解決できるよ」「それはひとりだと限界があるし、難航するよ」ということを教えてくれる人がいないということだ。自分ひとりでは殆どの場合それに気づくことができずに判断や選択を見誤りつづける。そしてそれを指摘して軌道修正してくれる人というのもよほど信を置かれている関係の相手ではない限りしてはくれないだろう。自分の裁量で自分を断罪すると何が起きるか。他の人にとっては瑣末なことまで重大で致命的なことのように見なし、背負いこんでしまうのだ。大体の問題は齟齬や誤謬、自己不信や自己欺瞞から起こりうるものだと思う。それらを完全に無くすことはできなくても、次第に減らし、苦痛を和らげることくらいはできるだろう。そしてそれは、自分を正しく見つめ、正しく受け入れることに繋がるのだと思う。


12/28(月) 天気:くもり

言葉の意味、行動の意味、存在の意味。何かの意味について考えることは疲れる。なぜ疲れるのか。それは終点がないから。誰も解答を提示してくれないから。すべてが合っているとも、間違っているとも言えないから。自分が大切にしていることは周囲にあまりひけらかすべきではないと思う。価値が下がるから。それでも孤独に耐えられない人間は、自分の存在をどうにかして外部に主張したがる。孤独によって培われたものを台無しにするか否かは自分次第だ。


12/29(火) 天気:くもり

男なのに、女なのに、子供なのに、大人なのに…「なのに」ばっかり。そんな言葉は使わないでほしい。わたしは使わないように気をつけている。なぜなら、単純に失礼だから。自身の偏見を恰も大衆の総意のように振り翳す時に使う言葉の代表格だから。誰にだって差別感情はある。ただ、それを行動で、言葉で表してしまったら最後、信用は失墜するとわたしは思う。自身の差別感情と上手く付き合えない、制御できない人を信用したい人なんて誰もいない。良心の呵責の良心がそもそもないのだろう。


12/31(木) 天気:くもり

詩を書き始めたのは、去年からだった。忘れもしない、去年の4月10日。ここまで書き続けるなんて自分でも思っていなかった。きみがここまで書き続けるとは思わなかったよと、詩を教えてくれた人に言われたものだ。いつからか詩は生きる手段になった。それをしていないと、生きていけなくなった。自分の為だけに書き、自分を生かしていた。

去年書いた詩の数は198、今年書いた数は354だった。今年は倍近く書いた。多く書いたからなんだという話になるが、その数がそのまま自分と向き合ってきた回数なんだと思うと、ああ、よくやってきたなあ、と我ながら思う。傷つくことを、誰よりも恐れているのにね。

来年も書くつもりだ。再来年も書くつもりだ。死ぬまで書くつもりだ。それがそのまま反映される。言葉と、心と、人間であることに向き合ってきた回数に反映される。向き合ったから何なんだと。知らないよ。それしかわたしがわたしでいられる方法がないんだ。だから書き続ける。笑われたって書き続ける。誰かの記憶に残る詩を書き続けるよ。生きてる限り。

不連続日記 11/21-12/24

11/21(土) 天気:晴れ

人から教えてもらったお酒を買って飲んでみた。スミノフというお酒で、甘くて飲みやすかった。ジーマというお酒も教えてもらった。

サン・テグジュペリの「夜間飛行」を買った。


11/24(火) 天気:くもり

大学時代の友人に会った。何をしているのかと訊かれたけれど困らせたくないから適当に答えてしまった。

花園神社の近くにおすすめの中華料理屋があるといって案内してくれたけれど、閉業していて二人して笑ってしまった。今日の一番の目的といってもいい新宿御苑も振替休園日で笑ってしまった。それに小雨がずっと降っていた。

西武の方を歩いていたら餃子フェアがやっていて、魯肉飯とレモン餃子を食べた。

都庁方面を歩いて新宿中央公園にいった。真ん中にイチョウの樹があって存在感があった。隣接するかたちで神社があって、熊野神社という名前だった。初めてのところだった。

それから目的を失い、適当に歩いていたら中野まで来ていた。駅まで引き返して電車に乗り、池袋で途中下車して解散した。私はなんとなく帰りたくなくて西口の静かなところをぐるぐると歩いていた。ミルキーウェイのパフェが食べたいと思ったけど、一人だから諦めた。


11/27(金) 天気:くもり

こないだ当選した商品券で本を買った。寺山修司少女詩集、パウロ・コエーリョ『11分間』、アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』。

意識し始めると苦しくなることばかりだ。他のことが疎かになって、それしか考えられなくなってしまう。意識を飛ばしたいのと忘れたいのとはまた話が違ってくる。綺麗な記憶だけじゃ、優しくなれない。馬鹿だな、私は。


