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灰色の記憶

日記 2/19-2/25

2/19(金) 天気:晴れ






怖い。


2/20(土) 天気:晴れ

何もしたくない。





起きているのが辛く、寝ても悪い夢ばかり。


2/21(日) 天気:晴れ

幸福を追いかけている間は、
おまえは幸福であり得るだけに成熟していない、
たとえ最愛のものがすべておまえのものになったとしても。

失ったものを惜しんで嘆き、
色々の目あてを持ち、あくせくとしている間は、
おまえはまだ平和が何であるかを知らない。

すべての願いを諦め、
目あても欲望ももはや知らず、
幸福、幸福と言い立てなくなった時、

その時はじめて、でき事の流れがもはや
おまえの心に迫らなくなり、おまえの魂は落ちつく。


(ヘルマン・ヘッセ『幸福』)


きのうからずっと、この詩を反芻している。


2/22(月) 天気:晴れ

原幸子の詩集を買った。ボロボロになるまで読むだろう。

図書館にいった。しばらく休館になるらしい。何冊か借りた。


繰り返される虚構こそが、受け容れられる真実となる。───ウラジミール・レーニン

自分が受け容れられるかどうかは保留して、私の虚構が誰かの真実になるのなら、喜んで書きつづけよう。私の言葉で救われたという声に、私は救われてきた。それが生き甲斐になるだろう。ささやかな誇りになるだろう。書くという行為によって、安寧と安心を与えられたら。


自分の正義をもった瞬間に、私は誰かの悪になる。目障りな存在になる。それでも構わない。疎まれても蔑まれても憎まれても嘲られても、全うする。自分という悪と正義を、全うする。


2/23(火) 天気:晴れ

原民喜の童話集を読んだ。どの話もよかったが、「気絶人形」という話が気に入った。寂しがり屋で神経質な人形は、最終的に少女の手に渡って気絶しなくなる。孤独が癒えたわけだ。

赤坂真理「太陽の涙」を読んだ。幻想的で美しい話だった。挿絵が繊細で魅入ってしまった。


2/24(水) 天気:晴れ

きょうも、不吉な夢をみた。睡眠でストレスが増すなんて莫迦な話だ。

外にでた。外は暖かいを通り越して暑かった。夕方は冷えたけど。

吉屋信子花物語(上・下)」を買った。唐突に少女小説が読みたくなった故。許して欲しい。

愛想について。いまは意識的にしているけど、そのうち無意識に出来るようになりたい。

好きの種類が「人として好き」しかない、と思ったのだが、何だかそれも違うような気がする。まず、「として」という語を使いたくない。枠組みに放り込みたくないし、放り込まれたくない。あなた「だから」好きといったほうが適切だろうか。だがそれだと誤解を生む可能性があるから、思うだけにとどめて、結局、婉曲的にしか相手に対していだく諸々を伝えられず、そして伝えきれない、と伝わりきらないの二重苦に苛まれる事になるのだ。ああ、対話というのは、会話より難しいものだね。


2/25(木) 天気:晴れ

久坂葉子は21で飛び込み自殺をしたし、二階堂奥歯は25で飛び降り自殺をしたし、岡真史に至っては12で飛び降り自殺をした。こういう事実を知ると私はもう、生きる気力を失ってしまう。だが、私に自殺する勇気はお生憎無い。挙げたのは私が愛して止まない人物達だが、愛している分、その最期を改めて思うと哀しい事この上なしだ。死に魅せられたら最後、未来将来の事なんて考えないよ。私も例に漏れず魅せられているが、へたれなので覚悟というものが無い。冒涜している訳ではない。恥ずかしいし、やりきれないし、自己嫌悪に陥る限りだ。苦しみながら死ぬというのは、恐ろしいものだね。自然死、それも突然死を希んでいるけど、私にそんな恩寵を享ける資格など無いのだろうか。苦しみながら死ぬのがお似合いなのだろうか。そんな姿を他人に見られると思うと、何だか寒気がするね。人が苦しんでいるのを安全圏から面白可笑しく観察している奴等の外道ぶりと来たら。優しい人間から死んでいくというのは、ねえ、これはどういう訳なんですか。納得のいく説明が出来るんですか。出来ないでしょうね。あなただって、所詮は奴等と同じですよ。