7/9(土)
なんら不足のない子供のころですら、私は死にたいと思った───苦労することに、なんらの意義も認められなかったので、すべてを放棄したかった。自分で求めもしなかった人間生活をつづけても、なにひとつ得るところがなく、なんらの実証も得られず、プラスにもマイナスにもならないような気がした。
そのころはまだ目を開いたまま夢を見る方法など知らなかった。
奇妙な言いかたかもしれないが、私は一度も私自身になったことがなかった。
恋か悲しみか、その他なんらかの原因によって孤立したものにとっては、いかなる言葉も、あらゆる言葉を包含していた。
私は事物そのものにしか心をひかれなかった。個別的な、分離された、とるに足らぬ事物にだけ、関心を抱いた。
私は事物そのものに対する執拗な愛情に満たされていた───それは、哲学的な愛着ではなくて、熱情的な、絶望的にまで熱情的な飢渇であった。あたかも、あらゆる人に無視され、捨ててかえりみられない無価値なもののなかに、私自身の甦生の秘密がひそんでいるかのようであった。
新しいものの氾濫している世界のまっただなかに住みながら、私は古いものに愛着を感じた。あらゆる物体のなかに、とくに私の関心をひく微細な部分があった。私は顕微鏡的な目で、私にとっては物体の唯一の美を構成している醜い部分を、欠点を、探し求めた。ある物体をばらばらにしてしまったもの、それを使用不可能にしてしまったもの、古くしてしまったものは、すべて、いかなるものでも私の興味をそそり、私を魅惑した。ひねくれているといわれるかもしれないが、私は周囲に発生しつつある世界とは無縁な人間なのだから、その点からすれば、むしろ健康であったと思う。まもなく私も、自分の敬愛するそれらの物体のようになりたいと思うようになった───孤立した存在に、社会の無益無能な一員になりたかった。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
7/9(土)
18時34分。鴉が鳴いている。
7/10(日)
私の身辺でこれまでに起ったあらゆる出来事が、まるで嘘のような───いや、嘘よりももっと悪い、無益な出来事のように思えた。
孤独などというものは、完全に撤廃されるだろう───なぜなら、あなた自身の価値をふくめて、すべての価値が、破壊されてしまっているのだから。
ほとんど愛情がないだけに、かえって、あらゆる人に対して、あらゆるものに対して、自己を犠牲にすることができる。
もし私が破滅を求めていたとしても、それはただ、その目が光をうしなってもらいたかったからにすぎない。
もはや、話すことも、聞くことも、考えることも、いっさいしたくなかった。なにかに没頭させられ、包含され、そしてまた包含し、没却したかった。同情も、憐れみも、もうほしくはなかった。草木や虫や小川のように、ただ地上のものとしての人間でありたかった。分解して、光と石をとり除かれ、分子のように変りやすく、原子のように耐久力があり、地球そのもののように無情になりたかった。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
7/10(日)
立原正秋『剣ヶ崎・白い罌粟』(新潮文庫 1971.3)を買った。
7/11(月)
作業所の体験にいった。みんな優しかった。
7/11(月)
食うという行為のなかで、聖体は冒瀆され、一時的に正義は敗北する。
私は、いわゆる世界の一部であり、生命の一部であり、それに属していながら、しかも、それから逸脱していた。
私は夢が実体化した矢であった。それは、飛翔することによって夢を実証し、やがて地上に落ちて無に帰した。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
7/12(火)
通所1日目。
7/12(火)
この瞬間まで私のものであったすべては妄想なのであろうか。
死という唯一の確実性を把握した彼にとって、もはやいっさいの不確実さは消滅してしまった。
混乱とは、解明されていないひとつの秩序を名づけるためにつくられた言葉である。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)
7/13(水)
自分でもよくわからない憂愁に駆られたとき、身を切られるように痛切な経験、どうしようもない絶望感に沈みこんだとき……そのような一見暗い光景にもふしぎに透明な光がどこからか、場面全体に静かに射し込み、その事態がそうでしかなかったことを、私自身の意志を超えてありありと浮かび上がらせた。
(日野啓三「冥府と永遠の花」)
7/14(木)
日野啓三『光』(P+D BOOKS 2022.7)を買った。
・ブライアン・エヴンソン『遁走状態』(柴田元幸訳 新潮社 2014.2)
・ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』(野谷文昭訳 白水社 2017.9)
・ミシェル・ウエルベック『セロトニン』(関口涼子訳 河出書房新社 2019.9)
を借りた。
7/15(金)
病める星のように横たわって、光が消え去るのを待っているのである。
人々は空虚とは無のことだと思っているが、そうではない。空虚とは不調和な充満のことであり、人間の魂がわけ入る無気味な混みあった世界のことだ。
(ヘンリー・ミラー『南回帰線』)