11/28(土) 天気:くもり

見たくないものから目を逸らして、そうすれば実害は及ばないのだろうけど、優しくなることはできない。優しくしたい人間がいなければ別に、それでもいいんだろうけど。

正直、救うとか救われるとかよくわからない。何かを何らかのかたちで残すことしかできない。その時伝えたいことを、虚飾なく。それが出来るのが、詩だっただけだ。


11/29(日) 天気:くもり

新宿にいった。1年ぶりに会う人と会って、いろんなことを話した。詩のこととか、小説のこととか、わたしが疎いアニメのことととか、お互いの過去や近況やこれからのこととか、いろいろ。聞きたいことや聞かれたいことを交わし合って、有意義な時間だった。紀伊国屋の下のファーストキッチンで話していて、おすすめの人の本を紀伊国屋で買ってプレゼントしてくれた。新宿御苑は時間的にいけなくて、中央公園までの道のりを話しながら歩いた。きょう、会えてよかったなあと思った。それで、そう伝えた。向こうもそう言ってくれた。京都に遊びにおいでよと誘ってくれた。来年、いきたいな。また会える日まで。生きないとな。


12/2(水) 天気:くもり

15時44分。色んな鳥の鳴き声が聞こえる。眠くて寒くて心細くて、布団に横たわりながら夜になるのを待っている。空はどんよりしている。朝のゴミ出しのために私服だったけど、冷えるので寝巻きに着替え直した。午前中に読みかけの本を読み終えたきり、ぐったりしている。

17時46分。頭が痛い。気圧のせいだろうか。外はいつからか雨が降っている。何かに没頭していない、出来ない間は雑念がひっきりなしに去来する。けど、精神的にも身体的にも鉛を引きずっているような倦怠感があって、何をするにも億劫なのだ。和らぎ、鎮まるのをおとなしく待つしかない。本当はずっと眠っていたい。

極端な人に嫌悪感を抱きながらも、自分の中にもそういった一面がないとは言い切れないことに対して酷く苛立ちに駆られる。自分を棚に上げて相手を糾弾するなど、安全圏から同情したり罵声を浴びせたりしている低俗な輩と何ら変わりはないではないか。それに私はもともと中立的な立場を取りたい性格なのだから、言及したり詰問したりすることはてんで性に合わないのだ。結果よりもプロセスを注視するように。


12/6(日) 天気:晴れ

会いたいなと思っていた人に会えた。きのうの雨にうってかわって、きょうは冴え冴えとした晴天だった。12月、新宿。

一方的にいろんな場所につれていったような気がするけれど、たのしんでもらえたみたいでよかった。新宿御苑で福祉手帳を提示したら無料で入れた。ベンチに座ってお酒を飲みながら話した。冬の紅葉は凛々しい。

それからカラオケにいった。だれかとカラオケにいくのは久しぶりだったから面白かったし、たのしかった。知らない曲をたくさん知れた。こんど、ひとつずつ調べてみよう。

話し足りないことが多い気がするけれど、それはまた会う口実にできるからそうしておくことにする。新宿はやっぱり特別な街だ。いろんな想い出がよぎる。無論、きょうの日のことも、いつか。いつかのことは全部、詩になるから。


12/7(月) 天気:晴れ

マルグリット・デュラスの「愛人(ラマン)」を読んでいる。たまらなく好きな文章があった。

『ときにはわたしは、こうだと思う。書くということが、すべてを混ぜあわせ、区別することなどやめて空なるものへと向うことではなくなったら、そのときには書くとは何ものでもない、と。書くとはそのたびごとに、すべてを混ぜあわせ、区別することなどやめて本質的に形容不能なただひとつのものへと溶けこませることでないとしたら、そのときには書くとは宣伝以外の何ものでもない、と。』

昼過ぎに図書館にいった。中高生が多かった。図書館で詩集はあまり借りないのだけれど、借りた。「プレヴェール詩集」、「プリーモ・レーヴィ全詩集」、それからこれは小説だけれど、レイ・ブラッドベリの「十月の旅人」。3冊だけ借りた。じっくり読みたい。


12/11(金) 天気:くもり

久々に人から連絡が来ると「ああ、まだ覚えててくれてる」と安心する。切羽詰まった気持ちで生きてる。誰と比べるでもなく、自分が自分を追い立てている。追いかけ回している。そんなこと、したくないのに。計画性がないというより、計画する余裕なんて全くなかったと表現した方が正確だろう。そう、余裕なんてずっとなかったのだ。無論、今もないのだけど。


12/12(土) 天気:くもり

言葉を発している限り、扱っている限り、誰かを傷つけることは避けられなくて、自分だって誰かのふとした言葉に致命的に傷つけられることだってある。けれど、傷つくことには慣れても、傷つけることに慣れるというのは、どうなんだろうか。まわりに対しても自分に対しても、故意じゃないからという理由は、免罪符にはならないのだ。不可避な事象に、責任が取れるだろうか。自分は、耐えられるだろうか。黙って立ち止まるくらいなら、黙らないで後退したり、前進したりして、違う景色を見たい。


12/13(日) 天気:晴れ

森田童子のベストコレクションを買った。多分、眠れない夜、毎日か、世話になるだろう。

図書館で本を一冊借りた。『アンネの童話』。ページをめくると、貸出証明書が挟まれていた。知らない人の。(2019/09/29 16:04)と書いてある。つまり去年のだ。この紙を栞がわりにしている人はよくいる。自分もそうだ。返す時は抜くけれど。去年これを借りた人は、返す時抜かなかったのか、恥ずかしい。紙によれば借りたのはこの『アンネの童話』だけらしい。これ一冊。図書館に来て一冊しか借りないというのも珍しい。私は他人の栞が挟まったままのそれを借りた。なんとなく同じことがしたくなった。顔も知らない人と同じことを。そういえばアンネの日記は人に見られることを前提に書かれたものだと、何かで読んだ。実は日記の方はまだ読んでいない。これを読んだら読みたい。

人に愛されたことではじめて自分のことを愛せた、ということがあるように、言葉に関しても、人に好きだと言われたことではじめてその言葉に愛着を抱いた、ということがあっても、不思議ではないと思う。実際、自分にそういうことがあったから。


12/14(月) 天気:くもり

思い出したくないことを、ふとした拍子に思い出してしまうことがある。不慮の事故のように。抑圧していたはずのことが、檻を突き破ってくるかのように。一度考え始めたら、あるいは考えさせられ始めたら、他のことがまともに考えられなくなり、精神は加速度的に蝕まれ、すべてが堂々巡りになる。そういうことが、不定期に起こる。そして奇しくも、きょう起きた。後悔と、それに付随する雑念が染みのように拡がって、どうしようもなかった。特に夜になると駄目だ。夜は考え事が捗るから。捗らなくていいのに。部屋の明かりを消して視覚を遮断し、思考を停止するために音楽を聴く。これで夜を明かす。こうすることでしか、夜を明かせない。おそらくきょうも、こうすることでしか、夜を明かせない。難儀だ、生きることは。


12/22(火) 天気:晴れ

実在する人物、実在した人物とおなじくらい、架空の人物も愛している。虚構を通じて追体験することは自分と対話することでもある。自分と対話すればするだけ、自分の、そして他人の痛みに敏感になれると信じている。それでは他人の痛み、苦しみを察知した時、わたしにできることは何か?正論は禁物だということくらいは心得ている。傾聴、受容なくして対話も理解も信頼も成立し得ない、これだって散々意識してきたことだ。

受け止めてもらうおかげで、その感情はその感情のままそこにあっていいような気持ちになる。

(宮下奈都『終わらない歌』)

この一節を見た時、非常に救われた気持ちになった。ああ、たしかにそうだな、と。そうしようと思えた。自分がしようと思うことは、自分がされたかったことでもあったのだということにも気づいた。相違点に対峙した時、相手に、そして自分に安心を与えるには、否定でも肯定でもなく、受容なのだと思う。


12/23(水) 天気:晴れ

依存先の分散、というフレーズがある。一人に負担が大きくならないようにもう一人、またもう一人と信頼対象を増やして調整し、調和を保つという意図で用いられている、のだと思う。ただこの頃、このフレーズは言葉の並びからして破綻しているのではないかという気がしている。グラデーションはあれど依存というのは言わば盲目だ。それが果たして多方向に分散できるものだろうか。それにそんな容易に信頼関係が確立できるものだろうか。依存することが悪だと言っているわけではない。ただ、無意識的に一点に集中していた力に対して、意識的に分散させる、というアプローチが成功した場合、それはもはや依存ではないのではないか。いままで依存の下位互換にあたる名称を考えていたけれど、それは先述したように大なり小なり盲目性を伴うものだから、盲目性が失われたそれは互換できない、つまり独立したものだということが窺える。何を言いたいかというと、依存先の分散という行動の最終目標は誰にも依存しなくなることなのではないか、という、そんなパラドックスがある気がする。あるいは、依存対象の移行という見方もある。分散させた力が、また一つの対象に収束するように。依存の魔力は人知を超えていて恐ろしい。


12/24(木) 天気:くもり

出先でシャンメリーをもらった。シャンメリーなんて最後に飲んだのはいつだろうか。

家で塞ぎ込んでるのが辛くて外に出たら案の定人が多くて、結局憂鬱になってしまった。

図書館にいった。年末年始は開いていない。ヘッセ「車輪の下で」、アナイス・ニン「小鳥たち」、コレット青い麦」、ジッド「田園交響楽」、ツルゲーネフ「はつ恋」、ドストエフスキー「白夜」、皆川博子「鳥少年」。7冊借りた。14日あれば充分だろう。

そのまま帰ってもよかったのだけど、なんとなく駅に向かった。高校の頃から使っている自転車はボロボロで、ひと漕ぎするたびに変な音を立てる。籠が曲がっている。

ブックオフにいき、TSUTAYAにいき、ソフマップでヘッドフォンを物色し、宝くじ売り場から伸びる長蛇の列をぼんやり眺め、くもりだから月が見えないななどとつまらないことをぼんやり思い、18時をまわった時点になって、途方に暮れながら帰った。何も買わなかった。